ブルーバレンタインのレビュー・感想・評価
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どうして、タイトルがブルーバレンタインなのでしょうか。
彼氏と一緒に観ようと借りたのですが
予定が合わなくて一人で観ました。
正直、二人で観なくてよかったです。
どのカップルにも有り得ることなのに
私は日々忘れていたことでした。
けれど、それが恋愛ですよね。
けれど、なんでシンディはディーンが
嫌いになったのでしょうか。
私にはよくわかりませんでした。
彼自身の夢を失ってしまったからでしょうか。
もし、そうだとしたら彼の夢への炎に
水をかけたのはシンディではないでしょうか。
責任を持つことに、失敗は許されません。
ディーンはちゃんと闘っていたのに...。
また歳をとって
観たい作品です。
感じることが変わるかもしれません。
切ない…
DVDで2回。映画館で1回観ました。観るたびに感想が変わります。最初はシンディ最低だな、なんで気付かねえの?、2回目はディーン最低だな、なんでなぐっちゃうかな?、3回目は、やっぱ娘さんが一番かわいそうだなって思いました。観るとどっと疲れるので、精神的に安定してる時に観るのをおすすめします。
辛い
3年付き合った彼氏とこの二人のように別れたので、すごく心にきました(._.)出会い・幸せの絶頂期と、マンネリ化した夫婦になって喧嘩の日々を送っている現在のシーンが入り混じっていて、すごく辛かったです(;_;)
説得力がすごい!!
すごい映画だったと思います。
そしてこれを劇場で観てない自分を恨みます。
とにかく時間の経過に描写が上手くて、ビジュアル的な部分でも特に優れていたと思います。ライアン・ゴズリングの落ちぶれヤンキー感、奥さんの疲れ主婦感・・・老けたゴズリングのトレーナーが100点!!!
2人の出会いから崩壊までをトータルで考えると個人的にはライアン・ゴズリングの方に肩入れしてしまいます。
演出も長回しを上手く使って緊張感があり、また音楽の使い方も嫌味じゃないちょうどいいおしゃれ感で、映画のあか抜け方がハンパなかった。
どのシーンもリアリズムのせり出し方がすごい!!撮影裏話を知るとほんとに奇跡の1本だと思いました。
まいった。
やりきれない。。。
TSUTAYAでずーと全部借りられていましたが、みなさん軽い気持ちで見て落ちやしませんでしたか?
自分もゴズリング目当てでは借りたのですが、切ない、やりきれない系のお話です。
けど現実的な物語です。
現代を演じるゴズリング、役作りで髪の毛抜いてたらしいけど、あのあとちゃんと生えて来たか心配…
幸せな時間を維持し続けることは大変
時間の流れでどうにもこうにも止められないお互いの気持ちのすれ違いが痛すぎるけど、現実的。
若い二人もお互いに歳も取るし、それまで考えなかったことや、感じなかったこと、知らなかったことが二人の間の生活と心の中で起きてきてヒタヒタと変化していく。
全てのことを美しいまま留めておきたいけど、無理なこともある。無常感いっぱいの映画。
大切な人との一瞬一瞬が、かけがえのない時間なのだと感じさせてくれるお気に入りの作品です。
男と女ってそんなに違うものなのか
日常にありがちな、人間誰もが結婚すれば通る道的なものを見た気がする。何が悪いとかではなくて、何となく噛み合わなくてというのが一番やっかいでイライラするんだろうと思う。相手が自分の求めている相手像とそのままそっくり同じということもあり得ないし、相手の求めている自分になろうとするのも大変な努力がいるし。難しいね男と女は。友達と違うところって、相手に求めることの量の大きさだと思うね。付き合う、とか結婚するって互いに認めあったからにはそれぞれ相手に要求することが生じるわけで、なんとか互いに折り合いつけながらうまくやっていかなきゃ?なんだろうね。ずっと一緒にいたいなら。あー難しい。求めるものってやはり男女で差があるんだろうな。男はやっぱり女性の美しさだったり優しさだったり、女はもっと現実的で安定した収入だったり清潔かんだったり… こうみるとやはり男の方が気楽で羨ましいと思ってしまうのは私が女だからだろうか。そうやって男女が役割担ってぶつかりあいながらも未来に子孫を残していくんだろうなぁ 難しいなぁ
