神々と男たち : 映画評論・批評
2011年3月8日更新
2011年3月5日よりシネスイッチ銀座ほかにてロードショー
苦悩と深い思索の果てに表出された人間の貌の美しさ
フランス映画にはブレッソンの「田舎司祭の日記」、 メルビルの「モラン神父」といった聖職者の日常を通して信仰の問題を提起する日本未公開の名作がある。1996年、アルジェリアで起きた武装イスラム集団によるフランス人修道士の誘拐・殺害事件を題材にしている本作も、この地味で伝統的なジャンルの系譜に位置する秀作である。
映画は、事件の真相を暴露し、追求するという政治的な意図は皆無で、フランスとその旧植民地アルジェリアとの根深い錯綜した関係、さらにイスラムの教義にもあからさまに言及することはない。
ただ、ひたすら9人の修道士が日々行う礼拝、祈り、労働、地元民との親密な付き合いを淡々と描き出す。この一見、退屈で単調にも思える生活のディテールの反復そのものが、彼らにとってはかけがえのない聖なるものの顕現=エピファニーにほかならないことを徐々に明かすのだ。
「恋をしたことある?」という若い女の問いに、老いた修道士が「何度もね。でも、60年前にもっと大きな愛が訪れた」というさりげないダイアローグが染み入ってくるのである。
内戦の激化によってテロが頻発し、修道士それぞれがアルジェリアに残るかどうかの決断を迫られる。彼らは恐怖や怯え、動揺、逡巡、悔恨を率直に吐露し、結論を導き出す。礼拝室でワイングラスを手に<最後の晩餐>が行われるが、ここで彼らが見せる表情がすばらしい。これほど、苦悩と深い思索の果てに、敬虔なる美しさが表出された<人間の貌>のクローズ・アップを見たのは、ほんとうに久しぶりである。
(高崎俊夫)