マリリン 7日間の恋のレビュー・感想・評価
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もうすぐ、ノーマ・ジーンが誕生して、100年になる。
『私も400年今のままでいたいわ』
このセリフにつきる。
もうすぐ、ノーマ・ジーンが誕生して、100年になる。1926年6月1日が彼女の誕生日。
さて、
ガキの頃から親父の母親(祖母)に言われて来た事だが
『私の誕生日はマリリン・モンローと同じ6月1日。6月3日が貴方の従弟で、6月4日が貴方の妹』って。
『それが何なんだ』と思うが、何故かその言葉を、今になって思い出した。勿論、祖母の生誕年は違うし、美しい人ではなかった。と言うより、典型的なアジア系の顔。でも、乳房がやたらと大きかった。僕はそんな話を聞いて、マリリンと祖母を重ね合わせて、見ていたのかもしれない。マリリンを性的な対象と言うよりも、祖母とか母の乳房(母も大きかった)をマリリンの乳房と重ね合わせていたのだ。5歳位の時に母に言われた『お前はばあちゃんのおっぱいを去年まで吸っていたのよ。末恐ろしい!』
この感情をどう説明したら良い?
もう、3つのおっぱいはこの世には無い。
典型的マザコンだ。でも、まだ、9年この世にいられる。
因みに、1957年10月2日に『王子と踊り子』は日本公開されている。母の話では、この頃、父は一人で映画ばかり見に行っていたそうだ。身重の母を一人残して、一人で、マリリン・モンロー見に行っていたのだろう。
確かに『グルーシェンカ』が似合う女優だ。
爽やかな映画、そして90分という長さもちょうどいい‼︎
天尊爛漫さと孤独、苦悩を抱えたマリリンに、結局はフラれるという話なんだけども。
マリリンを演じたミシェル・ウィリアムスがセクシーというより、愛らしい。
女性目線で観ても、身勝手な女ではなく、魅力的に感じました。
結局、夫が離れて映画が無事終わるまでだけの恋だろうと、タイトルからも映画の最初からも感じられますが、それでも二人がデートする場面は素敵です。
大人の駆け引きみたいなものはなく、純粋。
手に負えないから「男はみんな自分から去っていく」とマリリンは言っていましたが、妊娠したということもありコリンの元を、自分が去っていきました。
そのまま終わっていくかなぁと思った最後、コリンが泊まっているみすぼらしい宿の飲み場にお別れの挨拶にやってきたときは、感動しました。
ただのわがままな女性ではないと。
単純に嬉しかったです。マリリンとコリンには恨みあったりして別れてほしくなかった。
90分の映画で、切実に願いました。
コリンは決して彼女に手を出しませんでした。
セクシーだとか名女優だとか言われるマリリンにとって、なによりの愛情だったのだと思います。
だからこその、彼女は最後に会いにきたのだと。
そんな彼女と、彼女を見送るコリンの笑顔に、悲しさはなく、爽やかな恋の別れを感じました。
大スターの幸せのあり方
マリリンはひとりの女として愛されたい一方で、周囲の視線を感じることに何か背徳感を感じているよう。
プライドが高く、自己中だけれど、周りとは違う圧倒的オーラを放つ、彼女こと天性のスターなのだな。
全て自分が中心で、周りを困らせてばかりの横柄っぷりだけれど、実は繊細で演技することに対しても妥協を許さない。
そんなマリリンがある時、撮影中に信頼していたはずの旦那さんとの間に距離ができ、監督とも意見が合わず、完全に自信を喪失する。
そんな彼女の救いのなったのが、第3助監督のコリン・クラーク(エディ・レッドメイン)だった。
何も知らない素人の彼が彼女の心を開いていった。
女優マリリン・モンローではなくて、ひとりの女としてみてくれたのを感じたからなのかな。
でもいつまでもコリンと共に現実逃避してるわけにはいかなくて。
だってそれだけでは彼女の幸せは満たされないから。天性のスター気質の彼女はプロの自分に戻る時がきた。
自分の人気とあるべき姿をしたたかにもしっかり把握している彼女。
ふつうのひとりの女の人生には蓋をして、女優、大スターとしてもマリリン・モンローに戻っていく…
みんな得るものもあれば失うものもある。
コリンにもこの恋を糧に幸せになって欲しい。
そしてマリリンの作品をもっと観てみたいと思った。
マリリンに恋した7日間
映画に憧れ、業界に飛び込んだ23歳の青年Colinが、当時30歳で人気絶頂のMarilynに恋してしまうお話。
男に甘えて翻弄することも、注目を集めることも容易いのに、仕事となるとプレッシャーに加えて元来の精神的不安定さが災いしてしまうMarilyn。一人にしたら何をしでかすか分からないその振り回しっぷりは、新婚の夫すら匙を投げ出すほどの面倒臭さ。大スターに少しでも効率良く仕事をしてもらう為に、周囲は機嫌をとり、薬を与え…後はひたすら待つという我慢大会。一緒に仕事をするのは大変そう(*_*)。でも上手くいけば耐えただけの価値がある、類を見ない魅力と輝きを放ってくれる彼女。
男なら彼女に溺れて当然。何だかんだ言って男同士は妬み合う。女も彼女になら負けても仕方ないやと思えてしまう?可愛さと儚さ。Michelle Williamsの顔立ちは決して似ていないのですが、Marilynの線の柔らかさ、マシュマロっぽい雰囲気?は出ていたかなと。もっと垂れ目メイクにしたら良かったかも??