すごくよくわかるけど、映画ではみたくない感じ。
予備知識ゼロで見たので、すごく凝った演出に加え、外人の顔の見分けがつかなかったので、最初の方はよくわからなかったけれど、最後の方で、意味がわかった。
意味わかったけど、リアルすぎて見たくない感じです。この映画に出てくる夫が、不憫すぎて、見ていられないです。
ちょっとその後をにおわすくらいで、結婚のところくらいで止めてほしかった。
この映画の場合、夫の方は悪くないです。まわりから見たら、どうしようもないダメ亭主で、暴力男みたいに見えるけど、ぜんぜんそんなことない。
というか、すごくいい人。
100対0とは言わないけど、ほぼ女性の方が悪い。
13歳で初体験、まだ高校生なのに、男性経験25人ってすごすぎるような気がする。(セミプロ級だと思うのだけれど、今では普通なのかな?)
この女の人、最初から夫のことを愛してないような気がする。
自分ひとりで、子供(親は夫ではない)を産むのが怖いのと、世間体をよくする為に、都合よく利用したのではないのかな?
最初はよくても、結局いやになって、のどもと過ぎれば熱さ忘れるで、体裁よく切られた、ということのような気がする。
このケースだって、離婚した後、妻の方は「どうしようもなくダメな暴力男だった。」と言うのだろうし、夫の方は「自分がダメだから、女房に逃げられた。」と言うしかない。
世の中の離婚って、だいたい表向きは男が悪いみたいになっているけど、実際は女の方が悪いことの方が多いと思う。
なんとなく「男はつらいよ」とか「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を思いだした。
結局、モテナイ男は、一生、結婚しようがしまいが、どこまでいっても「ボーイズ・オン・ザ・ラン」ということなのかな?
恋は錯覚か、永遠の恋は存在しないのか?
ディーンとシンディ夫婦は、ひとり娘のフランキーと3人暮らし。
結婚のいきさつを観るといかにも良い男(ディーン)と言う印象。
教養はなさそうだが、シンディのおなかの子供が自分の子供では
無いかもしれないと打ち明けられても、彼女を捨てることなく
プロポーズするのですから。それに感激し、この人といればきっと
ずーと幸せな毎日が望めると確信し夢中になるシンディ。
結婚後も変わることなく子供を愛し、妻も愛し一家を困らせるような出来事は見当たらない。
しかし私もシンディ同様失望した。なぜなら妻の前ならどんな格好でもいい(むさ苦しいTシャツによれよれのズボン)仕事は適当にし、家族を一番に考えていると自負するディーンの自己愛と身勝手さ、
見苦しい部分もすべてさらけ出せるのが夫婦と考えているのもおかしい、夫婦の会話の中でもそれは垣間見れる。(このままだと壊れてしまうと言う危機感がディーンにはまるでない)
シンディは勉強家で働き者で美人。しかし結婚してからの彼女はやつれた感あり。もっと自分の仕事や生活の向上を理解してくれる男のはずだったのに、(ここからはシンディの傲慢なところかもしれないけど)同じ方向をみて歩いて欲しい。
夫にも自分の才能を活かし、違った自分を見つけてほしい!婚後も活気ある男(人間)を望むのは女だけでしようか? それを職業として働けとは言わないけれど・・・。
結婚と言う形を叶えて、その時のままの愛情を注げば女は満足すると男は思っているようだけど、それは違います。
女の愛情の形は進化するのですよ。結婚年数、年齢その他もろもろで。
愛を取り戻したくて提案した安ホテル(妻だからどんなホテルでもいいと思うのはどうかな?)での一夜は虚しさと怒りだけで2人でいても孤独でしたね。
そして妻の病院にまで乗り込んで行くディーンは最低でした。
最後の話しあいの時、「どうすればいいんだ。教えてくれ」と必死にシンディに問いかけますが、あれは後の祭りと言うものです。
私この映画で宿命みたいなもの感じました。
どちらが悪いということではなく、本来男と女は違う生き物なのでしょう。だから謎であり魅かれ合う。
許しあったり、慰め合ったりできればいいのですが、夢(悪魔?)のささやきはやまない!
