ヘルプ 心がつなぐストーリーのレビュー・感想・評価
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理解できない、ってここでも言うか、懲りないオレ
「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」はオレが立ち入ったらいけない世界だったということが良く分かった。まあ、そんなにほいのする映画だったが、レビューの表現をもっとオレらしく直接的に書けばよかったと反省。二度と観ることも無いし。
さて、「ヘルプ」
まず圧倒的にオトコの出番が無い。あくまで女性の生活の中での戦いが舞台。男が絡むと急激にシリアス度が増すので、コメディータッチのヒューマンドラマとして本作を成立させるためにオトコは出てはいない。
だからここで行われている差別がどこまで深刻なものかどうかは、はっきり言ってこの映画では疑問だし、勉強になるとは決して思わないほうがいい。だってどうしても飯と子育て、教育OK、便所NGは映画では理解できないし。
仲間からハブにされる白人女性を入れていることから、歴史的背景よりも、感情面で差別している、というところを本作は重視しており、単純に見た目がどう、とか生まれがどう、だけの差別への戦いの映画と観ると難しくなくなる。
ましてやその背景を知らないオレは、いじめっ子といじめられっ子と、新聞係のお話としてみるしかないのだ。チョコパイなんか、ほんまそのレベルだしね。
案外当事者のアメリカ人も案外そう見ているのかもしれない。
でもだからこそ「チョコパイ」なのかもしれない。
しかし、そう見ると何てことない、特に取り立てて面白い映画ではなくなるんだよね。
オレは本作は女優陣のオモロイ演技を楽しんだ。特にハワードはトリアーの「マンダレイ」を見た後だっただけに余計オモロかった。
ほか
最近のアカデミー賞がらみの映画ってなんか
「おお、すまんかったのう、勘弁せえや」
という映画が多い。
ほか
パゾリーニの例の映画よりこっちのほうがオレはダメ。あのミニーの顔とセットでトラウマ。アレを笑いどころとはオレ「理解できない」。
オスカー女優たちのバチバチの演技合戦
同じ白人でも、差別というか、いじめのひどいヤツというのか、、そんなものがあったなんて驚きでした。ホワイトプアは、成り上がって金持ちと結婚したからって、普通に白人社会と付き合っていけるもんじゃないなんて。
『トムとジェリー』を見て育った世代の私にとって、黒人のメイドさんは、愛すべきキャラクターの一つのアイコンだったのですが、それが、南部の差別を象徴する職業というか、身分だったんですね。そして、彼女たちに育てられた白人の娘たちは、黒人に対して割とリベラルに接することが出来るという皮肉にも気づかされ、改めて根が深く、難しい問題なんだなと思い知りました。
そして、この映画に出演している女優たちの、バチバチの演技合戦のすごさったら、見応えありすぎて、静かな展開でも、表情一つ逃したくないと思って目が離せませんでした。オスカー級女優が、どれだけ揃っていることか。
いままで、知らなかったことが不思議なくらい。世の中には、まだまだ見たことのない、いい映画がたくさんあるんですね。
無自覚な人たちへ
ヘルプを雇っている白人の若奥様連中がアフリカへの支援でチャリティーオークションを開催する話を序盤からしている。おいおい、アフリカの人たちだって黒人だぞ、目の前のヘルプの人たちに酷いことしておきながらチャリティーとは笑わせてくれるなどと思った。
と同時に、この物語のラストは本を出版することになると思うが、そんな本が肝心の白人連中に読まれることはあるのだろうかとも思った。
この一見関わりのない二つの事柄は繋がっていた。
アフリカの人たちは直接自分とは関係ない人たちで、だから自己満足のために支援したりするわけだが、本作の中で出版される本も活字になり一瞬目の前から登場人物が姿を消すことでアフリカの人たちと同じような立場になった。
つまり、どことなく自分とは関係のない人たちになり、本は読まれることとなる。しかし当然、中に書かれている人たちは今目の前にいるヘルプの人たちの事であるから、そこでやっと今まで無自覚に行っていた差別的な事柄について気づくことになる。
一番の問題は、無自覚だったということだ。黒人に対する横暴が当たり前すぎて、問題であることすらわかっていない人たち。この人たちに本という形で触れさせることが出来たことは良かったのだろう。
無自覚に差別的な若奥様の対の存在として、ジェシカ・チャステイン演じるシーリアが登場する。彼女は見た目こそ、町の同世代の奥様方に迎合するために派手なバービー人形のようだが、内面は全く違い、差別的な人物ではない。
それは彼女が田舎育ちで差別などない環境で育ったからで、無自覚に非差別的なのだ。
無自覚に差別的な者と無自覚に非差別的な者。よくも悪くも人間は環境の生き物であるから、シーリアのような人物が育つ差別のない環境を作っていくことが真に大事な事だと思った。
とまあ、色々書いたけれど、もちろん作品のメッセージ性は大事だが、それよりも面白く観ることが出来たのが一番良かった。
