サラの鍵のレビュー・感想・評価
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サラの鍵
「黄色い星の子供たち」と同じ題材を扱っているが、アプローチが全く違う。どっちも良さはあると思うが、この作品の方がより映画的である。C.S.トーマスの魅力、ラストシーンの秀逸さ。美しい。上手い。泣ける。
過去の鍵を開けて
1942年、ナチス占領下のパリ。
10歳の少女サラは、幼い弟を納戸に隠して鍵を掛けるも、そのまま家族と共に収容所へ送られてしまう。
現代。
ジャーナリストのジュリアは、自分の住むアパートでかつて起きたユダヤ人家族の悲劇を取材する内、サラの事を知る…。
あらすじを読んだだけでも胸痛まずにはいられない。
ナチスのユダヤ人迫害によって引き起こされたある家族の悲劇。「アンネの日記」とはまた違う痛切な話だ。
ストーリー展開としては、その悲劇を機に辿る数奇な運命に焦点が当てられている。
弟を救いたい一心で収容所を脱走したサラ。親切な人の助けで家に戻るも…。
さらに取材を続けていくと、ジュリアは、夫の家族がサラの件に関わっている事を突き止める。
自らに重い十字架を背負ってしまったサラ。
事情を知る関係者はこの悲劇を秘密にする。
重く悲しい話ではあるが、過去と現在が交錯するミステリー仕立てで一気に見てしまう。
悲しみの先にある深く静かな感動は余韻が残る。
ジュリア役のクリスティン・スコット=トーマスが好演。
サラ役の女の子の瞳が忘れられない。
自分の下手な文で語るより、まずは見てほしい。
秀作!
ジワーッと感動がこみ上げます。
多くを語る必要はありません。ただただ画面を見つめ、癒やされる事の無い哀しみを共有しました。映像も脚本も過不足無く、本当に解り易い。あらすじも説明も入りません。それだけ完成度が高い作品です。クリスティン・スコット・トーマスの精神的な美しさ、大好きです。そしてエイダン・クインが出てたのです。気がつきませんでした。懐かしい‼お太りでしたが充分に魅力的‼映画にはそんな楽しみも有ります。クリスティン演じる編集者はパンドラの箱を開けてしまいました。そこから現実が様々な変化、ドラマが始まります。
サラの過酷な人生を想う。
サラという名はまず「ターミネイター」のサラ・コナー、次に「ロスト・ワールド ジュラシック・パークⅡ」のサラ・ハーディングが思い出される。奇しくも二作ともSF映画だが、実際に起こったベルディヴ事件を基にしたこの映画のサラ・スタルジンスキーも忘れ難い名となった。一番幼い彼女が一番つらい目に遭っているとは・・・ 映画は弟トマはどうなったのか、サラはその後どうしたのかという興味でぐいぐい引っ張っていった。2時間半近い長さにもかかわらず、少しも長さを感じさせなかった。それを追うジャーナリストのジュリア自身も大事な決断を迫られており、その決断の行方も気になった。ぶれないジュリアをクリスティン・スコット・トーマスが落ち着いた安定感ある演技で演じ、すばらしかった。少しずつ明らかになる真実に私がとてもうれしくなった点がある。体制側にも良い人はいたのだということ。「戦場のピアニスト」でも描かれていたが、占領された側にも悪い人はいたし、占領した側にも良い人もいたのだということ。全員が全員ヒトラーの手先になっていたわけではないのだ。たとえ大きな体制を覆すことができなくても、小さいことかもしれないが、自分たちのできることをしようとした人たちがいたということが、この悲惨な映画を救ってくれていると思う。そして、私もできれば、そういう立場になった時、そうありたいと願わずにはいられなかった。この映画を良き手本として・・・
60年前の呪縛から開放されるとき
