星を追う子どものレビュー・感想・評価
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振り返って新海誠監督映画を見る楽しみを享受
新海誠監督による2011年製作(116分/G/)の日本映画。配給:メディアファクトリー、コミックス・ウェーブ・フィルム、劇場公開日:2011年5月7日。
新海監督による「秒速5センチメートル」(07)の後、「言の葉の庭」(13)の前の作品。実は2度目の鑑賞で、1回目の「君の名は。」直後の印象はジブリ映画みたいであったが、今回は「すずめの戸締り」の原型だったか!と感じた。
改めて見て、良く出来ている印象。秒速までと違って、キッチリとエンタテインメントになっていたとも。主人公の少女明日菜が走るシーンや彼女を助ける少年シンが馬を駆けるシーンに象徴される様に、映画に大きな動きが登場し、それが魅力に。作画監督としての土屋賢一氏の参加もプラスに働いたのかな。
宮崎駿の「ラピタ」の反対方向になるが、地下世界「アガルタ」という存在設定もスケール感があって良かった。裏設定の主人公がアガルタ人と地上人との混血児というのもgoodであるし、明日菜に懐きアガルダに先導するネコのミミ(アガルタの生き物?)の存在も効果的に思えた。「すずめの戸締まり」の白猫ダイジン造形の原型に思えた。また亡くなった妻を生き返らせる目的で明日菜とアガルタと一緒に行く森崎竜司は、「天気の子」の中年男須賀圭介の初代キャラクターに思えた。
監督新海誠、原作新海誠、脚本新海誠、エグゼクティブプロデューサー川口典孝 永田勝治 安田正樹 太布尚弘 喜多埜裕明、プロデューサー伊藤耕一郎 岩崎篤史 堂下律明 小川智弘、プロジェクトマネージャー川口典孝、脚本協力松田沙也、絵コンテ新海誠、絵コンテ協力西村貴世 丹治匠、演出新海誠、キャラクターデザイン西村貴世、作画監督西村貴世 土屋堅一、美術監督丹治匠、色彩設計新海誠、色彩設計補佐三木陽子 古川康一、色指定・検査野本有香、撮影監督新海誠、撮影チーフ李周美、3DCGチーフ竹内良貴、撮影粟津順 三木陽子 市川愛理 河合完治 竹内良貴 李周美 新海誠、3DCG粟津順 三木陽子 市川愛理 河合完治 竹内良貴 李周美 新海誠、編集肥田文 新海誠、アフレコ編集三ツ矢雄二、アフレコ録音山田陽、整音住谷真、
音響効果野口透、音楽天門、主題歌熊木杏里、制作コミックス・ウェーブ・フィルム、制作プロデューサー、伊藤耕一郎音響プロデューサー、小川智弘。
声優
金元寿子渡瀬明日菜、入野自由シュン/シン、井上和彦森崎竜司、竹内順子ミミ、折笠富美子明日菜の母、島本須美森崎リサ、大木民夫アモロートの老人、日高里菜マナ、伊藤かな恵セリ、浜田賢二僧兵隊長、勝倉けい子長老、前田剛明日菜の父、水野理紗池田先生、稲村優奈矢崎ユウ、寺崎裕香ミキ、金田アキ生徒、洞内愛生徒、堀籠沙耶生徒、土屋真由美生徒、
齋藤智美生徒又村奈緒美村人、長浜満里子村人、石橋美佳村人、緑川博子村人、本城雄太郎村人、下崎紘史村人、増田俊樹村人、大藪重樹村人、本道崇村人、藤原和博村人。
主人公(ムスカみたいな人)好き
主人公(ムスカ)がちゃんと初志貫徹しててよかった。
女の子はただ寂しくてどこでもよかったって
この年齢の複雑な感情を言語化してしまうあたり
大人の視点だなって感じでキャラが生きてないように感じて映画自体はあまりはまらなかった。
話とかオチの展開はドストライクで好きなのに映画って難しい。
脚本が好きなのにはまらない事もあるんだな。
演出のせいかな?
ジブリオマージュにほっこり(^^) でも「俺はシュンじゃない、シン(新海)だ」ちゃんと新海監督本人を見よう!
