ダンシング・チャップリンのレビュー・感想・評価
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いいわあ、これ!!!
チャップリンはほとんど観ておらず、バレエもほとんど知らない俺なのに、これぞチャップリン、これぞバレエ、という気持ちにさせてくれる。これこそ、ドキュメンタリーの醍醐味ではないだろうか。
そしてまた、"作品を作りあげる人" という、同じ立場の、監督と振付師が言い争う 「警官のシーンを、野外で撮影するか否か」も、プロフェッショナル同士の、譲れない主張であり、その結末がどうなったかを、後半で確認するのも観客の楽しみ。
作り手も踊り手も、プロばかり集まる真剣さ。だからこそのものづくりの楽しさが、前半の画面から滲み出る。劇を作る、バレエを作る、映画を作るということ、そういう沢山のことが、適度な緊張感と共に、楽しく入っている。さらに、前半の練習シーンを見れるからこそ、バレエがスポーツであり、芸術であることが実感される。う〜ん、ディスイズドキュメンタリー!
先ほど警官のシーンの話を書いたが、前半の練習シーンが、後半のどこに入っているかも、観客としては楽しめるところ。周防監督、上手だなあ、と心から思いました。
前半と後半の間には5分間の「幕間」があり、映画館では実際に休憩になりました。これは、終わってから気づいたのだけれど、とても重要。
映画だから両方観ている訳だけれど、実際には我々は、後半の作品だけを観る。それを、体験するためには、この幕間休憩で、前半をすっかり忘れて、あらためて舞台の最初から没入しなければならない。
なぜなら、後半の舞台にも、起承転結みたいな "流れ" があるから。俺は今回は、切替が上手くできなくて、後半の最初に停滞感を感じてしまったが、すごくすごくもったいなかった。これから観る人がいれば、是非伝えたい。後半は、これで一つの舞台です!
俺は、観てもいない「街の灯」で、ポロリと涙をこぼしちゃいました。チャップリンの映画も、ちゃんと観なきゃ!
追伸
これが、草刈民代の最後のバレエだったと、見終わってから知りました。
このまま聞いても、俺の心が乱れてる
映画「ダンシング・チャップリン」(周防正行監督)から。
映画の前半部分は「第一幕 アプローチ」
通常の映画では「メイキング」と称される部分。
後半部分が、作品としての「第二幕 バレエ」
映画だと言うのに「第一幕」と「第二幕」の幕間に
しっかり「5分」の休憩時間があるところが面白い。
まぁ、周防監督が奥さんである草刈民代さんのバレエシーンを
劇場で開催される公演記録としてではなく、
映画作品として残そうとしたところが斬新と言えば斬新。
振付師(ローラン・プティ)に映画の構想を語り、
意気投合して、一気に進めようとした監督に、
振付師は「私にとっては、映画化する意味がない。
そんなやり方では、やりたくない」とピシャリ。
このままでは、話が一向に進まないと判断した監督は、
通訳の人に、小さな声で耳打ちをした。
「ちょっと作戦立てるほうがいいかもしれない。
このまま聞いても、俺の心が乱れてる」と。
冷静さを失って交渉することの難しさを教えてくれた。
メイキングとはいえ、このシーンはインパクトがあった。
映画作品としての評価は分かれるところだろうが、
新しい試みとしては、面白かったのではないだろうか。
舞台と映画の攻防技。
名画座にて。
今作と往年のチャップリンの名作が同時上映、面白い試みだったv
映画の神様と謳われるチャップリンだが、私も彼の大ファンである。
映画という世界に私を導いたのは、かのJ・ディーンなんだけれど^^;
映画の世界を堪能させてくれたのは故・淀川先生とチャップリンだ。
思えば高校の教科書なんかでも取り上げられていたが(ライムライト)
泣いて笑って何度も人生勉強をさせてくれたのが彼の映画である。
で、そんな彼をモチーフにしたバレエがあったのを知らなかった^^;
1991年初演、R・プティ振付、L・ボニーノ主演のタイトルのバレエを、
