ツレがうつになりまして。のレビュー・感想・評価
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堺雅人の演技が素晴らしい!
堺雅人の演技力が光った秀逸な作品。
宮崎あおいはちょっとドライすぎるのでは?という感想を抱いたが、まあ奥さんがこういう「カラッ」とした人であれば、ウツの人は自分のカラに入り込んでしまわずになんとか踏みとどめられるのだと思う。ということでこれも重要な要素なんだろう。
堺雅人は素晴らしい。ハマリ役ですね。
しかしこの人は「半沢直樹」か、こういうのか一体本人はどっちに近いのだろう??
ママシネマ(乳幼児連れOK上映会)にピッタリでした。
ママシネマ(乳幼児連れOK上映会)にて観賞しました。実にピッタリなセレクトでした! うつ病で退職することになったツレと売れない漫画家のハル、それぞれに「社会から取り残されたよう」と感じている二人の姿は、育児中心の生活を送る新米母に重なるところ大。ツレが病気に対するモットーとして挙げる「あ・と・で」=あせらない(あせらせない)、特別扱いしない、出来ること出来ないことを見きわめて出来ることからやる、は育児にも繋がるように感じました。
当たり前ですが、ドドーン、ババーン、という衝撃音もなく、驚愕の急展開もなく、心穏やかに楽しめるという点も子連れ上映会向き。ぐずる子どもにも余裕を持って接することができ、終盤で眠り込んだ子の柔らかな髪に触れた時など、温かな幸せをそこはかとなく感じました。
うつ病をリアルに描くというより、人のつながりを描くことに力点を置いた点がよかったです。また、悪人が出てこない(唯一の例外はツレの上司でしょうか。彼も外資系で苦労し余裕がなかったのだとは思いますが…)点も好感を持てました。しかも、「いかにも善人」ではなく、さりげない演出で嫌みがありません。ハルの両親、ツレの同僚、患者仲間…と力のある役者さんたちのアンサンブルが、手堅く味わいを深めていました。同じ佐々部監督の「チルソクの夏」の爽やかさが思い出されました。久しぶりに観直したいです。
「ママシネマ」は今回で2回目。前回は一時間前くらいから終了時間が気になって仕方がなかったのですが、今回は終わりをいとおしむように余韻を味わえました。ママシネマとはいえ、おむつ替えや授乳対応などの物的快適さ以上に、映画の質が満足度を大きく左右する!と実感しました。
漫画エッセイの映画化ということで前作のようなものをイメージしていましたが…似て非なるものでした。観る機会に恵まれ、本当によかったです。
なかなかよかった
2011年と少し前の作品
当時の大々的なPRを見過ぎたためか、ずっと見るのを躊躇っていた。
そしてどうやら見るタイミングになったようだ。
当時の邦画は、モチーフやテーマなどがはっきりしているのが特徴だろうか。
この物語のテーマは明々白々で、おそらく作家の体験談として事実が記されている。
ただ、イグアナというモチーフについては明確にされてない。
この部分がこの作品の面白いところで、言葉にできない「何か」を無言で変化しないキャラクターとして表現している。
何も考えなくていい。
腹が減ったら食べるだけ。
悩みもない。
ただ生きているだけのように見えるイグアナを羨ましく思うツレのミキオ。
ミキオはこのイグアナに話しかけることで自分自身の本心を探ろうとしている。
心の整理とか、癒されたい想い。
物語にもあるように、鬱は誰でもかかる宇宙風邪のようなもので、日頃のストレスがこの「自力ではネガティヴな感情を変えられなくなること」のようだ。
実際このような病気は多発していて、もしかしたらコロナのように多数いるのかもしれない。
この物語では発症と再生が描かれている。
そしてその要因は「気づき」による。
心の病気だから、病気にしている要因は思考なのだろう。
「誰でも」そうなる可能性がある。
そしてこの病気を治すには「気づき」がなければならないのだろう。
この気づきというものは本当に鬱陶しく思う時がある。
個人的には好きな言葉でもあるが、気づきだけはタイミングがやって来なければ得られないようにも思う。
努力しても、苦労しても、悩んでも、気づきがやってくるとは限らない。
誰に何を言われても、自分自身が真にその「何か」を理解しなければ無意味だ。
非常に面倒くさい。
特に鬱になってしまえば、いったいどうやって気づきにたどり着けばいいのだろう?
