「他人の絶望に「関わる」という姿勢」ヒミズ Chisaさんの映画レビュー(感想・評価)
他人の絶望に「関わる」という姿勢
親からの愛を知らずに育った中学三年生、15歳の住田佑一(染谷将太)と茶沢景子(二階堂ふみ)。
住田は、アル中で記憶が混濁して家に寄り付かなくなった父から身体的かつ精神的に暴力を振るわれ、同居していた母もある日彼を置いて忽然と姿を消してしまう。
茶沢の父は愛人の元へ行ったまま帰って来ず、母はパチンコに行くために娘の貯金をむしり取ろうとし、さらに家の一室で首吊り自殺をするための装置を製作中という鬼畜っぷり。
ある夜、父からの暴力に耐えきれなくなった住田は父を撲殺してしまう。
混乱し、絶望し、誰にも相談せず精神を病んだ末に彼が選んだ道は、自首でも自殺でもなく、世の中の悪を引き起こす人間を一人ずつ殺していくというものだった。
壊れていく住田のそばで、茶沢も同様に苦しみながらそれでも住田がなんとか自殺だけはしないよう、懸命に関わっていく。
支えるとか助けるとかじゃなくて「関わる」という姿勢ね、これ大事だなーと。
本当に絶望してもうどうしようもなくなってしまった人にとって、自分に根気強くどこまでもいつまでも「関わってくる」人がいるということはものすごく助けになると思う。
結局、最後に茶沢は「関わる」以上のことをしてしまったわけだけれど、そこに至るまでに、拒絶されても拒絶されてもそれで関わり続けるという姿勢がね、中学三年生という設定にしてはね、素晴らし過ぎると思ったね。
だってみんな自分のことでいっぱいいっぱいでしょう。
「心配してる」「そばにいる」なんて言いながらそれは自分の良心とエゴでそういう態度をしなきゃと思っているだけで、きっと電話を切った瞬間にもう違うことを考え始めているだろうし、少しほとぼりが冷めてしまえばたとえ根本的な解決を見てはいなくても済し崩し的に「解決」という烙印を押したがるでしょう。
そういう表面的な関係が蔓延したウルトラスーパーライトな世の中だからこそ住田における茶沢という存在が奇跡のような貴重さをを持つわけで。
私も「関わる」ということがなかなかできません、というか苦手です。
だから余計にとてもいい映画だと感じた。
染谷将太は前からけっこう可愛いなぁと思っていたわけだったけど、二階堂ふみがすこぶる好きになった。