夢売るふたり : 映画評論・批評
2012年9月4日更新
2012年9月8日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
喪失と絶望を抱く者の心に寄り添う、ねじ曲がった心理サスペンス
惨めな想いを抱えた淋しい女性たちが、誠実で優しい料理人の自己をさらけ出す言動にうっとりし、ついつい夢を託す。影で糸を引くのは彼の妻。それは店を全焼させ、困窮した夫婦が再起を懸けた資金繰りであり、騙された実感もないまま輝くことを願う彼女たちの背中を、ほんの少し押すだけの謀(はかりごと)。夫婦役の阿部サダヲと松たか子から、阿吽(あうん)の演技を引き出す西川美和の寡黙な演出も相俟って、滑り出しは娯楽性豊かだ。
コン・ゲームは導入にすぎない。好いた惚れたの季節をとうに過ぎ、日常という戦場で同士となった妻と夫の間を隔てる、どす黒い河の混濁した流れが早まっていく。うしろめたさを重ね、屈折した関係を維持する妻が依って立つ正義は何なのかと、ロジックを求める者には感情移入など程遠い。女性の視座が中心ではあるけれど、「生活」への脅えを抱いたことがある者なら分かるはずだ。それでも生きていく覚悟を決めた人間の理不尽さを。
他人同士が暮らしを共にするとき、沈黙が不確かな絆をつなぎとめることがある。夫の無理解が一線を超え、妻のプライドを踏みにじってからの展開には、西川美和の凄みをまざまざと見せつけられた。もはや内面のゆらぎどころではない。激しい感情の大波が黙して押し寄せるスペクタクルと化す。松たか子は深い闇を湛えた暗黒の瞳を微動だにせず、冷たい情念を表現してみせる。
西川映画が似ているもの、それは人生だ。一筋縄ではいかず、可笑しくて悲しくて複雑で曖昧模糊としている。これは、計り知れない喪失と深い絶望を抱く者の心にそっと寄り添う、極度にねじ曲がった心理サスペンスだ。
(清水節)