今回周防正行監督が妻の草刈民代とルイジを共演させて映画にした。
第一幕と第二幕に分け、企画段階から~構想~練習風景の第一幕と、
本番舞台劇の第二幕、間に幕間まで入り、劇場に来たみたいだった。
非常に面白い試みだと思った。
しかし^^;
舞台と映画はまるで表現方法が違うことを勉強できる?作品でもある。
振付家のプティ氏は周防の企画になかなかゴーサインを出さない^^;
あくまで舞台劇にこだわる彼と、屋外で映画的にも撮ろうとする監督。
どっちがどう、というわけではないのだが^^;どちらの言い分も分かる。
舞台やバレエは人間を観るものだから、余計な背景・配色は要らないが
映画は人間を含めてすべての世界を観るものだから、背景も重要である。
何を観るのか観せたいのかで変わる設定空間を、周防は根気よく粘る。
振付家も意地がありますからねぇ^^;おいそれとは折れないだろうな、と
思いながら、でもせっかく映画にするのなら、違う試みも入れて欲しいと
私ならやっぱり思っちゃうなぁーと考えながら、、観ていた。
結果は…二人の警官。→警官たち。で堪能できるv
そしてダンサー達の息というか、合わせ方も難しいものだと分かった。
本当に何度練習しても呼吸が合わないとムリなものなのだということも。
ベテランと新人との違いをまざまざと見せつける結果ともなっている^^;
草刈とルイジの練習風景、ほのぼのとしながら肝心なところはしっかりと
フォローするルイジのアドバイスぶり(このヒト、還暦とは思えない^^;)
バレエ界のチャップリンだな、と思わせる人となりに気持ちが温かくなる。
何度も何度も繰り返しやり直しを続けて、いよいよ本番を観ることになる。
さすがに。。
バレエは(好き好きはあろうけど)素晴らしかった。面白かった。
草刈は本当に美しいし、ルイジはチャップリンそのものだった。
所々で彼女の身体を支えるルイジがいるのだが、あの歳で(ゴメンね)
堂々と彼女を支えているその軸足が、まったくブレていないことに驚いた。
安定感は素人の私が観ても分かるほど。ホント、さすがだ。ブラボー!!
実際のチャップリンも撮り直しが得意な(爆)ヒトだったらしい。
映画にはそれが出来るため、逆に弱点として取り上げた草刈の言葉が
とても印象に残った。舞台なら一度だけ、だから失敗しても記憶に残らない。
映画ではそれが効かない。失敗は失敗として何度でも上映されてしまう^^;
だから完璧なステップにしなければならない。確かに…本当にそうだなぁ。
プロの意識は常に高い。観るものに感動を与えるのはそういう姿勢なのだ。
(周防夫妻にはまた何か映画撮ってもらいたいですね。喜劇もいいかもよ?)
映画(≒チャップリンの滑稽)×舞台(≒バレエの躍動美)=(映画+夫婦)愛2乗
第一幕では、厳しいリハーサルと難航する打ち合わせ模様を、
第二幕では、総力を舞台に費やした圧巻のダンシングシーンとの2部構成で、ステージの表裏の一部始終を赤裸々にかつ、ダイナミックに銀幕に収めた力作と成っている。
バレエを扱った映画では、先日観たナタリー・ポートマンの『ブラック・スワン』の痛々しさが強烈過ぎて、バレエへの敷居の高さを痛感していたが、そんな苦手意識を払拭する面白さが詰まっていた。
チャールズ・チャップリンが築き上げたサイレント映画でのパントマイムと、舞踏だけで物語を表現するバレエとは楽しみ方が共有化しやすいジャンルであるため、直ぐに入り込めたのも大きい。
しかし、一番の要因は、プロフェッショナルに徹した周防正行&草刈民代夫婦に本物の完璧主義者の境地を陶酔できた事に尽きるであろう。
オリジナルを踏襲しつつ、映画の要素を取り入れ、単なる舞台中継にならないよう知恵を絞り、編み出した周防正行のプロットを、
草刈民代は『キッド』の少年から、『街の灯』での盲目のヒロインetc.幅広い役柄を天性の美貌とダンスで颯爽と舞い、見事に引き継ぎ、体現している。
主役のチャップリン(ルイジ・ボニーノ)に引けを取らない牽引力は、ナタリー・ポートマン以上に活き活きとした躍動美と妥協を一切許さない演技への厳しさを誇っており、2人の絆でなければ絶対に実現不可能だったと云えよう。