監督は作品のトーンを大事にしているような話をしていたが、そのおかげか暗くなりすぎず笑える場面もあったり明るいシーンもあったりと、バランスよく娯楽性も備えている。
脚本が上手かった。
心にクソくらえ
白人に雇われる黒人女性メイドのストーリー。
人種差別の時代。
細かいところが重い内容でも、少しコミカルに表現されてて、黒人白人も同じ人であり、お互いやり返したり。
白人でも仲間はずれにされたり。
女性の社会進出も描いていて、テーマはたくさんでも上手く消化されてるのが素晴らしい。
#黒人迫害 #人種差別 #ジム・クロウ法 #女性活躍
主題は重、 芝居は軽
主題は結構重いので撮りようによっては問題作になりそうですが、
主役三人の軽妙な演技と明るい演出でなかなかドラマチックな展開になりました。
サスペンスの手法も取り入れているので、娯楽作としても一級品ですね。
命を懸けた闘い。
一人ひとりの勇気が集まって世の中は動いていく。
どれだけの想いを込めた告発なのか。
失職どころか命すら危うい行為。家族をも巻き込むかもしれない。
危険な目に合っても、警察は動いてくれない。否、警察すら迫害側に回るかもしれない。
それでもの決意。
最初の一歩を踏み出した女性の勇気。もし彼女がいなかったら何も始まらなかった。
勿論、時代の後押しもある。この本の企画をもっと前に考え付いたとしても、埋もれてしまっただけかもしれない。
今なら、この想いが誰かに届くかもしれないという期待。受け取ってくれる人がいるかもという後押し。それゆえの決意。
乳母に育てられる。
こんな乳母ばかりならいいけど。(『英国王のスピーチ』での、バーティの乳母との対比)
血の繋がりより自分を愛しいと大切にしてくれる存在がいるから自尊心を保てるのに、その後の周りの大人の影響で人格がねじ曲がる。怖い。
暴力の直接的な表現は無い。
エイビリーンが襲われるんじゃないかと怯えて帰路を急ぐ。そんな演技に、いつかリンチに会うんじゃないかとドキドキハラハラ(この演技すごすぎ!)。
エイビリーンの息子の死にざま、DVと、言葉で語られることに胸をえぐられる。TVから流れるニュースで時代を感じ、他の地で起こっていることを想像する。
この映画の中で描き出されるのは、日常の中に、人々の感覚の中に沁み込んでしまった差別。あまりにも当然のことで、差別している意識もないから変えられない。ある意味、暴力よりもっと怖い。
衛生面でトイレを分けるくせに、食事は?家の掃除は?子どもの面倒は?矛盾だらけなのに、気が付かない。慣習だから。
ヒ―リ―は、私達から見れば見事なヒールに映るけど、あの時代のあの風潮の中で、かなりの優等生・皆から尊敬され羨望されるべくふるまっているだけの女性なのだろう。「正しきことをすべき」「こうしなければならない」という価値観を押しつけ、人々の称賛を得ようとするだけの女性なのだろう。
相手の立場に立って、相手の気持ちは考えられない。
自分の無学にも気が付けない。(大学が4年ということすら知らない)
人生早期に愛を与えられて人は愛を知る。
でも、子は養育者との関わりの中でだけで育つわけではない。学校等で、家族の、社会の価値観に染まり、その中で称賛されるやり方を身につけていく(社会化)。
ヒ―リ―の母はパンチの効いた存在で、ヘルプ目線になっている私にはすかっとしたことをやってくれる人だが、ヒ―リ―にとっては守ってくれる人ではない。ヒ―リ―も寂しい存在。社会の中でマウントとらなきゃ認めてくれる人がいない。
という、世代間連鎖と、周りに合わせる付和雷同を描き出した作品。
そんな地域に風穴を開けるのが、他の地で暮らしたことがあり、大学で学んだスキ―タ―と、他の階層からやってきた無学無教養のシーリア。
自分が生きている場所の常識だけを当然と思ってしまうことの怖さ。
映画を見たり、違う価値観を持っている人と話をしたり、本を読んだりして、自分の常識・価値観を見直すことって大切なんだなあと、改めて思った。
映画としての成功は、魅力的な配役だろう。
エイビリーン演じるデイヴィスさん、この人あってのこの映画。抑えた怒り・やるせなさ、それでもの、自分の職業への矜持、養い子への想い、決意。ヘルプとして働く方々の想い。映画のbaseを体現してくれる。
ミニ―演じるスペンサーさんの魅力的なこと。
この二人が経糸横糸として世界観を語ってくれる。
そしてヒール役のヒ―リ―演じるハワードさんとシャーロット演じるジャネイさんが、時に辛辣に、時にコミカルに、きっちり憎たらしい役を演じきってくれる。だから、感情移入しやすくなる。
ミニ―を師として家事の腕を上げていくシーリアとその夫もすてき。チャスティンさんが見るたびに違う役どころでスゴイ。
ラストがけっしてハッピーエンドでないところもいい。
それでも顔をあげて歩いていく、そんな姿勢を真似したいと思った。
*いつもの私なら、ミニ―がヒ―リ―にやったことで映画の評は☆1つにするところなんですが、それがあってもなおの感動作です。
*本当は守秘義務の範囲内で、暴露本だしちゃうようなお手伝いさんは雇っていられないんだけど。それでも、お手伝いさんの地位向上に役立つ意義はある。
演者を最高に活かす監督!
