海洋天堂のレビュー・感想・評価
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【”平凡にして偉大なる全ての父と母へ捧ぐ。”今作は、自閉症の息子と、彼を気遣う末期の肝臓癌を患う父の絆と、二人を見守る善性溢れる人たちの姿を描いた作品である。】
■水族館で働くシンチョン(ジェット・リー)は、ある日、自分が末期の肝臓癌により、余命三カ月と知る。
心配なのは、妻を海で亡くし、男手ひとつで育ててきた自閉症の一人息子ターフー(ウェン・ジャン)のことだった。
自分亡き後、息子が幸せに暮らしていけるようお金の使い方、バスの降り方など一つ一つ繰り返し教えるシンチョン。
そして父は息子に最後の贈り物を用意していた。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ターフーが、水族館の飼育員の父についてきて、水族館の水槽の中を魚のようにすいすいと泳ぐ姿が印象的である。
彼は、陸上では生活がおぼつかないが、水中に入ると正に水を得た魚のように伸び伸びとした表情になるのである。
・ターフ―がサーカス団の娘リンリン(グイ・ルンメイ)に淡い恋心を抱くシーンも良い。リンリンも彼の純朴な姿に惹かれ、電話のかけ方を教えたりするが、サーカス団の催しが終わると寂しげに去って行く。
ターフ―が彼女が居なくなった事に気付く時の表情。
・シンチョンの隣に住むチャイも善性が溢れた女性である。彼女はシンチョンにも思いを馳せているが、ターフーにも優しい。偏見の眼で彼を見ないのである。
・そして、シンチョンは天に召される。葬儀の際もターフーはいつものように落ち着きがないが、水族館の館長は彼を雇う事に決めるのである。
<そして、ターフーは生前、海亀の恰好をして”父さんは、海亀になる”と言った父の姿を思い出し、海の中で海亀の背に乗って、広い海に出て行くのである。
今作は、自閉症の息子を気遣う余命僅かな父の想いと、二人を温かく見守る心優しき人たちを描いた作品なのである。>
再再鑑賞
何年ぶりかな、また観たくなって鑑賞。
全てどうなるか知ってる分感動は薄れるけど、それでもやはり素晴らしい。
こういった題材をここまで淡々と見せるってなかなか邦画ではないですよね。
自分が知ってる限りでは「あの夏、いちばん静かな海」くらいかな。
そしてこの映画では、内容もそうだけど、最後のテロップに毎回やられます。
テロップごときが最大のヤマ場かもしれません。
親であればなんですけど。
そんな映画です。
勿論、寓話なのだが。
個人的にはグイ・ルンメイさんともう少し絡んでもらいたかったなぁ。
やっぱり彼女綺麗だと思います。
話はベタな人情劇だけど、演出の仕方が良かったと思う。この演出家は時間をうまく利用していると思った。
主演の男の子も物凄く潜水の技術が高いと感心した。あれだけ本当に潜れるのなら、仕事が出来ると思った。勿論、ウェイトは隠し持っているのだろうが。
さて 別次元の話として、このくらいの能力の障害者であれば、充分に社会で働けると思う。つまり、こう言った場を彼らに提供出来る社会づくりにこれからの混迷する出口があると思う。同時にもっと重度の障害の方でも働ける社会づくりが急務だと思う。勿論、ボランティアとかではなく、しっかりした利益報酬のある、立派な職業としてである。
