劇場公開日 2010年6月5日

「まぎれもない傑作」告白(2010) かみぃさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0まぎれもない傑作

2010年6月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

知的

拙ブログより抜粋で。
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 命は軽いか、重いか。もし殺人を犯しても裁かれないなら、それは“軽い”のか。
 風に漂うシャボン玉に大切なものを思う心があれば、そこに軽いも重いもないと気づくはずなのに。

 映画は、松たか子演じる女教師・悠子の“告白”で始まり、その冒頭のホームルーム後、次々と別の告白者に独白がリレーされ、それぞれの主観から事の真相が少しずつ判明していくという構成。
 予告編などでは先生の娘を殺した生徒は誰か?と煽っているが、悠子の最初の告白で犯人はすぐに判明する。
 この映画の主軸は犯人捜しではない。犯人はわかった上で、その真相が二転三転していく過程が一級のサスペンスとなっている。
 そして浮き彫りになる心の闇、負の連鎖。

 それぞれの主観が変わることによって事実の見え方が変わるという構成から、黒澤明監督の名作『羅生門』(1950年)を思い出したが、そんな安易な発想すら墓穴のミスリードだった。
 この映画で打ち明けられる各々の“告白”は、観客の目線を切り替える主観のように見せかけて、実は嘘や願望も含んだ、体裁を取り繕った告白。観客はそれを客観的に見させられていたのだった。
 全体で見れば、「こんなこと現実にはあり得ない」と思う(思いたい)が、個々の登場人物の行動はさもありなんと思わせる無理のない展開で、そこから連なる負の連鎖が恐ろしい。

 キャスト陣の素晴らしい演技もその説得力に貢献する。
 とりわけ松たか子が凄い。静かに語りかける口調の裏側にある揺るぎない復讐心。そしてラストカットのなんとも言えない表情が目に焼き付く。
 中学生の子どもたちも、よくぞまあ、こんな役をという熱演だ。

 映像詩のように日常の風景が淡々と、しかし緊張感が途切れることなく提示され、先の展開は予断を許さない。
 何度も登場するミラー越しに切り取られた光景は、観客の同情を拒否し、距離を置いた目線で客観的にこの事件を見つめさせようとしているかのようだ。
 直接的には悪をあげつらわない。もちろん肯定もしない。人間の心の闇を露わにし、目の前に提示し、その判断はそれぞれの観客にゆだねられる。
 すべてを語らず曖昧にされた“余白”が、「いじめはいけない」とか、「人殺しはいけない」とか、そんな安易な感想を封じ込め、考える時間を与える。決して巻き戻せない時間を。

かみぃ