気づけない場合、あの理髪店の客のように自殺する可能性が高いのだろう。
どうでもいいがあの理髪点は短編映画「点」と同じだった。
そして天井のシミ
それは心の澱でもあるように思う。
だから見る人によって何にでも見える。
ミキオとハルコはそのシミがイグアナに見えた。
でも客の「次男坊」にはいったい何に見えたのだろう?
あの時、まだ何も心配することもなかった時代 ずっと変わらない実家での思い出 楽しかった出来事や友達 そんな他愛もないあの日の出来事がシミに重なって見えたのだろう。
同時に感じる今現在の自分 情けなさと恥ずかしさと苦しみ。
あの変わらない風景を見ながら人生に終止符を打ちたい。
そんな思考が、自殺へと導くのだろう。
鬱になっていく過程
それは日常
ミキオにとって客からのクレームを受けることは確かに苦しいことだったに違いない。
当時は「お客さまは神様です」がまかり通っていた時代だったかもしれない。
ゴミと自分自身を重ねてしまう。
いらないもの
逃げ場のない職場
物語ではミキオの几帳面さに対する警告があった。
いつもローテーションばなければならない。
当時活躍していたイチロー選手と彼のいつものローテーション
2011年は彼の連続10年200歩何打が途切れた年
打撃不振や精神的なストレスに悩まされ、「心が折れた」と語るほどの苦しいシーズンだった。
ミキオのローテーション 自分自身が受け付けなくなっていた。
みんな無意識にイチローを見習い、彼と同じように「衰え」や「変化」と向き合うターニングポイントが来ても、プロ意識や自己管理の高さは変わらず、多くのファンに感動を与えなければならないと、思っていたのではないだろうか?
それこそが正しいと考えたのではないだろうか?
ハルコは「頑張らない」ことにした。
彼女なりに鬱を調べて出した答えだった。
「普通」だと思っていたハルコだが、友人がイラストの個展を開く会場へ入ることができなかった。
きっとそれは、夫の鬱病を恥ずかしく思っていたからで、それこそ「誰にでもある」感覚だろう。
このような積み重ねが鬱を引き起こすのだろう。
「結婚同窓会」なるものは少々変な設定だったが、自助グループを置き換えたのだろう。
つまりアルコホリックアノニマス(A/A)と同じ。
自分自身のことを話すことと、誰かの葛藤を聞くことで自分自身を取り戻していく作業。
ミキオにはとても大きなこだわりがある。
名前 髙と高を混同しないこと。
このこだわりが自分自身を苦しめるが、この物語ではそれを取り除こうとはしない。
むしろそれを受け入れることが大切なのだろう。
ハルコは言う。「鬱になった原因ではなく、鬱になった意味を考えている」
こういうのが気づきのひとつなのだろう。
そうして最後は「誰かのため」ではなく「自分のために」
納豆嫌いな妻のために納豆を食べないでいたこと。
他人への気遣い。
行き過ぎれば、壊れてしまう。
特に日本人はこの傾向が強いように思う。
エスカレーターの片方を開けるべき
エレベーターで降りる際に「閉」ボタンを押すべき
電車ではしゃべらないべき
このようなことをメディアが煽っているように思う。
鬱になるためのネタは尽きないのが現代社会の構造
鬱になってからの再生
これこそ今の日本の喫緊の課題であると思うが、意外に取り上げられない。
このような作品はそんな社会問題を明確化してくれる。
割ときれいな感じでまとめられているが、実際はもっともっと深刻なのだろう。
鬱に切り込んだことに、意味はあったと思う。
映画というより鬱病体験記かな
映画やドラマの楽しみって「どれだけ入り込めるか」だと思うんだけど、この作品はそういうんじゃなくて「鬱病とは?」みたいな内容だと思いました。鬱という病気を知りたい人、鬱かもしれないと悩んでいる人、既に鬱病にかかってしまった人、など鬱病に関してなんらかの情報を得たいと思っている人にはうってつけの内容だと思います。しかし、自分にとってこちらの映画の内容は、既に知っていることだらけだったので、とくに感動するようなこともなくつまらなかった。ただ、堺雅人さんの演技はさすがですね、おもしろかった。宮崎あおいさんはいささかキレイすぎてリアリティに欠けるかも。こういう題材の場合、もっと普通感がある女優さんのほうがより現実味が増したと思います。
