劇場公開日 2011年3月18日

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「まるでお伽話でも語るかのようなファンタジックな映像で、コーエン兄弟の演出の幅広さにびっくりしました。」トゥルー・グリット 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0まるでお伽話でも語るかのようなファンタジックな映像で、コーエン兄弟の演出の幅広さにびっくりしました。

2011年3月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 西部劇は、米国の建国神話といっていいでしょう。ジョンーフォードは米国人の心の故郷として描き、セルジオーレオーネは悪と残酷の世界として描きだしました。片や『美化』。そして一方は『醜悪化』の収斂される世界。けれども今や、どちらもリアリティーを失ってしまっているのではないでしょうか。

 本作は、ジョンーウェインがオスカーを手にした名作「勇気ある追跡」(1909年)のリメーク。ジャンルとして消えた西部劇を、新鮮でリアルなドラマとしてよみがえらせのがコーエン兄弟監督。

 コーエン兄弟というと、まず思い浮かぶのは、『ファーゴ』や『ノーカントリー』の無慈悲に殺戮するシーン。ついで『バーン・アフター・リーディング』でのブラックユーモアをつい連想してしまいます。とにかく一癖も二癖もある映像が身上だけに、本作のような復讐劇であるなら、かなりシュールな展開を予想して、身構えて試写会に臨んだものです。

 話はほぼ同じですが、印象はオリジナルとかなり違っています。のっけからほのぼのとした音楽に、まるでお伽話でも語るかのようなファンタジックな映像。これまでの西部劇とは思えない演出で、主人公の父親が殺されるところが説明されていくのです。

 それもそのはずです。本作はオリジナルと違って、少女の目から復讐劇を描いているのです。しかも、その少女が老境を迎えたとき、昔を振り返って、自分の復讐のために、命をかけて助太刀してくれた二人の勇気ある西部の男たちを思い出すという体裁だったのです。だから、どことなく西部劇の荒々しいリアルティがデフォルメされて、男たちの心意気や優しさが滲む、ヒューマンストーリーっぽく見えてしまうのです。
 けれども、後述するようにちゃんと監督らしい残酷さや滑稽さは健在でした。

 さて無法者に父を殺された主人公のマティは、当時まだ14歳の少女でした。そんな彼女は、何とおませな女の子!法律の知識に巧みなマティは、口達者に父親が予約してあった新車のムスタングをキャンセルし、ついでに父親殺しの犯人チェイニーが奪っていった駿馬の、管理不行き届きによる弁償料を、管理会社からもぎ取ることに成功します。大人顔負けの弁舌でした。ここでちゃっかりと、助っ人の保安官を雇うギャラをマティは調達してしまうのでした。

 噂を頼りに真の勇気がある助っ人としてオファーしたのが、アイパッチが目につくコグバーン保安官でした。けれどもそいつは大酒飲みで、ホラ吹きに近い自信家。こんなおっちゃんが役立つのかと思いきや、銃の腕前は確かで、なかなか使える男だったのです。
 問題は、途中から助っ人として同行することになったラビーフとの相性。彼は誇り高いテキサス・レンジャー。保安官もレンジャーも、臆病なくせに虚勢を張って、いがみ合います。

 特にコグバーンは保安官として疑問です。正義漢ぶっている割に、平気で人を傷つけ、殺します。おまけに先住民の子供なんか見つけると、何度も蹴り倒してしまうのです。当時の差別感情でいえば、「当たり前」だったのでしょう。今の常識では考えられない正義漢ぶりでした。
 その残酷さや滑稽さは、コーエン兄弟がこれまでの作品で描いてきた人間像にも通じているのではないでしょうか。
 それでも3人は時に協力し、時に反発しながら荒野を旅します。
 その間に、画面に映し出されるのは、高い木からつるされた死体だったり、雪の中に突然現れる熊の毛皮をかぶった男だったり、荒涼としながら幻想的で美しい風景。少女の目線で映し出されていく荒野は、どこか異様に見えます。それは大人の世界を垣間見たという比喩でもあるでしょう。少女の真っすぐな目で、いがみ合うふたりの大人の姿は、どこまでも滑稽さに満ちていました。

 やがてコグバーンの余りの物言いに、キレたラビーフは別行動をとることになってしまいます。その結果、ラビーフは勝手に動いてしまい、コグバーンの立てたチェイニーの尾引だし作戦を台無しに。手下の跡をつけてチェイニーの居所に辿りつくはずだったのにを、すっかり手かがりを失ってしまうのです。ラビーフは強気にコグバーンには言い逃れするものの、マティには素直に詫びるところが印象的でした。そしてラビーフは、別れを告げてマティの元を去ることになります。でも、決して彼は諦めてはいなかったのです。一度約束したことは、銭金抜きにやり遂げるという誇り高き心情が、本作の魅力の所以といえそうです。

 手かがりを失って、諦めるしかないとコグバーンがマティに諭すシーンから、ぐんぐんストーリーは、反転していきます。
 圧巻は、やはりチェイニーの所属する、お尋ね者のネッドの一味との対決シーン。コグバーンがひとり馬に跨り、4人の敵を拳銃でなぎ倒していくシーンは、爽快です。もちろんラビーフも、自慢の狙撃の腕前を披露するばかりか、マティも大活躍します。
 けれども、本当の圧巻はこの銃撃戦ではなく、そのあと重傷を負ったマティを助けるべく、コグバーンが抱きかかえて、駆け抜けるシーンでした。星空のなかを、必死で走るコグバーンの姿にとても感動しました。

 終盤になんで男たちが報酬を受け取らず、マティの元から静かに消えたのか、劇中では気がつきませんでした。でも映画が終わってみて、その理由となるシーンをふと思い出したとき、男たちのプライドを重んじる粋な気持ちが見えてきて、そうなのか!とグッと感動がこみ上げてきたのです。
 重厚な西部劇を期待したムキには、ちょっと物足りなさも感じるかも知れません。でも本作が、コーエン兄弟監督のなかで一番のヒット作となった要因として、ふたりの男が。口癖のように、もう降りると文句を言いつつも、主人公の少女に命をかけて協力する姿に感動してしまうのですね。特に欧米の人は、男たちに騎士道精神を見つけて、多いに共感し、本作を支持したものと思われます。

 真の勇気ある人とは、名誉こそ大事であり、名誉を損なうくらいなら、金銭にはこだわらないという男たちの心意気。その勇気は、もちろんきれい事でなく、西部で生き残るための残酷さや滑稽さと、混然一体となっています。
 映像には、二人の保安官のその後は描かれませんでしたが、見返りを求めない潔さには、こんな男たちが確かにいたという実感が、しわじわと感動に変わっていったのです。

 それにしても、だみ声のコグバーンを演じたジェフ・ブリッジスは、アクの強い西部のオッサンぶりを良く表現していて、いかにもコーエン兄弟の主役に相応しい個性を放っていました。ハビエル・バルデムといい勝負でしたよ。

 哀愁を誘う音楽がグッドです。

流山の小地蔵