「大胆な、自問自答」ヒア アフター ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
大胆な、自問自答
「硫黄島からの手紙」「父親達の星条旗」などで知られるクリント・イーストウッド監督が、「インビクタス」に続いてマット・デイモンを主演に迎えて描き出す、重厚な人間ドラマ。
生と、死。この誰しもが避けて通れない生きていく上での難問に真っ向から挑み、人間の弱さ、苦しみ、そして救いを丁寧に追いかけていく。世界的に高い評価を受ける作品を近年連発してきたリズムを崩さず、今のタイミングでまた新しい物語を届けてくれた。
だが、本作はこれまでのイーストウッド作品とは趣が異なる。戦争の悲劇、人種と偏見、そしてマカロニ・ウェスタンから描く男の格好良さ。明確なメッセージと声高な主張を真っ直ぐに叫んできた過去の作品群と比較すると、明らかにテーマが曖昧である。珍しく、観客の理解を無視した世界を作り上げている。
これは、どういうことなのか。本作を貫くのは「これで、いいのか?」という疑問と、「こうするしかないよね」という諦めの繰り返しである。映画という大衆的な芸術を用いて、イーストウッド監督は堂々と自問自答の物語を提示する。
本、チャールズ・ディケンズという極めて謎多き作家、そして変化し続けるメディアの内側、そして、死。徹底して掴み切れないテーマを物語の中に投げ込み、観客の理解をやんわりと否定する。というよりも、作っている監督自身、敢えて理解できない要素を持ち込んで世界をかき回している印象が強い。ここに立ち現れるのは、自己主張の名の元に、力強く観客を説き伏せてきた芸術家としての自分を改めて見直す視点ではなかったのか。「これで、良かったのか?」「でも、こんな考えだってあるけどね」と。
極めつけは、終盤、主人公の一人である少年が名のある霊能力者を訪ねてまわる場面である。それらしい言葉や道具を用いて、嘘を誤魔化している霊能力者たちはそのまま、手を変え品を買え観客を驚かせてきた映画監督としての姿に重なる。「これで、良かったのか?」立ち止まり、これまでの自分を振り返るイーストウッド監督の姿が垣間見えてくる。
主張を抑え、大仰な音楽を抑え、生と死の物語にくるんで自分自身の内的葛藤を開けっぴろげにした本作。マカロニから始まった映画監督としてのキャリアを汚す事無く、このようなプライベートな色を強く放つ作品を自信を持って発表できる監督は、非常に稀である。
「これで、いいんだ」観客は作品を真摯に鑑賞することで、作り手の背中を力強く押すことが出来る。本作をもって、イーストウッド監督の更なる映画への意欲と、挑戦が促されることを心から、願う。