老人や障害者を切って社会を繋ごう等と決して思ってはイケない。
この映画の主人公なら、床掃除よりも飼育員とか向いていると思った。勿論、素人ながらであるが。
大阪にジンベイザメを見に行くことにした。
まだ、ウミガメが沢山いる場所が世界にはあって、それを見ると地球って素晴らしいと思う。勿論、人間にとっては、海の中は人間には住めない場所だけどね。
親が子どもに遺すもの この映画をみて、たくさんの親と語り合いたい。
お金? 学歴? 生き方? ありのままの自分を受け入れられ、大切にされた記憶…
自閉症スペクトラム障害+知的障害の子を持つ父と子の映画ですが、”障碍者もの”とひとくくりされてしまうにはあまりにも惜しい。
映画の最後のテロップ「平凡にして偉大なるすべての父と母へ捧ぐ」
この映画のテーマはそれに尽きます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『北京ヴァイオリン』の脚本家が、
ご自身の14年間の自閉症施設でのボランティア活動で接している人々の現状を、世の中の人々に理解を深めてほしいという思いから、脚本を書き、監督した映画。
だからか、究極の問題提起をしつつも、ファンタジーと言いたいくらいに、温かさにあふれています。
一つ一つのエピソードを取り上げれば、もっとドラマチックな演出も可能だったでしょうが、あえて?たんたんと綴っていきます。
まるで、音の強弱の変化やいきなり光る等が苦手な自閉症スペクトラム障害の方も鑑賞できるように、こんな演出・映像・音楽 にしたのかと思うほど。
監督が関りを持たれた方々を存じ上げませんが、一つ一つのエピソード、一つ一つのシーンに、実在の”あの人・この人”を思い浮かべてしまうほど。
それゆえか、ラスト、主人公の突飛なアイディアも、素直にすうっと入ってきます。実際にやる人はいないでしょうが、その想いは痛いほどわかります。(ライナスの毛布?)
そんな脚本を読んだジェット・リー氏が、すぐに出演を決め、
彼の呼びかけで、超一流スタッフが集合して、作られた映画。
リー氏はスマトラ地震被災の後、”壱基金”を創立。チャリティ活動に専念した後の、復帰第一作。
しかも、壱基金は、毎年模範プロジェクトを選出しているそうですが、監督がボランティア活動をしていた施設が、偶然にも第1回最優秀団体だったという縁。
大福(ターフー)役のウェン・ジャン氏は、約3か月間、モデルとなった子どもと一緒に食事をし、寝て遊び、水泳をしながら、自閉症に関する約300時間分の映像資料を見たとのこと。さらに大福の全シーンを何回もリハーサルし、大福の動きから反応、台詞の声や語調などを完璧に作り上げたとか。
(パンフレットより)
そんな想いの詰まった映画。
☆ ☆ ☆
丁寧に作られた映画です。 悲しいと言うより切なさに胸がしめつけられ、なのに希望を貰えます。
映像、音楽、演技…穏やかな時間が流れていきます。父の死期は着実に迫り、息子のこれからの生活は?と衝撃的なエピソードで始まり、内容的にもじりじりと焦りを感じさせるのに、一方でじわじわと大きな愛に包まれていきます。眼鏡をかけ背を丸めて繕いものをする父、時にユーモアあふれるエピソード、切ないエピソード。そういう一つ一つのエピソードを丁寧に紡いでいきます。
善意の人々しか出てこないという評もありますが、あの父子と共に生きて、悪意的な事が出来る人がいるのでしょうか?
