キツツキと雨のレビュー・感想・評価
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源さん好き
この役者さん達でこんなゆるい映画 ってなんか良いよね。
超重たい椅子に名前彫ってあるの見て、少し嬉しそうな顔するのが良かった。
あと ラッシュに自分が映ってるの観た役所さんの表情とか。
少し嬉しそうな顔ってのが良いの。
キツツキと雨
おもしろかった。淡々としてて、特にこれといってドラマが起こるわけじゃないんですが、なんだか、目が離せないんです。役所様を始め、嶋田久作さんなど、もう、セリフがいらない役者さんで脇が固められていて、面白いです。 ぜひ、おやすみの日に、美味しいお菓子と美味しい珈琲でゆっくり恋人と見てみて下さい
邦画はこうでなくちゃね
役所広司が出ているので間違いはないと思ってはいたけれど、やっぱり間違いはありませんでした 最近の邦画は焼き直しやハイテクばかりで正直食傷気味(と言うか観てない)でしたが、久しぶりに真っ当な日本映画を観ることができて満足です 役所広司の垢抜けなさっぷりにクスリ 小栗旬の情けなさっぷりにクスリ 時間がのんびりと流れ そして縁(えにし)となる 終わった後にホッとため息が出る ただそれだけ。 だけどそこが良いのです ストレスフルな人にこそ観て欲しい佳作です
大好きな映画です。
残念ながら、田舎なので劇場で上映されなくて、DVDを心待ちにして、やっと観ることが出来ました。 何度も何度も繰り返し観ています。 みるたびに、じわじわと、よさがましてきて、またすぐ見たくなります。 こんな映画をつくってくださった、関係者の方々に感謝します。
不思議な組み合わせ
日本のほのぼのとした映画が好きな人ならこの作品も面白いと感じるはずです。 終始、役所広司と小栗旬の二人が織り成す不思議な掛け合いに笑ってしまいます。 ただ私的に後半の監督になるまでの過程があまり描かれてないのかなと感じました。 それでも、二人のちょっとずれたやりとりは面白いです。
監督、これレール敷いて撮っていい?その方が絶対いいって。
映画「キツツキと雨」(沖田修一監督)から。
山の中のフィルムコミッションって感じで、
今まで映画にはまったく関係なかった一般人と、
映画関係者がコミュニケーションを通じて、お互いが成長していく。
そんな大雑把な展開に、ラストシーンもほぼ予想できてしまった。
だから私の関心は、映画撮影スタッフの心の動きになってしまった。
撮影当初、しっかりとした指示が出せなかった監督に対して、
不貞腐れていたスタッフも、少しずつ自信をつけ始めた監督に、
プラスのアドバイスをおくるようになる。
「監督、ひとり隊長みたい人、いたらいいんじゃないですか」とか
「監督、これさ、レール敷いて撮っていい?その方が絶対いいって」
けっこう気に入ったシーンとなった。
さらに、ベテラン大物俳優さんにも、何度もダメだしをし、
周りの信頼を勝ち取っていった気がする。
ラストカットの撮影シーンも、自分の意思で「待つこと」を決定し、
空が一瞬晴れると確信したところで、カメラスタッフに
「やるの? やんないの?」と訊かれ、今までで一番大きな声で
「やるに決まっているでしょう」と叫ぶ。
人間って、自信がつくとこんなにも変わるものなのか、と感じながら、
それを育てたのは、周りの大人なんだよなぁ、と嬉しくもあった。
「お〜い、頑張れよ、若いの」ってフレーズ、短いけどいいなぁ。
コミカルだけどリアル
「南極料理人」の沖田修一監督作品。この映画好きだったんだよなぁ~。 んで本作、どことなく雰囲気を継承してるのがまず嬉しい。 田舎の山奥でゾンビ映画を撮影する展開。その過程で、現地の木こり(役所広司)がなぜかどんどん撮影に関わってくるさまが面白い。 蹴っ飛ばされるADとか、適当に扱われるエキストラとか、撮影の裏側がコミカルに表現されてるのもリアル。撮影に関わったことがある人なら、きっとうなずく部分が多いはず。 大爆笑を狙った映画ではないけど、終始どこか吹き出してしまうような楽しさがある、気分が良くなる作品。