究極を求めなければ、続けて一生を添い遂げられる2人だとは思いますが・・・。
それにまた違う男と一緒になる事があつても、すべて満足という訳にはいきませんよね。きっと。
取りとめなく書きましたが、現在と過去を程良くリンクさせ、出会いからは破局まで丁寧に掘り下げ、
ふむふむうーんと唸らせてくれる映画で、男女の考え方の違いにほくそ笑んだり、共感したり、
怒ったりしながら最後まで楽しませて貰いました。
男と女、難しい愛の形
例えば、男は結婚生活が幸せだと感じても、女は息詰まりを感じる。
例えば、男は女に家庭に留まって欲しいと思っても、女は物足りなさを感じる。
ちょっとした男と女の考え方の違い。
愛し合って結婚しても、そんな些細な考え方の違いが、やがて決定的に大きくなる。
それを隠すかのように平穏で幸せな生活を続ける姿が、痛々しく、何処か緊張感みなぎる。
過去と今が交互に展開する構成が、哀切をより強める。
愛し合って結婚して子供も産まれ、幸せに暮らしました…とは、理想に過ぎないのかもしれない。
愛とは決して簡単ではない。
ライアン・ゴズリングとミシェル・ウィリアムズ、旬な二人の演技が素晴らしく魅力。
恋は覚めるもの、結婚は現実に生きる事、ピンクの恋は現実に触れるとブルーに変色する!
「ブルーバレンタイン」正にこの映画は題名が示す通りに、限りなく「ブルー」な日々へと向かって行く一組の夫婦の日常の物語を淡々と描いていく様が切なくて、観ている方の私は只黙って画面を直視しているのも哀しくなってしまう衝撃の作品だった。
ラストは、落ち着かない気持ちになって、やっぱり二人はダメだったか・・・出直せないこの二人の結末には、ハッピーエンドになる事などは決してなりえない話であるのか?と哀しいため息が思わず、漏れてしまうのだった。
この広い世の中で運命を感じる人との出会いとは、始めて出会ったはずであるのにも関わらず、何処かで、過去に出会っていた様な錯覚を憶えてしまう程のディープな感情を持つ事も決して珍しくはない男と女の関係を指しているのだろうか。
その彼らがお互いの未来の生活に情熱を見出し、意気揚々として、幸せの絶頂を体験してしまうと、その後に訪れるのは、やはり下り坂しか有り得ないのだろうか?