父・王心誠の、責任を全うしようとする姿勢、周りの人への思いやり、あの笑顔。大福のあの笑顔。つい「一人で頑張らないで。私にできることはない?」と言いたくなってしまいます。尤も気休めだけの言葉をかけるのは、無責任でしかないのだけれど。
そんなことを重々承知している心誠と柴のやりとりを見ていて歯がゆかったし、大人的にはそれしかないよねと涙が出ました。息子・大福のことも含めて受け入れたいと心底思っている柴。それに感づいているにも関わらず、距離を縮められない・かえって拒否するようにふるまう心誠。切ない。好きな人の力になりたいのになれない、見守るだけの柴。頼ってしまえば楽なのに、大福との大変な生活に巻き込みたくなくて、自分の死後の柴を思って、律する心誠。
バスの乗組員が象徴する世間の無理解。
これだけ思いやり溢れている人々に囲まれていてさえ、親が子を残して安心して死ねない社会。
生きていく環境を自分が生きていけるように変えられない大福。環境に合わせられない大福。
自分がいなければ、どうなるのか。切実な想い。
人とまったく関わっていないかのように見える大福。でも、いない鈴鈴を探し求める大福。施設に入った初日、父がいないことで情緒不安定になり自傷する大福。自閉症スペクトラム障害の方にはよくあるエピソード。自分のことを本当に思ってくれている人をしっかり見抜いています。
そんな大福を心配し、心誠が思いついたアイデア・その発想に唸ってしまいました。息子と同じ目線を持っていたこの父ならではのアイデアでしょう。笑わば笑え、と言いたいですが、涙があふれてきました。と同時に明日がキラキラ光って見えます。
☆ ☆ ☆
日本では、
発達障碍者支援法もあり、
東京の特別支援学校高等部では、教員が企業を回って、その方のその特徴を活かした仕事を創出し、卒業した後もフォローし、
ハローワークでも、手帳を持っている人しか使えませんが、ジョブコーチがいて、
就労支援事業所もがんばっていて、
グループホームの試みもあり、
(とは言っても、新設しようとすると、大家が良い顔しないし、近隣の方々からクレームがあったりして、難しいと聞きますし、何より、運営費も難しいという話しを昔ききましたが、今どうなのでしょう)
と、支援者は支援者なりに頑張ってはいます。
パンフレットには、辻正次先生のコメントが寄せられていました。「~行動の仕方のバリエーションの学習が少ないため、パターンを崩されると混乱し、パニックになることもあります。しかし、視点を変えてみれば、通勤や掃除など、一度覚えたことは確実にやるため、安定した生活の中で自分の役割・仕事が見つかると活躍できることも多いものです。~(抜粋)」
私のお気に入りは、古いですが杉山先生の『発達障害の豊かな世界』日本評論社。最近では、本田先生の『自閉症スペクトラムの子のソーシャルスキルを育てる本』講談社とか。
とはいえ、”合理的配慮””個性"「世界に一つだけの花」と言いながら、できるようになるための横並びの教育・躾等で、傷ついて、引きこもりになる子どものなんと多い事でしょう。
就職しても、パワハラ・モラハラ。
その子の特性を大切にして、得意を伸ばすのではなく、”足りない”を責める。令和の合理的配慮ではなく、昭和時代の「障碍者はすべからく、健常者に近づける」やり方。強者の価値観の押し付け。二つ目人間が、一つ目の国に行ったという、落語を知らないか。たまたま、マジョリティにいるから、健常者と言われているだけなのに。
と、そんな不幸とは関係なくとも、
映画でのやり取り:柴が言う。「施設においてくれば、面倒見てくれるわよ」
心誠が返す。「それで、大福は幸せになれるのか?」 (思い出し引用)
大切な人を思う、究極かつ唯一の想い。障碍と言われてしまう特性を含めて、得意・不得意だけでなく、何が心地よくて、幸せで、苦手で、嫌いなのか、世の中に同じ人はいません。
ありのままの息子を、ありのまま受け入れて、大切に接してくれるのか。
制度や施設があるから、救われる人はたくさんいますが、施設や制度があればいいというものでもありません。
柴や水族館館長や、鈴鈴が自分なりのやり方を考え実行したように、何ができるのか、そう考えていけるような余裕を持ちたいと思いました 。
満ち溢れふ愛
満ちている
素晴らしく満ちた溢れてる
静かだけど暗くない
悲しいけど心が温まる
寂しいけど一人じゃない
涙が流れるのに微笑んでしまう
水の中から見える景色は私達から見る風景とは違うのでしょうね
当たり前は一つじゃない いくつもの答えがあるはず
父親役のジェットリー
最後にでる「平凡で偉大な全ての父と母に捧ぐ」にぐっときた。自分は平凡で偉大な親になれているだろうか。子供をもつ親なら是非観て欲しい。あと、ジェットリーの父親役は素晴らしかった。
重いテーマだった。 障害者を持った親の苦労、それがいかほどのものな...
