ヒア アフターのレビュー・感想・評価
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大好きな映画
公開当時、映画館に観に行った。静かに心に残る映画だった。
その年に3.11の地震があり、映画はまもなく上映が終了となった。あの地震がなければ、もっと沢山の人が観ていたかもしれない。
映画館での津波のシーンは、リアルで引き込まれた。
今日久しぶりに3回目を観た。
2度目をめったに観ない自分だが、また観たいなと思わせてくれる。
マット・デイモンを含む三人が、死後の世界を通じて交わる。
寂しい気持ちになる事もあるけれど、最後は幸せを予感させるのがいい。
音数の少ないギターの音色と、少し落ち着いたトーンの映像が、静かに映画に浸らせてくれる。
マットデイモンもさることながら、少し暗い無表情な男の子役の双子がとても良かった。
はじめ良ければ全てよし?
猿の惑星等、「結末は絶対に教えないでください」というキャッチコピーがあるが、この映画に関して言えば、「最初のシーンは絶対に教えないでください」といったところか。
私は基本的には事前情報なしに映画を見ることにしているので(劇場では本編上映前に予告編が流れるが、その時は目を閉じている)、冒頭の津波シーンの大迫力には度肝を抜かれてしまった。この映画一番の見所である。だが、その後は一変して、山場やクライマックス、オチというものもなく、静かな淡々としたストーリー展開となる。
結局、臨死体験や、霊能者の話となり、クリーンスト・イーストウッド作品とは思えないような内容になっていく(悪い意味ではないが)。
彼の作品は、大体において後味が悪いが、この映画に関しては、後味が悪いのか良いのかと感じる前に、尻切れトンボのドラマのようなエンディングになって、これで終わりかよ?と思ってしまった。
料理教室でペアを組んでいた女性=ブライス・ダラス・ハワード・・・ヴィレッジ(盲人役が素晴らしかった)や50/50に出てた人、父親は映画監督のロン・ハワードらしい)は、なぜ来なくなってしまったのだろうか?理由を知りたかった。
何も始まっていないし、何も終わっていない。
こういう映画があっていい。何も始まらないし、何も終わらない。個人的にすごく感じ入ってしまった。とにかく終わり方がいい。全ての物語は今ここから始まり、なにもかもが途中だということ。生きている限り。それを教えてくれた映画。素晴らしかった。
出だしの津波のインパクトから双子の事故までがインパクトすごくて そ...
出だしの津波のインパクトから双子の事故までがインパクトすごくて
その後どうなるかの期待がなかなか進まず、、、
ラストはイマイチわからなかったです。
なんとなく、また観たくなる
冒頭の津波はびっくりした。そんな映画なの?と。津波のシーン以外は単調。しかし飽きない不思議。子供が死んでしまうのはやはり辛い。
死後の世界について3人の主人公を通して考えさせられる。最後にはその3人が繋がる。なんとなく癒される、感動できる話。また観たい。
ヒアアフター=来世
すごい泣けた。マット・デイモンはまた才能に苦悩する役。
序盤の津波のシーンが日本人にはきついかも。
少年が可哀想だったけど報われた感じで良かった。
途中まですごい良かったのにラストが良くない。結局良い人に出会ったってだけ?あれは未来?ジョージの妄想?まぁ3人ともハッピーエンドっぽかったからそこは良かった。
「兄貴は人助けのためにやれって言うけど、助けが必要なのは俺の方だ」みたいなジョージの言葉めっちゃ悲しかった。
日本では2011年2月中旬頃に上映開始したが、津波シーンがあったため東日本大震災の影響を受けて早々に中止されたらしい。
Hereafter
与えられた能力と共存して自分の人生を歩くのは簡単なことではなくて、それを共感してくれる仲間はいない孤独さが見ていて悲しい気持ちにさせる。マット・デイモンは孤独と、諦めていくことに慣れている主人公を見事に演じていた。そしてそんな人は絶対に幸せなことが待っているんだと思わせてくれる映画だった。
双子の片割れを亡くした孤独なマーカスがやっと繋がりを見つけてまたジェイスと話せたシーンが涙が止まらなかった。出逢うべくして出逢えたマレとジョージのラストシーンもとてもロマンチックで良かった。
ロンドンに行きたくなった。そして料理教室の先生の人の良さもお気に入り。
3人の主人公の誰か1人に感情移入することで、映画の理解がさらに深まる!