運命の出会いを遂げた二人が、晴れて無事に結婚をして、家庭を築いて行くと言う事であっても、結局日常生活を送ると、結婚の誓いの言葉の様に、どちらか一方が先に死ぬまで、添い遂げる事は建前になってしまうのだろうか?其れほど、一緒に一つ屋根の下で暮して行く事は困難なのだろうか?この映画は生きて現実生活を営む事と恋の違いを語ってくれるのだ。
ディーンは、シンディーを大切に思っているし、彼は、一人娘のフランキーをこよなく愛し大切にしているのだ。しかし、ディーンとシンディー二人の間には少しずつ、溝が出来て二人の気持ちが再び重なりあう事は決して無いのだった。
この映画を観ていると、結婚する二人にとって何が一番大切であるのか?と言う事を二人の姿を通して語ってくれるのだ。
ディーンとシンディーの二人は、生きて行く過程に於ける価値観が全く最初から、水と油であった事は明白である。しかし恋は盲目なのだ。二人の価値観の相違は恋する二人の気持ちで乗り越えられると錯覚してしまう所に、落とし穴と言う二人の悲劇があるのだ。
しかし、人間、特に夫婦が永年一緒に連れ添うと基本的な考え方などの人生の価値観も同調して来て、最初はお互いに価値観の相違が有っても、何時しか同じ価値観へと変化し、融合していってしまうのが普通である。全く同じには成れないものでも、ほぼ似て来る事が常である。その似て来た者同志が夫婦とだと思うのだが、でも離婚の理由のトップは、俄然、性格の不一致、生活感の相違と言う点に尽きるのだ。
しかし、時々時間経過と共に二人の中が融合して行く方向で、良い変化が起こる場合と、稀に、時間経過により、余計に二人の違いの部分が肥大化してしまう事が有る。何故この違いが生れるのか?それは夫婦とは、所詮は他人が一緒に生活をしていく事だと割り切って、生きる事無くしては、添い遂げる事など、出来る筈も無いのだと言う覚悟の欠如だと思うのだ。人生の目的などに対する価値観が同じ様なヴィジョンを描く事が出来ていないと、決して結婚生活は成立しないと言うお話なのだ。愛と言うより、出会った時の感動は、日常生活の中で、忘れ去られてゆく。恋は落ちるものと覚悟が必要と言う現実のお話だ。
感情移入
私は、映画はどっぷり感情移入して観るタイプなのですが・・。
感情移入して、こんなにつらい映画はない。
恋の始まりの盲目的な幸せと、情愛にしがみつく別れへの(むしろ嫌悪の)道のりを交互に体験させていただいて・・。
自分の様々な体験も自然とプレイバックする。
誰にでも訪れる恋の始まりと愛の終わり。
スタートからゴールを同時にたくさん体験できる、まるで何本かの映画を観たような満腹感がありました。
素晴らしい映画です。
間違いなく18歳未満(だと思う人)禁止
オンナの人は彼との関係でダメだと思ったら
「もうダメ」
と言う生き物で、
オトコの人は、ダメだと思ったら
「変われるから」
と言う生き物
というんを実生活だけでなく、映画でも教わってしまった。
そんな二人の出会ったころの美しさ、はかなさはエンドロールの映像のごとくである。思い出だけがきらびやか。
愛犬が行方不明になってから、二人の決定的な結論に達するまでたったの1日しかたっていない。
しかし数多くの回想の中で二人がずれていった僅かな違いをさりげなく見せて、その1日が最後のボタンの掛け違いに気づかせる1日となる。
主人公男女のキャラ設定がオクサンのほうが、かなり具体的である一方、ダンナのほうは、ほとんど彼自身がセリフで語った程度の設定しか見せない。
オクサンの設定は、エリート大学付属女子高校生って、「はいはい、こんな感じ、こんな感じ」と共感してしまったけどね。
ダンナの設定が抽象的なのは、これはオレの推測だけれども、最後の「1日」を迎えたオトコの取る行動は案外みんなああなのでは、という作り手の意図なのかも。
既に「終わっていること」に納得するのはとっても無理なんだけど、それでも大事な話を2人でしたい、というときはさすがにラブホテルはまずいよな。
でもオトコって悲しいかな、そういう「ノリ」というか「感覚」なんだよ。
「(500)日のサマー」で
「浮かれてんじゃねえ、テクを磨け」
とレビューしたが、アレを観て直後にコレを観ると、18歳未満の人はさすがに
「じゃあ、オトコって何をしたらいいんだよっ」
と泣いてしまう人もいるかもしれないので、観ないほうがいい。
かといって、「普通じゃん、こんなの」と言ってしまうのも、オトコとしても、映画を楽しむスタンスとしても、果たしてどうかとも思うけどな。
巧みな編集と、主役2人の役作りだけでおなかいっぱい。
さらに映画を鑑賞したあと、映画について語るのが大好きな人にとってはこれ以上の映画は無いんじゃない?
