本作が劇場映画デビュー作となるジュリアス・ケンプ監督が、アイスランド資本で初めて製作されたということで注目を浴びたホラー映画。
何やら、是か非かの立場で世界各国が右往左往している捕鯨問題。一つの文化的差異から語られる課題でありながら、多くの駆け引きが渦巻いている。ならば、この複雑な論題をテーマに一本の映画を作ってしまえという創造への欲望が生み出したのが本作である。
ホエールウォッチングスポットとして、世界中から観光客が集まってくるアイスランドのレイキャヴィック。何やら危険な薫りがする観光船に乗り込んだのは、世界各国から集まった観光客。鯨を観賞する前から思わぬトンデモ事故に巻き込まれた乗客たちの前に現れたのは、捕鯨を禁止され、未来への希望を喪失してしまった一組の家族が操る古ぼけた船だった・・・。
一隻の船を舞台に、捕鯨に反対する国々と、相反する国との国際的な対立関係と衝突を壮絶なスプラッターという形で描き出す本作。屈折と暴走を血みどろ劇場に置き換えることで、世界に対する捕鯨問題への比喩を提示しようとする誠実な、真っ直ぐなジャーナリズム魂には頭が下がる思いである。
一本の娯楽作としてきちんと薄気味悪いホラーとしての体裁は整っているので、初めてアイスランドという国家が挑んだスプラッターホラーとしてまずまずの評価点には達しているだろう。
しかしながら、殺しの美学と開放感があってこそのスプラッター作品であることを考えれば、明らかに本作はその王道を逸脱している。単純に政治批判と明確な国家としての主張を声高に叫ぶことに終始しており、物語としての皮肉であったり、アイスランドという北欧の風光明媚な味わいを少しでも表現に注ぎ込んで観客を楽しませようとする創意工夫が見られない。
このままでは、「ニホン、ハラタツジョユウイマース!イラットシマース!」で終わってしまう。世界が注目する捕鯨問題を語る一つの可能性を見せ付ける挑戦になりえた作品だけに、大いに残念な気持ちが残る作品だ。
意欲は、買わせていただく。あとは、ロメロ先生のコテコテスプラッター作品をしっかりと学び、「魅せる」娯楽ホラーを形にする事を考えることを強く求めるのみである。