Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち : インタビュー
ビム・ベンダース 3Dで実現したピナ・バウシュ作品への深き思い
ドイツを代表する映画作家ビム・ベンダースが、2009年に急逝した天才舞踊家ピナ・バウシュの世界を3Dで映し出し、世界中の注目を集めたドキュメンタリーが公開される。親友でもあったピナ・バウシュが残したブッパタール舞踊団とともにつくり上げた本作への思い入れは深く、既存の3D映画とは一線を画す圧巻の仕上がりだ。五感で体感するピナ・バウシュの作品を映像で再現する方法は「3Dしかなかった」と断言するベンダース監督が、亡き友と作品について語った。(取材・文/編集部 写真/本城典子)
――あなたにとって、ピナ・バウシュの舞踊の美しさとは?
「彼女は本当に言葉では言いつくせない美しさを作りだしました。極端にいえば今までの舞踊の常識をすべてひっくり返してしまった。だけれども考えてみると、それまでの常識が常識ではなくて、本来の舞踊の姿、踊りというものの原点に戻ったと言えると私は思います。舞踊は民族的な踊りから美を追求するような華やかなものになって行きました。けれども本来、人間は自分の感情を表すために踊っていたのです。そういった意味で、彼女ははじめて普通の人間の舞踊に戻したと言えるのです。彼女は普通の人間の人生、希望や恐怖心や喪失感、そして喜び……そういったものを体を通して舞踊を通して描いてくれたと思うのです」
――ピナ・バウシュはどんな方でしたか?
「ピナは決して有名な人ではありませんでした。けれども、彼女がかつて言ったことの中で彼女が何を成し遂げたかを一言でまとめている言葉があります。それは、『私は私のダンサーたちがどう思うかということにはまったく興味がない。彼らが何によって動かされているか、そこに興味がある』と言ったのです。まさにこの言葉の通りだと思います」
――あなたとピナ・バウシュはアーティストとしてどのような部分が共鳴し合ったのでしょうか?
「実はピナと私は4つくらいしか年が離れていないのですが、生まれ育った街も40キロほどしか離れていないのです。同じドイツのルール地方の出身で、世代も同じ。第2次世界大戦後、1950~60年代のドイツで幼少期を過ごしたという共通の経験があります。戦後のドイツは独特の雰囲気がありましたし、彼女は舞踊で僕は映画というそれぞれの分野でそれまでの価値観を継続できる時代ではなく、新しいことを作り直さなければならなかったのです。お互いそういった経験をしています」
――生前のピナ・バウシュと映画を作る予定だったそうですね。
「当初僕が撮りたかった映画というのは彼女の目、彼女がどういう風に世界を見て、そして自分の作品をどういう風に見ていたかということを描きたかったのです。でも彼女が亡くなってそれが不可能になり、しばらくはこの作品をあきらめていました。ですが、徐々にダンサーを通して彼女がどういう風に世界を見てきたかということが描けるとわかったのです。ダンサーの中には20~30年と彼女とすごし、彼女の目線をそれだけの長い間に感じていた人もいるわけです。言葉ではなく、体でピナはどういう人であったか、彼女の目線はどういったものであったかをきちんと伝えてくれると思い、それで心機一転してこの映画を撮ることにしたのです」
――あなたが3D作品を手掛けるということに、周りの人は驚かれませんでしたか?
「2008年頃この映画を3Dで作り始めようと決定して、企画を進めた時に『バカか! とんでもない話だ』というのが周りの多くの意見だったのです。これは『アバター』が公開される1年半くらい前です。いくつかのシーンは『アバター』公開前から既に撮影していました。そういう意味では3Dという認識も違いましたし、3Dでダンスの映画を作るなんて……というのが当時の一般的な考えでした」
――もしピナ・バウシュが生きていたら、本作にどのような感想を述べると思いますか?
「その質問は、撮影中に僕自身に毎日投げかけていたものです。20年前にピナの映画を作りたいと話を始めてから、ずっとふたりで作ろうと思っていたのです。やっと作れる段階になって、彼女がいなくなってしまったということはとても大きな打撃でした。ですから毎日一つのシーンを撮るたび、撮った後に彼女だったらどういう風に言うだろう、気に入ってもらえるだろうか、果たして僕が彼女に約束した、彼女の映画に値するものかとずいぶん自問自答してきました。残念なことにその質問の答えは聞くことはできなかったわけですが、今となっては、確信に近い状態で彼女が喜んでくれていると思います」