重いテーマだった。
障害者を持った親の苦労、それがいかほどのものなのか。日本では感動的な話として綺麗事に済ませてはいないか?その点、中国の方が現実を見据えている。
王心誠(父親)が素晴らしいのは、自分の死後にも親として責任を持とうとしたこと。果たして現実は?日本では?
周囲の人たちが暖か過ぎます。悪い人がいない。父親の人徳なのでしょう。
この映画、単に泣くだけではなく、しっかり考えなければいけない重厚な作品です。
最後のテロップがまた良かった。
平凡にして偉大なるすべての父と母に捧ぐ
タイトルが好き
きれいな映像でした…
水がたくさん出てくるから癒されるし、音楽もよかった
日本映画でこれをやられたら暗いわ!とかボロクソ言ってたかもしれないけど、
アジア映画だったからか
重いテーマの割にそこまで辛気臭さを感じず、なごやかに見れてよかった
父と息子の
くよくよしない前向きさがよかったです
抽象的ではっきりせず地味
総合:60点 ( ストーリー:65点|キャスト:75点|演出:60点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
父親の心配をよそに、何も知らない息子は能天気にいつもどおりの日々を過ごす。もちろん身よりも無く自閉症の息子を1人残すわけにはいかない父親が、息子の将来を思って精一杯のことをしようとするのは理解出来る。しかしこの親子関係の深さが伝わる描写が少なくて、何か父親が1人で頑張っている姿が浮いて見える。それに展開が少なくて退屈する。
後半になると、父親と近所の女性、息子と劇団の女性の絡みが出てきて動きがありまともになってきた。しかし音楽と映像で抽象的に伝えられる愛情や将来についての演出が、やはり中途半端というか観念的すぎてはっきりしない。総じて時間を持て余し気味だった。
一度も敵を殴らず鍛えられた肉体も晒すことなく地味な父親を演じたジェット・リーとその息子、そしてその2人に絡む2人の女性の演技は良かった。ここがこの作品の一番の見所だった。
障害を持つ子の行く末を思う気持ちは、日本も中国も全然変わらないんだ...
障害を持つ子の行く末を思う気持ちは、日本も中国も全然変わらないんだと思った。最後まで命がけで生きることを伝えようとする父の思いが、息子にちゃんと届いていることが伝わる終盤は泣けて仕方ない。
父親役のジェット・リーはアクション俳優とは思えないほどくたびれたお父さんに見えるし、息子役の演技も素晴らしい。ラスト、海亀と泳ぐシーンは本当に美しい。観てよかった。
静かに生と死を受け入れる
末期がんにより余命いくばくもない父親が、自閉症の息子に、文字通りに命がけで生きるすべを教えようとする。
アクションスター、ジェット・リーの抑制された演技が光る。
そしてもう一つこの作品で光るのが躍動的な水中シーンと、抑えた光彩が静かな雰囲気をもたらしているクリストファー・ドイルの撮影。特に冒頭の小舟から飛び込む心中未遂のシークエンスは、その色彩と被写体のとらえ方がキム・ギドクのそれに似ていると感じた。
この物語は確かに父親がいかに息子を案じているのかというところに焦点が結ばれている。しかし、この泳げない父親は何度も泳ぎの得意な息子に命を助けられているのだ。
冒頭の心中が未遂に終わったのは、水中にもかかわらず足に括りつけられた錘をほどいた息子のおかげだ。そのせいで二人の命が助かったのだ。そして、照明設備を点検中のプールに浮いた息子が感電していると早とちりした父親は、自分が泳ぐことも出来ないのにプールに飛び込み、結局は溺れてしまったところを息子に助けられる。
このように、親は自分で思っているほど子供の命や運命をコントロールすることは出来ずに、むしろ子供によって命を長らえたり、運命が変わったりするものなのだ。どのような子供が授かろうとも、それは自分ではどうにもならない運命であり、そのほかの人生は存在しない。親も子も、一度この世に親子として生を受けたからにはその生を全うするしかないのだ。
終盤で父親の口から言及される、この子の母親の死んだ理由はまさに、この生の受け入れを拒否することを示唆している。
父親に思いを寄せる女性とグイ・ルンメイ演じるサーカス団の女の子も静かに自らの運命を受け入れて、強く生きている。だからこそ二人ともさわやかで魅力的なのだ。
ここには「本当の自分探し」はない。自分が今生きている現実の中で、どうしたいのか。何が楽しいのか。何が大切なのか。その問いに正直に答えている人々で紡がれた物語である。
ジェット・リーがますます好きになった!