初めて映画館で見た時は、まだ新海監督が今のように有名でない時でした。
『秒速5cm』の美しさに魅了された私は、『言の葉の庭』公開時、監督のデビュー当時の思い出のつまった、とある小さな映画館で行われた、新海作品一気上映のイベントに行き、この作品を見ました。
とても美しくて、切なさのにじむ作品、でも見ながら妙にジブリの姿がちらついて内容に集中できなかった…(笑)
『君の名は。』からファンになった人には、「ちょっと雰囲気違う…」と感じるのでは。
監督がジブリに憧れと尊敬を感じるあまり、無意識に影響されてしまった、というよりは、むしろ、ジブリへのリスペクトを直接そのまま形にしたオマージュ作品。
登場人物の声、あれ この声?とすぐに気づく、島本須美さん(ジブリを代表する声優)と入野自由(ハク)。入野自由はその後の『言の葉』でも主役の少年だけど、そもそも入野自由が世間に認知されたのはハク役ですよね。 ちなみに『天気の子』でも、おばあさん役を 島本さんと ソフィー役の倍賞千恵子にオファーしてましたが、ジブリ愛(^^)が伝わるとともに、何か監督の深い考えがこめられてそうな起用ですね。
映画の始まりは、主人公はのどかな田舎に住んでおり トトロを彷彿とさせる村でサツキのような優等生として生きてる少女。ハイジぽさもあり、まだジブリ創設前の宮﨑監督へのオマージュも。
その後、平穏な日常に現れた影(クマ?事件)と 不思議な少年との出会いは、ほんのり 千と千尋のハクとの匂いがします。 猫?はナウシカのテトかなw
冒険が始まるとまさにラピュタの世界。 先生、ムスカだったなんて…。
少しずつ謎が見えてくると、むしろ もののけ姫。 シンがだんだんアシタカになります(笑)かっこいいぞ~。 伝説の神や怪物・番人などは、シシ神(デイダラボッチバージョンも含む)を彷彿とさせるイメージ、イ族は猩々に似てる。 命の危機で緑のどろどろスライムに包まれるのも もののけ姫やハウルなどジブリの定番ですね(笑)
目玉がいっぱいとか、形がちょっとエヴァンゲリオンで見たような画も(笑) まあ、エヴァンゲリオンは、新海監督の初期作品『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』、セカイ系として共通点多いし 似たような雰囲気の画も出てきますね。 (エヴァの庵野監督は ナウシカと風立ちぬの関係者だし(笑)
監督はジブリオマージュだと公言してるらしいので、むしろ、新海監督のジブリ愛にほっこりしながら あちこちにちりばめられた遊びゴコロを見つけてくのが楽しいかも(笑)最初に見た時は 何も前情報を知らなかったので、見てて戸惑いましたが(笑) TVなどで3回目みて、やっと落ち着いて見られるようになりました。
多くの人が 「既視感…これジブリのぱくりじゃね」 とちょっと冷めた感じで見てしまっているようですが、まあ ぱくり(盗作)と リスペクトを持ったオマージュとは 違いますし。 落ち着いて見てみると、絵も音楽も美しいし、心に響くセリフもあります。 批評ばかりせずに純な目で見ると、素敵な作品でした。
どことなく漂う ゲド戦記のような空気感… 虚無感や淋しさ、孤独を抱えて、登場人物はみな 強そうでもどこか儚い。新海監督は、淋しさを丁寧に描くのが上手ですもんね。そこが、芯の強いジブリ(宮﨑駿)作品とは違う。 (また、うろ覚えですが、新海監督の父親は大きな会社を経営してるとかで、後を継がずに自分の夢のアニメ監督をめざすには葛藤があったとか? ゲド戦記のアレンぽさは、ジブリに関係なく、新海監督自身から自然にかもしだされた空気でしょう)