街を歩いていても”Marilyn Monroe”を求められる日々。現実でもスタジオでも、基本的に長時間の「演技」が苦手だったのかなと思いました。家庭の愛を知らずに育ち、見捨てられることを過剰に心配するタイプのACなんでしょうね…。素に戻れる長期休暇でも取れたら良かったのかな…。わずかこの5-6年後、彼女はこの世を去るのです。。。
“All people ever see is Marilyn Monroe. As soon as they realize I’m not her, they run.”
MarilynがダメだったからやはりLucyに戻りますなんて失態を見せてでも、Colinにとって大スターとのデートは一生の自慢ですな…。
“When it comes to women, you are never too old for humiliation.” ...当たり前だぁ!!
「マリリン」と呼んで
映画「マリリン 7日間の恋」(サイモン・カーティス監督)から。
う~ん、ちょっとイメージが違う、特に目かな、唇かな・・
これが私の観終わった直後の印象である。
私の感じている「マリリン・モンロー」ってのは、
もう少し、艶っぽいけれど、こんなに整っていない。(笑)
上手く表現できていないかもしれないが、やはり違うなぁ。
気になる一言は、主人公の第3助監督コリン・クラークと
マリリン・モンローの会話。
「コリン、あなたは誰の味方?」
「あなたです、ミス・モンロー」(既婚者なのに(汗))
「『マリリン』と呼んで」(本田美奈子。さん?)
こうして、親密になっていく様子はわからなくもないが、
もっと他の表現はなかったのかなぁ、とメモをした。
わざわざ「マリリン・モンロー」が主人公でなくても、
物語は成立する気がしたから。
ただし、この映画を観たおかげで、
本当の「マリリン・モンロー作品」が観たくなったのは事実。
私の感じている、ほんのちょっとの違い、確かめなくちゃ。
あっさりとした上品な映画(・∀・)
マリリン・モンローの映画はほとんど観たことないし、この映画の原作は実は創作だっていうことを踏まえて観ても・・・
上品だし面白い文芸作品としていい映画だと思う(^_^)
ミッシェル・ウィリアムズは、はっきり言ってマリリン・モンローには似ても似つかない。
でもこの映画を観てるうちにどんどん本物っぽく見えてくる(^O^)
当時のハリウッドの完全役割分担制も、当時の映画界、演劇界で主流とされたスタニフスキー理論もさりげなく描かれてて、歴史映画としても良くできてると感じます(・∀・)
マリリンは下積みを経ずにぱっと出で主役級に抜擢され、細かい仕来たりやルールを知らずに周囲に迷惑をかけまくり、そのせいで映画の製作が相当遅れることもあったのも事実だとか。
そしてその役に完全になりきるために、架空の人物なのにその生い立ちやら育った環境やらを想像してそれを頭に叩き込むスタニフスキー理論に取りつかれて、それが完璧にイメージできないうちは役に入れずどうしても芝居ができなかったのも事実。
マリリンはそれにのめり込むあまり、酒やら薬におぼれて行ってしまった。
そのあたりの描写も、細かい説明抜きにしっかり描ききってる。
わきを固める役者人も(・∀・)イイ!!
ローレンス・オリヴィエ役のケネス・ブラナーなんて、マリリンに振り回されてほんと困り果ててる雰囲気がかなり良く出てたと思う。
池で泳いでる所の描写も、この映画に少ないコメディタッチな描写ではあるけど、不自然な感じが全くせずあくまでさらっと済ませてるあたりが(・∀・)イイ!!
そしてミッシェル・ウィリアムズの歌と踊りもかなり(・∀・)イイ!!