水族館で働くワンは妻亡き後、自閉症の息子ターフーを男手一つで育ててきた。だが、ある日ワンは癌で余命僅かである事を知り…。
ジェット・リーがアクションを封印した感動作。
ジェット・リーがとてもイイ!愛情深い父親が様になっている。
アクションでは鋭い眼差しが、本作では何と優しい事!
脚本に号泣し、ノーギャラで出演したジェット・リーの並々ならぬ意気込みが伝わってくる。
息子ターフーを演じたウェン・ジャンもお見事!
息子と言っても20歳の青年なのだが、その純真無垢な姿が可愛らしい。
冒頭、海に飛び込み心中するシーンから始まり、驚くが、後から、泳ぎが得意なターフーによって助かった事が分かる。
ワン亡き後、一人で生きていく事が困難なターフーを思っての行為。死を選ぶなんてもってのほか!…と思うが、自閉症の子供を抱える親の苦労なんて計り知れない。ましてや保護すべき親は死を宣告されている。大変だね…とは、平凡な生活を送る者の偽善かもしれない。
一命を取り留めたワンとターフー。直接的な描写がある訳ではないが、それはターフーが死を拒否したのだろう。自閉症は自分の世界に閉じこもるとよく聞くが、上手く感情を伝えられないだけという劇中のセリフが印象的。
ワンは死よりも生を選び、最期の時までターフーに一人で生きていく術を教える。
買い物の仕方、卵の割り方、バスの乗り降り、水族館の掃除…。
覚えるのがゆっくりなターフーに、ワンは焦りや苛立ちから怒鳴る事もあったが、一つ一つ手取り足取り教えていく。
謙虚で真面目なワンに、周囲は手を差し伸べる。
密かにワンに好意を抱く隣人女性はターフーを引き取ると言う。
ターフーが幼少のお世話になった先生の手配で施設に迎えられる。
人と人の繋がりの温かさに救われる。
泳ぎが得意なターフーは水の中では“水を得た魚”で、非常に生き生きしている。
海や水が効果的に使われ、青を基調とした名手クリストファー・ドイルによる映像が美しい。
久石譲が奏でる音楽も心地良い。
父は逝ったが、父の教えを守り、一人で生きていくターフー。周囲が温かく見守る。
好きな水の中で大好きだった父の温もりを感じるターフーの笑顔には悲しみは微塵も無く、爽やかな感動が胸に染み入る。
遺して死ねない。
名画座にて。
身近な知り合いに自閉症の息子を育てる夫婦がいる。
まだ赤ん坊の頃、我が家の子供と違って全く泣かない
その子に、私は羨望の眼差しを向けたことすらあった。
なんて手のかからないいい子なの、と。
程なくしてその子が自閉症であることが判明し、
それから夫婦は二人三脚で今は高校生の息子を育てている。
今作を観て、あぁ…と思う場面が幾つもあった。
もちろん映画的に脚色され編集され美化はされている、が
自閉症の子供を持つ親が、その子と共に、どういう立場に
於かれているかが(日本と比べても)よく描かれていたと思う。
冒頭で父(J・リー)は、息子とロープで足を結び合い、心中を
図ろうとする。ボートからドブン、と飛び込んだ水の世界は
息子にとっては夢の世界だった。魚に生まれたら良かったのに、
と父親が言うとおり、難なく息子は水面へと顔を出して笑う。
末期の肝臓がんに冒されてしまった父は、余命幾許もない。
この子を遺して死ねない。自分が死んだらこの子はどうなる。
気が狂いそうな思いで受け入れ先を探す父だが、成人した
息子を引き取ってくれる施設は何処にもなかった。泣いても
悩んでもどうにもならないのが、こういった酷い現実である。
ただ今作では、彼らに無数の人々が手を差し伸べている。