クリント・イーストウッドが監督をし、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮を務めた映画「ヒアアフター」を見ました。
「死」を身近に感じた3人の主人公の、希望と再生の物語です。
1人は元霊能力者のジョージ・ロネガン(マット・デイモン)。
霊界と交信し、亡くなった人の言葉を聞き取る能力を持っています。
本人はこの能力を呪いとさげすみ、交信することを嫌がります。
2人目はフランス人ジャーナリストのマリー・ルレ(セシル・ドゥ・フランス)。
休暇中に訪れた東南アジアのリゾート地で津波被害に遭い
臨死体験をしました。それ以降、死にとらわれ、
時折、霊界の映像がフラッシュバックするようになりました。
3人目は一卵性の双子で弟の少年マーカス(フランキー・マクラレン)。
兄を突然の交通事故で失ってしまいます。
常に兄を頼って生活してきたマーカスは、兄の死を受け止めることができません。
全く関連のなかった3人の運命が交錯し、
人生に希望を見出していくまでのストーリーが描かれています。
3人のうちの誰か1人に感情移入しながら見ると
より楽しめるのではないかと思いました。
僕が感情移入したのは双子の弟、マーカスでした。
突然兄を失う展開にショックを受けたからです。
写真館での仲の良い描写から、ものの数分の展開で兄は事故に遭います。
母親は薬物依存症で施設へ入ることに。
父親はおらず、他に頼れる人がいません。
追い込まれた状況の中で、マーカスには何とか幸せになってほしいと感じました。
とにかくもう1度兄に会いたい。
その一心でマーカスは行動します。
頼みの綱は霊能力者。
しかしインチキばかりで肩透かしを受け続けていました。
どうしようもない気持ちになった時、ついに見つけたのです。
本物の霊能力者を!
それが1人目の主人公ジョージでした。
「彼は本物だから、観てもらって!」
私は心の中でマーカスを応援していました。
しかしジョージには霊界との交信を受け入れない理由があるんです。
その理由を知っているだけに、複雑な気分になりました。
最終的には兄の言葉を聞け、
マーカスは現世に希望を抱くことができました。
僕の心も満ち足りた気分になりました。
その後、更生施設に入った母親と再開することもでき
劇中初めてではないかと思える笑顔も垣間見れました。
今回僕はマーカスの視点に立ってストーリーを追いかけました。
1人の人物の人生を追いかけることで
映画への理解が深まり、より映画を楽しめたと思います。
共感する人物を変えれば、また違った見え方ができるのかもしれません。
死後の世界
マリー(フランス)は津波によって死を体験。その光景が忘れられず、復帰したキャスターの仕事も疎かにしてしまう。恋人でもある上司からはもっと休めと言われ、その間にミッテランの本を書くと約束する。が、臨死体験が頭から離れず、その道の権威を訪ねたりして、死後の世界“ヒアアフター”という本を書きだしてしまった。
ジョージ(デイモン)は幼少期の臨死体験により特殊な能力が身についてしまい、死者と交信できるようになった。兄はそれを“gift”だと言うが、彼は“curse”だと言う。そんな能力のせいで恋もできず独身のまま。一時は霊能力者として商売しようとしていたが、ジョージは呪われた能力から逃れたかったのだ・・・が、長年勤めた工場もリストラの波が押し寄せてきていて、料理教室で知り合った女性メラニーも自分の過去が全て知られることを恐れて彼のもとから去ってゆく。
少年マーカスと兄のジェイソンは母親と暮らしていたが、彼女はジャンキー。何度も福祉局の人が訪れるが、ようやく真剣に薬から立ち直ろうとしていた。そんな矢先、ジェイソンは交通事故で死亡。マーカスは里親に引き取られるが、兄とどうしても会いたいので霊能力者を探し求める。
3人それぞれの物語を同時進行させ、1年の月日が経ったとき、何かに引き寄せられるかのようにロンドンに終結。マリーの出版記念のブックフェア。もっとも、ジョージがそこへ行ったのは大好きだったチャールズ・ディケンズの朗読が聴けるからだったけど。そして、ネットでジョージの顔を知っていたマーカスが彼につきまとい。マリーのサインをもらったジョージが一瞬手を触れた瞬間、運命的なものを感じた。どこか『めぐり逢えたら』的な、終盤になってようやく繋がってくるというストーリーではあるが、その橋渡しをするマーカスの切なさに思わず涙。
