キャタピラーのレビュー・感想・評価
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芋虫かと思ったら芋虫じゃなかったけどやっぱり芋虫だった。
「ジョニーは戦場へ行った」と「芋虫」から着想を得て…とのことですが、だいぶ「芋虫」してました。「キャタピラー」は日本語で芋虫ですし。セリフもそのまま使っている部分もありました。著作権の問題で揉めたらしいですが…そりゃそうよな。(著作権自体は切れていたが、倫理的、道徳的観点から問題となったらしい)
「芋虫」は倒錯的な表現を多用したエログロ小説ですが、「キャタピラー」は反戦メッセージを含んだものとなっております。主題歌が「死んだ女の子」であることからもそれが伺えます。また、社会から不条理を押しつけられた哀れな夫婦の物語という見方もできるでしょう。「軍神って何なのよ!」というセリフが全てを物語っています。
性欲を一方的にぶつける様なシーンが多く、そこは注意がいるかも知れません。冒頭の暴行シーンなどは少しきつかったです。
救いのない話ではありますが、久蔵の気が触れてしまったのは唯一の救いだったのではと思います。それは彼にも少なからず良心や人間性が残っていたことの証なのですから。
生殖行為が可能ゆえ、なぜ励まない?女性なら位の一番♥
FAプ〇のヘンリ〇塚本作品程度の作品。
ある意味に於いてそれなりの反戦意識はあろうが、フィクションである。
さて、ヘン〇ー塚本と若松孝二の共通点はピンク映画だと思う。
兎も角、この手の作品はFAプロでも昔の成人映画でも沢山あり、今更、2010年に突然現れた怪作でも名作でもない。所謂、ジャパニーズ・ニュー・シネマを気取ったサブカルチャーの一つである。
『ジョニーは戦場へ行った』と手塚治先生の『寄子』をリスペクトしている。と言うよりも、リスペクトした作品には遠く及ばない。勿論、江戸川乱歩の『芋虫』は当然の事である。
上野の山へ出かけると、白装束の傷痍軍人が沢山いた。
亡父に動物園に連れて行かれると、その人達を見て、亡父曰く『彼奴等、逃げて帰ってきた奴等だ』と言って馬鹿にしていた。ひどい時は『働かないで、簡単に金稼げて良いよな』って言っていた。その時、戦争に行かされたら直ぐに怪我してでも帰って来ようと決心した。
生殖行為が可能ゆえ、なぜ励まない?女性なら位の一番に考えるでしょ。何も泣くこたない。男の都合の男目線なク〇映画。
子供が産めない?そう言う事?
成人向けHARDCOREな作品にすべきだ。『罪とバチ』って事でしょ。日本人は女性を求めて、中国を侵略したわけではない。
神の国
昔々、東アジアに神の国がありました。その国は西洋列強に対抗するため国を一つにしようと天皇制を敷き、国民は天皇が支配する神の国なのだと信じて天皇のために戦場に行くことも恐れませんでした。戦場では勇猛果敢に現地の女性を犯しては殺し、戦果をあげました。
敵にやられて両手両足がなくなっても皆から軍神様としてあがめられ妻からは手厚い奉仕を受けられました、性欲も満たしてくれます。
時には妻が大八車に乗せて散歩に連れて行ってくれます。道行く人が自分を軍神様とあがめてくれ、妻も誇らしげでした。
でも軍神様は食べることと寝ることしかしない。妻は時には世話をするのが嫌になりました、でもやっぱり国に貢献した軍神様を支えるのも国への奉仕だとして世話を続けます。
やがて日本は敗戦を迎えます。どうやら天皇は神ではなく人間だったようです。そして軍神様も浅い池に身を投げて亡くなります。彼もまた神ではなかったようです。
国を一つにするために作られた神、戦意高揚のために作られた神はいなくなりました。神から解放された人々は幸せに暮らしました。
軍国主義の末路
過去の日本男児は、手も足もない芋虫となって帰ってきました。
芋虫は軍神様と讃えられ、村人達はバケツリレーにひたすら精をだす。戦争により、人は、国は、ここまで滑稽に狂える。
そして、跡継ぎと勲章にしか価値を見いだすことができない軍国主義を、勇ましいDV男の軍神様が体現しています。
芋虫となった軍国主義の日本に、義務として仕えた当時の日本女性の気持ちが、シゲ子の怒りと侮辱から感じとることができました。
「戦争が終わった」と聞いて満面の笑みを浮かべるシゲ子と、肉塊でしか存在できない軍神様の絶望死。女性の解放と家父長制の終わり。
この作品は、愚かな戦争を招いた「男社会(家父長制)」に従属させられた女性や死んだ女の子からの怒りと恨みを代弁しているようでした。