他人の心にドカドカ入ってく田舎の人/ドカドカ入ってく都会の人・・
なるほど! 邦画の邦画たる作品*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・* しゃべくり007で、泰造さんがオススメしてた。 前から気にはなってましたが、良いキッカケに!とレンタル( ̄^ ̄)ゞ 途中の・・ 都会の方の図々しさ/田舎の人の無頓着さ・・ ・・最初どうしようか?と思ったけど、頑張って見て良かった(つД`)ノ 臼田あさ美ワロタw ☆評価は・・ DVD100円基準で(*^^)v DVD買う度 ◎◎ モ1回見たい度 ◆◆◆◆ おすすめ度 ***** デートで見る度 ◇◇◇◇◇ 観た後の行きたいお店】 田舎の食事処? 観た後の飲みたいお酒】 焼酎は二階堂か?いいちこで願います(^人^) 観た後の食べたい一品】 パックの海苔(´・Д・)」 こだわればキリ無し、妥協してもキリ無し( ^ω^ )♪ 南極料理人もまぁまぁ嫌いぢゃない!・・てか好き(^。^) 弱い人やコミュ難が出て来る映画かな?と一瞬思ったけど・・ そんなんは好きでは無いが、やっぱ頑張って見て良かった♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪ 役所さんサイコ〜☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆ (*笑いの大学思い出した!!!)
ほのぼのできる年の離れた男同士の物語
日本はこういうほのぼの日本人の心に訴えかける映画がすばらしい 現代の若者を役所広司の息子と小栗旬などが風刺し、父親の世代の困惑、苛立ち、世代を通じ分かり合えるものとそうでないもの、笑いを散りばめうまく表現されている。仕事、人との交流を通じて一人の大人の男になっていく成長ドラマがすばらしい 子や若者を育てるのは、父であり、それに代わる大人が叱咤激励して伝えて、目覚めさせることが大事なのだとそう映りました 人と人とのつながりが薄れている現代社会にもっと浸透して欲しい作品 演技力のある俳優さんばかりですごく内容が心にしみました
見ていて引き込まれる
すごく良かったです。見て良かったなぁって心から思える作品でした。これは本当に見ないとわからないですね。冒頭からどんどん引き込まれていきました。日本映画の良さが出ている気がします。ぜひとも見てほしい
世代間交流の必要。
素直に…面白かった、愉快に笑えた作品。
とり立てて、褒め称える仰々しさもなく地味で単純で静か。
そもそもキツツキは、雨の降る日に木をつつかないもんねぇ。
木こりも監督も雨上がりを期待しながら心を通わせていくのだ。
…しかし、観ていて思った(爆)
私のようなオバサンも同じ、今の若いのが何を考えてるのか
サッパリ分からない^^;
役所の木こり同様、何を考えてる?そこの若いの!なのである。
でも若いのからすれば、一体このオバサンは何を考えてるんだよ
と、イライラさせられること、この上ないのかもしれない^^;
若い頃にはスラスラとできたことが、どうもすんなりいかない。
今日も会社で。お店のレジの前で。友人と話しながら。
あ~間違えた。上手く取り出せない。えっとそれ誰だっけ?を
繰り返しているわけだ。
だから助け合いという精神で(爆)世代間交流は大切なのだな。
さて。。
雨を巧く情景化しながら、中年の木こりと新人監督の交流を
世代間ギャップありありで楽しく展開させている本作。
「南極料理人」で培ったあの雰囲気をさらに推し広げつつ、
人と人とが関わる過程を映画製作に協力することに置き換え、
まずは興味を持つところからすんなりとお互いの領域に入る。
木こりがゾンビを理解するか?(爆)なんていう心配は無用で、
