劇場公開日 2010年8月14日

キャタピラー : 映画評論・批評

2010年8月3日更新

2010年8月14日よりテアトル新宿ほかにてロードショー

単なる反戦映画を超えた哀しくも酷い性愛のスペクタクル

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これは、かつて軍国主義に陥ったこの国へ刃を向けつつも、ありきたりな反戦映画に終始することのない問題作だ。犠牲となった男女の哀しくも酷たらしい営みを通し、あの時代の総括を試みる過激でいびつな性愛のスペクタクルである。

中国戦線へ出征し正義の名の下に強姦と虐殺の限りを尽くしてきた夫が、妻の元へ無残な姿で帰還する。四肢を失い顔面は焼け爛れ「軍神」として崇められる夫。その視座から執拗なまでに映し出されるのは、勲章と勲功を称える記事、そして天皇皇后の御真影。名誉、煽動メディア、国家権力に翻弄され、“食べては求める”だけの肉の塊と化した夫への屈折した愛憎のプロセスを、寺島しのぶは見事に体現してみせる。異形への嫌悪は徐々に軍神の貞淑な妻としての誇りに変容するが、やがて偽善と欺瞞に満ちた戦争のシンボルとしての夫に怒りをぶちまけ、関係性は反転して妻は夫を性の道具として扱うまでになる。

エロスとイデオロギーをテーマに描き続ける若松孝二の集大成であることは言うまでもない。さらには前作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」の高校生戦士が発する絶叫が時空を超え今へと木霊したように、本作では強烈なイメージで現代を照射する。食欲と性欲だけを残し芋虫のようにのたうち回るグロテスクな姿は、だらだらと米国に依存した平和のなか経済を拠り所に生き長らえる我々と何が違うのか。「戦後」は未だ終わっておらず、愚行は何度でも繰り返されることを、若松は切実な思いで訴えかけている。

清水節

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