これ以上書くと、恋愛マスターかよ、と知人に今度こそ笑われるので、この辺で。
二人三脚
他人と他人が出会って家族になる。同じ季節を先の何十年“健やかなるときも病めるときも”ずっと一緒に生きていくことの素晴らしさ。それと同じくらいの大変さや難しさ。
本作は後者にとてもリアルにスポットライトを当てています。リアルさにより拍車をかけてたのはミシェル・ウィリアムズが“お母さん体型”に仕上げてきていたこと。体型だけでなくM・ウィリアムズが持つ色んな魅力を抑えての好演が素晴らしかったです。
【映画論評】にも書いてありましたが私もこの映画を観てすぐに“愛するというのはお互いを見つめることじゃなく一緒の方向を向いていることである”という言葉を思い出しました。
私の結婚願望の薄さはこういう風になってしまうことへの怖さというのも多少影響してたりするのでなんだか胸にチクチクくる物語でした。
愛がないのは嫌だけど愛だけでもやっていけない。
この夫婦は“若気の至り”というオプションもついていたけど、(妻の気持ちもわかるけどこれらがあるから彼女には共鳴はできない)“価値観の違い”なんて違う人間なんだから長く一緒にいれば誰にでも起こりうるすれ違いの種。
それが拗れると二人のように出会った頃の魅力だと思ってたことにいつの間にかイライラしてたり、ああして欲しいのに、なんでそうなの?と自分のことは棚に上げて相手の長所より短所ばかりに目がいったり、気持ちを押し付けてしまったり、同じ音楽が虚しく響いたり、あの頃とは違う意味で二人して泣いたり。
この二人もまだまだ歩み寄って自分たちだけの形を作れたように思うけど、それもこうやって遠くから見てるから言えることなのかも。他人からみたそれと当人達のそれは全然違う。
人と人が出会ったりくっついたり別れたり。ただそれだけのことなんだけど、ただそれだけの間にどれだけ縦にも横にも心が揺さぶられることか。二人に共感できなくてもこういう気持ちなら多くの人が痛いほどわかる。
好きな話ではないけれど誰もが「あー。。」ってなっちゃうような生易しいだけじゃないリアルな人間や愛の物語というのは貴重だと思いました。
愛の無常
オレから見れば、あんなに真っ直ぐ奥さんを愛して娘を可愛がっている立派な男にそれ以上求めるものなどないくらいだとしか思えないんだけど、それでも別れを告げられてしまうなんて無常としか言いようがない。
愛では変わらない価値観。
名画座にて。
ある意味若気の至りでああなってしまった(結婚)二人に対して、
だからやめときゃ良かったのに!と言いたくなるのがオバサンの私。
そもそもこの二人は出逢い(は、仕方ないとして)から現在に至るまで
愛し合っている?とはとても思えなかった、私^^;
子供を産んで育てるということは、実は(でなくても)とても大変だ。
そこへ自分に愛情を寄せてくれる男、守ってくれる男、優しい男、が
現れれば、頼ってしまっていいかも~♪なんて思うのかもしれないが、
それは、大きな誤算でございますぞ。そうでしょ?シンディさん…
そもそも私はこのシンディの生き方にまるで共感できなかった。
両親が不仲だからお婆ちゃんの面倒を献身的に看ている、一見すれば
とても健気で可愛い女性に感じるのだが、彼氏とは何で別れたワケ?
