「ナニモノにも、なれないから」わたしを離さないで ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
ナニモノにも、なれないから
カズオ・イシグロの同名小説を、キャリー・マリガン、キーラ・ナイトレイといった俳優陣を迎え、マーク・ロマネク監督が映画化。
一見すると、極めて特殊な環境の中にあって激しく燃え上がる愛を描くラブストーリーのようにみえる。しかし、頭を真っ白にして物語に向き合っていくと、本作の意図する世界はそれほど単純ではないことに気が付く。
淡々と、激しい感情を敢えて排除するように構築された静かな世界。それでも、この作品はある一つのポイントを経て、流れが変わっていく。それは、「自分たちが、臓器売買のために作られた商品である」という現実を知らされる場面だ。
明日が当然のように訪れ、友達を作り、恋をする。そんな、自分次第でどんな道でも歩いていける未来を信じていた子供たち。だが、自分たちが単なる他人の延命のため作られた商品であると知ったとき、彼等の世界は変わる。
どんなに笑っても、背が伸びても、髪が伸びても、「未来に敷かれた一本の道を踏み外すことは出来ない」。この前提が幼い魂を支配し、突き進む青春を本人達が拒絶しているように見えてくる。
ここで忘れてはいけないのは、子供たちが恐れているのは「決められた、死」ではないことだ。それは彼等自身がどんな人間にも襲い来る運命だと分かっている。何より恐れているのは「何者にも、なれない」ことである。誰かの姿を借りて、生きる自分。そこには「わたし」はない。道具として管理された「家畜」の如き生物しかいない。何にでも変わっていくという人間の本質的な活力を奪われたとき、そこに残るのは空虚だけだ。
身体は成熟し、臓器を失ってもその空虚な心は満たされない。だからこそ、本作には「死」を残酷に描かず、完了、終了という達成感をもって考える視点がある。今、どんなに苦しくても明日が来て、息をして何かに変わっていくことを許された私達は、どんなに幸せか、明るいか、静かに本作は私達に突きつけてくる。
臓器売買、クローンという特異なテーマに目を奪われがちだが、その裏にあるのは、今を生きる私達の無限の可能性を剥き出しにして提示する沈黙の応援歌だ。
腐るな、愚痴るな、とにかく生きろ・・ナニモノかになれと、歌っている。