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1960年以降(1965-1971)のこのバンドが好きだったかというと、『まあまあね』と 当時なら答えただろう。 今も、『まあまあね。』だねと答えるだろう。ジムモリソンが他界したのをよく覚えているが、その後のドアーズには全く興味がなかったし、オリバー・ストーンの 『ドアーズ』(原題: The Doors)も観ていない。
1960年ごろはまだインターネットもなく、米国に行ったこともなく、このバンドをレコードで聴けるぐらいだった。何しろ情報源がなく、主に、ラジオで流れていたように思う。素行が悪く、LSDや酒の問題を抱えていて、彼の死因が問題視されていたと思う。『バカと天才は紙一重』という言葉があるが、ここでは『危険で、ものすごくインテリだ』という言葉を使っている。この映画でこんな最悪なコンサートは見たことがない。ステージに倒れ込んでしまうなんて、プロとしての態度や尊厳はまるでなく、自由奔放だね。ステージでの悪態で裁判沙汰になったとは知らなかった。全くしらなかった。しかし世相を反映していて、社会問題とジムとの関係がはっきりわかり、なぜジムが重罪で危険分子扱いになったかがわかる。マイアミコンサートにはあれだけ警察がいたのに、ジムの行為をストップさせなかったじゃないか。なんか変なの。芸能界を干されちゃったんだね。ドアーズが来日していないのは演奏年数が短かったより、ジムに来てもらっては困ると思ったのではないか?
彼は当時、セックスシンボルのような存在だった。私だけがそう思っていたのかもしれないが。彼の、上半身は裸で、下半身はズボンのボタンが外してある(記憶から)白黒の大きなポスターを私は自分の部屋に飾っていた。なんと、ハンサムなどと当時はおもっていた。しかし、ハンサムだと今でもそう思う。「ドアーズ」と「L.A.ウーマン」 「モリソン・ホテル」 などのLPを所有していた。
このドキュメンタリーで驚いたことをいくつか書く。 何しろ、ジム・モリソンはセックス・シンボルだけで、他の才能を全く知らなかったんで、驚いちゃったから、ここにいくつか書き留める。
まず、彼の詩は『シンボリズム』だということ。簡単な英語の歌詞を文字通り判断していた私は正直言ってバカで驚いた。文字通りの意味以上に何かを表現することができる人だから、ジムはこんなに酒に溺れたり、サイケデリックになったりしたんだ。彼は彼の描く幻想をシンプルな言葉で表したり、繰り返したりしたんだとわかった。
彼は、16歳の高校時代から詩歌の才能があったんだ。フランスのランボーを読んで、作家で、画家であるロンドンのウイリアム・ブレイクもだとは。当時の高校生が学校で読む教科書である文学は何か知らないが、シンボリズムを読んでいたとはすごいねえ。
“If the doors of perception were cleansed every thing would appear to man as it is, infinite." --William Blake ここから、 ドアーズのグループ名がうまれたと。
1968年、ボビー・ケネディの暗殺
アル中と薬中が酷くなってきている。『アルコールはジムのパーフォーマンスを助けるけど、時々、全然だ』と。
『The New Creatures』 詩集、
1968年ヨーロッパ・ツアーでマイケル・マクルーア(Michael McClure)という詩人に出会う。「ラスト・ワルツ」でマイケルが詩を読んだが、その時は知らなかった。彼は1955年にサンフランシスコのSix Gallery reading の一人で、ジムの友達だということがわかった。
1970年、ワイト島でのコンサート
この野外ライブも最近、ハイライトだけをみたが、入場券を払わず、会場に入ろうとして騒いでいるのには疲れた。このコンサートではフロリダと違って、ジムは大騒ぎをしていなかった。「Light My Fire」「Light My Fire」と叫ばれちゃあ、これだけのために来てるのかよとジムのように毒舌も吐きたくなるねえ。
The Lords and The New Creatures: Poem 出版
「Morrison Hotel 」ブルース調に。
それに、映画では最初に、ジョシュア・ツリー国立公園にいて、車で、10フリー・ウエーを通り、ロサンジェルスに。この間に、JFK暗殺、公民権運動、KKK,ベトナム戦争、学生運動、カウンターカルチャー(ヒッピー)LSD, サイケデリックとドアーズが生まれた時代を見せてくれる。そしてジムの死がラジオで流れる。この時代だからこそ、ジム・モリソンが生まれたと思う。