まほろ駅前多田便利軒のレビュー・感想・評価
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もっと気楽に
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便利屋のエイタが、子供の頃誤って怪我をさせた松田と出会う。
松田は家がなかったので、何となく放っておけなくて居候させる。
そしてコンビで色々な事件に絡むが、2人とも過去を抱えてた。
エイタは嫁が生んだ子供が自分の子か分からないまま子を亡くし、
松田はレズビアンに精子を提供して子はいたが会ったことがない。
松田がいい奴過ぎることに立腹したエイタが松田を追い出すが、
何ヶ月かして再会、また一緒に住むことにする。
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うーん、おれはエイタには全く同調できんなあ。
正直、自分の育ての親が実は血がつながってないと聞いたって、
そんなこと今さらどーでも良いと思うクチやからなあ。
松田の方が理解できるし、それに腹立てるエイタが理解できん。
何をそんなに重く考えてるの?って感じがする。
人間、拘るべきないところに拘ったら、しんどいだけだよ?
独特ののんびりした雰囲気がある!!
深夜映画向けの雰囲気ですが、個人的に「探偵はBARにいる」より好みでした。「人生をやり直す事は出来ないが、誰かを愛する事はできる」という台詞は良かったです。何か男性にとっての子作りがテーマだった気がします。とにかく煙草が嫌でした。
『フランダースの犬』は、ハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。
そんな視点、初めてだった。
そのような感想を持つようになる生い立ちから培った人生観。
行天の過去を知るとき、この感想が、妙に納得してしまう。
いろいろな、親子関係、生い立ちの中で背負ってしまったものを抱えながら、でも、何かを求めて生きていく人々がたくさん出てくる。
なのに、重さをあまり感じさせず、ゆ~る~い映画。
車のハンドルでいうところの”遊び”みたい間。
ギチギチ、ガチガチな人も出てくるのだけれど、それらの人々が浮き立つことなく、緩すぎるかも、と思うほどに、眠たくなるそのギリギリの線でまとまっている映画。
『セトウツミ』も、日常のグダグダを、いつまでも観ていたくなる作品にまとめていらっしゃったけれど、この監督の持ち味なのかな?
原作未読。ドラマも未鑑賞。
バディは親友である必要はないんだな。
寮生活を観ているような気分。特に物語として盛り上がりはない(あえて作らない)のだけど、何回も見直したく…帰ってきたくなる。
「負け組」とか「競争社会からの落ちこぼれ」とか、この二人をカテゴライズすれば、ここに入るのかも。
でも、そんなクラス分けって必要なの?
まあ、この映画にも一般に考えられるコースを生きていると思っていたのに違うんだねという趣旨の台詞はあるけど。
話さない行天を気にして、絡み続けた中学時代の多田。影の薄い自分は忘れられていたかと思っていた行天(小指の件があるのに?)。覚えていた多田。追い出しながらも、前意識的に行天を探し続けた多田。
「誰かに必要とされるって希望になることでしょ(思い出し引用)」と〇〇を提供して別れる行天。誰かを必要としていた多田の目の前に現れた行天。
まったくかみ合わないお互いの言動でも、少しずつお互いの心のツボにハマり、かみ合っていく。
そんな二人のやりとりを幾つかのエピソードを絡めて描く。エピソード一つ一つはそれだけで1つの映画ができそうなのに、あえて”盛り上がり”系の展開にはしない。二人の日常に起きたこととして?並列的に描いていく。その中で浮かび上がってくる二人のキャラ・関係性。
家族を失った多田。家族を絶った行天。
人と関わることを避けているように見えて、人のことに熱くなる。
不思議な距離感。
セルフネグレクトと言いたくなるような居住空間。
あえて幸せから遠ざかっているような。
それでも、この世の居場所を探して、漂っている二人。
そんな喪失感と、かすかなもがきと、温かさ。
