「期待通り」ソーシャル・ネットワーク 世間知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
期待通り
巷では「21世紀を代表する一作」とか評価されてるけど,やっぱり評価され過ぎの感は否めない。結局この宣伝文句って要はこういう題材を取り上げた映画が初めてだったからってことに尽きると思う。その分では内容は至ってシンプル。「成功と引き換えに友情を失う」ってことだけど,そこを丁寧に作り上げてるなぁと思う。
全編会話劇の映画で冒頭からマークが喋りまくる。この役を演じたジェシー・アイゼンバーグの「目の動き」に個人的にハマった。殆ど目線を動かさずに相手だけを見る。その目の動きでイノセンスなんだけど高圧的で自分より劣ると思った相手には上手に立とうとしがちな性格が垣間見えるなぁと思った。だから後の展開でウィンクルボス兄弟を「裏切る」展開にも何となく納得出来た。
彼女に振られた腹いせがフェイスブックのきっかけになっているけど,その割にはその後フェイスブックのディテールやその繁栄具合を示すのが「アクセス数」の一点にしか存在しなくて,それで良いのか?と思ったりもするが,フェイスブックを使ってない自分なりに解釈すると,友達を増やすということのみに価値があるからそれ以上繁栄を表す表現は必要ないと意図的に演出しているということなのだと思う。結局,マークは女とやりたかっただけだし。
と理解すると「インターネット社会に対するステレオタイプ」が残ってるようにも思う。フェイスブックが如何に凄いかということに対して説明していないから。でもこれも大学の「ファイナルクラブ」との対比で解決するのかな。ファイナルクラブという一見華やかにして排他的な組織社会をバカにする存在がフェイスブックだということが表現できてると思う。
映画の中で印象的だったのはマークとエドゥアルドの電話のシーン。人物をスクリーンの同じ位置に置いて背景で起こっていることの対比をさせている。ここに「2人の後ろで世界が変わろうとしている」というニュアンスを感じた。実際,マークは自分の意図しないところでエドゥアルドを排他しようとしてたことを後に知ることになっているし,エドゥアルドもいつの間にかフェイスブックの中で厄介者扱いになっている。マークとエドはフェイスブックという「交友関係」を広げすぎた余り互いを見失っていたんだなぁと思ってすごくエモーショナルに感じた。
マークは「クールなSNS」を作ることだけを考えてきた。そしてショーンパーカーと出会うことで自分の目指すものを掴むのだけど,大きくなったオフィスの壁のデザインとかなんかやりすぎてしまった印象を受けた。マークはオシャレノイローゼにかかってしまっていると思った。それがエドゥアルドとの軋轢を決定的にしたことは言うまでもないと思う。
細かいところにいちゃもん付けると,やっぱり音楽が絡むと上手くいってないように思える。インターネットが絡むからって電子音楽的なBGMは逆にギクシャクしてしまう気がするし,クラブ描写は素人の自分から見ても「ないな」と思う。ダサかった。敢えて客観的に見てダサくなるようにしてるのかもしれないけど。
でもこういう映画ってやっぱり「今」見ることで得るものが大きくなると思う。ツイッターにハマってそこでしか言いたいことを伝えられなくなっている自分を客観的に見て「これでいいのか...」と思うこともあるし。現実にこうやってパソコンに向かって誰とも知らない人にこの映画の感想を伝えることが既にデヴィット・フィンチャーが伝えようとしていることの一部になっているのではないかとも思ってしまう。
結局絶賛トーンになっちゃった。冒頭のとおり褒められすぎてるように思うけどそれでも見てよかったなと思う作品でした。