「家臣としての生き様と死に様」最後の忠臣蔵 CRAFT BOXさんの映画レビュー(感想・評価)
家臣としての生き様と死に様
元禄の世に討ち入りを果たした赤穂義士討ち入りの話(以降、ここではあえて「忠臣蔵」とする)は、江戸時代から脈々と日本人に受け継がれてきた。その中心的な役割を果たしたのが、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』である。
この『仮名手本忠臣蔵』からして、討ち入りとは直接関係のない「お軽勘平」という悲恋のサイドストーリーを盛り込み、成功しているのだが、歌舞伎では、「忠臣蔵外伝」として様々なサイドストーリー、いま風に言えばスピンオフを生み出した。その代表例が、「お岩さん」の『四谷怪談』である。本作は、そんな「忠臣蔵外伝」である。
瀬尾孫左衛門という実在の人物が主人公。瀬尾孫左衛門といえば、忠臣蔵が好きな人の間では、とてもメジャーな人物である。彼は、赤穂浅野家の家臣ではない。瀬尾は、あくまでも大石内蔵助の家臣であって、浅野家にしてみれば陪臣でしかない。つまり、本来は、他の赤穂浪士のように浅野内匠頭という殿様の仇討ちに参加する資格がない。
そこを、大石内蔵助に懇願し、特別に仇討ちの盟約に加わらせてもらった。ところが、討ち入りの日程が決まってから、いざ討ち入りという段になって、2日前に脱盟した。矢野伊助という足軽の男とともに、最後の脱盟者である。赤穂義士討ち入りの中心人物である大石の家臣であり、大石の信頼を得ていたとされ、特別扱いされたにも拘らず、直前になっての裏切り行為は、多くの忠臣蔵関連のストーリーの中で取り上げられている。
本作の原作者である池宮彰一郎は、この瀬尾孫左衛門の行動を「裏切り行為に見えたが、実は大石内蔵助から特別な密命を受けていた」と解釈して独自のストーリーを構築した。
史実の討ち入り事件は「赤穂四十七士」とされるが、そのなかで唯一の生き残りが、寺坂吉右衛門という男だ。この男は、討ち入りの後に赤穂義士たちが泉岳寺にある浅野内匠頭の墓へ向う途中で、どこかに消えたとされ、赤穂義士たちが切腹による死罪となったのに対して、それを免れて生き残った。
この人物がなぜ生き残ったのかというのは諸説あるのだが、忠臣蔵モノの多くでは、この寺坂吉右衛門が、大石内蔵助から歴史の生き証人として、討ち入りの様子を正確に伝えるという役割を得ていたという創作をしている。本作もまた、その創作を前提に、寺坂吉右衛門が日本全国に散った浅野家家臣の遺族に、大石から預かった見舞金を届けるために行脚するという話から物語が始まる。
討ち入りから16年後、ようやく遺族の家をすべて回った寺坂吉右衛門は、十七回忌法要が行なわれる京へと向かう。その道中で、討ち入り直前に遁走した瀬尾を見つける。瀬尾と親しかった寺坂は、その真相を知ろうとするが、瀬尾は友人である寺坂にすら逃げた理由を明かそうとしない。
実は、瀬尾は大石内蔵助が妾との間にできた娘を育てていたのだった……。
前置きが長くなったが、とても良い映画だ。
「忠臣蔵」という美談の裏には、実は生き残った者たち悲劇がある。討ち入り後、江戸を中心に赤穂義士の忠義が美談として持てはやされる。それは全国にも飛び火する。討ち入りした遺族たちは、犯罪者の遺族であるにも関わらず、様々な支援を受けられたと言われる。子どもがいる家では、大名に家臣として取り立てられたケースもある。その一方で、討ち入りに参加しなかった元赤穂の家臣、とくに討ち入りの密盟に加わりながらも、途中で脱盟した人物たちは悲惨だった。一生、身分を隠して過ごす者も少なくなく、家族に言われて討ち入りを断念したにも拘らず、討ち入り後にその家族から勘当された者もいる。