不思議な場。
そんな二人を囲むように、この役者がこの役を?とドンピシャな役から、ほっと笑いが出るような役でいろどりを添える。(岸部さんだけはもっと使い方あっただろうにと思う)
松田龍平氏は、その立ち姿・振る舞いだけでショートムービーができそうな味わいある役者さんだと思う。そんな特異な個性もこの映画のなかでは注し色としてでなく、この世界観にハマっている。
ズバズバ心に痛い台詞が出てくるのに、この世界の住人になりたくなる。そんな不思議な映画です。
優しいです
軽快なやり取りが楽しい。 人生の挫折からの立ち直りに苦しむ姿に共感する。 ラストシーンが大好きな映画。
公開間もない頃に観て以来、久しぶりの鑑賞でした。
原作は読んでいます。
30代で観た時の印象は、軽快な展開が際立っていて、沢山笑いながら、少し感傷的な気持ちになる映画でした。
人物を掘り下げていく中でも行天の存在感と人生観みたいなものへの理解の方が強かったように思います。
ただ40代になって改めて観ると、自分の人生で積み上げたものと失った物が増えたせいか、多田の人生の挫折に強く共感してみていました。
特に岸部一徳扮する刑事 早坂の登場からラストまでは、多田の独白を通して彼の自分自身を許せない鬱屈した思いに飲まれ、だからこそラストの行天との再会に胸をなでおろして幸せな気持ちでラストのエンドロールを見送ることが出来ました。
挫折と言うか、過去への後悔と言うか、そういった重く纏わりついたものはテーマとしてある作品だと思います。
娘を亡くし、妻と別れ、物語のスタート時、多田の気持ちは失意のどん底だったと思います。
挫折して心が折れ気持ちが小さくなっている。
心が折れている時、人との関わりは断ちたいですし、ひっそりと誰とも関わらずに生きていきたい気持ちになります。
目立たずに誰とも関わらずに生きるから放っておいて欲しい。
それでも過去はいつまでも自分を苦しめてくる。
一人でいられる孤独の中に安心感があって、とは言え、いつまでも一人でい続ける事で前に進めないもどかしさもあって、そんな時に現れたのが行天でした。
「いい学校を出て、いい奥さんを作って、お金持ちになって・・・。」という人生を歩んでいるはずだった多田と、またそれとは全く違う人生を歩んでいるはずだった行天の再会。
どちらも世間から見れば日の当たる場所には居ない二人ですが、二人にとって大きく違うのは、過去を受け入れている行天と、過去を拒んでいる多田。
とは言え、行天も親を殺す為にあの場にいたのでしょうし、過去を受け入れているといっても受け入れ方が突き抜けているのかもしれませんが。
序盤の多田はカリカリと苛立っている雰囲気があり、鑑賞している受け手側としても、それが彼の本来の姿なのか?、何か気持ちを揺るがす大本があるのか?が判らないまま話は進みます。
それでも、由良公の為に星と対峙する姿や、由良公に対しての「自分に与えられなかった物(愛情)を誰かに与えることは出来るんだ」という言葉。
それから山下に追われる行天を探して街を走り回る姿。(星の「走れ。便利屋。」と言うシーンも最高にいい。)
そういった所に多田のまっすぐさを感じて、今現在の彼の鬱屈した雰囲気とのギャップに違和感を感じます。
そして、早坂刑事の登場から明かされていく多田の過去。
荒れる多田に対して、行天は全ての言葉を受け入れていきます。
多田にとって挫折の根本は失った物で、行天に対しての「何もないようなふりをして全てを持っている。」という言葉は完全な当てつけでしかなかったのだと思います。
けれど、その後、全てを打ち明ける多田を見て、多田は自分の汚さも含めてぶつけることが出来る誰かが必要だったんだと感じました。
自分の中で消化できない苛立たしさを、言葉の暴力や涙の打ち明けで誰かにぶつけて、自分の醜さも本心も知ることが出来たのではないかと。
親や恋人に当たり罵り、自分の未熟さを知る若者と同じで。
全てをぶつけた後に、行天との別れを告げた多田は、この先の自分の挫折を癒す人生に行天を巻き込むべきではないと判断したように感じました。
醜い自分を見せたからこそ、一人で自分の業を背負うべきと判断したのかな?と。
そして、一人を選んだ多田の意思を、否定せずに受け入れている行天。