他の人のレビューで、登場人物の行動原理が弱くて、感情移入も理解もできない、ジブリのような思想が無い、という意見がありました。その人、ジブリと比較しすぎて、新海監督を見てないなあと思います。
新海監督はいつも、等身大の現代の普通の思春期の少年少女、しかも繊細でややおとなしめ、心に迷いを抱えてる人達の感情を丁寧に描く。ジブリのような強いヒーロー・ヒロインではない。
一番描きたいものが宮﨑監督とは違うだけのこと。新海監督は新海監督。今作は見た目がジブリっぽさ全開だけど、中身はやっぱり新海監督なんです。
新海監督はきっと、悲しみや淋しさ、迷いの中にこそ人間らしさがあり、それを美しいと慈しみ、その感情の機微を大事に描きたいんです。でもセリフ説明は少なく、美しい風景の絵で。 登場人物が見ている景色は美しい。ずっと下ばかり見ていたら目に入らないから、人物は悲しい時でも希望は失っていないことも伝わってくる。そして登場人物が生きている世界は美しい。自分に悲しい事があっても、世界は終わらずに、美しく広がって続いている。新海作品はその描き方が魅力。 悲しさや切なさを抱えてる少年が、同じように淋しさを抱えてる少女と出会い、1人じゃないんだと知り、心が響き合う。その心の機微を美しい風景の中で描くBoy meet Girl物語、それが新海作品。今作はいつもの新海作品とちょっと違うけど、そのテーマは同じ。ジブリと違って思想が無い、なんて批判はおかしいと思う。一番描きたいものが違うだけなのだから。
「それは、さよならをするための旅。」
異世界で冒険し成長して帰る物語は定番だけど、今作は違う。たくましく成長した千尋と比較する必要なんてない。このキャッチコピー通り。大切な人の死を忘れるのではなく、きちんと悲しみ、悲しみと共に、それでも前を見てほほえんで生きて行くこと。さよならを言って、素直な自分を取り戻して帰ってくるための冒険物語だったんです。
アスナは十分強い子。がんばりやさん。でも幼い頃に父を亡くし、ぽっかり胸に穴があいて淋しさを抱えてる。でも母親の泣く姿を見て以来、きっと彼女は家でも学校でも泣いてない。必死でいい子を演じてる。 シュンが生きていると信じたい。不思議世界にいれば、生まれ変わりとか信じたくもなる。
シンは、能力も人望も評価される兄が死に、代わりに自分が頑張らなきゃと戦うけれど、比較され低評価でコンプレックスも感じてる。戦わなきゃ国を追われる、泣いてる時間はない。
アスナがシュンの死をやっと理解し、子供らしく泣きじゃくった時、シンはきっとアスナの淡い恋心を察し、また兄と比較されるコンプレックスも感じつつ、そんなことよりも、 能力評価じゃなくシュンという人間を慕うアスナの涙に、兄を慕うのは自分だけじゃなかったと気づき、素直に泣くことができた。1人じゃなく、一緒に。ここが大事な場面。
(無理にジブリと比較するならば、きっと監督は、姉としてずっと張りつめていたサツキが「お母さん死んじゃったらどうしよう」と泣きじゃくる場面や、張りつめていた千尋がハクのおにぎり食べて大粒の涙を流しながら、忘れかけていた自分の名を思い出す場面、好きなんだろうな)
有能な兄シュンと比較され続けるシンの言葉 「俺はシュンじゃない、シンだ」
シン=新海、と感じました。 そういえば シュン→ 駿という漢字はシュンともハヤオとも読めるんだよな? 漢字変換したら同じ字が出たぞ。 監督の遊びゴコロ?(^^) ここ気づいた人、レビューではほかに誰もいないみたいですが?私だけ?
