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映像による力の凄さを、まざまざと見せ付けられるドキュメンタリーなのだが…。
日本人ジャーナリスト長井健司さんが射殺された映像は、我々日本人にも衝撃的だった。
ビルマでの軍事独裁政権の、民主化を訴えるデモの弾圧。それを克明に記録した映像の数々。
撮影しているのを見つかれば即刻投獄!
その恐怖たるや察するに余りある。
多くのジャーナリスト達が、“死を覚悟”しながら撮影した緊迫感有る映像は、本当に凄い!
小さな力が、やがて物凄いうねりとなって民衆を呑み込んで行く様子が克明に撮されている。
まさに歴史的価値の非常に高い映像だった。
だったのだが…しかし。
監督自身も始めは民衆の中に紛れ込みながら、必死に撮影していた。
だが、当局からマークされ始めた事から、やむを得ず多くの仲間が配信して来る映像を纏めたり、電話連絡を取り合ったり…と、直接民主化運動には参加出来なくとも、間接的に関わってはいた。
しかし、この監督はそれだけでは満足出来なかったのだ!
どうしても民主化運動に“直接”参加したい。
その事が、ドキュメンタリーとしては少し疑問の残る作り方をしてしまったのだった。
彼は送られて来た映像と、仲間と絶えず連絡を取り合った電話の会話の内容を、当時の映像とシンクロさせるドキュメントを編集した。
それ自体には何の問題も無いし、実際にこの監督は現場に居合わせた多くのジャーナリスト達と、《本当に》リアルタイムで連絡を取り合ったのは間違い無い。
たがこの監督は、“参加出来ない悔しさ”を、カメラのフレームを自分に向ける事で、“自分自身も参加している”そう思い込んで居たのだ!
その“自分自身”の姿を含めて、リアルタイムで世界中で見せられたら…。
そこに問題が有った。
今となってはリアルタイムでは無いのだ!
99%本物では有るが、1%の疑問が残ってしまったのだ!
“本当”は送られて来た映像を加工してなど居ないのだが、“今では”それが可能なのだ!
自分自身を映した事で、ドキュメンタリーとしての成立が怪しくなってしまった。
何故かと言えば、監督自身の映像を挿入した為に、世界中に配信されている映像を巧みに編集し、それに音声を被せれば、誰にでも製作出来てしまう。これもドキュメンタリーです…として成立してしまうのだから。
その事が本当に勿体無い。
(2010年5月26日【シアター】イメージフォーラム/シアター2)