温かな眼差しで見守りながらも、やはり問題が起これば手の
施しようがない息子を、父は治療を拒んで再教育し始める。
何とか生きてゆけるように。ひとりで生活していけるように。
こういう親の願いは、どの親とて皆同じだ。
そして、これだけ長い間子供の傍に寄り添って暮らしていても、
子の心親知らず。親の心子知らず。が、まだまだあるわけだ。
ただ悲しいだけでなく、切ないだけでなく、そういった現実を
しっかりと描くことが今作にもある希望に繋がるのではないか。
旅芸人のピエロの女の子に恋をしたり、父親に逢えなくなり
駄々をこねたり、ターフー役ウェン・ジャンの演技には文句の
つけようがないほどである。さらに泳ぎもかなり巧い!
息子のいなくなった部屋にポツンと座るJ・リーの演技を観て、
彼が少林寺より今作を選んだことをブラボー!とすら思った。
二人の演技の密度が濃く、互いの気持ちが深まるほど今作は
通じ合う親子の絆に泣かされることになる。とはいえ、涙を
流せ~と迫りくるわけではない。例えば自分と親に置き換えて
考えるとそこに存在している強固なものに触れた気がするのだ。
妻に先立たれ、自身も病に倒れ、遺るは息子ひとりとなる。
この先、彼は毎日を楽しく生きてくれるだろうか。
海亀と泳ぐことを楽しみに仕事に励んでくれるだろうか。
心配で心配で心配でたまらないけれど、彼を見ているとなぜか
幸せな気持ちになる。本当に生まれてきてくれて有難うと思う。
親ならこうあるべきなのに、私はこの父親のどれだけ分でしか
子供に愛を注げていない気がして恥ずかしい。思うより行動か。
(じゃあ、現金で頼むよ。なんて言われてしまいそうだけど^^;)
生きていく、それが始まり
温かさでいっぱいになりました。観て良かった、良い映画でした。
衝撃的な場面から始まり、そして何事もなかったように生活する二人。父から生きる術を少しずつ授かって、少しずつ自分のものにする自閉症の息子ターフー。遠くない別れの時に向かって、二人らしくゆっくり歩いていくお話です。
自分の経験に重ね、たまりませんでした。私も子どもをお誘いした事があります、きっぱりお断りされましたけど。普段はオウム返しの返事しかしなかったくせにね、あなどれません。
生きていく、それならどうする、何ができる。それが始まり。本当に力強いストーリーでした。
ジェット・リー演じる父シンチョンの眼差しがとにかく優しくて温かく、一生懸命生きる普通のお父さんを見せてくれました。
他の方のレビューにもありましたが、ターフー役のウェン・ジャン、名演技でした。ゆらめきながらプールに潜るターフーは、本当に気持ち良さそうでした。
そして父親は海亀に・・・
いきなり、心中シーンでびっくりしました。
その後の物語が回想シーンではなくて本当に良かった。
日本でも中国でも自閉症のしぐさは一緒ですね。
取り巻く環境も似たり寄ったり
死が近づく父親の必死さと愛情・・・・・
ウェン・ジャンの演技も
「ぼくはうみがみたくなりました」の伊藤君にまけないくらい
本物そっくりでした。
アジアの映画はほとんどみないんですが
この映画は非常に良い映画だったと思います。
自閉症の子を持つ親としては、非常に切実なお話でした。
相手と戦うのではなく、抱きしめるために拳を使うジェット・リーの優しさが、やわらかい感動を呼ぶ
香港が誇るアクションスター、ジェット・リーが十八番のアクションを一切封印し、命懸けで息子を守る父親を熱演。
父子は水族館の裏方として働いており、海やプール、空などの青さが印象的でキタノブルーを連想させたが、音楽を久石譲が手掛けていたのを知り、直ぐに納得した。
