英国王のスピーチのレビュー・感想・評価
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史上最も幸せな王、ジョージ6世
これほどまでに友情、愛、成長を感じれる映画があるだろうか。
堅い映画ではない。
治療シーンでは笑えるし、ジョージとローグの会話では利いたジョークが飛び交う。
お互いの立場なんて関係ない、本当の友情をこの映画は教えてくれた。
そして妻の愛。王族の生活が嫌で2度もプロポーズを断っているが、最終的に引き受けたのは、まさにジョージを愛していたから。
遡ると、ローグを探し出したのも妻であった。
王としてより、夫として、献身的に尽くす姿は美しい。
真の愛情。真の友情。二つがあってこそ、ジョージ6世はあのスピーチを成しえたのだ。
人が成長するのに、どれほど人が関わってきたか、その人がどんな人であるか、そんなことは全く関係がない。
それを自分自身で体感したジョージ二世は、おそらく史上最も幸せな王であろう。
事実の強さ
史実が基になっている映画が好きだ。どれだけ設定に無理があっても「でも事実だから」と納得出来る。
植民地出身の平民が宗主国の王を救う為に尽力し、友の立場にまでなる。なんてそれはフィクションだ。
「でも事実だから」。
それだけに身分の差を超えた治療・練習シーン、そして主題そのもののスピーチは二人の共同作業として描かれる。冒頭で大英帝国博覧会での失敗を、国民も、私たちも見聞きしているだけに淀みなく流れるように国民を鼓舞するスピーチには感動させられる。歴史的にいってもあそこでイギリスがドイツに屈してたらヨーロッパの歴史どころか世界が違っていた可能性があったのだからとても重要なスピーチだったのだ。
「英国史上、もっとも内気な王」なんてキャッチコピーをつけられてしまうジョージ6世だが、私は幸せな人であったと思う。
確かに父は抑圧的だし兄は国家よりも自身を選び1年で退位(考えようによってはこの人は信念に生きた人とも言えるが)してしまうような人たちだ。
だが生涯の友を得たこともそうだし、妻のエリザベスは如何なる時もジョージに寄り添っていた。
結局のところ人は一人で事を成すのは難しく、誰かの支えで生かされているのだと教えられる。
そこには身分も性別もなく、只人と人の繋がりだけあればよいのだと。
ちなみに私はジョージ6世とローグの関係にイビチャ・オシムを重ねた。
きっといつか彼の「でも事実だから」な人生が映画化される気がする。
日本の配給会社にがっかり
「英国史上、最も内気な国王」というのを前面に出しすぎ
実際は単なる内気ではなく幼少期に受けた教育やトラウマが原因で吃音になり
映画では非常に苦労してスピーチが出来るようになっている
コメディだと思ってみてしまったら実は結構真面目な作品
それなのにPVでコミカルなシーンがほとんど流れてしまって
全編にわたって笑える要素がほとんどなくなってしまった
アクセントとしての笑いをすべて持っていった形で最悪である
その時代の雰囲気が非常に出ている
俳優が素晴らしく
英国王と医者の友情も非常にうまく描けている
前情報何もないままで見たかった
意外とあっさりとしたストーリー
アカデミー賞を取ったのでかなり期待値が上がっていたのかも知れませんが、意外とあっさり終わったなという印象でした。
でも、実話でここまで映画として成り立つのは、俳優たちの演技や映像の見せ方がよかったからなのでしょう。コリン・ファースの“吃音症の王”は、その不器用さや、コンプレックスや、過去のトラウマなど、いろんなものを持ち合わせた難しい役どころをうまく演じきっていたように思いました。
素晴らしい人たちに囲まれて
爽やかな映画かと思ったのですが、意外と苦悩映画だったこの作品。とは言えだからこそ感動できる映画でもありました。
実話のおなしで戦争直前のイギリスが舞台で、コリンファースさん演じる吃音障害を持った英国王ジョージ6世が主人公。人前で思うように話せずスピーチもろくにできない彼がいかにして、第二次世界大戦前に国民に向けて見事なスピーチをすることが出来たのかを実話をもとにして描かれます。
どうして彼がこのようなことが出来たのか?それがわかるわかっていくにつれ英国王ジョージ6世がどれだけ国を思いどれだけ英国王としての責任と覚悟を持っていたかも分かっていきます。
英国王の立場が非常に共感を得られるつくりで、同時にそのひた向きに自分の短所を克服していく主人公の姿は思わず応援したくなります。
しかし彼があのスピーチを成功させることが出来た一番の要因やっぱりヘレナボナムカーターさん演じる奥さんだったと思う。主人公が英国王になった直後に思わず弱音をポロリと漏らすシーンの彼女の態度を見ると一段とそう思えました。彼を必死で支えようとする姿はとても立派に思えました。
もちろんジェフリーラッシュさん演じる言語治療士の助けもあってからこそだと思いますが。
なんせこの映画は登場人物それぞれの立場や考えが鮮明に描かれていて、そんな彼らに共感したり腹立てたりすることにより映画の世界に自然に入り込みやすかったです。この映画に出ている役者さん全員が素晴らしいのでなおさらです。
アカデミー賞作品賞を受賞したそうですが、それが納得出来るくらいいい映画でした。
幼い頃の厳しいしつけに涙....
