小さな村の小さなダンサー : 映画評論・批評
2010年8月24日更新
2010年8月28日よりbunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座ほかにてロードショー
毛沢東政権下の中国政治に翻弄された、あるバレエダンサーの半生
バレエのバの字も知らない11歳のリーが、身体能力を認められて舞踏学校に入学するシーンで、やっぱり!と思った。北京オリンピックの頃にテレビで見た、中国の卓球選手強化策と同じだ。選手がまだ小さいうちに骨密度から将来の身長を割り出し、背が高くなると保証された子供だけを国立卓球学校で訓練するのだという。他のスポーツも同じだと思うが、本人のモチベーションより身体条件を優先する冷酷なシステムは、毛沢東の時代からあったのだと、この映画を見て知った。舞踏学校の訓練風景はさらに興味深い。機械のように正確な技術をたたき込まれ、バレエというより中国技芸団の訓練を見るようだ。技術、技術で、感情の発露がない踊りは、驚きはあるが感動がないことも分かった。
フレデリック・ワイズマンがアメリカン・バレエ・シアターを撮った「BALLET」という作品に、難しい技はこなせるが踊りに感情が出ない若いプリマと、引退して教師になった元プリマを対比させた凄いシーンがある。歳をとってもう足は高く上がらないけれど、教師の踊りには見る者を惹きつけずにはおかない情念があるのだ。この映画はアメリカのバレエ団に留学したリーが、アメリカで踊り続けたいと亡命する事件がメインになっている。芸術といえども政治と無関係ではすませられない中国という国の難しさをドラマチックに描いているのだが、アメリカに渡ったリーが技術力と芸術的表現の間でどんな葛藤を抱いたのか、ダンサーの本質に迫るドラマも見てみたかった。
(森山京子)