それにしても冒頭の津波のシーンは東北大震災の前と後に観るのとでは感想に大きく差が出てきそう。それにロンドン地下鉄の爆破テロもあった。わずかではあるが社会派要素を取り入れた、めぐりあいムービーといったところか。死者との交信とか、死後の世界というのはプロットの中のアイテムに過ぎず、あくまでも生きている人間が過去と決別して生きていく姿を肯定的に描いた作品だ。最後の未来まで予知するかのようなキスシーンは不要だと思うぞ。なんだか新たな能力を身に着けたとのかと思われるし・・・
前半、もっと短くていい。
クリントイーストウッド、マット・デイモンで期待したのですが、残念でした。3人のストーリーが別々で展開していくのだけど、なかなか交わらない。交わったと思ったら、なんの驚きのない展開のまま終わります。津波のシーンもあんなに丁寧に流す必要ないし、死後の世界があっていいと思うし、見える人に何かいうつもりもないけど、映画としてはもったいない。待ってましたと思っていた、3人の展開だけど、双子の兄貴も大したこと言わないし、最後のキスシーンはいきなり始まって、全然感情移入できない。傷の舐め合いじゃないけど、社会に認めてもらえてない。
ちょっと残念な映画。
希望と再生。
空気が重いため、途中長く感じることはあった。少しの変化と希望の予感。
「希望と再生」のテーマに違わない。無理矢理な展開もなく、すごく劇的なラストでもない。祈るように安堵して、じんわり優しい気持ちになれる。良作。
帽子を脱いで前を向け!
噂には聞いていたものの、やはり冒頭の津波の映像は凄かった。
CGを使用しているのは重々承知した上でスクリーンを見つめてはいた。
元々CGがあまり好きでは無いだけに。普段ならばどんなに凄い映像であっても、ちょっとした違和感を直ぐに感じてしまうのだが…。
でもこの作品に関しては、一体どうやって繋ぎ合わせているのか?は、所詮俺みたいな素人の眼には全く解らない。
本当に「凄い!」と言う言葉しか出て来なかった。
単なる思いつきなので、作品の内容とは直接関係無いのだが。この冒頭のスベクタクルシーンを観ながら、ハリウッド映画に登場する。主人公が時折《見えてしまう》映画を、この時は考えながら観ていた。
《死》に取り憑かれてしまう。又は、《死》に関する真相を何とかして知りたいと、思い悩む主人公…として考えて。
1『フラットライナーズ』
2『アンフオゲタブル』
3『フィアレス』の3本を思い出した。
1は。若い研修医達が、神聖な患者の命を預かる身としては…と。死後の世界にのめり込んでしまうホラー映画。
2は。殺人事件の真相を探る為に…と。被害者の記憶を司る海馬の脳髄液を、自らに注射し。被害者の最期の瞬間の記憶映像を、何とか確かめたいと躍起になる刑事サスペンス。
3は。大事故に遭遇しながらも生き残ってしまった男の苦悩。
多少なりとも。ハリウッド映画には、娯楽映画としての側面が否めないので。それぞれの作品が、《死》とゆう事象に対して神聖に取り組んでいたか…とは決して言えないのですが。
その中では地味な作品ながらも『フィアレス』に描かれる男の苦悩が、比較的本作品に近い位置に有ると言えるのだろうか。
それぞれ主人公に当たる3人は、《死》に対し人一倍の辛い気持ちを抱いている。
見え無くても良い事まで“見えてしまう”為に、辛い人生を送って来た霊能者の男。
自ら体感した事で人生観が変わり、《死》に対して真剣に取り組みだす女性キャスター。しかし彼女は、周りからの反応の悪さに苦悩する。
少年は双子の兄の《死》に対して、全ての責任を背負い込んでしまっていた。
しかしそれだけでは無く、イーストウッドの凄いのは、この3人を取り囲む枝葉の人間達にまでも、《死》に対する苦悩のエピソードを盛り込んでは、優しい目線を観客に投げ掛けているところ。
余命いくばくも無い妻との“対話”によって、看護士との関係の悩みを、胸に抱え続けてた男の苦悩。