マリリン・モンローはセックスシンボル的な存在ではあったけど、あえてこの映画ではそのあたりのエロさを出さずに淡々と進行させてる部分も共感が持てます(´∀`)
とにかく『J・エドガー』とか『マネーボール』と似たようなタッチの、必要以上に説明をせず、そして淡々と進める手法が、この映画の上品さを際立たせてると思う。
お勧めです(^_^)
天性の魔力。
M・モンローの出演作品は幾つか観ているけれど、
彼女が演技派だなんて思ったことは一度もない^^;
(荒馬と女くらいかな)
今作でのメソッド演技を巡るオリヴィエとの対立も
(有名な話なので)知っているけど、
そこまで入れ込んで役作りをする必要のない女優、
(観客が望む彼女はセックスシンボルでしかない)
その葛藤が彼女をどんどん精神不安定に追い込み、
ドラッグと酒に溺れさせる原因をつくった。
まぁ…当時の(今も)有名人が陥る罠には違いない。
でも彼女の本質は、スターオーラの泉に輝いており、
例えば街中であれだけの目を惹いてしまうほどの
セクシー加減^^;、そんな天性の魔力はオリヴィエが
嫉妬し尽しても自ら持ち得なかったスター性なのだ。
多くの目を惹き、幾人もの男を虜にし、破滅させ、
でも最後まで本当に欲しいものが手に入らないまま
終わってしまった哀しい女性だったと私は思う。が、
あれだけのスターになれたんだもの!ねー。
美空ひばりも松田聖子も捨ててきたものがあるのよ。
(あ、比べるなって話?)
さて。。。
M・ウィリアムズ、会心の演技。
本家マリリンと比べると小さくて可愛いが、むっちり
加減がソックリで、表情や仕草もかなり勉強している。
うわっ!!と思うほどのオーラには欠けるが、
イギリスの片田舎で、名もなき青年とアバンチュールを
愉しむ解放的な素朴ぶりはかなり堂に入っていて好印象。
情緒不安定な弱弱しさと裏腹に、自身がモンローである
ことへの誇りと奢り、そんな部分もよく出せていたと思う。
オスカーは残念でしたが^^;鉄の女にやられちゃったね。
K・ブラナーのオリヴィエぶりもすっごく似ていた!(爆)
でも奥方のV・リー…ちょっと違くない?(J・オーモンド)
A・ミラーの神経質な唯我独尊ぶりも良かったし^^;、
P・ストラスバーグの嫌味なまでの付き添いぶりに笑えた。
S・ソーンダイクは私生活でもデイムの称号をもっていて
まさにデンチが演じて当然!の名女優。もっと優しい顔
だった気がするが^^;劇中でもとてもいい味を出している。
あ、E・ワトソン。相変らず可愛かったなー。
あっちを振ってマリリンって…^^;まぁ分かる気もするけど、
彼女とはその後どうにかならなかったのかしら?
儚い夢物語のような7日間だが、
マリリンにとってはコリンは数多くの友人の一人?だろう。
コリンにとって忘れられない女性なのは言うまでもないが。
E・レッドメイン、初々しさでよく似合っていた。
(もう彼女のような女優は出てこないでしょうねぇ。肉色兼備v)
強くて弱い可憐な花
英国BBCフイルムが作った映画、原題「マイ ウィーク ウィズ マリリン」を観た。 マリリン モンローをミッシェル ウィリアムズが演じて 3つのゴールデングローブ賞とアカデミー賞にノミネートされている。
全く期待しないで観たのに、とてもよかった。すごく得をした気分。良い映画を観た後の余韻が残っている。
マリリン モンローは 私が映画を見るようになった頃には もう亡くなっていて過去の人だった。ケネデイ家とのスキャンダルや、「寝るとき身に着けるのはシャネルナンバー5だけ」とか、ヘンリー ミラーと結婚するとき、「世界一の美女と世界一頭の良い男が結婚するから 世界一美しくて頭の良い子ができるわね。」と、言ったら、「世界一醜くて 世界一頭の悪い子供ができるかも。」と返されたという話が残っているだけだった。露出過剰で、セクシーだけが売りもので、ちょっとオツムの弱い女というレッテルが先行していて、、「そうではない」と弁護する人が少なかったと思う。
たくさんの歌を歌い、踊り、映画に出演して、アメリカを代表する大スターとして、死ぬまでトップスターであり続けたのだから馬鹿であるはずはない。
そんな彼女を オージー俳優で、たった25歳で死んだヒース レジャーの妻だったミッシェル ウィリアムズが演じている。「ブロークバック マウンテン」、「マイ ブルーバレンタイン」、「ドライブ」で 彼女の映画を見てきたが、とても良い女優だ。ここでは、完全にマリリンになりきっている。ヒース レジャーがそういう役者だった。一つの役を与えられると、撮影が完全に終わるまで 何ヶ月も完全に その役になりきって、自分には絶対戻らない、という徹底した役者だった。