監督脚本「テイト・テイラー」先日ガール・オン・ザ・トレインを鑑賞した。
昨今のアメリカ映画界では絶滅したと思っていたのだけど、この監督は未だに俳優の演技力に大きく左右される映画の創り方を好むようだ。
本作もその傾向は変わらず、いや寧ろ期待以上。
少し古臭い映像、演者の瞳のちょっとした動きも捉えてしまう近いカメラアングル、本当に素晴らしかった。
次回作にも期待してしまう。
さて、映画について、前半からあちこちにスパイスが効いていて、全くだるさを感じることは無かった。
そして終盤、涙腺がじわじわと緩み、最後は大きな感動に包まれる。
人間は前に進んでいるのだろうか。
オクタビア姉様目当てで鑑賞。すでに友人ポジションだったのか。メインではあるものの人種差別だけじゃないのよね。クソ野郎にもクソ喰らえってやれば良かったのに。
キャスティングが渋い。トイレは『ドリーム』でも取り上げられてたけど、つらい。
そして揃いも揃って影薄いなー。
さわやかな啓発
ミシシッピーのつづりにはiが四つある。アランパーカーの映画でi=eyeが四つあるのに見えない──と南部を皮肉ったセリフがあった。のをおぼえている。
アメリカの黒人差別のことを、わたしはよく解っていないと思う。日本に住む日本人がそれを把捉できるとは思わない。マークトウェインすら奴隷制度をうたがっていなかった。そこから60年代へ変遷し、ジムクロウによって規定されているものの、白人の社会には不文律があった。あきらかな差別主義者がいる。おかしいと感じていても、コミュニティを乱さないために迎合している者もいる。表向きはジムクロウに従いながら公民権運動を支持する白人もいただろう。と思う。
しかしその当時の南部ではジムクロウに反撥する態度をとると命の危険がともなう。目がいくつあろうと、盲目にならざるを得ない。──わけである。
スキーターはブリッジクラブの奥様方からすると落伍者なのだが、むしろまっとうな博愛主義者である。この時代なら、婚期を逸しつつある女性なのかもしれないが、現代から見れば、キャリアを目指す快活な女性である。
それは、さながら60年代に紛れ込んでしまった現代女性のように見える。映画も積極的にそう見せようとしている。
陰惨な時代の南部に、時代とズレのある女性が、軽やかに黒人差別を殴打するのが痛快──だからだ。
すなわちスキーターの存在、その博愛と現代性は、この映画の明るさの最大因子である。
黒人が黒人だけで戦う公民権運動の映画が、かならず持ってしまう、重さや暗さを、The Helpはまったく持っていない。
やはりエマストーンがじょうずだと思った。さばさば感が出ているし、華やかな見た目で気分が晴れる。他の出演者では、オスカーを獲ったオクタヴィアスペンサーはもちろんだと思った。かのじょのギョロっとした表情とはみ出す恰幅と鉄火肌は、ぜったいに映画を暗くしない。また、憎まれ役ながら糞パイを食すブライスダラスハワードとその母シシースペイセクがとても巧かった。
テイトテイラー監督の、その後の仕事を見て、この映画The Helpが糞パイの顛末を描きたかった映画だと思えてきた。これは社会派の映画──とは思えない。原案原作は知らないが、糞パイをコミカルに描いて、同時に啓発と人間ドラマもやってしまおう、としたように見える。のである。これは褒めことばである。
興行も批評も成功したが、監督は商業監督であって、MaやAvaやThe Girl on the Trainには企画をこなす職人手腕は感じても、社会的またはアート的こだわりは感じない。繰り返すがこれはほめ言葉である。The Helpほどの監督が、気どらない大衆指向なのは賛同できる。
毎度の比較論になるが、日本映画を見ていると、大衆指向と職人手腕と商業主義に、親しみを感じるようになる。のである。
日本映画というものが、たいていアートハウスな気取りを呈してしまうからだ。映画監督が気どってしまう、わけである。
日本映画の気取りを嫌悪していると、それが反面教師となって、気取りのない映画に親しみを感じる──に至る。のである。
Maのように古馴染みのオクタヴィアスペンサーを使って、しょうもないサイコホラーをつくってしまうテイトテイラーの筋金入りの大衆性には、むしろ好感が持てる。
それらを見ているとThe Helpだって、初動は社会派な称賛を目指していなかっただろう──と思えた。のである。
しかしThe Helpにはあらがいようのない普遍性があった。それはスキーターを愛した古メイドのコンスタンティンだ。スキーターがまっとうな人間性を持ち得たのは、コンスタンティンによって、生みの親より育ての親のことばどおりの人格形成がなされたから──に他ならない。傑作にならざるを得ない普遍だった。
クソ食らえ!