主人公であるジョージ六世(コリン・ファース)がまだヨーク公と呼ばれていた時代。
父王の代理で博覧会の閉会スピーチを行う場面からこの映画は始まる。
張り詰める緊張感の中行われたスピーチは惨憺たるもので周囲の者をはじめ国民達は思わず下を向いてしまう。
この冒頭シーンを見ただけで思わず涙が溢れそうになった。
言葉を発するまでの長い間(ま)、時折発せられる息が漏れるような小さな音。
話を聴く側は、気まずさにどこに視線を向ければいいのか困り始める。
下を向き始める人々。
話したい言葉がなかなか出てこない当人の傷みはどれだけのものだろう。
ヨーク公がオーストラリア人の言語聴覚士、ローグ(ジェフリー・ラッシュ)に吃音を克服する訓練を受けながら幼い頃の記憶を語るシーンを見てショックを受けるとともに納得できた。
世が世ならば虐待と受け取られる厳しい教育を受けて育ってきたのだ。
幼少期にあのような仕打ちをされたら…すっかり自分の幼児期と重ね合わせ、自分までも息が苦しくなった。
「英国王のスピーチ」というタイトルだが、この物語は弟王が英国の王位に就くまでの英国王室の歴史物語ではなく、一人の人間がオーストラリア人の聴覚士の力を借りて苦悩を乗り越えるまでの過程、また2人の繋がりを描いたドラマである。
ラストのスピーチの緊張感は観ている私も緊張で体が固まってしまうほどだった。
あのシーンの緊迫感、空気感の描き方は素晴らしかった。
聴く者、そしてマイクまでもが敵….ただ一人、目の前にいる男ローグだけがジョージ六世の味方だった。
この山場となるラストシーンは見事なまでに観る者にも緊張感と感動を与えている。
全体的にゆったりと静かに流れるような音楽を巧みに使いジョージ王とローグとの激しいまでの訓練の緊迫感を際立たせている。
それと、ローグのおもにレッスンを行う部屋(診察室?)の壁に注目せずにはいられなかった。
あの壁の前にそれぞれの役者が立つ事により1枚の絵画を観ているような印象を受けたのだ。(個人的感想ではあるが)
それぞれの役者の立ち位置の配置が完璧なのだ。
余談ではあるが、このスピーチが功を奏したのかその後のジョージ六世は国民から好評価を受けたらしい。
(自分のブログ記事から)
笑えて感動する。
人が王になる物語。
「まぁ、おれはないよなー」と思ってたのに、
兄が駆け落ちして、いきなりの王権神授~
しかも時代は20世紀のマスコミを使った戦争の時代。
笑って泣けるし、たまにうなずけるそんな作品でした。
ジョージ6世が克服したもの
エンディングテーマが流れる中、静かにこみ上げてくる感動、自然と溢れてくる涙…今まであまり味わったことの無い感覚だった。「英国王のスピーチ」は吃音症のため人前に出て話すのが苦手なのに王座に就いてしまったアルバート王子(のちに国王ジョージ6世)と、人前で演劇をしたかったのに叶わずに言語聴覚専門士になったライオネルが互いにぶつかり合いながらも、吃音症を克服し、スピーチを成功させるべく努力する話だ。誰にでも苦手なことやコンプレックスに感じていることが大小の差こそあれあると思う。そしてそれを少しでも克服しようと、日々努力し、あくせくしているのではないか…そんな人たちなら、きっと感動の涙を止めることは出来ないだろう。この映画の感動は吃音を克服し、スピーチを成功させたところではなく、ライオネルと国王が立場も身分も越えて真の信頼関係を作れたことを知ったからだ。国王が克服したのは吃音症では無く、自信の無さから他人も信用できなかった人間不信を克服したのだ。だから吃音の治療が成功したなどとは一言も出てこない。最後に出てくるのは「二人はその後、長きにわたり交流を深め、国王はライオネルに勲章を送った」という言葉だ。そしてこの映画の脚本家は吃音者だそうだ。私はこの映画に拍手を惜しまない。
「だが『W』でつっかえたな」「わざとさ、私だとわかるように」
映画「英国王のスピーチ」(トム・フーパー監督)から。
現イギリス女王エリザベス2世の父ジョージ6世の伝記という。
吃音障害を克服して、最後は見事なスピーチを披露するのだが、
その努力にスポットをあてた台詞ではなく、
克服後に、言語療法士と交わした自信に満ちた台詞を選んでみた。