素直に馴染んでいく木こりの親父・克彦が、面白くて頼もしい。
自身は妻を亡くして以来、息子とギクシャクしているものの、
日々の生活をきちんとこなし、仲間とワイワイ語り合う彼には
おそらく多くの共感が得られる描き方だ。
それに対し新人監督としてこの村にやってきた幸一(小栗)は、
対人恐怖症か!?と思えるほど臆病で言葉もなく、キビキビと
指示を与える助監督に喝を入れられる始末。木こりが監督を
使えないADと勘違いするのも、ごもっともと言いたくなる。
そこそこの才能と財力があっても、彼には忍耐力もなければ、
豊かな人材をどう活かすかの知恵も指導力もない。
まず人として新人だから…という立場の関門拠点にいるのだ。
そんな二人がどう助け合って作品を完成まで導くかがポイント。
穏やかで厳しい自然風景と相まって、二人が本音を吐露する
(食べ物を介した)対話風景に、前作同様こちらまでお腹が鳴る。
親子じゃないんだけど、親子みたいに頼り頼られる存在と関係。
却って他人同士の方が素直に腹を割って話せるのかもしれない。
そういえば私も若い頃、親ではない親年齢の知り合いに
たくさんの助言をもらい励まされ、それを訓示のようにしてきた。
そしてその先輩からは、若さと元気をもらったよ♪と言われた。
う~ん、やっぱりお互いに必要なんだなぁ。
南極~の時は内容が内容だけに、料理のシーンが多かった。
今回はそういう設定ではないが、とにかく多くの料理が出てくる。
そしてそれが、ひとつひとつ、なにより美味しく見えて羨ましい。
まずは腹ごしらえ。
食べ物を美味しく描く映画に悪い作品はないと、信じている私は
やっぱり今作の虜になり、最後までニヤニヤしながら観続けられた。
文句なく巧い!役所広司が、はじめは木こり…?なんて心配したが、
全く心配におよばなかった。海外での受賞も納得の会心の演技。
観終えてお腹いっぱいになるが、消化もすんなりの心地良い作品。
(映画製作の舞台裏も沢山観れて面白い。山崎努はその場をさらう巧さ)
優しい気持ちになれる
冒頭から引き込まれました。脚本も良いのでしょうけれど、人間描写が丁寧で眼差しの優しい印象を受けました。こういう穏やかな良作が当たらないと日本映画界が心配になります。…男にとって父親的な存在は必要なんでしょうね。★4.0 http://coco.to/4034
映画の魔力
助監督と木こりの出会い。かみ合わない会話。ハイ?・・・ハイ?・・・ハイ?・・・の間合いの良さ。道案内から始まり、ゾンビ役までやることになる木こり。いつしか映画の撮影にのめりこみスタッフになってしまう。本業の木こりは仮病で休業。エキストラを斡旋、交通整理まで。竹やり隊のおねえさん方を大勢集めたおかげで撮影が盛り上がる。ゾンビも増えた。弱っちい監督もだんだん大きな声がでる。人間自信がつくと声も大きくなる。でも、ヒノキの監督イスは物理的にも重すぎる。
役所さんのコミカルさと小栗さんのナイーブさが上手く混じり合う。
何があるというわけではないけれど、こころが暖まる映画。 映画全編ののんびりとした雰囲気は、ロングでのショットや、長廻しが多いせいもあるのだろうけれど、これがまず自分にあう。 一番好きな場面は冒頭、役所さんが扮する樵、克彦が山中で木を伐採し枝打ちをする、そしてタイトルが出てくるまで、この主人公のひととなりの全てを語っている。このセンスが映画に対して感情移入しやすくしている。 また、映画の撮影を題材に劇中劇に仕立てた映画って、トリュフォーの「アメリカの夜」の他、それこそたくさんあるけれど、どれもほのぼのとした気分にさせてくれる。どんな小さい役であっても映画に対する想いが感じられる。例えば、撮影隊のベテランチーフ助監督(古舘寛治)が、プレッシャーに耐えかねて撮影現場を逃げ出そうとする新人監督幸一(小栗旬)に「誰もがなぁ、監督になれるってもんじゃねぇーんだぞ!」と言いながら蹴飛ばそうとする場面、これは映画好きならだれでもグッとくる台詞、場面だと思う。 