モンスター上司 : 映画評論・批評
2011年10月18日更新
2011年10月29日よりシネマート新宿ほかにてロードショー
惜しいなあ。発想は面白いのに逸脱と発狂が足りない
出だしは派手である。
「救いがたいサイテーのアホ」(Total Fucking Asshole)とか、「頭のおかしい根性悪ビッチ」(Evil Crazy Bitch)とか、「糞まみれの馬鹿たれポコチン息子」(Dipshit Cockhead Son)とかいった最大級の罵倒が、画面全体を覆う大文字で出てくる。
お、確信犯か。反射的にそう思って私は頬をゆるめた。すべて、上司に対する悪口である。3人の上司に扮するのはケビン・スペイシーとジェニファー・アニストンとコリン・ファレル。ぴったりの人もいるし、意表をつく配役の人も混じっている。
そんな上司の虐待に切れ、暗殺計画を立てるのがジェイソン・ベイトマン、ジェイソン・サダイキス、チャーリー・デイのぼんくらトリオだ。さあ、計画はうまく運ぶのか。
というわけで、私は最初かなり期待した。滑り出しもなかなか快調だった。まず、スペイシーの暴虐サディストが笑える。アニストンやファレルも、楽しそうに痴態をさらけ出す。わけてもアニストンは、40代特有の脱皮と居直りが頼もしい。
ところが、脚本が意外に伸びない。悪の帝国に挑む小市民という構図も、なかなか膨張してくれない。もっと歪んで、もっと逸脱して、もっと発狂すればよいのに。私は歯がみをした。3人の若手男優も「小市民」という枠を意識しすぎたか、突破力がない。
惜しいなあ、と私はつぶやいた。途中からはちょっと悔しくさえなった。発想は面白いし、「見知らぬ乗客」とか「鬼ママを殺せ」とかいった恰好のお手本もあるのに、これでは縮小再生産だ。それでも、スペイシーとアニストンはかなり笑わせてくれる。2001年9月11日からすでに10年、アメリカの特産物であるアホで下劣なコメディが、そろそろ元気を取り戻してもいいころなのだが。
(芝山幹郎)