作品中には詳しく説明はされないが、自らの自堕落な生活が大事な息子の間接的な《死》の原因に感じている母親の苦悩。
台詞によって、死んだ父親との間に起きた関係を語り出す女性。彼女は人生のリセットを強く望んでいたエピソード等々。
『チェンジリング』では2つの物語を平行して描き、終盤で一気に物語を収束させる演出力を、世界に見せつけたイーストウッド。本作品では、3人による三人三様の《死》に取り憑かれた物語を平行して描き。やはり今回も終盤で一気に収束させる。その手腕の見事さには魂が震える程でした
本編終盤にて少年に向かって兄は「帽子は脱げ!」と語り掛ける。
ただ過去に対してクヨクヨしているだけでは、いつまで経っても前に向かって行く事は出来ない。
「前に進め!」とばかりに諭す。
霊能者の男と女性キャスターは、お互いの悩みを理解し合えるかも知れない異性との出現を感じ始める。
実はこの場面に於いて、突然の恋愛模様へと作品が変化する為に多少の違和感は拭えない。
しかし、この作品には全くと言って良い位に《死》を軽々しく扱う場面等は、微塵にも感じられない。
この作品のファーストシーンはリゾートホテルから海水浴場を見下ろしている。
この時の構図が『硫黄島からの手紙』のラストシーンと完全に重なっている。
祖国を、家族を、愛する人を想いながらも散っていった英霊達を敬う様に。
思い返して考えて見ると、最近のイーストウッドは。『ミリオンダラー・ベイビー』に代表される様に、人間の《死》に対する“尊厳”を描いて来た様に感じる。
『グラントリノ』にてイーストウッド御大が、自ら演じた頑固者。
それまで“過去を想い”生きて来た男は。自らの肉体を通して“未来”に生きる若者達の為に指標となるべく行動に出る。
やっと前を向いて歩き始める主人公達。
帽子を脱いだご褒美は、母親との面会を。過去との決別を決意した彼には、未来を見通せる能力をそれぞれ神様から授かるのだ。
実は昨年から数える程度しか映画館へは行ってはいない。
お金が無いのも有るが、やはり昨年の震災が個人的には大きい。何となく「映画観てる場合じゃ無いだろう?』…と。
でもこの作品を観て胸の中のつかえがかなり取れた思いだった
。
映画って本当に良いなあ。
ありがとうイーストウッド。本当に素晴らしい映画を観せてくれて。
(2012年5月26日 下高井戸シネマ)
クリント・イーストウッドの意図
正直、意味がよく解らなかった。3人をとりまく物語が最後に一つになっていくシチュエーションストーリー。でも、でも、でもでも雰囲気や細かいプロット、それぞれの物語が興味を引くものでなくってが正直あまり心が動かない。結局の所、脚本がつまらなすぎて最後のエンディング(おち)が全然理解出来なかった。何が、言いたかったのかイーストウッド?老いたな。
でも、知り過ぎない方がいいんだよ
映画「ヒア アフター」(クリント・イーストウッド監督)から。
「死者と語る人生なんて意味がない」という理由で、
霊能者を辞めた、肉体労働者のジョージが、
料理教室で知り合った女性に、その霊能力を使って欲しい、と頼む。
彼は何度も何度も断るが、彼女は引き下がらない。
霊能力を使う前に、彼が彼女に囁く。
「誰かのことを全て知るのは、いいことに思えるかもしれない。」
そう前置きをして「でも、知り過ぎない方がいいんだよ」と。
結局は、彼女の過去・人間関係を知ることになり、
元の関係に戻ることはなかった。
人間、生きていく上で、誰も知らないような「秘密」も必要、
そう教えられたような気がする。
好きだから、愛しているから・・あなたのすべてが知りたい。
そういう台詞は、ラブストーリーのワンシーンとしては素敵だけれど、
現実としては、息が詰まってしまい、ストレスが溜まることもあり得る。
適当な「秘密」と適当な「謎」の部分を持ち合わせた方が、
より親しい関係が築けるかもしれない。
これは、人間関係の大前提として、記憶に留めたい。
タイトルの「ヒア アフター」(Hereafter)は、辞書によると
「来世」の意味なんだろうけれど、あまり関係なかったなぁ。
「死後の世界」の方が、スッキリするのになぁ。
PS.
