「母性かあ。。」八日目の蝉 77さんの映画レビュー(感想・評価)
母性かあ。。
この作品を観るにあたって、【母親】の経験があるかないかの違いはすごく大きかった気がします。
私にとっては素晴らしいなと思いつつ映画とし手放しで賞賛はできない作品でした(期待しすぎてたのもあると思うんですが…)。全国のお母さん方は誰に感情移入してたのか気になります。
いつか母になる日がきたらもう一度観てみようと思いますが、とりあえず今の私の感想も書き留めておこうと思います。
まずこの作品に出てくる女性はみんなどこか痛々しくてそれでも生きていかなきゃならない“痛さ”が顔をしかめてしまうくらい伝わって私の胸まで痛くなっていました。申し分のない表現力です。それぞれの葛藤を役者さん達が好演してくれていたお陰です。
永作さんから湧き出る希和子の哀愁や愛情や焦燥感、
井上さんからはだんだん成長していく恵理菜=薫の想い、
森口さんは恵津子がああなってしまうのも理解できるほどの行き場のない苦しさ、
余さんの教祖様?っぷりもさすが。
そして私の中のMVP小池さん。この物語に深みを与えてくれるのは千草の存在があってこそ。千草が“図々しくて弱々しい”理由がわかると、更に小池さんの凄さが分かりました。
演出も、血の繋がりのない二人の仕草がどことなく似てたり、同じ景色を過去現在と時間軸を行き来しながら、恵理菜が“母”と同じ立場になってもう一度観ると同じことを感じたりたり、二人(永作さんと井上さんでもあるし希和子と“薫”でもある)が一度もが顔を合わせないのも感慨深かったです。今の希和子をワンカットくらい見たかった気もするけどそうしなかったことで更に余韻が残った気がします。
“なにも悪くない”恵理菜が生きる希望を見出だすラストにも救われました。
ただ、なんかうまく言えないんですが全体的に何かが数ミリずつずれてるようなもやもや感が拭えないままでした。サスペンスをうたっておいて人間ドラマじゃんっていうのはまあ良しとしてw
原作は未読なのですが、私の中の【愛情】や【母性】と作者のそれらの考え方の違いなのかなあ。。
“お母さん”だって人間だし女だしエゴはあって当然なんだけど、希和子の愛の形にはやっぱり感情移入しきれない。
一人の人間を、結婚したら自分の“物”、出産したら自分の“物”っていうのもよく考えたら凄いなと思うし、色んな形があっていいとは思います。ただし人は物じゃないのでそこには血の繋がりがあろうとなかろうと自分以外に対する思いやりが必要です。
希和子のしたことは許されることじゃないけど、それがなければ映画として成り立たないのであとは見せ方ですよね。
決して美談ではないのに実母を悪者にして“許されること”寄りにしてしまったのはどうなのかなぁと。恵津子や四歳から恵津子に育てられた恵理菜がああなってしまうのはむしろ自然なんだけど、そっちの側面ばっかりフィーチャーするのはフェアじゃないです。
恵津子の愛情だって独りよがりな部分も少なくないし元々キツい性格っぽいし、そうでなくても親子だってとどのつまり人と人なんだから、誘拐さえなければ全てが上手くいっていたかなんて分からない。
だけど『Mother』の実母のように虐待してたわけでもなく、一番辛い立場なのは間違いないはず。映画『八日目の蝉』が恵理菜の物語ならもっとスポットライトを当てるべき人物なのに、なんだか腑に落ちない。ついでにお父さんが少し可哀相な人みたいな描かれ方してるのも腑に落ちない。
薫の母親としての希和子にも、恵理菜を自我もないうちから薫にするという最高にズルイやり方で手に入れた“本物”のしあわせなのに、「一緒に生きていきたい」と言いつつランドセルを見たときなんかは潮時を感じていたし(その辛い心中は察するけど)、どこまで覚悟があったのかがわからずに少しイライラしてしまう。
これだけ愛って?母性って?と考えてしまうってことはそれで正解なのかもしれないけど、いいテーマなだけにもっと描き方もあったのにとも感じてしまいました。
あとなんの予備知識がなくても『八日目の蝉』の文字だけで結末が気になる秀逸なタイトルですが、そこが気に入ってるだけにあんまり作中でわかりやすく言及しないでほしかったなーとも思います。
あとあと、原作を読んでると納得できるのかな?…劇団ひとりの起用にw
演技はうまいんだけどそういう問題じゃなかったwホントになんで??w