そういったことも含めて、この「キツツキと雨」は、老境に至り一人で生きていこうとする無骨な初老の男と、集団をまとめざるをえない不器用、優柔不断な若者が、映画という魔法で気持ちが変わっていく様子をユーモアたっぷりに描いていく。 妻に先立たれ、一人息子は自分から離れていく、仕事中の事故で肺が潰れ身体の不安もある60歳の克彦。 村である日であった若者幸一(小栗旬さん、これは克彦の息子と同じ名前だ)は、彼から見れば相当だらしがない。出て行ったという息子とダブらせながら、話をきいてやると、その彼は村で「ゾンビ映画」を撮っているという。 あることがきっかけで克彦は、そのゾンビ映画の手伝いをするようになる。最初はただ面白いだけのものが、撮影隊の人々と交わるうちに、本業の樵よりも、そして自分の生活よりも、映画作りに熱中してしまう。 役所さんのコミカルさ、小栗さんのナイーブさが、全体の雰囲気を壊すことなく、物語の流れの中に自然と溶け込んでいるのが、とてもいい。 映画という、集団であるものを創り出す喜びを、齢60にして知った克彦が、その気持を新人監督幸一に想いを語る温泉場の場面、逆に幸一が、自分のハッキリしない性格のために撮影隊をまとめられず、そのせいか映画に対する複雑な想いを克彦に語る食堂での場面、特に後者で、甘いものを禁じられていた克彦が、蜜をタップリかけたあんみつを頬張り、それを幸一に食わせる場面は、二人のお互いの気持が氷解する様子を、ベテラン、若手俳優のアドリブをもって十分に味わうことが出来る。 そういえば、前回観た役所さんの「聯合艦隊司令長官山本五十六」でも、将棋の場面がわりあい印象的だったけれど、この映画でもキーポイントになっていたな。 あと「マイバックページ」(2011)にも出ていた、古舘寛治さんも出演、GJ。
雨降って地固まるラストは映画を愛するすべての人への讃歌
タイトルの意は、キツツキを木こりに置き換えて映画を最後まで観れば分かる。 木こりの克彦が気弱な幸一を何かと気に掛けるのは、同じ年頃で仕事に就かず家でごろごろしている息子に比べ、ひとつのことに打ち込もうとする幸一を放って置けなかったのだろう。 人見知りする幸一も、何かと世話を焼いてくれる克彦に心を開いていくが、それを温泉を使って表現する演出が面白い。 映画の中で撮ろうとしている脚本は三流で面白そうもない。おまけに若くて優柔不断な監督に、周りの年上のスタッフはやる気を無くしてしまっている。それどころかバカにした言動が多い。仕事だから仕方なくやっているという空気が蔓延している。 それでも彼らはプロだ。本当はいい仕事がしたいのだ。 克彦が先導して山村の人々が協力し始めたお陰で、少しでも良い画(え)が撮れると分かると、眼の色が変わり和やかな空気があたりを包み込む。 にわかに、撮影中の映画が活気づき、撮影隊や村人それぞれのキャラが立ってくるから、つくづく映画というのはマン・パワーなのだなと思う。 まさに雨降って地固まるラストは、映画を愛するすべての人たちへの讃歌だ。 と同時に、将来に希望を失いつつある若者に対し、ひとつのことに打ち込むことの素晴らしさを唱えた応援歌でもある。 少ない出番で、作品に一本、筋を通した山崎努はさすが。 木こりを演じた役所、伊武雅刀らがそれらしく見えて、けっこう時間を掛けて重機の特訓やリハーサルをしたのであろう。 そして、いきなりゾンビ顔になった役所のアップには大笑い。
沖田監督も小栗監督もみんなこんな感じで苦労したのかとニタリとする作品でした。