シンをシュンだと信じたくて 何度も名前を間違えていたアスナが、初めてちゃんと シンの名前を呼んだ時、シンも初めて笑顔を見せてくれましたね。
もしかしてここ重要ポイントでは! 新海監督もきっと、駿監督に憧れ背中を追い続ける中、世間では必ず比較され、兄のように慕い尊敬しつつも、自分自身であろうと苦しんだことでしょう。 今作でジブリ(宮﨑駿)へのリスペクトを前面に出しつつも、それでも彼とは違う、自分は自分なんだ、と言い切ったのでしょう。ジブリと対比させるためにあえて、ジブリ風味を全面に出したのでしょう。レビューで言われてるような比較酷評は、きっと監督は最初から予想していたかも。それでもあえて作るという覚悟をもっていたのでしょう。『天気の子』でも、『君の名は。』とあえて同じシチュエーションを繰り返して対比させて描き、そこをディスる人はたくさんいたけれど、そんなのお見通しであえてぶつけてきてる、わりとニヒルな視野をもってる人なんだなと思います。最初は監督の作風から、思春期の少年そのままのピュアで壊れそうな美しい感性の持ち主、と思っていたけれど、やっぱりちゃんと大人で、監督という仕事をやり遂げるだけの強さをもった作家なんだなと思います。
他の人のレビューで、タイトルが意味不明だとディスってる意見を見かけましたが、私は別に違和感なかったです。 星って、そんな直接的に 天体の星のことだけを指すわけじゃないでしょ。
主人公は最初 きらっと光るものを見かけて、なんだろうと不思議に思ったのが すべての始まりですし、星のように光る光を追ってきたんです。 星は古今 夢や憧れの象徴でもあり、好奇心や不思議を追って 冒険の旅にまきこまれるきっかけになります。 そして死と生が物語のテーマであり、彼女も幼い頃に父親を失っています。 「人は死ぬと空の星になって ずっと見てるよ」「誰かが死ぬとき 流れ星が一つ流れるんだよ」なんて言い伝えを、誰もが一度はどこかできいたことあるのでは。 『星を追う子ども』って言葉を一言きくだけで、そういうイメージがぱっと広がるじゃないですか。
そもそも、映画も小説も歌もあらゆる作品が、本編に直接的でないタイトルをつけるなんて、ありふれてることなのに、そんなこと言う人がいるなんて謎すぎます…。詩を読んだ事とかないのかな…。想像力のかけらもない人なのかな…。謎。
きっと、その人は「この映画はジブリぱくり」と決めつけてしまってたのかな。ジブリ映画は あえてすごく直接的なタイトルをつけているけれど、 新海監督はそういうスタイルじゃない。 デビュー作『彼女と彼女の猫』は直接だけど。最近の『君の名は。』『天気の子』も内容と直結してわかりやすいタイトルだけど。 『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』『秒速5cm』あたりから知っていれば、新海監督は詩的な美しい言葉を好み、タイトルのつけ方に関してジブリとは違うスタイルだとわかるでしょうに。
ずいぶんと低く酷評されてる本作だけど、美しい映画ですよ。確かに、すごく面白い!とは感じなかったけど、新海作品はもともと、落ち込み疲れた時に美しい景色を見て 少年のモノローグにちょっと「自分だけじゃない」と心がやわらぐ…そういう作品。『君の名は。』でファンになって期待して過去作品を漁った人には受け入れられないかもしれないけど。
1つだけよくわからないとこ。森崎先生の過去。 森崎先生が夢の中で昔の記憶を見ていたけれど、異国風で現代の日本じゃなかった。(ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンの戦争時代みたいな)。
普通に現代だとすれば、自衛隊で外国で戦ってたのか? いやでも雰囲気的には、実は先生は昔アガルタにいて 地上人とアガルタ人の戦争に参加していて…な風に見えた。 アガルタ出身で地上に来た? 地上から 研究好きでアガルタにたどり着き 現地の女性と恋に落ちた?