南部の根深い黒人差別がテーマだが、難しいことはなく笑えるエピソードを含みつつなかなか2時間超えの長い尺だったが飽きずに見れた。
往々にして、黒人差別物を見ているといつなにが起こるかわからない緊迫感が常にある。
グリーンブックを見るまではトイレの話なんか想像もしたことなかった。
このヘルプにももちろんトイレの話がある。
差別してても自分の子供を育てさせる感覚ってどうなんだろうね。
しかしエマストーンとアマンダサイフレッドがそっくりだなあ
アマンダ、、ゴラム、、エマストーン、、
とか頭にぐるぐるしてしまう
まーよくみると結構区別つくんですけどね
ヘルプの意味
アメリカ南部の人種差別を題材にした作品です。
何回か映画で白人と黒人の人種差別を題材にした映画を見ているので、ある程度の背景はわかっていました。
本作は、重苦しい雰囲気にせず、中にユーモアも取り入れて見やすい作品出会ったと思います。時間を気にせずに見れました。
良かった点は、ジェシカ・チャスティン演じるシーリアです。
主人公より輝いていて印象に残っています。
あとは、オクタビア・スペンサー演じるミニー。彼女が出ている作品は多数みていましたが、本作で初めて名前を覚えました。
ミニーとシーリアのエピソードやミニーとヒリーとの掛け合いは、見入りました。
また、ヒリー役に至っては、よくあそこまで憎たらしい「悪魔」をえんじてくれたものです。彼女のイメージが、固定化しそうで怖いです。
終盤になり初めてタイトルの「ヘルプ」の意味がわかります。
白人と黒人の雇い主とメイドの関係性は、注意して見てもらいたいと思います。若い世代に見てもらいたい作品だと思います。
タイトルなし
キャスリン・ストケットの小説が原作
1960年代の公民権運動が背景
強い人種差別が続いていたアメリカ南部
ミシシッピ州ジャクソン
ジャーナリストを目指しているスキーターと
白人家庭でメイドとして働く黒人女性たち
社会に対して立ち上がる勇気
女性の目線・言葉・心の叫びが描かれている
この映画で
アカデミー賞助演女優賞を獲得した
オクタビア・スペンサー 他
アカデミー賞ノミネート女優が沢山出演
.
エマ・ストーンもビオラ・デイビスも素敵
オクタビア・スペンサーは最高!!
コミュニティーに入れてもらえなかった
シーリア・フット(ジェシカ・チャスティン)
天真爛漫で本当にチャーミング💗
この女性。好きだわぁぁぁ
アメリカ黒人の苦しい時代
重たい内容ですが女性たちは強く
希望をもっている✨
小気味良い映画です😌
厳しい差別の現実、その悲惨な状況を弱い立場ではあるが強い意志を持っ...
厳しい差別の現実、その悲惨な状況を弱い立場ではあるが強い意志を持ったメイドの視線で力強く語りかけてくる。重いテーマだがユーモラスなシーンも随所にあり、出演者の演技も素晴らしく、見応えのある映画だった。
社会的な意義だけでなく感動する名作でもあります
アメリカの人種差別は根深く、現在でも罪無き黒人が警官に殺されたりしてますから。
五十年前の黒人ヘルパーさんたちの差別と抵抗の歴史をリアルに描く意義は高いと思います。
それだけでなく映画の内容としてもストーリー、セリフ、演技などを含めた全体がアカデミー賞ものです、じっさい助演女優賞も取ってますから。
それで感動も凄いですから、凄い名作です。
必ず観るべしです。
エマ・ストーン、、主演映画。1960年代の米ミシシッピを舞台に、白...
エマ・ストーン、、主演映画。1960年代の米ミシシッピを舞台に、白人女性と黒人家政婦たちの友情が旧態依然とした街を変革していく様子を描いたベストセラー小説の映画化。
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