映画を語る前に、この日本人監督の人間性を疑いました。外国人への差別感情を告発する余りに、なぜか拉致被害者の会を偏狭な愛国者団体と決めつけ、怨念むき出しに罵倒するのです。挙句の果てに、拉致被害者の会の講演会に主人公を行かせて、マスタードガスを投げ込むという無差別テロを描くのです。マスタードガス自体もシンボリックなもので、大戦中に日本軍によって強制労働させられた朝鮮人たちの犠牲によって作られたとされるものでした。
小地蔵は、横田めぐみさんのご両親の講演を生で聴いたばかり。だからこそ、監督に声を大にして訴えたいのです。監督が劇中に描かれる反朝鮮感情で殺されてしまう朝鮮学校の女子高生に対して、周りの日本人が無関心であったことを訴えたいのは分かります。けれども、拉致被害者の会のメンバーも同じく多くの人の無関心のなかを耐えて活動を続けてきたのです。その気持ちが分からないのでしょうか。
もしご自身のお子さんが、拉致にあったらこんな映画を作られたでしょうか。横田めぐみさんのご両親のお話は、身につつまされるものがありました。どんなイデオロギーの持ち主でも人の親として、自分の子供がさらわれたら、取り戻せというのはごく自然の感情だと思います。
それとも、戦前・戦後を通して多大な経済援助をして韓国の発展を支援し、誠意をもって戦争の償いをしてきた日本は、まだ裁かれなければいけないというのでしょうか。
反朝鮮感情たいする報復として、無差別テロを礼讃するその感覚が信じがたいのです。あげくの果ては、核爆弾で東京を破壊してしまうまで描きます。
もちろん、テロ実行する少女は、人を7人も殺したこと事実を知り嗚咽するシーンはあります。けれども、少女はその罪の深さを実感していないのではないかと思います。実際に犠牲者の葬式に行かせて、なんの罪もない中学二年生や子供が生まれたばかりの若い会社員などその家族の悲しみを、肌で感じさせれば、自分の手で奪った命の尊さが実感できたでしょう。
反朝鮮感情たいする報復を正当化する論理は、まるでアルカイダそっくり。劇中にパレスチナゲリラをリスペクトする台詞もあるので筋金入りです。しかし断じて無差別テロから世界は変わるものではありません。そんな暴力で生まれるのは、文化大革命やカンボジアのポルポト政権が行った大虐殺のように恐怖と修羅が支配する地獄でしか過ぎないのです。
まさにイデオロギーとは怖いものだとつくづく悪寒させた作品でした。
映画的には、犯行後自転車でさすらう若い二人が触れあう姿は、青春ドラマとしてフレッシュな感性が描かれて悪くありません。白黒映像も強烈な個性を放って斬新でした。そんな監督の本来の才能を思えば、変なイデオロギーに毒されなければ、真っ当な青春ムービーの佳作が作れたはず。もったいない才能だとつくづく思えました。
最近売れっ子になってきた主演の韓英恵はとっても可愛くて、こんな恐ろしいことをする役を演じさせるのは、ケシカランと思いますぅ。