堺雅人さんの安定の演技
堺雅人さんの安定の演技に見ててほっとする。
そして、こういうグラデーションの感じでうつになっていくんだろな、というのがよく伝わってきた。
堺雅人さんの演技はほんと邪魔しないね...そういう人物として集中して見てられる。それなのに唯一無二の堺雅人の個性を感じるから良いなあ。
頑張り屋さんと、ゆるめの奥さん。このバランスの二人でよかったね。
二人とも頑張り屋さんだと、二人ともポキンとなっちゃうかも。または責めたり、休むわけにはいかない、なんとかならないか、ともっともっと深刻になっちゃうかもしれない。
でも今作のようにいい意味でほどよく「適当」ができる人、比較的マイペースな人であることは救いだったんじゃないかな、と思う。
「大丈夫だよ、休もうよ」
「なんとかなるよ」と本気で思ってくれている人の存在はでかい。
鬱になる人は「自分がしっかりしなきゃ」と自然と人一倍思ってる節があるから、妻が「どうしよう」となっていたら安心して休養できなかっただろう。
それにしても、本当に日本の社会で鬱になったらどうしたらいいんだろう。
「ゆっくり休養が必要」なんだけど、ゆっくり休養、物理的にできるのだろうか?休むための生活費は、大丈夫なのだろうか。
金銭的な不安が、しんどいときにさらに心にダメージを与えるよね。
元々ケセラセラではない国民性もあるだろうけど、今この現代社会で、休む、ちょっと休止、ということが物理的にも心理的にも、簡単にできるとは思わない。
すぐ後ろには崖があって、走るのをやめると落ちる。そんなベルトコンベアに乗ってるような。止まったら、それは死を意味する、みたいな。
日本で自殺率が高いのも、「もうこれ以上どうしようもない」というGAME OVER感があるんだろうな。リセットボタンを押すように、自殺を選択する。
...と、考えれば考えるほど鬱々としちゃうけれども、事実でもある。
なんとかなるよ、と支えてくれる人が身近にいたことが、この「ツレ」さんの最大のラッキーだったと思う。
うつになったら、なりそうになったら、ストイックな人や言葉からはできるだけ距離を置いて、
良い意味で「適当」で、生きれている人の近くにいること、関わることがとても大事だと思う。自分もそういう友人に救われた。
何をしてくれたわけじゃない。その人はただ食べて、寝て、好きなものを見て。〜すべき、ではなく、ただただ本能のままに生きてた。まるで猫のように。そんな友人と何日か過ごしていると「そっか。人間本来これでいいのか。」と思えるようになった。完全ではないけれど、凝り固まってた「〜しなきゃ」が少し、ほぐれたように思う。
「うつになる」ということは実際辛いことだけど、
「そのままの生き方だとこれ以上無理だぞー。生き方変えろ〜」という心身からの強制STOPだと思う。何十年も積み重ねたライフスタイルや考え方を変えることはとてもハードなことだけど、必ず、その後の生き方が前よりも生きやすくなったと、ゆっくりだけど感じられていくはず。
作品中でも
「ツレがうつになった原因じゃなくて、うつになった意味を考えるようになった」と言っていた。そう、きっと鬱になったのはこれからの人生もっと楽に生きていい、そのための微調整する期間。
パソコンがアップデートする時、いったんシャットダウンして再起動するように、どうしてもシャットダウンは一時、必要なんだろう。
・・・
「休み、は休むことが宿題なんだよ」
「あ...焦らない と...特別扱いはしない で...できること・できないことを見分けよう」
うつ病と夫婦愛 できないじゃなくてしない
口じゃなくてハシゴ
ほんわか
うちもツレが躁鬱になってしまって、これはHuluで観れると知って観た。
鬱より躁鬱のほうが重いらしく、自死の可能性も大きいらしいので、我が家の暮らしに比べると、この作品はまだ羨ましいほうに見えてしまうのは不思議なもんで…。
でも、非常にわかりやすく映し出されてて、多くの人に観てもらいたいのは山々なのだけど、でも結局こういう作品を観たとて鬱への偏見は拭えない現実にもどかしさはある。