「平和な世界にどうかしてちょうだい。炎が子供を焼かないように。甘いアメ玉がしゃぶれるように」
人間関係の希薄さと濃密さ。
すごいズッシリきた。久々。
寺島しのぶは、ヘルタースケルターを観たとき「ずいぶんどぎつい役やる女優さんだなぁ」と思って、以来なんとなく苦手だったけど、これを見たら迫真の演技すぎて、もう恐れ多くて苦手とか言えない。
変わり果てた姿で戦地から帰ってきた夫を初めて見たときの困惑。
誰も助けてくれない孤独な日々がずっと続いていくことに対する絶望。
夫を憎み、愛し、軽蔑し、哀れみ、感情の起伏がどんどん大きくなっていき、次第に理性では抑えられなくなっていく。
それでも夫のそばにい続ける以外の選択肢がない、愚かなまでの強さと、どうすることもできない閉塞感。
「千年の愉楽」を見たときの閉塞感と同じ印象を受けたよ。
絶対そうなるって結末はわかりきってるのに、何故逃げ出さない!っていうね。
周囲の徹底的な見て見ぬ振りも、マジ不気味、マジ不快。
現代の介護やシングルマザーの育児も似たように苦しくて孤独な状況なんだろうなぁ。
「この日々がいつまで続くんだろう」っていう先の見えない不安と焦燥感に、いつの間にか蝕まれて壊れていく。
周りも、気付いてはいるし、どうにかしてあげたいと思ってはいるけれど、それを行動に移すに足る余裕も思いやりはない。
外国人がよく「日本人は優しい」と言うけれど、完全なる他者と完全なる身内には優しくても、他者と身内の中間に位置するような中途半端な「知り合い」には、そうでもないよね。
そう考えてみると、戦時中の映画という感じがしない。
しかし一方で、最近の若者は「公開プロポーズ」とか言って友達100人巻き込んで手の込んだサプライズを実行したりする。
そんな関係を築けた友人がいる人間も、この世界にはいるんだよな。
映画芸術の難しさが分かる一作
映像で語るという映画の本質に於いては非常に優れている。
だが、これもまた映画の難しいところ、語りすぎてもいけないのである。
その点でこの作品は語りすぎている。
舞台や状況設定は非常に良いもの(まさに日本人にしか描けないテーマ)を持っているだけに非常に残念である。
戦地で強かんをしていて四肢を失い、帰還しても欲望にまみれている男を軍神と崇め、反戦の信念を貫いている男や他人を気遣い食べ物を分け与える男をバカだ、非国民だと決めつける。 日本軍の輝かしい戦歴のアナウンスと共に映し出される悲惨な現実。
狂った時代、戦争の生み出す"狂気"というこの作品の主題が例えセリフが1つも無いとしても理解出来るほど丁寧に描かれる。
しかし、この丁寧さこそがこの作品の奥深さを奪った、たった数十分で作品が理解出来てしまうようにした原因なのだ。
うーむー・・・
戦争映画にしてはなんかエッチなシーンばかり目に余り、私にはコンベンション向けの映画に思えました・・・なんかがっかり。ちゃんと最後までみれなかったなぁ。心をつかんでもらえませんでした。
人間のさまよえる性(さが)
ピンク映画でならした監督の作品だけあって、人間のいやらしさ汚らしさをグロテスクに描いていた。
しかし、寺島しのぶが主演していなければB級のまま終わった感は否めない。「軍神様」の頭部の造りがあまりにも雑すぎる。あれもグロテスクさを出すための、意図的な演出なのだろうか。
寺島と「軍神様」の寓話は戦時中だけのことではない。
軍神様→「天皇のため」というお題目がなくなれば、ただのいびつな見世物にすぎない。→身体障害者に対する人民の本質的な態度。(現代に持ち越されている。)
軍神様の死に方があまりにも陳腐。見世物には死に方さえ選べないというわけか。芋虫ごーろごろ♪
軍神様の妻→「力」をなくした夫をいたぶりながらも、軍神様の妻として周囲に勝ち誇る。やられたからやりかえす、どこまでも続く「許し」のない世界。暴力と暴力のせめぎあい、すなわち戦。
反戦映画らしいが、軍神様が戦争行為を行うことはない。あるのはただのレイプ殺人。
軍神様を登場させておいて、「問題」を戦時下特有のものと錯覚させておいて、言いたいことをドン!ドン!ドーン!と見せ付けた監督。
自分以外のものによって生み出された「テーゼ」を盲信し、よろこんで踊っている人間様。
太平洋戦争で行った行為は昭和天皇と帝国主義によるもので、私たちも被害者なんですとうそぶく人間様。
自身の罪を正当化したままで、アメリカの原子爆弾投下をどうして責められるのか。
