劇場公開日 2012年3月31日

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「監督の狙いは、ネガティブな黒人差別でなく、誇り高く生きるメイドたちの魅力にスポットを当てたかったのでは?」ヘルプ 心がつなぐストーリー 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5監督の狙いは、ネガティブな黒人差別でなく、誇り高く生きるメイドたちの魅力にスポットを当てたかったのでは?

2012年5月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 本作は後半から黒人たちが立ちあがって白人原理主義者に反撃したり、具体的に本の出版にこぎ着けるところから、ドラマが繋がりだし面白くなって、最後は涙で締めるヒューマンな良作でした。
 しかし、前半は黒人メイド、エイビリーン~ストーリーテイラーに起きつつも、主役不在の群像劇にしてしまったのが惜しいと思います。しかも、ワンカットごとのカット割りが早めなので、飛び飛びの展開でストーリーが掴みづらいのです。

 それでも後半、黒人差別の赤裸々な実態を手記にしてまとめた『ヘルプ』というタイトルの本が出版されて俄然ストーリーは面白くなります。何よりも黒人メイドを一番迫害したヒリーをエイビリーンたちがやり込めていく展開が痛快!
 そして、黒人メイドと彼女たちが子守している白人の子供たちの親子以上の絆の深さに涙しました。
 黒人差別をメインとしている本作の隠れたテーマに、本当の親子とはを問いかけているシーンが多々描かれます。
 差別はさておき、メイドを雇い子育てをまかせる行為というのは、母性の機能を退化させてしまうのですね。登場する白人女性たちは、自分の見栄を競うために子供を産むだけで子育てには関心がなくなっていました。面倒なことはみんなメイド任せ。その結果知らず知らず、わが子のいたいけな感情すら気がつけなくなっていたのです。
 そのことを当時のアメリカだからと特別視してはいけません。当時の黒人メイドに当たるものが、現代の公的保育制度です。確かに女性の自立のために、公的保育制度は欠かせないものなのかも知れません。けれども公的保育制度に依存すると肝心の母性が退化するリスクがあり、愛情不足なまま子供が育ってしまうことに。そんな愛情不足なまま子供が育ってしまった子供がいじめや凶悪犯罪を引き起こしてしまうことを思えば、本作を他山の石と見てはいけないのです。

 赤ちゃんの時からずっと子供の面倒を見てきたメイドたち。本の出版が原因となって回顧されたエイビリーンが家を出て行くとき、彼女を引き留めようとするエリザベスの娘の懸命さには泣かされましたね。

 舞台は、1960年代前半の米国では、人種差別撤廃を求める公民権運動が盛り上がる一方、本作の舞台のミシシッピ州など南部の地域によっては、逆に黒人差別を徹底させる前時代的な法案が次々と制定されていったのです。
 公民権運動と、それを脅威に感じる白人たちの抵抗が交差する時代状況はさりげなく周到に織り込まれていました。でも本作は決して過去を検証するだけの作品ではありません。胸に響くのは、むしろ、いつの時代の人間にも切実な、生き方をめぐる問いかけです。 この映画が描くのは、そんな南部の町を舞台にした女たちの物語。理不尽な現実にどうすれば風穴を開けられるのか。本作では、大上段に黒人差別を糾弾しないところに好感を持てました。しなやかに黒人メイドたちの日常にドラマは密着していきます。

 物語は黒人たちの置かれた境遇を、冒頭のエイビリーンのナレーションで的確に言い表します。「自分がメイドになることはわかっていた」と話す場面から物語は始まる。「母親もメイド、祖母も家事をする奴隷だったから」と。生まれた時から、人生が決まってしまうというのは、自由とチャンスを標榜しているアメリカにとって、何とも皮肉な差別でした。

 そんなエイビリーンたちの暮らすジャクソンの街に、生まれ育った作家志望の白人女性、スキーターが大学を卒業して戻ってきます。そしてどこにどんな肌の色で生まれたかで社会的地位が決まる、旧態依然の故郷の状況に胸を痛め、世界を変えたいと願うのです。 そのために、不条理に耐えてきた黒人メイドたちの本音を聞き出し、本にしようと決めたのでした。
 けれども当時の特に南部は、秘密結社のKKKなどアメリカの白人至上主義を唱える原理主義者がうようよいたのです。だからもの言えば、身に危険が及ぶような社会状況だったのですね。当然スキーターに話を持ちかけられたエイビリーンは、親しい友人の依頼でも躊躇するのでした。でも友人のミニーが理不尽な理由で解雇されことに大反発。何らかの復讐の手段として、スキーターの手記企画に協力することを約束したのです。エイビリーンの説得で、メイド仲間が次々重い口を開き始めます。

 本作で興味深いのは、黒人メイドたちと彼女たちの雇い主の白人の対比。エイビリーンとミニーは、どんな虐げられても、メイドとしての矜持を崩さず、子供たちには愛情たっぷりに接していました。教会では生き生きとゴスペルを歌い、人間としてのバイタリティすら感じました。
 それに比べて白人の雇い主たちの多くは、みんなどことなく影が薄いのです。特にミニーを解雇したヒリーは、白人の優越性を語って、黒人排撃を仲間の主婦たちに煽りますが、タカピーさだけが目立ちます。ヒリーの頑張りは、他者より優位に立つことで、自分が優れていると思いこもうとしているだけなんだというところがよく描かれていて、傑作なシーンが沢山登場します。

 テイト監督の狙いは、ひょっしたら黒人差別が主眼ではなかったのかもしれません。そんなネガティブな社会問題よりも、誇り高く生きるメイドたちの優しさや絆の強さといったいかに魅力的な人間の生き様にスポットを当てたかったのだろうと思います。まぁ、できすぎた結末ではありますが、いいじゃないですかねぇ、誇りを持つ側の人間が人生を勝利に導くと確信できる内容に拍手を送りたくなります。そう信じるだけでも、損得抜きに強く生きたくなってはきますね。

 それにしても、主役の控えめなエイビリーンよりも、登場するだけで注目してしまうミニーの存在感の凄いこと。その豊かに表情と共に、演じたスペンサーがアカデミー助演女優賞を取ったことを多いに納得させられました。

流山の小地蔵