津波のシーンを始め、目を背けたくなる場面の連続。
たぶん、3.11の後では、作れなかったのではないだろうか。
クリントのトリック
美術では神・天使・神話および王侯貴族をモデルとしていたが、江戸の浮世絵は庶民を描き、十九世紀の印象派も普通の人々を題材とした。文藝も神話・伝説・英雄譚にはじまり、やがて普通の市民を描くようになる。バルザックもディケンズも十九世紀の人だった。
二十世紀に誕生した大衆芸術である映画では、いまも英雄や正義あるいは悪のヒーローが好んで描かれる。スパイ・連続猟奇殺人犯・銀行強盗・殺し屋・マフィアのドン。この映画の三人の主人公も特殊な人物である。
津波に襲われ臨死体験をしたことが契機となって、キャリアも愛人も失うフランスの人気ニュースキャスターの女。幼い頃に患った病のために臨死体験をし、霊能力に目覚め、霊媒師として働いていたがその仕事を嫌い、工場に勤めてもリストラされるアメリカ人の男。ヘロイン中毒の母を持ち、交通事故で二子の兄を失い、里親に預けられるイギリスの少年。三人の人物設定は、程度の差はあれ、バットマンやスパイダーマンと同じように特殊だ。
しかし物語には二重底の仕掛けがあり、三人に共通するものを探れば、ある過去のできごと(病気・天災・事故)を起点として、現在に大切なもの(人生・仕事・キャリア・恋人・愛人・兄・母)を喪失し、未来に希望を見いだせない人物が立ち現れる。これは誰にでも起こり得ることで、人間の存在に共通する普遍的な苦悩である。ここで特殊に見えた三人は普通の人々に変化する。
死もまた同じように、時と人を選ばない。他者の死に際して、人は問いかけ、答えを求める。答えも説明も最初から何もありはしない、と言い切れる人は稀だろう。答えを宗教に求める人もいれば、心療カウンセラーに求める人もいる。霊媒師に求める人もいる。そして、死に連れ去られた他者が、どこかにいまも存続することを願う。死者を忘れず、死者に見守られることを願う。死者をゆるし、ゆるされることを願う。「お兄さまは天使とともにいる」と答える神父と、「お父さまは君を見守っている」と答えるイカサマ霊媒師がそれぞれ果たす役割に大きな違いはない。
アメリカの男が霊媒を行うとき、ルールを立てて、被験者に質問にはイエスかノーで答えるよう促す。これは法廷において検事および弁護人が被告・原告・証人を尋問するときに使われる手法で、それぞれの目的(有罪か無罪か)に必要のない余分な情報を排除することを目的とする。では霊媒師が排除したかった情報とは何か。それは、津波のように押し寄せる被験者の苦悩と感情の束である。アメリカの男は自分が溺れてしまう前に、平静な人生を取り戻そうと、霊媒師の仕事を絶った。
臨死体験と霊媒という設定は、物語の切り口であって、主題ではない。臨死体験を数多く検証しても、霊魂の不滅や死後の世界の存在を証明することはできない。千人のイカサマ霊媒師の中に一人の有能な霊媒師を見つけられたとしても、何も証明はされない。イギリスの少年がアメリカの男はあの女の人が好きだと直感したように、アメリカの男も他者の感情や苦悩を感知する能力に長けているのかもしれない。イギリスの少年が霊媒のルールを破って、寂しい、哀しい、ひとりにしないで、と兄の霊に泣きながら訴えるとき、アメリカの男はもう霊媒師ではなく、少年の苦悩を分かち合い、二人ながらの痛みを癒そうと努める一人の人間にかえる。
他者の死に際して、人が説明や答えを求めるのは、この先を生きてゆくためである。悲惨な現実を受け入れて生きてゆく。答えを求めて人は尋ね歩く。それぞれが得られる答えの姿はさまざまだが、答えには同じ名がつくらしい。街のカフェテラスで待つアメリカの男がフランスの女の姿を目にしたとき、男の脳裏に鮮明な映像が流れる。霊媒師が予知能力を発揮したと見る観客もいるかもしれない。だが、このラストシーンは、男が見る幻こそ求めている答えだと静かに差し出し、その幻を「希望」と名づけていた。
女と握手を交わし、掌を重ね合っても、もう男は悪夢を見ない。