見る前は、成長したサラと弟が再会してよかったねで終わる話かと思っていたら、そんな甘い話ではないことを思い知る。 本作よりも少し前、「黄色い星の子供たち」という作品が公開された。この作品も、ナチス占領下のフランスでユダヤ人約1万3000人が味方だと思っていたフランスの警察に検挙され、ドイツの強制収容所に送られた1942年7月16日のヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件の悲惨さを描いている。 ただ、本作ではヴェロディヴ事件はあくまできっかけであって、10歳の少女サラが背負ってしまった十字架の重みと、サラと弟のその後を追い求める女性ジャーナリストを並行して描くことにより、ミステリーを紐解くような語り口で60年経った今も癒えない戦争がもたらした深い傷を浮き彫りにしていく。 誰かの手で納戸から抜け出すことができなければ弟がどうなるかは想像できる。捕らえられてから何ヶ月も経っているが、なんとしても自宅に戻って鍵を開けてあげなければというサラの想いが痛々しい。 もし弟が抜け出して何処かで生きていればいれば、サラの危険な行動は無駄になる。 重ね着した服を脱いでも脱いでも下から出てくる胸には黄色い星がついている。ユダヤ人であることを覆い隠せない小さな体に、幼い弟をひとり置いて来てしまった悔恨が重くのしかかる。 アメリカ人の女性ジャーナリスト、ジュリアは家庭の問題を抱えながらも偶然に知ったサラとその家族のその後を調査することにのめり込んでいく。調査はむしろ「暴く」行為にもなりかねない。60年前の呪縛が現代を生きる人間をも巻き込んでいく。それは戦争という人間の行為が残した傷跡の大きさを物語る。 それだけにラストの始末に、なにかホッとするものがある。人は過去から何かを引き継ぐのだという思いからくる感情かもしれない。
現代人の行動が変
戦争中のサラちゃんの場面は非常に切実で面白かったのだが、現代人パートは行動に不自然なところが多くて違和感ばかりを覚えた。 ・自分のアパートが元々ユダヤ人が暮らしていたからと言っても別に奪い取ったわけでもなく、死体があったらそれは縁起が悪いけど、でも一家の恥とか極秘にするほどのものか。 ・それを原因にアパートを売るのが極端。 ・ジャーナリストの女がイタリアまでわざわざ尋ねていったのにユダヤ人の話が出た途端無視する息子、あまりに冷たくないか。どんな変な話でも外国から訪ねて来てくれた人の話を聴くくらいの寛容さは普通あるだろう。 ・しかしその際、女は批判的に臨んでいた意図が分からない。サラについて聴きたかったのではないのか。それなら「どんなお母さんでしたか?」とまず聴いて流れで秘密の話になるのなら理解できる。 ・介護を必要としていたサラの夫が、てっきりもう呆けているのかと思ったら随分しっかりしていた。あのくらいなら外国から来たジャーナリストに話くらいさせてもいいんじゃないか。 と言った具合で、現代パートは物語の進行の都合で人々を雑に扱っている感じがとてもした。 物語の山場はサラちゃんが弟を発見する場面だったため、その後の時間はけっこう退屈だった。しかし、サラちゃんの演技がすばらしく、魅力的だったので大人になって別の人になってしまったのも残念だった。
後半がちょっとがっかりした・・・
主人公の生き方にがっかりした。結果的に弟を餓死させた罪に、耐え切れず自殺するのだが、逆に生きて償うべきだったと思う。子供を育てる義務を放棄するなんて、後に苦労するであろう旦那様の事も考えず、育ててくれた義理のある年老いた養父母の面倒も見ず、何て自分勝手なのだろう。結局大人に成り切れなかったんだなと、思ってしました。<ソフィ-の選択>の主人公なら、死にたい気持ちは理解できるのですが、家族や友人を犠牲にして、生き残ったのなら、もっと自分の命を大切にして欲しかった。犠牲なった人達の死が、無駄になってしまって、憤りを感じました。収容所を抜け出すシ-ンも安易だし、ゲシュタポが弟を見つけれられないはずも無い。しかも、そんなに長い期間、死体に気がつかないのも、非現実的だった。
サラの関係者が思わず涙ぐむラストのワンシーンが感動的。そこ1点のためにあるような作品。