特に『街の灯』における浮浪者と盲目の花売り娘との結ばれない愛は、残酷な美に包まれており、無意識に鳥肌が立ち、涙が零れた。
つまり、2人の夫婦愛を舞台と映画を融合させ、計算すると、
映画(≒チャップリンの滑稽)×舞台(≒バレエの躍動美)=映画愛2乗
という方程式が成り立つ。
さすがに、『黄金狂時代』での革靴を食べるシーンや、『モダンタイムス』でのボルト発作etc.名場面は登場しないが、少しチャップリン映画をカジった者ならば直ぐに連想できるラインナップは映キチに嬉しい味付けだ。
緻密なディテールで織り成す2部構成のため、観客は長時間向き合うスタミナと集中力を覚悟しなければならない。
しかし、一級のエンターテイメント特有の心地良い疲労感に浸れるのは間違いない作品である。
では、最後に短歌を一首
『美と滑稽 舞台狭しと 喜劇王 銀舞い降りし 夫婦髭かな』
by全竜
民代さんが美しい。。☆=。。
プティの、「チャップリンと踊ろう」というバレエを、
ルイジ・ボニーノさんと 草刈民代さんで リメイクした作品。
第一幕がメイキング(約1時間)、第二幕がバレエで、
間に5分間の休憩があります。
バレエは、それほど思い入れがないうえに、
リメイクのほうがいいことって、まずないよね。。
と、思っていたのですが★
ボニーノさんの陽気なキャラクターと、
民代さんの、あの人間離れした可愛らしさがマッチして、
うお~~ 芸術~~ と、思いました。
個人的には、警察官のバレエも良かったです☆
周防監督の作品は、はずれがないですねvv ^-^
やっぱりチャップリン
こんにちは(いま4月17日11:48頃です)
この映画のテーマはいろいろとある。ありすぎるくらいだ。
たとえば、
①振付家ローラン・プテイとチャップリンの出会い
②ローラン・プテイと周防監督の芸術に対する葛藤
③ルイジ・ボニーノというダンサーの集大成であること
④草刈民代というダンサーのラストダンスであること
⑤チャップリンに対する周防監督のリスペクト
ちょっと上げただけでもこんなにあるのだ。
でも、僕はやっぱりチャップリンのことを書こうと思った。
それはこの作品のすべてのひとがチャップリンへのリスペクト
があって、そこから生まれたものだと思うからだ。
それはパンのダンスから始まった・・・
チャップリンの「パンのダンス」。クロワッサンにフォークを刺して、
左右の手を動かして、クラッシックダンスを踊るように見せる・・・
有名な場面だ。
ローラン・プテイは引退したチャップリンと出あったとき、食事の
とき何度も見せてくれた。あ~あ、やっぱり天才だと思った。
僕も思う。
単に機械の様に正確だというのではない。リズムに乗っているだけ
ではない。なにか、タメとか、マととかいった人間が持っている
ファジーな動きまで表現されている。
「街の灯」にはいつもやられる・・・
映画の終盤に出てくる「街の灯」の音楽・・・。
それだけで涙腺が緩んでしまう、条件反射のように。
こんなシーンがほかにあるだろうか。そう思ってしまった。
盲目の売り娘と錆びれた紳士の出逢いの場面
こんなに叙情性と哀愁と純粋な愛を表わした場面はない。
それは長続きしないものではないにしても、一瞬の輝きは
唯一無比な場面だと思うのだ。
天才という言葉には安易に使いたくはないが、
やっぱりチャップリンは天才というしかないと思ってしまった。
というわけで、映画も、あまり見る気もしなかったのだが、
ひさしぶりの感動を呼び起こしてくれたのでした。
美しい出会い
チャップリンとプティ、周防監督と草刈民代さんとの出会いが生んだ美しい作品です。
チャップリンの美しく優しい心の世界が広がります。生きる歓びと哀しみにあふれ、心が浄化されます。
バレエと映画が見事に融合して、泪がにじみます。
第一幕のプティと周防監督、ルイジと民代さんが作品を創り上げる苦闘も見応えあります。
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