「どこでもドアで追いかけっこしてる場合ちゃうやろ」アジャストメント 全竜さんの映画レビュー(感想・評価)
どこでもドアで追いかけっこしてる場合ちゃうやろ
複雑化するSF要素に、神が人類を統括する宗教的ニュアンスが加わり、発想の面白さよりも、敷居の高さを痛感する結果となった。
神様だって、数に限りがあるから全人類を管理できるのは不可能だ。
故に将来、偉人となる有能有る逸材達をピックアップ。
彼らが暴走し、世界を壊滅させないよう過ちを修正するのが『調整』の目的らしい。
だが、天才と見なす基準値がわからない。
未来のアメリカを指揮する政治家マット・ディモンがマークされるのは、100歩譲って納得できる。
が、一方、世界的振り付け師として名を馳せる予定の奥さんのような芸術家の場合、調整員はどう査定しているのだろうか。
アートは調整しようがないと思う。
甚だ疑問だ。
そもそも、男と女のスッタモンダぐらいで神様もムキになるなよと云いたい。
終盤戦、追い詰める担当調整員は、上層部の総意をジミー画伯、間違えた、マット・ディモン議員にドヤ顔で発表する。
「君と結婚したら、彼女は街のダンス教室の先生止まりやねん。それやと、せっかくの彼女の経歴が大きな損失になるやろ」
えっ、
スケール小ちゃ。
どこでもドアでニューヨーク中を追いかけっこしてる場合ではない。
最後に短歌詠んで帰ろ。
では一首。
『引力に 零れし運命 追い掛ける 拓く轍の 波紋結ふ空』
by全竜
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