「トーマス・マンがどんな性合なのか知らないが、この映画を見て、単なる...」ベニスに死す マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
トーマス・マンがどんな性合なのか知らないが、この映画を見て、単なる...
トーマス・マンがどんな性合なのか知らないが、この映画を見て、単なるゲイの話ではないと、僕は思った。
寧ろ、死を間近にした者が、迎える事になる状況を、走馬灯の如くに描いたストーリーだと思った。
間近に施した化粧は、死化粧だと直感できる。セリフにも『老いる事の醜さ』と言った様なセリフがある。つまり、この少年の姿は、はるか昔の自分の姿を見ているのかもしれない。
この映画の原作はまだ読んでいないが、『魔の山』は読んでみた。長編なのでテーマはいくつもあるが、大きなテーマはやはり『死』であったと感じた。因みに『魔の山』の『ハンス・カストロプ』は結核を患いなから、ある方法で死を選ぶ行為を選択する。それで話が終る。『魔の山』は『ベニスに死す』の関連作品と言われる。
さて、よくよく考えれば『死す者』が物語なんか書けるわけないのだから、死を前にする走馬灯の様な瞬間を示しているのは明確だと思うが。
さて『ビョルン・アンドレセン』は僕と同世代なので、この物語の主人公の年代を迎えている。美少年は今どう思っているのだろうか?ネットで、彼の姿を拝見してはいないが、言うまでもなく、ただの爺なはずだ。勿論、死化粧はしていないだろうが。僕はこの映画を始めて見て、なんだか分からなかったが、今になって、わかるという不思議な話。でも、分かるのがつらいよ。
兄妹や母親はただの置物見たいな役割なのに、シルヴァーナ・マンガーノって可笑しい!?でも、ソフィア・ローレンやクラウディア・カルディナーレじゃ存在感が大きいか?やっぱり『にがい米』級なんだね。
我が亡き父はシルヴァーナ・マンガーノのファンだと良く話してくれた。その理由は『にがい米』を見れば直ぐに理解できる。
マサシさん、共感ありがとうございます。
浜辺のシーンで重く沈んで流れる音楽は、マーラーの第三交響曲のアルト独唱の第四楽章です。第五楽章の少年合唱とアルトソロの天国の音楽と対比になる“ツァラトゥストゥラの真夜中の歌”です。それと最初の出会いのレストランに流れるレハールの『メリー・ウィドウ』も選曲がいいですね。マーラーの第3番は約100分を要する大曲で滅多に演奏会の演目には掛からず、44年前の若杉弘指揮の都響の演奏が小生唯一の生視聴です。ヴィスコンティ監督は貴族の嗜みとして10代の頃はチェロを演奏して相当の腕前であったと言います。トーマス・マン始め文学と音楽の造詣の深さは常人の域を超えていますね。小説のタジオのモデルを昔日本の週刊誌で見た記憶があります。確かホテルマンだったと思うのですが、映画のビョルン・アンドレセンとは全く似ていない極普通の好青年でした。映画のアッシェンバッハにはマンとマーラーとヴィスコンティ監督の三人の芸術家の投影を感じます。
シルヴァーナ・マンガーノの「にがい米」は大好きな作品です。イタリア女優の上品な色気が溢れていました。マサシさんのお話を聞く度に、父上と趣味が合いそうで映画について語り合いたかったと、僭越ながら思いました。