以前の彼の経験から、英国民は息を殺して耳を傾けていたが、
予想に反して、彼から勇気づけられ、拍手喝采の渦。
そんな中、障害克服に共に歩んできた言語療法士が、賛辞とともに
「だが『W』でつっかえたな」と皮肉を言ってみせる。
それに答えて「わざとさ、私だとわかるように」と返すシーン。
私は、2人にだけしかわからない、素敵な会話だと思った。
英国王(ジョージ6世)を演じた、主役のコリン・ファースの顔つきが、
不安に満ちた覇気のないものから、自身に満ちあふれたものへと
変わる瞬間がわかるほど、声にも張りがあった。
「彼は怯えてるんだ、自分自身の『影』に・・」と原因を突きとめ、
「運動や療法も必要だが、心の治療こそ、大切だ」と主張する療法士、
こんなプレーンが傍にいて、英国王は心強かったに違いない。
スピーチ・挨拶が仕事の一部である私も、実はあまり得意ではない。
しかし、彼が演説前に呪文のように唱えた「聞いてもらう権利がある」を
参考にして、私ももう少し自信がつくまで、努力してみようと思う。
今更であるが、さすがに、第83回米アカデミー賞で作品、監督、
主演男優、脚本賞を受賞した作品である。
思わず拍手したくなる
きつ音障害をかかえ克服しようとする日々。国王となるジョージ6世はもちろんですが、言語療法士としてよくパートナーとして支えたローグが最高だった。最後のスピーチのシーンも安心して観れました。感動的なスピーチが終わった時にはつい拍手をしたくなるほど。
スピーチっつっても
原稿は他の人が書いてるんでしょ?吃音症克服という設定ですが、始まりが戦争スピーチなのが何か素直によかったね〜という気持ちになりませんでした。あなたは吃音が多少治せ、国民を勇気づけるのがお仕事かもしれませんが、戦争をして一番ひどいめに合うのは貧乏な平民ですから。吃音どころじゃありません。食事もままならない人が出たりするわけで。決して感動していい映画ではないのでは。戴冠式スピーチが素敵ならまだしも、戦争始めま〜すだからなぁ
家族からの愛、自国民への愛
よかった(笑顔)
でも、期待しすぎたかも(苦笑)
これなら『ソーシャルネットワーク』にも、
もう少しオスカーの何部門かをあげてもよかった気がするなぁ。
結局、アカデミー委員の人って、英国ロイヤルファミリーもの&
実在人物なりきりモノが好きってことに行き着いちゃうんだろうなぁ。。。
※心に残ったセリフ
〈伝えたいことがある。伝えたい人がいる〉
吃音症というと、どうしても
『裸の大将』山下清画伯の姿が、
頭に浮かんでしまう典型的日本人のわたし。
さすがに、コリン・ファースの口から
「おにぎりが欲しいんだなぁ」の言葉は
出ませんでしたが、突然歌いはじめたり、
Fワードを連発したりと、まるで今年の、
アカデミー賞、メリッサ・レオの事件を、
予兆したかのような内容になっていて驚きました。
日本では、どうなるかわかりませんが、
あまりにもFワードを連発しているため
アメリカでは、その部分をカットして上映を
しようとする動きがあるとのことです。今作に
ご興味のあるかたは、カットされないとも限りませんので
お早めに映画館に足を運ばれることをお勧めさせて頂きます。
◇ ◇
本当の王になった瞬間
本当の友人になった瞬間
映画化の話が出てから、
今作が陽の目を見るまで25年の歳月。
それは、映画化の条件として、
前女王から(今作ジョージ6世の奥様)、
「私が生きているうちは、映画の上映はしないで欲しい」
との、希望があり、それを尊重したからだそうです。
英国王室の隠れざる事実
そこにオーストラリア人が関わっていたこと
英国の懐の深さ、自由度を
さり気なく、映画を通じて世界にアピール。
そんな今作に、アカデミー賞を多数授与したのは、
米国が、英国よりも懐が深いことをアピールしたかったからかもしれません。
笑えるはずなのに、
オスカー受賞作だから、
笑ってはいけないとでも思っていたのでしょうか。
あまりにも劇場の雰囲気が硬くて、
こちらにも驚きました。周りのお客さんによっては、
ドッカンドッカン笑いっぱなしの回もあったと思います。
笑いあり
感動の涙あり
夫婦の愛あり
親子の愛あり
祖国への愛あり
ありとあらゆる愛が今作の中に、