自然美や人情の温かさが際立ち癒やされる一方、障害者を受け入れる環境が整っていない現実の厳しさが露呈し、やるせない気分に襲われる。
偏見や差別。
父親は勿論だが、近所のお節介なオバサンや水族館の上司、施設のスタッフなど周囲の理解だけでは息子の自立は到底、不可能だ。
現代社会をどう克服していくかは、結局、自分自身の力に委ねるしかない。
その苦闘は、障害を持とうが、持つまいが全てのヒトに共通する宿命であると半人前ながらも私は思う。
息子の恋愛めいたエピソードが唐突に始まり、唐突に終わってしまったのは、違和感が有ったが、あのギコちなさが、今作を独特なる御伽噺へ導いたとも云える。
観終えた後、我が身を包んだ優しさみたいなものが、自分の職場でも活かせたらエエなぁ
っとまだまだ半人前の私が思いつつ、最後に短歌を一首。
『独りでも 泳げと託す 親亀の 遺した実り 海に手を振る』
by全竜
ジェット・リーの演技も自然
ひさびさに素直に見られた映画だった。
言ってしまえばオーソドックスなんだけれども、それゆえに優しい。
アクションを完全封印したジェット・リーの演技も自然。ただ、アクションを封じたゆえに気がついたのは、リー・リンチェイも年をとったなぁ…ということ(当たり前だが)。あるいはそういう風にみせられる演技力のたまものかもしれない。
ちょっと残念だったのは、クリストファー・ドイルの撮影ときいて期待していた映像面。思いのほか普通だった。海や水族館など、水が映えるシーンがいっぱいあったのに、そこまでハッとさせられるものがなかったかなぁ…。
でも、優しくなれるいい作品です。
ジェット・リーが映画の原点を見せてくれた
久々のアジア映画。もちろん今年はこれが初めて。
注目は、なんといってもアクションを完全封印したジェット・リー。
こんなに優しい目をしていたんだと驚かされる。
自閉症の息子を持つ父親が、周りの人々に助けられながら暮らしている。
せっかく今の中国の一般的な生活を垣間見ることができるのに、機材のせいなのかプリントのせいか映像にまるで色彩感がない。
通りに面したチャイの店と、裏庭を挟んでワンの家がある臨場感や生活感といったものが、色彩の欠如で半減してしまったのがもったいない。水族館も同様だ。しっかり色彩があったら、ワン一家を見守ってくれる人々の温かみがもっと伝わってきただろう。
その裏庭を挟んでのワンとチャイの恋愛感情は、一定の距離を持った抑えたものだが、昔の日本映画もこんなだったよなと、なんか懐かしい思いを抱いて見入る。日本ではいつのまにか西洋文化が入り込み、映画に於ける愛情表現もストレート且つ大胆になって、ワンとチャイがベンチに腰掛けて互いの気持ちを打ち明けるシーンは却って新鮮だ。
ワンが自閉症のターフ-のために残された時間をすべて注ぎ込み、自分がいなくなっても生活できるよう知恵を授けていく姿に、館内のあちこちからすすり泣きが起きる。
さらに、いなくなってしまった自分をターフーが探すことがないよう、先を見越した策を講じる姿に父の息子に対する深い愛情を感じる。
ワンが亡くなったあとのターフ-の行動が感動的。
とくに、最初から出てくる犬のぬいぐるみの扱いがいい。オーソドックスな手法ながら感動と涙を誘う演出だ。
CGもワイヤーアクションもなしで、ジェット・リーが映画の原点を見せてくれる。
ターフーを演じたウェン・ジャンも上手い。
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