妻の名はリサ? あの幼い子マナの母親はリナで父親は地上の人間のようだけど、名前を聞き間違えた?もしやあの子の父親が森崎先生? …ってあたりが謎です。誰か知ってたらヒントほしい。
山の少女、地底の世界を探検する
二時間。新海誠作品。星はでてくるけれども、星を追いかけるようなことはなかったように思われる。山の近くに住み、山に毎日でかけている少女が、ある少年と山の中で出会うことによって始まる冒険の旅。
特徴的なのは宮崎駿作品からの引用がかなり多いように見受けられたことだ。
ジブリ的な表現がいくつあったかというようなことを数えるのは無意味だ。原作が新海誠のオリジナルであることを考えると、かなり練られた物語である。
地底に、光が溢れていることが、まずわたしには違和感があったけれども、不思議の国のアリスの冒険を持ち出すまでもなく、地底に地上と同じような広大な平野や森や谷があってもいいのかもしれない。
そこは黄泉の国なのだから。
この作品の大きなテーマは、喪失されたものは、取り戻せないということだ。ラスト近くで、死者を蘇えらせる神に出会うけれども、わりと納得できる展開だった。
「いざという時猫も食べれる」
テレビにて鑑賞。ネットでも散見していたが、確かに今作品はジブリのパクリといっても過言じゃない内容であった。
それ自体は悪いとは思わないのも、他のレビューと同じ意見である。そして、ストーリーとしての“必然性”が無い故、共感性を抱けないのも同意見だ。まるで絵画の上で人物を動かしているような、チグハグでへんてこな動画も同意見。新海監督はこういうファンタジー世界を描くのは不得手なのかも知れない。リアリティの中にマジックのスパイスを垂らす程度で、もう少し情感を丁寧に織込む演出が合っているのだと思う。外連味あるデフォルメは他の監督に任せてもよいのではと、偉そうにほざく自分は何様だ(苦笑
追伸:『セカイ系』の一つのカテゴライズされた今作品のコンセプトに自分なりの思考をつま弾く。確かに、ネット上にて語られる定義は完全に自分の世界観に一致する。要は自分自身が『セカイ系』そのものだ。勿論、自分は世界など救える筈もないちっぽけな存在なので、今作品のテーマをそれ程念頭に置かずに鑑賞してしまった。“生と死”という人間の尊厳そのものに重きを置いていないことが自己分析できる。実際主人公の女の子は確たる革命的発想転換、思考転換を展開上示していない。あれだけの大冒険をした後で、しかし日常に戻ったら、母親に明るく「いってきます」の挨拶でエンディングだ。その心のヒダを読み取れないのは果たして自分がおかしいのか、それとも演出不足の今作品なのか、判断できかねる。例えば、エピローグに於いて、その後に成長した主人公がどういう進路を辿っての活躍なのか、異世界に留まった先生と男の子はどういう生活をしているのか、その二つの世界の関連性の表現等が添付されていたらもう少し強いカタルシスが演出されたのではないだろうかと思う。そこがないところに、今作品の『セカイ系』たる所以があるのだろうと思う。結局は現状維持が一番安泰。そういうところに親和性を感じてしまう自分は大変問題ある人間なのだとも自覚する。死者は蘇らせることは自然の摂理に反する、という観念は一般常識だが今の時代では論理として希薄とされる。その倫理観、道徳観を担保するには余りにも寂しい演出である。父親を幼少時に亡くした主人公、妻に先立たれた先生、兄を失った男の子、その喪失感を乗り越える葛藤の不足と、乗り越える成長場面を描かないのならば、いっそバッドエンドに落とし込んで欲しかったと思うのは自分だけだろうか。唐突に挟み込まれる、主人公と死んだはずの男の子の兄との部屋の中での語らいからの外界へ出るシーンも、その表現の意味合いが今イチ理解に難い。
ジブリを追う新海…
地下世界「アガルタ」へと足を踏み入れた少女アスナの冒険を描くファンタジー・アニメ。
監督/原作/脚本/絵コンテ/演出/色彩設計/撮影監督/撮影/3DCG/編集を務めたのは『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』の、日本を代表するアニメ監督の新海誠。
1人何役やるんだよ💦ジャッキー・チェンかっ!
新海誠監督のジブリへの愛が伝わる一作(笑)
宮崎駿と数々の作品を共にした名優、島本須美さんを起用するほど、その姿勢は徹底されています。
新海監督作品の持つ映像の美しさ、動きの滑らかさは本作でも健在。
個人的にはこの作品に120分の上映時間は長すぎると感じました。シナリオがかなり冗長だったと思います。90分ぐらいなら名作になり得た…かも?
冒頭から展開されるのは視聴者置いてけぼりのストーリー。
思わせぶりな登場をするが話にほとんど絡んでこない人物などが多く映画に没入出来ませんでした。
シンとシュウというキャラクターは一つにまとめることが出来たのでは?
イ族とアスナのファーストコンタクトの時、イ族がアスナを殺さなかったのは何故?
あの崖を道具を使わずに降りるのは、いくら特殊部隊の人と言えども無理じゃ…。そりゃ滑って落ちるよ。
てか、そもそもあの組織何?