ミッシェルが、マリリンを演じると、その肌の輝きに目を瞠る。画面に彼女が登場すると 美しくて場面が輝き始める。本当にマリリンはスターになるべくして成ったスターだったのだ、と納得がいく。
端役として、芸達者なジュデイ デッチや エマ ワトソンが出ていて、華を添えている。
ストーリーは
1956年 初夏。
30歳ンマリリン モンローは 3週間前に劇作家ヘンリー ミラーと結婚したばかり。英国のローレンス オリビア卿は「王子と踊り子」の映画制作を企画して、主演の踊り子にモンローを抜擢しアメリカから招聘することにした。そのときコリン クラークは23歳。英国の由緒ある貴族出身だが、親から自立して映画制作所で仕事を始めたばかりだった。ローレンス オリビエが監督、主演、製作するこの映画の アシスタント製作者として働くことになる。
鳴り物入りで ハリウッドからヘンリー ミラーと共にやってきたマリリンは、最初だけ歓迎される。しかし、撮影が始まると、製作者として自分の思い通りにマリリンを操縦しようとするローレンス オリビエは、短気で腹をたてて当り散らすばかりなので、マリリンはすっかり萎縮してしまう。もともとマリリンは、大スターではあったが、両親に愛されて育ったことがない。片親のもとで育ち、孤児院に入れられたり 幼児虐待にも遭っていて、自分に自信を持てないという心に傷があった。撮影は進まない。せりふの言い方から演技にまで口を出すローレンスのやり方に、マリリンは 不安感から、常用している睡眠薬が手放せない。翌日の撮影が怖くて眠れない。いったん眠ると起きられないので撮影時間が守れない。保護者である夫 アーサーも愛想をつかして帰国してしまう。
コリン クラークは偶然マリリンと夫との諍いの会話を聞いてしまい、マリリンが泣く姿を目にしていて、何とか力になりたいと思っている。ローレンスのメッセージを届けるために、マリリンのもとに通ううち、自然と心が通じるようになって、マリリンはコリンだけには会話ができるようになる。そしてコリンを通じてのみ、映画制作に関わっていくようになる。映画撮影は そんな状態で辛うじて進行していき、、、。
というお話。
舞台俳優で英国の誇り、ローレンス オリビエ卿からみたマリリンは 全くムービースターという別世界の人間だ。自分の思い通り「オツムの弱いセクシーなショガール」を演じてくれれば それで良い。事は簡単。それが 何故出来ないのかが、わからない。褒めておだてて 手のひらの上で踊らせようとするが 怖がって引っ込んでしまったり 泣いたりわめいたりして手がつけられない。アメリカのスターってなんだ? ということになる。妻のビビアン リーがローレンスがマリリンに手を出さないように監視しているのも、気に入らない。もう、ビビアン リーのヒステリーに付き合っていられない。別れ時かもしれない。そんな、ローレンスの状況がよくわかる。
いつでもパワーが人を醜くする。白黒映画の時代のローレンス オリビエ、ビビアン リーの美しさは格別だったが、年をとり、時代が変わったのに、パワーを持つようになってしまうと、もう何の魅力もない。
一方のマリリン。
常に脚光をあび カメラの前でポーズを取る大スターの顔と、自信を失って泣きじゃくる姿のギャップ。撮影所から抜け出しても「あ マリリンだ」と すぐに見つかって人々の群れに追われる。どんな時でも人に捕まれば スターとしての笑顔で、ポーズを取り、ジョークで人を笑わせる。徹底したプロのサービス精神。拍手で迎えられれば プライベートな時間でもカメラサービスをして歌まで歌ってみせる。疲れ果てて、睡眠薬に手をのばす姿が哀れだ。
そしてコリン。
古くから続く貴族の家で生まれて育った若いコリンの何の偏見や思い込みのない澄んだ目が捕らえたマリリンを、傷ついた雛を抱えるようにして、マリリンの側に立とうとする姿が とても良く描かれている。未成熟なその胸に飛び込んだマリリンの再生を見届ける 優しい目差しが 美しい英国の古城や自然とともに、叙情的に語られる。そのようにして、男は一人前の男になっていくのだろう。
その後、コリン クラークは作家でドキュメンタリーフイルム製作者になる。兄は有名な国会議員だ。40年たって、コリン クラークは「王子と踊り子」を製作したときの6ヶ月間の記録を出版した。しかし、そのなかに、1週間分の記録がない。それは今まで、誰にも語られなかった。
誰にも語られることのなかった一週間が この映画になっている。
一人の青年の成長記録として、一人の女優の生き方を表現したものとして、とても良い映画として完成している。小品だが、見て何時までも良い映画だったと思い、心に残る映画だ。
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