劇中で、月岡治右衛門(柴俊夫)が、瀬尾孫左衛門(役所広司)を罵倒し袋だたきにするシーンがある。しかし、月岡自身が、相当に悲惨な体験をしていたはずである。その恨みつらみを、浅野家から見れば陪臣であり、身分が低く、裏切り者の代表者である瀬尾にぶつけているのだ。
そうした「生き残った元浅野家家臣」の悲劇が、このドラマの背景にある。
原作では、もっとミステリー仕立てになっているが、そこは2時間強でまとめるために、実に上手く整理している。徹底して、瀬尾と、大石の忘れ形見である可音(桜庭ななみ)との関係性にクローズアップした事が効果的に成功している。
原作にはない人形浄瑠璃の描写も効果的だ。この人形浄瑠璃の演目は、男女が道ならぬ恋の果てに心中する『曾根崎心中』だ。江戸時代、忠臣蔵とともに、爆発的にヒットしていた戯曲である。
この人形浄瑠璃を度々写し込む事で、まるで瀬尾と可音の間に、道ならぬ恋愛感情があったのではないかと匂わせる。しかし、ハッキリとそれは示さない。
瀬尾は、大石との約束通り、可音を伝説的な豪商・茶屋四郎次郎の息子に嫁がせる。その婚儀が終わらないうちに、瀬尾は一人で可音と暮らした山奥の自宅に戻る。そこに、人形浄瑠璃の映像を挿入する。ここで示唆されるのは、「心中」=自害である。つまり、「道ならぬ恋」として『曾根崎心中』を利用しているだけでなく、瀬尾が最終的に切腹する事を暗示させるために、『曾根崎心中』を使っているのだ。
そして瀬尾は、見事、一人で切腹を果たし自害する。
瀬尾は、自分が討ち入りに参加した赤穂義士の一人であるという自負を16年間抱きながら生きてきた。自分に与えられた役割は、討ち入りで吉良上野介を殺す事ではなく、大石が無事に討ち入りを果たせるよう、大石の家臣として彼の心残りを解消するため、隠し子を無事に育てる事。その役割を全うする事を支えに生きてきた。
役割を果たした赤穂義士にとって、最後にすべき事は、大石たちと同じく切腹し、大石の待つあの世に行って、自分の役割を果たしたと伝える事。
まさに「最後の忠臣蔵」である。
この創作劇の中で、もし瀬尾が死ななければ、瀬尾は美談の一人としてもてはやされる立場になったろう。何よりも茶屋四郎次郎の後ろ盾を得た事になり、一生遊んで暮らすことも出来たはずだ。しかし、瀬尾はそんな残りの人生を選ばなかった。
「武士として忠義とは何か」
瀬尾の16年の生き様は、まさにその事を見せつけるものだ。
原作ではもっと重要な扱いを受けている寺坂吉右衛門(佐藤浩市)が、小さい扱いになっているのは残念だが、映画化の整理の都合上、致し方ない。ただ、そんな寺坂は、大石から生き残るという役割を与えられた設定である。瀬尾の最期を看取った後も、寺坂は自害する事は許されず、役割を果たし続けなければならない。
瀬尾が最期に切腹して自分の役割を全うした事に対して、生き残る役割を与えられた寺坂。この対象が、本作を見終わった後に深い余韻を残す。
2000年頃から時代劇の新時代とも言える。様々な秀作・良作が生まれたが、本作の出来はその中でも特筆できると思う。
ドラマ『北の国から』の演出で有名な杉田成道が監督しているが、本作で映画史にもしっかりと足跡を残したと言える。
役者について言えば、役所広司が素晴らしい。元花魁を演じた安田成美も良かった。
また、長沼六男に撮影も素晴らしい。『魚影の群れ』『学校シリーズ』『たそがれ清兵衛』など、素晴らしい映像をたくさん残しているが、本作の映像もまた、長沼の代表作だと思う。