劇場公開日 2011年8月27日

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「熟練職人による上質のエンターティメントを召し上がれ」ゴーストライター 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0熟練職人による上質のエンターティメントを召し上がれ

2011年9月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 冒頭、真っ暗な海からフェリーが港へ近づき、車が1台ずつ船から出てくる。ある車が動かないまま残り、レッカー車で運ばれます。そして次の場面では、死体が砂浜に打ち上げられて波にもまれているのです。コレといった台詞がないこのオープニングだけでドキドキし、何やらざわざわとした気分になって、作品の世界に引き込まれました。
 冒頭だけで、これから起こるもの語りを暗示して充分です。海岸線も、港も、ホテルも適度に寂れていて、空からはずっと曇天。暗くうっそうとした夜のとばりには、時折激しく冷たい雨が打ち寄せて、一向に晴れる兆しをみせない天候。ポランスキー監督は、天候や設定までこだわり、サスペンスの舞台に潜んでいる闇を暗示していたのでした。全編が荒涼としているルック(映像の外形・基調)は、この監督ならではのチャレンジーな設定でしょう。
 あまり多く手の内を見せない筋のなかにドキッとさせるスリルを織り込むところは、ヒッチコックを連想させる正統派のサスペンスとひとくちにはいえます。ただそこに全く古さや既視感を感じさせません。上質のエンターティメントとしての最大の功績は、語り口の巧みさです。ラングの妻や専属秘書、大学時代の知人、島の住人など周囲の人物像と関係性と関連性が緊張感を失うことなく的確に表現されていきます。さらに絵づくりの上手さが加わり、何よりもラストのアッと驚かせるドンでん返しのなどの仕掛けや謎解き、ウイットに富んだ会話も充分楽しめる贅沢なサスペンスと評価できるでしょう。
 ポランスキー監督の熟練の一本。映画通の方なら、ワンシーンごとにうーんと唸って、上手い!と膝射ちしたくなるほど演出に填ることでしょう。久々に映画の醍醐味を堪能できる作品でした。

 物語は、名前すら明かされないとあるゴーストライターが、元英国首相のアダム・ラングの自叙伝の執筆を依頼されたことから始まります。「ゴーストライター」とは有名人本人にかわって著作を執筆する作家のこと。どんなベストセラーになろうと、本当の作者は顔を出せない影の存在でなければなりません。だからこの映画の主人公にも名前はつけられませんでした。

 ゴーストにとって、前任者がフェリーから転落して死ぬなど最初から気乗りしない仕事でした。しかし破格の報酬を示されて、ラングが滞在するアメリカ東海岸の孤島へ赴き、本人から取材。原稿を書き始めます。
 原作者はブレア元首相傍らにいた政治記者でした。脚本は、ポランスキー監督と原作者の共同執筆だけに、随所にブレア元首相のものと思われるエピソードが盛り込まれていました。ピアース・ブロスナンが演じるハンサムだが中身は空っぽな元英国首相は露骨にフレア元英国首相をイメージさせられました。
 しかし、ポランスキー監督は、現実の政治の風刺にはさして興味を持っていないように感じられました。それよりも印象に残るのはゴーストが閉じこめられることになる海辺の別荘の風景。そこは外と隔絶された、安全で快適な場所。外では冷たい雨が降り止まないけれど、中は暖かく心地さそうで別世界。しかし外に出られない身にしてみれば、どんなに暖かくともそこは牢獄と代わりありません。密室の中でゴーストは元首相に訊ねます。「国を動かすことの孤独とは? 国中から憎まれるというのは?」
 やがて、ラングにイスラム過激派のテロ容疑者への拷問の疑いがかかり、国際政治を揺るがす過去が浮上します。そこでゴーストは、事故死した前任者の遺した原稿の内容と自分がラングから聞いた話の食い違いに疑問を持ちます。ラルゴの語る過去には空白期間があることに気づくのでした。

 前半部分はややお膳立ての説明が長くて、退屈気味になっていたのです。しかし、孤島の別荘で一緒に暮らしているうちにラング夫人が、ゴーストに言い寄り、寝てしまうところから、俄然サスペンスらしくなっていきます。
 夫人との同居が気まずく思えた、島を出てホテルを目指します。けれどもある偶然からゴーストの前任者が死の直前に会った大学教授を訪ねることに。そのきっかけの作り方が、スパイ映画じみていて面白いのです。さらに教授の自宅を出たところで、止まっている不審な車がクローズアップされます。思った通り、この車はゴーストのあとを付けてきます。ここからゴーストの味わう恐怖心を観客も一体となってドキドキさせられるシーンが満載となっていきます。身の危険を感じたゴーストは、前任者が遺した原稿にメモされた電話番号に連絡してみます。電話に出たのは、なんとラルゴの政敵でした。

 政敵の登場で、事件のあらましはゴーストにもはっきり把握できるようになりましした。ラングがフレア元首相そっくりにアメリカベったりで、英国を戦争に巻きこんだ裏にはCIAの謀略があったことを。それはラングが、政治に全く興味を持っていなかった学生時代から始まるという用意周到な計画だったのです。けれどもその首謀者は、ゴーストも思いつかなかった身近なある人物でした。そしてその秘密の全貌は、前任者の遺した原稿の冒頭に暗に記されていたのです。

 全ての秘密を知り得たゴーストの末路が、意外でした。こんな簡潔なドンデン返しで終わるところも潔くて上手いなぁと感嘆した次第です。

 ところで、巨匠として誰もがその存在をリスペクトしているポランスキー監督。実は彼の作品同様の数奇な運命に翻葬されてきた存在でもあるのです。
 1969年には妻シャロン・デートをチャールズ・マンソン率いるカルト集団に惨殺される悲劇の主人公となりました。けれども、1977年には年少者とのセックススキャンダルで逮捕され、保釈中に国外逃亡するという事件を起こしてしまいます。以来2度とアメリカに戻れなくなったポランスキー監督は永遠の流刑をつづけている存在でもあるのです。
 そういう過去を知って、本作品を見たなら、元首相なのに国中から憎まれ、母国に戻れなくなったラルゴとオーバーラップしてしまいます。
 そして、主人公のゴーストライターもまた、執筆期間中は、誰にも所在を知られることなく、軟禁状態になってしまうことでは同じく孤独です。
 この悲劇に横たふ荒涼とした背景には、流刑囚ポランスキーの孤独が二重写しになって見えるのは小地蔵の穿った見方でしょうか。

 映像の不安感をさらに加速させる音楽もベストマッチでした。エンドロールの最後まで聞き入って、余韻に浸るほどのテーマ曲でした。
 上映館では連日満員御礼で、チケット屋では前売り券がソールドアウト状態ではありますが、1800円払ってでも劇場での鑑賞をお勧めします。

流山の小地蔵