万華鏡のように色々な形で映し出されていました。
映画鑑賞客は、用意された
贅沢な食材を、一品ずつ堪能すれば良いだけでした。
あ~~~、
美味しかった。お腹一杯でございます(大笑顔)
☆彡 ☆彡
今作で更に注目を集めたコリン・ファースの次回作。
『オールド・ボーイ』『渇き』の
パク・チャヌク監督、初ハリウッド進出作品になるそうです。
パク・チャヌク監督が、
どんな作品を作り上げるのかも、楽しみです。
スピーチに始まり、スピーチに終わる
失望に始まり、喝采に終わる
ラストのスピーチは
まるで私たちも当時の英国国民に
なったかのように耳を傾けてしまいました。
こんなときだからこそ、
今の日本にもパフォーマンスではなく、
弁舌爽やかでなくてもかまいませんから、
心を震わせ、勇気を与えてくれる、スピーチを
届けてくれる人物が必要なのではないでしょうか。
心痺れる118分を、ありがとうございました(拍手)
当時のBBCの放送機器が垣間見える。
この映画は震災前の3/10に鑑賞しました。
白人しか出演しない近頃では珍しい映画です。時代背景から当然かも。
時代考証や大道具、小道具が本物っぽい。
一番気になったのは、吃音矯正師の一言です。"生まれながらの吃音者は居ない"です。あ~これはゲイも同じかな!(オイオイそっちかよ?)
ゲイの場合擦り込まれる訳ですが、何歳までなら矯正可能か興味有ります。
せいぜい、自分の子供が擦り込まれない事を祈りたい。
本来の吃音症は治りません。
異端の矯正治療で、吃音症は必ず治り、吃音者は存在しないという最悪の映画です。
なんで、このような吃音者に対する人権侵害の映画が、アカデミー賞なのか。
吃音症は明確な言語障害です。
「静かな感動」の映画
アカデミー賞受賞作ということで、前から観たかった本作をDVDで観ました。
豪華なキャストが、しっかりした脚本・演出の中、素晴らしい演技を見せてくれる良作でした。
話はごく単純ですが、雰囲気がとても良いです。
「深い感動」と言うより、「しみじみとした感動」を観る側に与えてくれます。
王族の話なので、脚本・演出によっては堅苦しく、重い映画になってしまう設定なのですが、「王」を一人の人間として描き、悩み、苦しむところを見せることで観客と主人公の距離が縮まり、良い作品になったのだろうと思いました。
さすがアカデミー賞受賞作だなぁと思わされた作品でした。
人生万歳!友情と家族愛!自分の小さな悩みよ飛んで行け!
吃音障害に悩む英国王ジョージ6世の真実の物語と言う事で、エリザベス女王1世が他界するまでは、映画化が叶わなかった作品だと言う話しを聞いた。たとえ国王と言え、欠点をも持ち合わせる、内気な一人の人間だと言う、当たり前のその真実が、今こうして映画で明かされる事で、どれだけの人々が救われる事だろうか!
地位や権力、名誉も財産も、およそこの世で人として持てるものは総てを手中にしている筈の国王にも、実は凡人と同じように、欠点や悩みが有り、その欠点克服を目指して、日夜や努力を続けて生きていると言うその事実。その姿を観る事こそ、この世界に生きて行く事の素晴らしさを訴えかける物語として、絶好の存在ではなかろうか?
素晴らしく希望に満ちた話しで、多くの方々がこの映画で自分の欠点を受け入れ、そして許し、その欠点の克服を試みる事にチャレンジする事が出来たのではないかと、推測するのだ。
誰もが生きる中で抱えている‘思い悩み’それは、考え方いかんでは、克服出来ない事では無く、むしろその欠点克服のプロセスこそがその人の人生の生きる希望や励み、そして生き甲斐へと、昇華する事が出来、そのプロセスを誰か他の第三者が知る事で、その誰かの心の救いと励みになり、自分では分らないかも知れないけれども、大勢の人々の生きるプロセスの励みになってゆく事に気付かせてくれる作品だ。そう映画の中で「自分の影に怯えずに、きっとそれを克服出来る」と言うセリフがあった。
一人一人、生きている環境や、その能力や才能、性格、健康状態、経済状況と全く同じ人生など存在しない。そしてこの世に生を受けた人達は、みんな生きる権利を平等に持ち、その人生を存分に生き抜く事が、その人に課せられた使命ではないだろうか?
