サルトルとボーヴォワール 哲学と愛

劇場公開日:

サルトルとボーヴォワール 哲学と愛

解説

事実上の夫婦として公私にわたり影響を与えあった哲学者ジャン=ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーボワールの知られざる愛憎の軌跡を描いたドラマ。1929年、パリ大学で出会ったサルトルとボーボワールはひかれ合い、大学を卒業後に共同生活を始める。サルトルは互いに愛し合いながらも、他の関係も認め合うという自由恋愛を提案。結婚か独身しか女性に選択肢のない社会に疑問を抱いていたボーボワールは、その提案を受け入れるが……。ボーボワール役に「シャネル&ストラヴィンスキー」のアナ・ムグラリス。

2006年製作/105分/フランス
原題:Les amants du Flore
配給:スターサンズ
劇場公開日:2011年11月26日

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映画レビュー

5.0サルトル。まぶだち。

2019年4月13日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

中学2年、
サルトルの「嘔吐」を読み耽った。
こんなにも僕と同じ感覚を持つ人間が世の中のどこかにいたことに、感激と驚きで胸が踊った。

父親の本棚で見つけた嘔吐だが、冒頭の一文が45年を経てもこんなにすらせら出てくるほどだ(笑)

「例えばパイプを掴むとかフォークを握るとかの方法がある。あるいは、しかし今、パイプがある一種の握らせかたをするというべきかもしれない。先ほど自分の部屋に入ろうとした時、私は急に立ち止まった。それは何か冷たい物が私の手の中にあって、個性的なものをもって私の注意を促したのを感じたからだった。私は手を開いて、そして眺めた。私は全く単にドアの取っ手を握っていたに過ぎない」・・・

無であり続ける事も、嘔吐や下痢で自己の體躯と対話する事も、そして成りゆきで他者と同じ空間に生きる事も、全てが自由で全てが自分の思いのままなのだと気付かせてもらえてどれだけあの日の僕は救われた事か。

で、映画。
実存主義者はどうしても対話よりも自問・自省に思考の重心が傾くのだろう。ボーボワールをばサルトルは自分自身のようには愛せなかった。サルトルにとってはボーボワールは他の女同様、例外なき絶対他者存在なのだ。

「結婚」が相手対象の所有・独占とこちら側の価値観の押し付けであるならその“完成”などと言うものはお互いにとって幻影でしかないと思うし、結婚は自由意志及び双方の契約と感情の配分を経ての同居行為だと自認する僕にとっては、実にこのディスタンス感がしっくりくる映画だった。

以上ここまではサルトルシンパの男としての僕の感想だが、ボーボワールは読んでいないので何とも評し難いが意外なほど普通の女の姿として描かれていた彼女には拍子抜けした。
彼女は「第二の性」になりたいのか、なりたくないのか。さっぱり分からなかった。
シモーヌへの掘り下げがはしょり過ぎ。
これは監督が男だと致し方ないのか。
このシモーヌ像では、正直がっかりなんだけど。
むしろ、ぐずぐずしているシモーヌよりもお母さんの変化のほうが劇的で面白いという結末・・

はっきりしたのはこの二人にはやはり「友情と恋愛は両立しない」ということ。
“妻”としては満たされていないシモーヌではあったが、ひとつ部屋で執筆中のふたりが目を合わせてお互いにニヤリとしたあのシーン、良かった。カップルとしての最高到達点のシーンだ。
サルトルとボーボワールは間違いなくかけがえのない友達だったのだ。

映画全体が
重苦しくならないのは終始鳴り続ける軽妙なジャズのせい。
美しいのは衣装と美術のおかげ。
そして尺が良いのは老害の域に達する前に物語をカットして墓地シーンへのワープで話を切り上げているから。
娯楽作品だな。
でも、早口で喋る彼らの字幕を追うのは大変だった(笑)

自己中の筆頭はサルトルやデカルト。
他己中の親分はシモーヌ・ヴェイユとか?
突出する彼らは壊れている。
だからこそ彼らは面白い。

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きりん

4.0ダメ男

2016年1月28日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

あの実存主義を提唱したサルトルとフェミニズムの草分け的存在ボーヴォワール。世紀のカップルは、お互いの自立と自由を尊重しあい恋愛における「苦悩」や「葛藤」とは無縁だと思っていました。この作品を観るまでは。

サルトルはひたすら自己中心的で女好きのダメな男。ボーヴォワールは、苦悩しながらもそんなサルトルを受け入れる。

作品は、ボーヴォワールの「葛藤」の視点で描かれています。その「葛藤」と「ダメ男」の存在が少なからず「第2の性」の誕生に影響を与えたのだと思いました。自由な関係であるにしろ、女性であることはある意味不条理です。そして、何しろ「ムカつき」ますから。

ただし、凡人と一緒にいても沸き立つ衝動は起こりません。相手がサルトルだったからこそ、ボーヴォワールもその才能を開花できたのでしょう。そう考えると「ダメ男」も女性の解放に一役買ったと言えそうです。

サルトルの悪口を言い過ぎましたが、サルトルは後々の人類にとって重要で必要な人です。そんな天才は、どんなに自己中心的であろうとも、女好きであろうとも関係ないのです。そして思想を相手にしている彼らにとっては、家族とか恋人とかそんな近視眼的な常識はどうでもいい事なのです。やっぱり、かっこいいですね。憧れる〜。

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ミカ

3.5時代を駆け抜けた愛

2014年10月6日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

知的

幸せ

実存主義の仏哲学者サルトルと、彼の生涯の伴侶で『第二の性』執筆者ボ​ー​ヴ​ォ​ワ​ー​ルは、私の学生時代、課題で慣れ親しんだお二方。というわけで今作は是非観たいと思っていたし、「NOVO」のアナ・ムグラリスがボ​ー​ヴ​ォ​ワ​ー​ル​を演じるということも興味を惹いた理由のひとつ。
この2人の男女の関係は、ある意味、自由意志の下で互いを個の確立としてみていた新しい時代の先駆者であるかのような男女の関係だった。彼女の『第二の性』のあまりにも有名な一文、
「人は女に生まれるのではない。女になるのだ。」に象徴されるように彼女は自らの家庭環境や身近に起きている女であるがゆえの不自由な体験をもとに彼女独自の論説を確立した。現代でこそ、ナンセンスだろうが、当時のまだ社会で活躍できる場が男女で歴然の差があった風潮の中で、彼女のそれは実にセンセーショナルだったと言っていい。
前置きが長くなってしまったけれど、私的には悪くはなかった。実に2人の容姿・性格、実際のエピソードまで、事実に忠実だったと思うし、それでいてサルトルも、ボ​ー​ヴ​ォ​ワ​ー​ルも互いを伴侶と認めつつ、一方で恋多き私生活を謳歌していたのも面白い。彼らにとっての夫婦の意味は同じ方向を見つめる同志だったのだろう。だから、彼女はある時から「もう、私達、セックスするのやめましょう・・」とサルトルにはっきり断言する。そして、彼女は渡米先で知り合ったジャーナリストと深い愛人関係になり、彼から貰った指輪を薬指にはめたまま、サルトルの墓のとなりで永眠しているのだそうだ。
2人の生の息吹が蘇る作品。

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sonje
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