つまりあの一回(子供ができた)が原因?…なら、話し合いなさいよ~。
別れ話もせず逃げて、子供も堕ろさず、傍にいた自分オンリーの男を
スッと選んで結婚するのが悪い。どう見ても、生き方も価値観も違う、
不仲の両親の行く末を暗示するかのようなカップル誕生が、あの時点で
見てとれたのは私だけ…?ではないと思うんだけど^^;
夫より頭がいいはずなのに(医療従事者になるし)なぜ考えなかったのか、
…まぁそれが、若気の至り。となるわけなんでしょうけどねぇ。。
ただまぁ、結婚なんてしてしまえばこんな問題は幾らでも出てくるもの。
こんなヒトだと思わなかった!まさかこんなオンナだったとは!って^^;
…要はそこからの努力がモノをいうんだけど(爆)
その努力、っていうのも二人の価値観相似が最大効力を発揮するもので、
つまり、何だかんだ言ってもピッタリ合う二人。でないと超難題なのだ。
この二人は、まだそこまでお互いが分からないうちにそうなってしまい、
子供の世話や日々の生活で何やかやと過ごすうちに、段々ストレス山積、
せめて私の思う夫に!なんて願望を口にしたところで、元々この夫には
上昇志向なんてないのだし、妻は…もともとこの夫を愛してなかった?と
(愛していると勘違いしている)思えるところから、あーあ…という展開に。
妻の言動、例えば…
子供の父親である元彼の出現を、夫にあのタイミングで話すところもヘン。
その後描かれる過去を観て、夫の決断を考えればあまりに思いやりがない。
もう愛してないの。を地で示しているとしか思えない^^;
子供は可愛がるし(ホントの父親同然に懐いている)、無気力で自堕落な
夫の性格を我慢できれば(つまり妻がバリバリ働いて今後も養うとかね)
違った形で夫婦は続いたのかもしれないが、何をやっても抱かれたくない
妻を夫が無理やり押し倒したところで、もう無理なものは無理。
愛が冷めるのはスープより早いのかも^^;女ってこういう思い切りが早い。
可愛い子供は別として、
どっちもどっちだ。どちらも悪い。どちらも正直。どちらも子供。そして、
一瞬のときめきを一生のきらめきだと勘違いした者同士。
例えば娘を産んでからも付き合い続けて、何年もお互いを見つめ続けて、
それでもこのヒト!!と思ってからの結婚で遅くはなかった。
無理やり親子になるよりも、無理やり愛そうとするよりも、もっと自然に
ヒトを好きになる時は好きになれるものだ。相手の価値観や欠点や誤解を
たくさん知って、見続けて、挫折もして、たくさんの辛い経験を経てもなお、
別れたくない。このヒトでなければ!と思える相手と結婚できたら一番だ。
しかし、やや観づらい画面でございました…^^;
(離れることも一つの挑戦。自分の気持ちと向き合うことが大事。だものね)
哀しい悲劇の物語ではない
映像がきれいで、劇場で見て良かったと思った。テンポが良く、112分も長く感じなかった。劇的ではなく、リアルに淡々と時間が流れて展開していくのも、現実的な愛のむずかしさという内容も、個人的に好き。
特にいいと思ったのは、過去と今のシーンのつなぎ方。過去のシーンの映像が、現在二人が話している内容の説明としてただ入れられるのではなく、演出で上手くリンクさせてつないでいた。
見終わったあと、せつない、哀しい、でも哀しいだけじゃない、どうしようもないけど救いようがないとは違う…など色々感じた(曖昧)。
作品紹介の、「妻は一生懸命勉強して…努力家」というところは見るだけでは若干伝わらなかったので、評価4。
始まりと終わり
二人が出会って、恋に落ちて結婚するシーンと、倦怠期を迎えてお互いに不満を抱え、暴発するシーンが、代わる代わる描かれるところがとても印象的な作品。
最も幸せなシーンと最も悲しいシーンが同時に描かれるので、何とも言えない切ない気分になる。
確かに、結婚して子供もおり、時間が経ってくると二人の関係がどんどん変わってくるのは当然のこと。
このような結末になるカップルもいれば、単に相応に落ち着いていくだけの人たちもいる。
この二人の場合、単に心情の変化だけではなく、元々二人の間にあった様々な違い(学歴・職業・家庭環境等)が、愛情が落ち着いてきたことによって、包み隠せないほどに表面に現れてきてしまった感じ。
離婚を選択したのかわからないままだが、そうならなかったと思いたい。
彼が後向きで立ち去り、その後ろで娘が、I love himと母親に訴える最後のシーンが切ない。
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