私にも持病があるのだけど、やっぱりたまにTVなどで特集されてても、みんな「あぁ可哀想に…私はこの病気じゃなくてよかった」くらいにしか思ってくれないのが世の現実なのである。
世の中には病人には「可哀想」という感情はあっても、「助けてあげたい」までは思わないもんです。
差別もそうです。
自分がやられて初めて気持ちがわかるんですよ。
この世、特に日本ではほとんどがブラック企業と言われてます。
この病にかかってしまう人が後をたたないのに、鬱になったヤツはそいつの運が悪いくらいにしか思ってない国民です。
働け働け!!って奴隷のように扱い、楽して金儲けしたいが為に従業員に働かせる経営者が多すぎる。
そんなヤツはこの映画観ても、何も学ばないんだろうな…。
だから、これくらいのハッピーエンドっぽい感じで終わらせるしかないのかもしれないですね。
あんまり暗くしてもしょうがないからね。
温かな夫婦愛の物語
過去鑑賞
観る日や時間を選んだ方がいいかな
うつ病への理解
うつ病は心の風邪
加茂クリニック→加茂大学病院
堺雅人はこの映画のすぐあと、鍵泥棒のメソッドでも主演。
田山涼成の診療所の名前は加茂クリニックだった。鍵泥棒のメソッドで香川照之が入院したのは加茂大学病院だった。加茂つながり。なんでだろう?偶然ではないと思う。
宮崎あおいのヘアスタイル(クーニャンのお団子ヘア)がかわいかった。
イラストもとてもほっこり。
イグアナみたいに重なって寝ている夫婦いいねぇ。
でも、結構ダメ嫁だった。朝起きない。旦那の朝ごはん作らない。旦那のイビキに鼻をつまむ。話し方もタメ口。ウチのツレと同じだわ。ウチのツレも26歳のときはかわいかった。あれから30年。
病気になってもちょっとツレなかった。うつ病とわかってからはかなり勉強したのね。
病気になったときに親身になって、仕事辞めなよって言ってくれる身内は有難い。
講演会のスピーチのあ・と・で
焦らせない。特別扱いしない。出来ることと出来ないことを見分ける。
どんな病気のときでも当てはまる優しさの基本だと思いました。
原作のエッセイが重く感じることがなくほのぼの読めていたので、映画は...
妻がうつ病である私から見た映画の総評
うつ病については非常にライトに描かれている映画であると思う。現在、妻がコロナによってうつ病となり16ヶ月ほど経つ。サポートしてきた身として、実際はこれよりもっとシリアスで、重く、苦しい病気ということを世の中の人たちには理解して頂き、周囲に罹患している方がいた場合はその人を否定する事なくサポートをお願いしたい。この映画で言われている「うつ病」の大まかな症状(自殺観念、泣きたくもないのに涙がでる、外を出歩くなどすることに対して疲れる、過眠、不眠など)や現在「うつ病」の原因として考えられているセロトニン不足、療法については簡潔に纏めてあり非常にわかりやすい。うつ病を知らない人にとってはどういうものなのか?という事がなんとなくわかったのではないだろうか?
映画に出てこなかった(出てきたが軽く流されていた)辛い症状を上記に付け加えると、うつ病患者はには3大欲求が薄れている事が多いため、薬が合わず寝れない、食欲が無く食べない事が多々ある為病状が中々良くならない、(個人差はあるが)抗うつ薬の副作用で性欲がなくなる為パートナーとしてサポートしている側は地獄。この様な点も頭に入れておきたい。
さて、ネタバレしない程度に映画の内容を総評すると、内容についてはライトではあるが要点は押さえており非常に親しみやすい内容であった。
堺氏、宮崎氏の演技も流石、うつ病患者をサポートする身としては二人の演技を見て、その姿を自分達と重ね合わせる事で自然と涙がこぼれる。
終わり方には、少し違和感を抱いたが観てよかったと思える映画であった。
映画でのセリフと被ってしまうが、数年後にこの映画を妻と二人で見て「こんな似たような事あったよね」と笑い飛ばせる様になってれば嬉しい。
宮崎あおいみたいな奥さんが欲しいなぁ
温かい夫婦愛の物語
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