ミッション:インポッシブルのプレミアム試写会を飛ばしてまで、こちらを選んだくらい生き込んで出かけた試写会となりました。サラの関係者が思わず涙ぐむラストのワンシーンが感動的で、納得の一本となりました。全ては、そのシーンのために組み立てられたような作品なのです。 ユダヤ人収容所を描いた作品で子供が主人公のものでは、「縞模様のパジャマの少年」が名作としてお奨めです。同作も含めて収容所モノは、収容されてガス室に送られるところで終わりを迎えるのが普通でしょう。しかし、本作では主人公のサラが収容所を逃亡したあとが長く語れるところが違っています。 またサラの逃亡後の行方を、現代の視点でストーリーテラーとなって追いかけていく女性記者ジュリアの物語にもなっているところが、他の単なる収容所モノと大きく異なるところです。 ジュリアが高齢出産を決意するまでの現代の話とサラのその後が巧みにリンクしているところがよかったです。サラが収容所に行き着くまでは、とても重く、心が痛む映像が続きます。しかし、時々現代にスイッチすることで、いい息抜きとなっていました。現代と大戦当時のスイッチの仕方がいいバランスなんですね。 サラの悲劇を知ったジュリアがいのちの尊さを強く感じて、夫の反対を押し切って、高齢出産に望むストーリーは、同じような悩みを持っている女性にとって救いとなるストーリーではないかと思います。産もうか降ろすか悩んでいる人が居たら、勇気と愛情がこみ上げてくる作品なので、ぜひ鑑賞をお勧めします。 さて、舞台は1942年、ナチス占領下のパリで起きたユダヤ人迫害事件。なぜナチでなくフランス警察がユダヤ人を率先して検挙したのか、本作を見るまでは半信半疑でした。でも、捕まったユダヤ人に罵声を浴びせる市中のフランス人を見せつけられて、相当にユダヤ人に対して、経済的な嫉妬心を持っていたことが理解できました。それで当時のフランス人は、ユダヤ人のジェノサイドを支持したようなのです。 けれども収容されたサラが逃走するとき恩情で見逃す青年将校や、サラを匿う農夫一家の存在にフランス人に人権擁護の善意は失せていないことも感じました。フランス人のユダヤ人に対する複雑な思いは後に迫害への加担を認めた大統領演説で落着します。でも今なおフランス国民の心の傷は癒えることがないようです。 但しストーリーは、現代でジュリアがユダヤ人迫害事件を特集企画して、当時の遺構を取材して廻るところから始まります。その取材過程で、ジュリアはサラというユダヤ人女性の存在を知ることになるのです。 2人の接点はパリのアパート。ジュリアのフランス人の夫が祖母から譲り受けた部屋のかつての住人はユダヤ人家族だったことが偶然わかるのです。一斉検挙の際、姉のサラはとっさに弟を納戸に隠しその鍵を握りしめたまま収容所へ。そして現代。ジュリアはその後のサラと弟の足跡を克明に追うことになります。 ジュリアの取材が進むごとに、サラの消息が明かになっていきました。 ジュリアがとりつかれたように、サラの消息の確認にのめり込んでいったのは、その「真実の追求」がフランス国民の共通の心の傷に迫ることに繋がるからだったのでしょう。そして、次第にサラの気持ちに同化していったジュリアは、弟の足跡を確かめずに居られなくなったのです。 けれども、その謎の当事者として夫の実家が、連行されたサラの一家の部屋にその後引っ越した事実を掴んだジュリアは、夫の親族に対する疑惑の眼差しを向けてしまいます。 真実の追求は常に苦痛と恐怖を伴うもの。でも、ジュリアにとって歴史の中に真実を葬り去るわけにはいかなかったのです。それがたとえ夫婦関係が破綻を招こうとも本当のことを知ろうと、夫の実家に体当たりしていきます。 一方、弟を置き去りにしたサラの罪深い思いには、驚かせられました。ジュリアがやっとの思いで出会うサラの息子は、自分がユダヤ人の息子であることすら知らさせていないほど、かつての迫害を警戒していたようです。警戒心と贖罪の思いゆえに、 母の愛を感じずに育ってしまった息子が、真実を知ったときの驚きようが感動的でした。必至に守ろうとしたことがわかったのですね。 しかし、贖罪の思いはサラを悲劇的結末に追いやります。しかし、ここで描かれるのはユダヤ人女性の悲運な生涯だけではなかったのでした。たとえサラが死を迎えようとも、命というものは形を変えて連綿と続いていくことになるのです。ジュリアがどんな形でそれを受け止めて、いのちを紡いでいこうとしたのか。ちょっとフェイントを効かした小憎い演出が、感動のラストに繋がります。 その命の連鎖、生命の尊厳こそサラが我々に遺のこしたメッセージではないでしょうか。 この手の作品としては、映像も暗くならずなかなか綺麗でした。
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