静かで落ち着いているようで、何も変化のない年末を迎えた多田の元に行天は帰ってきます。
1年前には静かな不快感を持って再会した二人が、バス停で言葉を探して黙り込んでいる姿は印象的でした。
行天は多田に受け入れてもらえるまで静かに待ち、多田は自ら行天を受け入れる歩み寄りを見せる。
このラストは本当に良いラストでした。
ずっと多田視点で話を進めてきましたが、行天がどこかで話した「でもね、俺も知りたいんだ。人はどこまでやり直せるのか。」という言葉。
ちゃんと届いて多田はこの先やり直していくんだろうな。と、希望が感じられるラスト。
そして、一年前に両親を殺す為に刃物を持って訪れた場所に、多田を待つ為に訪れた行天。
行天にとっても多田との出会いは、彼の過去の傷を癒してくれる出来事だったんだな。と、そのことも嬉しかったです。
この後の岸田繁の歌う穏やかなエンドロールに乗せて流れる映像も素晴らしかったです。
母親と笑顔で歩く由良公や母親の荷物を持ち買い物に出掛ける山下親子の映像など。
映画っていいな!と、終始、笑いはありつつも鬱々とした雰囲気が纏っていたこの映画を全て晴れやかに終わらせてくれた大好きなエンディングです。
そんな感じで心情的な感想が多くなってしまいましたが、この映画の軽快さやユーモアは本当に素晴らしかったと思います。
備忘録代わりにこの映画の好きなシーンを上げると、
軽トラのフロントガラスをカチ割られ「なんじゃこりゃー」と叫ぶ多田に「誰? 全然似てない。」とつぶやく行天。
退院した行天を事務所に連れ帰る多田に対して、「あなたの噛んだ 小指が痛い♪」と歌う行天。
でも一番ほっこりしたのは、監督の大森立嗣の名前を見ながら、そう言えばお父さんの麿赤児と弟の大森南朋も出てたんだだな。と気付いたこと。
考えてみればこの監督さんの映画はこれしか見ていない。
少し追いかけてみようと思いました。
最後にもう一個だけ、役者の演技も素晴らしい映画でしたが、セリフとしては2回しかしゃべっていない刑事役の岸部一徳の存在感は凄まじかったです。
行天が去った多田に対して、山下が戻ってきたことを伝える早坂刑事の台詞。
「人を助けても自分を救うことにはならない。」という多田の心理を読み通しの言葉や、
「あんなクズでも誰かに必要とされてるんですわ。」と、多田への激励なのか皮肉なのか判らない言葉。
トータルで1分程しかない中でのこの人の存在感。ほんと凄かったです。
ユーモアが多く軽妙なテンポで進むこの映画の中で、人間的な恐怖がピリピリと差し込まれてきて、この映画に生々しいドラマ性を与えていたように感じました。
居心地良い
何じゃコリャー!
【邦画、バディムービーの良作。三作目を待ちたい魅力的なシリーズ作品である。】
主役2人(瑛太・松田龍平)の相性が良いのかな。
いやいや、お二人が、現代邦画を代表するプロフェッショナル俳優だからだろう)
松田龍平さんはバディムービーの相方としては適役なのかもしれない。(”探偵はbarにいる”シリーズでの佇まい、振る舞い。)
このシリーズは原作の面白さを全く損なっていない、というか原作を読むと多田と行天といえば、このお二人の顔が脳内に出てくるほど嵌っていると思う。
第3作目も待ちたい。(三浦さん、瑛太さん、松田さんともお忙しいとは思うが・・・。)
<関係者の方々へ>
是非、ご検討頂きたいのは、”まほろ駅前番外地”の”星良一の優雅な日常”の映像化である。
勿論、星は引き続き高良健吾さんでお願いしたい。(ストイックな男と言えば高良さんであろう、健康にも気を使ってそうだしね)
新村清海はそうだなあ、小悪魔的な女優さんであれば、浜辺美波さんかなあ。
でも、ショーツ一枚で一晩のうちに星のベッドで360度回転して眠るというシーンは無理だよなあ・・。
誰かいませんか?敵役の魅力的な女優さんは・・。(求む、公募)
<2011年5月9日 劇場にて鑑賞>
旅感
ワケアリ男2人の共同生活
訳ありの結婚生活を経験している×1の2人。 便利屋をとおして2人の...
雰囲気は好きだけど…
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