などなど脚本にご都合主義的な感じがありすぎます。
でもクライマックスシーンは王道ながら結構好き!こういうのでいいんだよ、こういうので!
年末に録画していた地上波放送(秒速5センチメートルと連続放送)を鑑...
年末に録画していた地上波放送(秒速5センチメートルと連続放送)を鑑賞。新海監督作品は、「君の名は。」と直前に見た「秒速~」のみ鑑賞。この作品の情報は全く知らない状態で鑑賞。
他のレビューも、少し見ただけで「ジブリ」ワードが多いのでその辺りは多分同じ感想です。ラピュタ感すごい、そして脚本?設定?が粗い。細かい部分は割と好きな感じなだけに残念感。
■良かったところ
全体的に絵がひたすらきれい。だし音楽も邪魔にならなかった。(一緒に見た「秒速」は山崎まさよしの超有名曲とかリンドバーグとか、効果がよく分らん使い方されてるなーと感じた。に比べて。)
# ジブリのパクリ個体(神々が乗る船とかケツァルトルとか)ジブリ作品のスピンオフと思えばアリ。
■残念なところ
全体的に、ご都合主義に見えてしまった点。先生はともかく、各々(アスナ、シュン・シン兄弟)の行動動機が弱すぎる。
# イゾクの設定(最初、水中に飛び込んで追ってきてたやないかい、とか、最後はその場で喰らおうとしてたけど、最初どこかに運んでたやないかい、とか。)
# アスナを追う村人は、全員でシュンを相手してる場合ちゃうんちゃう?とか
# アスナは、結局「寂しかった」だけなの?で、それは最後、一人遊びを卒業したりとか何か解決したの?とか。
突っ込みどころは多いので、どれだけそれらを許容できるかどうかが評価の別れどころかと。
面影
テトに似た生き物。
もののけ姫に出てきそうな怪物。
ムスカぽいグラサンのおじさん。
飛行石みたいな石。
etc...
前半は色々混ざってる地中版ラピュタみたいなそんな印象でしたが後半はなかなか深かったかな。
奥さんとのやりとりは目が潤むものがあった。
名作『君の名は。』と比べてしまい。
日テレで放映された『君の名は。』の余韻がまだ残るような、『秒速5センチメートル』での不必要なキスシーンやニヒリズムよりも、健康的でハッピーエンドな倫理の克服の後で、前作のこの作品も、日テレが放映したものである。録画しておいて、こちらのほうが後の視聴となる。新海誠監督は私生活はどうだか知らないとしても、『君の名は。』までの作品の推移は学習されてより良い方向に
進んできた。だがその先は一体どうなるかはわからない。とにかく、『君の名は。』は推薦できるし、だから大ヒットしたのだろうが、欲を言えば、主人公は当然その道のプロ(笑)ではないため、緊張感を伴いながらもストリートで告白できるのはナンパなのかという問題は残していた。ちょっと違うのは、お互いが運命で結ばれていたところである。出会いの場所はともかく、運命の相手はいるという考え方で観るのが良いのだと思う。しかしどうしても2011年というと、東日本大震災を合わせて思ってしまう。5月からの上映らしかった。超人のイケメン男子が出てきて、「ボクは君にきっと会いに来たんだ」というセリフが出て来る。ここら辺は『君の名は。』のモチーフっぽく思ったが。この作品も死んだ人を生き返らせたいというどうしても不可能だと現実に思われることに挑戦しているようで、『君の名は。』では巫女が噛んで発酵させて作った酒が歴史を作り変える道具になっていたが、この作品ではアガルタとかいう場所に行けばそれができるらしい。主人公の少女の導き手になる先生とは何者なのか。何者かと言っても死んだ妻を生き返らせたいだけでアガルタについて調査したり、それに関連した組織に入ったりしてきたらしい。「だけ」という言葉だが、それが全ての場合もあるだろう。新海作品は他の作品も似ているのだが、それまで比較する能力は私には無い。観た作品を忘れている。この作品のほうがSF色が強く、マニア向けの度合いも強くなるだろう。
『君の名は。』の主人公の男女も、この作品の主人公も、何処かに導かれるという共通項もある。序盤から中盤はアクションものみたいな感じでどうなるのかハラハラさせるが、肝心の最後の意味合いようなところでは良くわからず、結局死者を蘇らせるのは中途半端でしかなく、代償まで受けるということなのか、私の理解力が足りないのか、尻切れトンボのように終わった感じだった。やはり『君の名は。』は最後の感動がうまくいっていたと思い、その違いが出ていたのかな。私の読解不足か。