タイトルは、きっと撮影の障害となるキツツキ(木こりが木を切る音)と天候を表しているのだろうと思います 。余計な音を立てるキツツキも、止められない雨も、撮影の大敵。それは、主人公の自信を失っていた新人監督にとって、あらゆる障害がプレッシャーとなって押し寄せてくる感覚を言い表したものだと思えました。 若い映画監督と初老の木こりが、年齢も環境も超えて結ばれる絆を、さりげないエピソードの積み重ねで描写した押し付けがましさのない人間ドラマ。その和気藹々とした雰囲気は、前作でも感じられました。人間関係のおかしみに、優しいまなざしを向けたところに、とても好感を感じたものでした。きっと沖田監督が作る現場の空気感が素晴らしく、スタッフや出演者と一体となって作り上げた作品なのでしょう。 本作で登場する若手監督とは真逆に思えるようにも思えます。でも前作でプロデビューを飾ったとき、きっと沖田監督にも、こんなプレッシャーを抱えていたのだろうと思うと、思わずニタッとしたり顔になってしまいました。 じんわり感動させられる人間ドラマとして、よく錬られた作品です。前作よりも一段とユニークな人間描写に磨きがかかったといえるでしょう。映画好きな方には特にお勧めしたいですね。 奥深い山間の村で山林の伐採を生業として暮らす克彦(役所広司)は、今年で60歳。妻に先立たれ、息子の浩一と2人暮らしだが、定職につかないニートの息子に苛立っていました。そんなある日、克彦は映画の撮影隊と出会い、なりゆきから彼らが撮影中のゾンビ映画に出演することになってしまいます。 ゾンビ映画の撮影現場は、いかにも楽しそう。監督の掛け声で、談笑していた俳優がゾンビになりきり、まさに映画の一場面が眼前に繰り広げられます。大勢のエキストラ、俳優の動きを追うカメラマン。山間の村での撮影風景がユーモラスに描かれます。だから最初はいぶかしげだった映画のことなど全く知らない克彦が、いつの間にかスタッフの一員となって、協力しているのも納得できる展開でした。 克彦は、仕事を止められ、周辺の案内役をさせられ、揚げ句にエキストラで出演。迷惑がっていたものの、自分が写った場面を見るとがぜん張り切り出し、先頭に立って撮影現場を仕切り始めたのです。 しかし、楽しそうに見えるのは、あくまではたから見ているからですね。 スタッフはロケ場所やエキストラを探すのに走り回り、俳優はテストを繰り返す。一切の責任を負わされる、弱冠25歳の監督、幸一(小栗旬)の苦労は言わずもがな。台本を手にうーんと悩み、スタッフや俳優に指示を出せず、彼らの注文に困惑するばかり。 そんな若い監督の姿に共感できるのは、誰もが経験しうるはずのものだから。自分の周囲のことにしか関心がなく、他人との共同作業を嫌うような、今風の若者なら、なおさらのことでしょう。映画の撮影現場というと特殊な場所のようだが、夢見た仕事と現実とのギャップに苦しむ若者は、どこにでもいそうですね。 幸一はプレッシャーから現場を逃げ出そうとします。克彦はそんな幸一を励まし、台本確認に付き合うようになります。克彦と幸一の2人の関係は、疑似親子ともいえるでしょう。 そんな2人の距離が縮まっていくのを、セリフでなく絵で見せるのが面白いところ。日帰り温泉の浴場でのふたりの距離が雄弁に物語ってくれます。離れて湯につかっていた2人でした。当初は、撮影のことに触れられてたくない幸一に、湯船の中で体を浮かせながら、ひたひたとと克彦がすり寄っていくのです。ところが、幸一が次第に克彦に頼り出すと、今度は克彦があまり頼られたくないとひたひたと距離を開けようとするのですね。 のりを食べながら、将棋をさす場面は、食堂で向きあってあんみつを食べる場面につながります。監督の演出は、鳴り物入りの事件を起こすことなく、克彦のとる何気ないふれあいで、ふたりの親密度を紡いでいくのでした。そんな場面ごとに、沖田監督ならではのユーモアを漂わせ、楽しませてくれました。 幸一が少し成長するように、幸一に手を差し伸べる克彦も、こころを開き変化していくのでした。定職につかない自分の息子(高良健吾)を見放した克彦は、やりたいことをやろうとしている幸一に共鳴します。その表れは、幸一が実家の旅館をつがずに映画監督になったことで父親を悲しませたと言えば、克彦はその逆だと諭すところに如実に出ていました。克彦の思いは、三回忌の席で息子の浩一を心配する親戚への怒りに表されます。