太平洋戦争が終わったことを「終戦」という輩をわたしは信じない。
自分達が負けたという事実さえ受け入れられない人の、いったい何を信じろというのか。
最後の砦だったかもしれない「成長神話」が崩れ去った今、盲信したがる民族は何を信じて生きていくのだろう。
ピンと来ない。
寺島さんが賞を取ったからでしょうか。
来客の様子は非常に芳しい感じでしたが。
内容、描写が想像通り(まぁまぁ。そこそこ)だったので、
この客の入りは意外だなと思いました。
個人的感想としては、観終わって、
「わからん事もないけど、ピンと来ない」
という感じでした。
反戦を訴えているのであれば、
受ける現実味も、衝撃も
特に何もありませんでした。
日本が参加する戦争は
この先のいつの日かまた
あるかもしれません。が。
劇中に観られる、男尊女卑や
愛国を即すプロパガンダなど、
極端な風潮は、恐らくは
もう訪れない事象ではないでしょうか。
これらを繰り返すなというのであれば、
もう、その日は来ない可能性は大きいと
思います。
今作は戦争被害者の悲劇。
「戦争がなにがし」と、言うよりは、
他所の見ず知らずの夫婦の
紆余曲折にしか見えませんでした。
今ひとつ興味を持って見続ける事が
出来ませんでした。
題材として、
戦争の虚しさを訴えるのだとしたら
「戦地に赴いて殺し合いをする兵士」
を描くよりも、
「負傷して帰還した兵士」のその後の日常は、
確かに格好の題材ではなかろうか。と思います。
でも観ていて、なんかが足りないな。
と思いました。
恐らくは、諸登場人物の心情に感情移入や、
共感が持てていなかったのだろうと思います。
個人的に実体験も無く、想像も困難な有様です。
しかしたとえば、
四肢を失った旦那がまだ
元気に日常生活を送っていた頃の
人となりを知る物語が事前にあったら、
「あの人がこんな風になるなんて…」
みたいな感じで、
印象は違っていたかもしれません。
セックス、食事、セックス、食事と、
ストーリー性が希薄なので、
これが戦争だ。っつうよりは、
訴えてくるものが
結局人間て生きている限りは、
食欲、性欲、睡眠欲ですよ。
って言う生物としての摂理を訴える
だけの映画ではないかと。
ワタクシゃ観ていて思いました。
どっちかと言うと、被害者視点の映画としては
「蛍の墓」の方が、戦争って理不尽だな。
と思ったかもしれません。
12日間で製作された90分弱の作品
との事ですが
もっと製作、上映の時間をかけてでも
徹底的に観るもののメンタルに対し
グロテスクで、「観なきゃよかった」
と、思わせる鬼気迫るものであっても
良かったと思います。
今作で、戦争に対する嫌悪感を
掻き立てるものとしては、
多分実際の映像であろう、原爆のきのこ雲と
転がる焼死体の映像、元ちとせの歌う
エンディングテーマの痛烈な歌詞でした。
あと、画像が綺麗だった為、1940年代感が
感じられませんでした。
これも、のめり込めなかった一要因かもしれません。
バンドオブブラザーズなどの様に、
近代の作品でありながら、
映像の質感から感じるその時代の雰囲気
と、言うのは実に大切な要素だと思います。
邦画は全般的に、ここいら辺のこだわりに
欠けていると思いました。
剥き出しの人間
「忘れるな、これが戦争だ」のコピーや公開日から反戦映画なんだと思います。
戦争はむごい愚かなことだとストレートに訴えかけてきます、
俳優が演じる撮影された映像、当時のラジオ放送の音声、当時の画像と映像によって。
加えて、当時と現代の価値観のものさしの違いも感じさせられます。
忘れてはならないこと、繰り返してはいけないことの物語が進行する中、
逆に変わらないものを寺島しのぶさんの演技から感じました。
それは人間そのもの。
食べて排泄して寝てヤル。奪い、犯し、争い、傷つけ、悩み、嘆く。
戦争も人間しか出来ない。
おしっこを受け止めて笑う表情。
村民の前で本心を隠す表情。
夫の欲求を妻として受け入れる表情。
軍神を犯す征服者の表情。
食べ物の恨みを抱く表情。
終戦を無邪気にバンザイと喜ぶ表情。
「忘れるな、これが人間だ」
剥き出しの人間の緊張感を寺島さんがず~っと演じ続けます。
観ているだけなのに疲れてしまうほどの演技です。
多分、反戦メッセージだけならばこんなにも疲れなかったと思います。
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