学ぶものは多いが…
いろんな形を認め合う現代
そーだなぁー
ナウシカやラピュタを思わせるが
2つを割ってしまった感じ
物足りないのかもしれないが
ナウシカとラピュタを割って
ペットセメタリーにもなりきれず
だけど言葉からは学ぶものは多い
祝福をあげる=bless youと言いながら
外国人にキスされる感じだろうか
クラヴィスとは、ラテン語で鍵という意味とか
先生のセリフの存外役に立つかもしれんなぁとか
ご老人の言葉
生も死も、ものの流れの一部でしかない
その流れを遮る様なことは人間には許されていない
死者を悼むのは正しい
死者と己を憐れみ続けるのは間違っている
あの世での役割を終え次の世界に行く時なのだ
たくさん泣いておあげ
ああやって命はもっと大きなものの一部になる
喪失を抱えてなお生きろ
それが人に与えられた呪い
喪失と祝福というテーマ
いろんな人と出会って、この2人は成長する。
もちろん先生の方は死を受け入れず
我が道を突き進むが、結局人は与えられたものを
受け入れざるを得ないのだろう…
というのが感想となります。
わたし的には観て良かったですよ!!!
禁じられているということは、できるということです
映画「星を追う子ども」(新海誠監督)から。
「秒速5センチメートル」以来5年ぶりに手がけたオリジナル長編作、
その解説を読みながら、あれっ、こちらの作品の方が後なんだね、と
ちょっと違和感を感じながら、観終わった。
映画「言の葉の庭」でハマった新海監督作品であるが、
やはり「繊細な心理描写と緻密な映像美」が少なくもの足りない。
「地下世界」のことを「アガルタ」というところから始まり、
いくつかの聞き慣れない言葉が、やや距離感を感じた理由であろう。
そんな中でも、私たちの生活でも応用できそうな台詞をメモに残した。
「アガルタ(地下世界)では、死者の復活は禁じられている」という老人に
「禁じられているということは、できるということです」と問いつめる。
その言葉尻を捉えた、明確な指摘だな、とメモをした。
「出来ますか?」と訊ね「出来ない」と言われれば諦めもつくが、
「禁じられている」と言われると「本来は出来るけれど」の意味を持つ。
言葉の使い方、その裏に隠された意味、もっと勉強しようっと。(汗)
はじまってすぐにキツネリスっぽい、コレは飛行石みたい、なんかムスカ...
はじまってすぐにキツネリスっぽい、コレは飛行石みたい、なんかムスカ大佐っぽい。ロボット兵みたいじゃ?と余計なことを考えてしまう。
先生の夢の中にでてきたリサが島本須美さんっぽい声だなぁと思ったら、島本須美さん本人だった。など気になってしまう要素が多い。
そして良くないのがアスナじゃなくてまるで先生がメインみたいなストーリー展開。リサを甦らせるという目標に向かってひたすら突き進む。
主人公アスナは何の為にアガルタに来たんだ?→「なんだ・・・私、ただ、さみしかったんだ。」
これでは観ている人はポカーンとなってしまうのでは。
先生が死ぬんじゃないか思っていたら死ななくて、アガルタに残るということだけ予想外でした。
エンディング曲だけすごく好きです。
ファンタジー全開作品
主人公の渡瀬あすなは、とある田舎の母子家庭の中学生。看護士で家にいないことの多い母に変わり、家事料理はそつなくこなし、勉強も頑張れる子。そんな女子力全開ハイスペックガールだが対人関係は、ちょいと課題あり。あまり友達付き合いがよいほうではない。趣味は秘密基地作りにラジオを聞くこと。
ある日、いつもどうり秘密基地にいく途中で得体のしれない怪物と出くわす。
そこを助けてくれた少年シュン。
不思議な少年と仲良くなるのだが。
その日から、不思議なことが続いていき。さて。
ジブリかと思わせるような、ファンタジー作品。地底世界アガルタを目指して、あすなの旅が描かれます。不思議な地底世界の冒険、出会いと別れ。死者とのふれあい。
旅には、妻のとの再開を願う先生。シュンに似た少年シン。二人が深く関わります。それぞれが愛したものとの死別、孤独を抱えており、その思いや葛藤が描かれていきます。
そして、長く不思議な旅の果てにみるものとは?