そして、この映画の魅力は、コリン・ファース、ジェフリー・ラッシュと言う確かな演技力を持つスター俳優の芝居力に支えられている。
特にコリン・ファースの演じる英国王の初めの弱々しさも、ラストでは全くの別人を想わせる程の立派な国王になっているその姿は、まるで蝶の脱皮のプロセスのような美しい変貌である。そしてイギリスならではの、ウイットなユーモアたっぷりのセリフ展開により、テンポ良く観客を映画の世界へと誘ってくれる近年稀にない秀作の1本と言えると思う。アカデミー賞を獲得する事こそ、正にふさわしい作品だ。
しかし、このトム・フーパーと言う監督は、本作が3作目ということ、脚本も彼が手がけている事には驚かせられる。
このように素晴らしい作品を広く世に送り出す事が出来る英国王室の在り方にも感動を憶える。この監督の素晴らしい本作はきっとその影には、このジョージ6世の人生さながらの素晴らしい努力の人生が有った事だろうと推測するのだ。今後の彼の作品が益々楽しみである。
人は皆、多くの人たちとの繋がりの中で、その人生を互いに影響し合って生かされている。多くの人達がこの映画で、1歩でも、より良い満足を得る人生を選択するきっかけを、本作から得る事を願って止まない。映画のある人生、これも本当に素晴らしいものだ!是非この感動を分かち合って欲しい!
作品賞
とても楽しみにしていた映画。
内容は国王の演説についての映画なのだが、
一大事に民衆へスピーチをする国王としての重圧などが
とてもコミカルにテンポよく表現していると思う。
とても見やすく感動する映画。
3.11以降の天皇のスピーチが重なる映画。
愚直に、にじり寄る
「くたばれ!ユナイテッド」などの作品で知られるトム・フーパー監督が、コリン・ファース、ジェフリー・ラッシュといった実力派俳優陣を迎えて描く、群像劇。
彼の後ろを、歩いてはいけない。自分を傷つける敵かと思われて、蹴り倒されてしまうから。彼に、いきなり馴れ馴れしくしてはいけない。警戒心の強さから、避けられてしまうから。ゆっくりと、敬意を示しながらにじり寄ることが、大切だ。彼とは、さて誰でしょうか。
本作は、そんな「彼」に対する誠実な姿勢を踏襲した真っ直ぐに、愚直な心が生んだ佳作である。物語が動き始める冒頭部、観客は少なからず違和感を感じるのはそのためだ。
役者の美しい顔をスクリーン一杯に映しこむズームカットに慣れ親しんだ観客にとって、作り手が主人公、ジョージ6世に対して示す最初の態度は、スコーンと空白の壁を移し込む引きの画面から見えてくる。「すいませんね、ちょっと、撮影させていただきますね?」とでも言わんばかりの他人行儀なカメラが見つめるのは、内にこもって不機嫌な表情のジョージ。
ジョージ国王がもつ苦しみを、和らげようと奮闘するライオネルの診察と同様に、作り手は焦らず、尊敬の念を持って国王ににじり寄っていく。空虚な隔たりは破天荒な治療と共にその間を埋め、熱を持ち、信頼を持ち、国王の息遣いが聞こえるまでに近付いていく。
そして、最後のスピーチ。開け放たれた窓、小さな部屋。国王の意固地な顔のアップを許されたカメラは、ライオネルの静寂なる指揮の元で、力強い言葉の飛翔を観客に提示する。その丁寧な描写、暖かな賛美、この9分間という短い演説が本当に観客の心に届くために、作り手は嘘偽り無く国王と信頼関係を築こうとしたのだ。
風吹き抜ける空へ向かって、言葉よ、勇気を持って翔べ。英国の歴史に隠された小さな奇跡を、どうやって描くべきかを考えれば、極めて的を射た演出の形だと私は思う。そして、その作り手の思いに実力派キャスト陣は的確に応える事に成功していたと言えるだろう。
「彼」は、誰か。動物に少なからず造詣の深い方なら容易に想像つくであろう。この場で偉そうに正解を語る必要も無い。
ただ、「彼」に対する誠実さを私は正しいと思う。それだけである。そう思わせてくれるこの物語もまた、私は正しいと思う。それだけである。
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