静かに丁寧に描いたオカルト
霊能者と臨死体験をした女性、双子の兄をなくした少年。
この3人のこころの繋がりを描きたかったのか何なのかわかりませんが
もともとがオカルトレベルの話なので(霊能者自体が)
3人がそれぞれなぜ繋がり合ったのか理解できなかったし
まったく共感できずで終わりました。
ラストの霊能者が女性とキスする自分を想像しているあたり
ただ気持ち悪い男と取られても仕方がないかと。
ダサい上着を着たさえない、リストラされた霊能者と
年を取ってTV映りが厳しくなったアナウンサーなど
全般的に地味に仕上げて現実味を出したかったのかもしれませんが
思い直してみても所詮オカルト。
それ以上でもそれ以下でも無いですね。
残念でした。
一瞬の先も予測不可の人生でも、人は人と繋がる事で活かされる
予想通り秀作でした。しかし、311を体験した人達を知り合いに持つ日本人には、どうなのだろうか?希望に向かって生き、自分を取り戻そうと努力する3人の姿には、励まされる気がする!
CW監督作品は、どれもみんな好きな傾向にある(硫黄島からの手紙を除く)
この『ヒア・アフター』は正月から観るのを楽しみにしていた。しかし仕事が忙しく観られない間までいたら、東北震災が起きてしまい上映が中止になり観る機会を逃していた。
上映中止前に観ていた方々は高評価でしたので、どうしても観たくてアメリカからDVDを購入して観た。
やっぱり好きな作品だ。人間に対する温かく、細やかな監督の目線が作品全体に流れていて共感した。一部分仏語の台詞が英語の字幕で、詳しく理解出来ない点があったが、6回位見直した。
それでも、飽きる事も無く、評価の下がる事も無く、何度観ても心にしみる作品だ。
私は生涯のベスト映画5としてこの映画のタイトルをあげていたにも関わらず、レビューが中々書けないでいた。気持ちの整理が出来ずにいたからだ。
阪神大震災を体験した、大森一樹監督が、ある映画雑誌でこの映画を褒めていた。そしていつの日か(この映画が見られる位に心が回復したらと言う意味かも知れないが)この作品が観られる日が来ると良いと言い、魂の再生の旅の話しなので、きっと励まされ希望をこの映画から得る事が出来るだろうと言う様な意見を述べておられた。
大森監督が昨年『津軽百年食堂』でロケをした場所が、また今回の震災で被災地になったと言う大森監督も震災と御縁の有る、大変御苦労の多い監督さんである(私の好きな監督でもあります!是非大森作品を観て欲しい)
江原さんの様な、霊感が有って、読心術が備わり、過去が観られると言う友人を知っているが、やはりこの映画のジョージがそのン能力をギフトと言うよりは、呪いと言うが、その様な苦しみを当人は抱えているようだ。一方私達凡人はそれでも尚、愛する人の死を乗り越えるには、その死の世界の先に有るもの、あの世の世界を知りたがる。
いずれは誰一人として、残される事なく、漏れなく全員に体験する機会が平等に与えられているのに!全くハズレ無しなのに!!
ジョージとマーカスとマリーの三人の関係から、人の運命と、人の縁と言うものは人智を超え、総ての境界線を越えた、何処か神様の世界の一部と繋がり合っていて、総ての人には、多様な目的と才能と出会いが上手く織り成されていることが人生そのものであると80歳に成るCW監督は、一歩先を歩む者として、私達に生きる道を指示していてくれる気がする。
死後の世界の確信は出来ないが、しかし人を愛し、助け合い繋がり合いながら生きると言う事は、この映画から学んで行きたい気がする。
自粛
あまり印象にない映画。
ただ、津波のシーンは3.11と同じ感じ。
この映画を観たときは3.11前だったため、
津波に関して恐怖を実感できなかった。
日本では3.11以降公開中止になったらしい。
マットデイモンがもっさりしていた印象しかないな・・
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