古事記のイザナミとイザナギの話。これがそもそものお話のモデルのようです。
愛したものとの死別。それを経て、長い旅の果てになにを見るのか?。どう乗り越えていくのか。これがテーマかなと感じます。人間にとって永遠のテーマかもしれません。
この作品、主人公以外のキャラクターが(特にアガルタにいってからは)あまり出てこないため、印象深いキャラクターが少ないんですが、もののけ姫におけるところの神様みたいのがたくさん出てきます。
アガルタの人は、どこかよそよそしい人々でした。
先生とシンとあすな。
3人の描写がどこまでも印象的でした。
深い作品なので、また見てみたいです。
登場人物たちの心の変化についていけない
秒速と同じ新海誠かんとくということで鑑賞。まず誰しも思うことがとてもジブリっぽいっということ。ラピュタであったりもののけであったり千と千尋であったりナウシカであったりといろいろな作品から影響を受けているであろう展開,描写が多くそれがノイズになって自分には悪い影響を与えたかなーという感じ。地下世界アガルタへ好奇心旺盛なアスナと妻を生き返らせたい森崎が旅をする。まず男の先生と女の子が旅するっていう展開にちょっと違和感が(まぁこれはいいんだけど)。あと旅もののメインとしては前と後での成長が描かれていてほしかったがもともと成績優秀,家事までこなす完璧小学生アスナが持っている葛藤みたいな描写があまりなく,それゆえ成長があまり感じられなかった。森崎は森崎で自分の妻をよみがえらせるために抵抗なく(泣いてはいたが)アスナを差出すド畜生でまぁ失敗に終わってもそこから何か得られたのかといわれると。。。
また肝心のアガルタの描写があまり異世界である感じがせず(異世界なのに言葉が通じるっておかしくね?)そういった構想の練り方に甘かったのかなと。逆に現実の描写の細かな部分は共感できる点が多く楽しめた。
また秒速同様絵がとてもきれいでそこに関してはすごく心地よかった(あのサンドイッチ食べたい)。
ラピュタに似すぎ
比較するのも申し訳ないんだけど、ラピュタに似ている割に、ラピュタからド迫力のアクションや憎たらしい敵など面白要素を省いたような腑抜けた内容であんまり面白くなかった。
地面から出てくるゾンビみたいなお化けが主人公の女の子をさらうのに無傷のままだったのに、後からやたらと危害を加えようとするのが意味が分からなかった。他のお化けにすればいいのに。
アニメは作るのがただでさえ大変な労力を必要とすると言う。そんな力作に文句をつけるのは非常に心苦しいのでシナリオ段階できちんとした方がいいと思う。
(追記)
初めて見たつもりでいたら7年前の感想が記されていて驚いた。見ている間、全く気付かない。ラピュタに似ているとは今回も思ったのだけど、もののけ姫の要素もたくさんある。昭和40年代くらいの時代設定は面白い。一緒に旅をする先生が悪者でないところがいい。
アニメだー
生きるとは?
というテーマをひたすら追い求める映画。
すごく深いお話だと思います。
でも、いまいち盛り上がりに欠けるというか。
主人公より先生サイドが気になりました。
恋人をとても愛していて、もう一度会う方法をずっと探していたのに、
最後はあっけない結末になってしまい切なかったです。
しかし、この出来事によって彼の今後も変わっていくのかな?と
この後みんなどうなっちゃうの?と今後の展開が気になる終わり方でした。
主人公の方が星は?お父さんは?
なんか設定が活かしきれてなくてモヤモヤしました。
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