克彦は幸一の悩みを通して浩一の気持ちも分かるように変わっていくのです。 克彦も心を開いていく。上から下への押しつけでなく、双方が変わっていくのが、理想的な親子のように見え、ほほ笑ましい。 やがて村を挙げて撮影に協力し、撮影は佳境を迎えていきます。 特に木こり役の役所広司がいい味を出して盛り上げています。山本五十六を演じた同一人物とは思えない変わりよう。自らも高い木に登って作業する姿は、木こりそのものなんですね。例えば、山林で伐採する克彦が撮影隊に出会うシーンで、音を立てないように要求されると、克彦は「え!」「え!」と何度も間を空けて繰り返すなど、木訥な滑稽味を漂わせていました。 監督経験もある小栗も、当初脚本を読んだとき「いくら何でもできなさすぎじゃないか」と思ったそうです。しかし、実際に、幸一を演じていくうちに、「プレッシャーと責任で、押しっぶされそうな感じ」に共感できるようになったと新聞のインタビューに答えていました。 沖田監督と小栗が考えた幸一像とは、こんな感じで意思統一できたそうです。 『映画を自主制作していて、たまたま短編映画のコンテストに出品したら、グランプリを受賞。』 『突然、プロデューサーに「ちゃんと映画を撮ってみろ」と言われ、監督になったものの、それまでの友達感覚が通じず、知らないスタッフの中で身動きがとれない。』 …「いきなり、プロの現場にきたら、こうなるだろうな」とふたりでうなずきあったそうです。 悩む浩一に小栗の新米監督しての経験もオーバーラップして見てしまいました。2年前に「シュアリー・サムデイ」は本人も言ってるけれど、気張りすぎて、余裕のない作品になってしまいました。全部自分で何とかしないとという焦りが出てしまっていたのですね。まるで幸一のように、『雨が降ればいい』と祈る毎日だったというのです。今となっては人間なんだから、悩んでいいのにと振り返る小栗ですが、幸一を演じて、その思いも強くしたことでしょう。次の小栗監督作品にも期待したいところです。 撮影現場の舞台裏モノは、ハズレが少ないもの。映画のためだけに集まった人々が、予期せぬ障害をどうにか乗り越えていく。しかし完成したら散り散りだ。その熱気とはかなさが、ドラマを生みやすいテーマなのでしょう。ただ本作は、それを超える映画愛に包まれた作品でした。 本作で描かれるように、優秀なスタッフに頼れる部分は頼って、その上で、監督のやりたいことを提示できればいい。そうすれば、もっと映画作りって面白くなるんじゃないか。そんな映画製作に携わる人たちに、ドンマイとエールを送っているところにも好感を持ちました。
とにかく笑いっぱなし。でもわざとらしくなく・・・爽やか
試写で拝見。ファーストシーンの木こり・克彦が木を切り倒すショットからして、長い。『南極料理人』の沖田修一の作品として、笑いを期待してきた多くの者と同一だろう自分は、やや不安になるが、克彦と、映画の助監督・鳥居のまさに『未知との遭遇』としかいえない切り返しのリズムからもう爆笑。なぜ笑えるのか、言葉で説明できないが笑ってしまう。そんなシーンばかりだ。ゾンビ映画を撮る撮影隊が木こりの村と出逢う、「ミスマッチ」と言い古された言葉では説明できない、コミュニケーションのずれ。しかし、温かくそんなずれをふわりと補い合うシーンの積み重ねに、止まらない笑いを暴発させながら、克彦と映画監督・幸一の擬似的な親子関係の進み具合にほろりとさせられる。タイトルからして、「何の映画だろう」と思うかも知れないが、言葉で表現できないまさに映画そのものだけで笑い、泣き、心温まる、ああこんな映画ってまだあっていいんだ、そんな安堵に包まれて爽やかな気持ちで試写場を後にした。分かりやすい笑いや泣きにおさまろうとだけはしまい、そんな強い決心が沖田監督のこの映画から漲っていた。
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