(500)日のサマーのレビュー・感想・評価
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過ぎ行く季節のように
GW最終日だし、きゅんきゅん恋愛映画みて休日を終わらせようと思ったが、心にもやもやが残る作品であった。
「友達」や「恋人」という言葉で関係を固めなくても、その時が楽しかったり、幸せならいいと思う人はサマーのみならず実際にいる。彼女のような自由奔放さは、軽くて楽しいのだけれど、過ぎ去る風のようにいつの間にか消えてなくなる。
恋人になって、「誰かの所有物になるのは最悪」。彼女の言い分は分かる。だけど運命だと思われた人に、運命ではなかったと言われること。そして運命の人に出会ったと言われること。「あなたとは違う気持ち」を感じたと言われること。これはあんまりだと思います。
かといって彼は夏から秋に向かっていくのだから、恋愛における運命とは必然ではなく偶然とも思ってしまうのである。
18歳未満(だと思う人)禁止
出ましたよ、DVD商法
この映画、時系列をあっちゃこっちゃばらばらに並べてるんだけど、効果は特にない。チャプターで時系列版をやると、男と女っていつだって喧嘩もするし、べたべたするんだよねってことがはっきりしすぎるから、本編のだまし編集が実はたいしたことがないことを露呈してしまうしね。
でもきっと、一生懸命時系列で追う人がいるんだろうな
ご苦労様です
それはさておき、この映画の好きなところは、運命も偶然も答えを出していないところ。ナレーション、あれは騙しですから。もっというと、後悔することが決してふられた男にとって、先の糧になると決して言っていない。ま男はたいがい後悔を糧にしようとするんだけどな。
嫌いなところ
サマーとの関係以外は、恋に破れて、落ち込み、やがて奮起して幸せを掴む、みたいな、おいおいなんじゃそりゃ、な話。どうせなら、会社を辞め、建設会社に入ったあと、振られるほうがリアリティあり、楽しいのにな。
社会人で、恋愛妄想に浸る主人公はどうかと思うが、精神年齢18歳未満だと思えばいい。しかし多くのレビュアーさんが言っているように、あーあの時オレもそうだった、って振りかえって楽しむ映画なので、主人公のような人は、サマーのような子に恋してしまったら、ヤレても、自分がハンソロに見えたり、踊ってはいけない。とにかく技を磨こうな。
これ以上書くと、恋愛マスターかと知人に笑われるので、やめとく。
見せ方が面白かった
アメリカの恋愛事情は分からないですが、主人公のウダウダした感じが日本人的だなと思っちゃいました。
もちろん、アメリカ人全員が陽気なアメリカンではないでしょうし、日本人全員が恋愛にウダウダしてるわけでもないけど。
アメリカにもそういう人がいるんだなと、少し安心しました。
勿論、私も恋愛ウダウダ派なので、この映画を楽しめました。
でね、まず見せ方が面白いんですよね。
街中で皆で踊り出しちゃうところとか、理想と現実を比べるところとか、映画だからこそではあるんだけど、恋愛中の脳内ってあんな感じじゃないですか。
あと、時系列も行ったり来たりするけど、恋愛を振り返る時って、やっぱりそんな感じだなと。
だからこの映画、ビターなラブコメとして良く出来てると思いました。
さてストーリーなんですが、この二人は運命では無かったという事なのでしょう。
だけど考えてみると、トムは失恋から自暴自棄気味に仕事を辞めてしまいましたが、結果としてもう一度やりたかった仕事にチャレンジする事になりました。
後ろ向きなきっかけですが前に進めて、さらには新しい恋の予感も。
サマーと出会わなければ、おそらく無かった未来。
一方のサマーもトムと出会っていなければ、新しいパートナーと結婚までしていなかったかも。
だって、トムとの違いを感じて結婚したのだから。
そうやって考えると、二人は結ばれる運命では無かったけれど、運命を変える出会いではあったのかもしれませんね。
総合芸術
ストーリー、演出、音楽、ファッション、主演2人の演技、過去作品へのオマージュ、それぞれのバランス。どれを取っても素晴らしくて引き込まれてあっという間に観てしまいました。
特に終盤で主演の2人が思い出のベンチで語り合うシーンは出会った頃との対比が素晴らしくて必見です(めっちゃもどかしい気持ちになります)。
恋愛映画でもあり、1人の男性が成長する作品でもあり、1人の女性が真実の愛に気付く作品でもあります。結局、本当の意味で2人の気持ちはすれ違ったままだったのかも知れません。
ストーリーはトム目線で進むので、サマーが小悪魔で悪い女に描かれていますが、サマーの気持ちも巧妙に隠されていてトムにも問題があったことが分かります。
トムはサマーが運命の人と信じていましたが、恋愛経験がなく夢見がちで自分の気持ちばかりでサマーの気持ちに寄り添えていないように感じました。
サマーはトムが好きだけど真実の愛ではないと気付いてしまいました。でも、トムと過ごした時間は楽しくて、見せていたのは全て本当の自分で、トムを信じてそれとなくサインを出していたように感じました。
映画「卒業」が重要な意味を持つ作品なので観たことない人は見たほうが良いと思います。ラストシーンの違いに気付きます。
個人的には劇中の音楽がツボで、全部調べてしまいました。
次の運命のための運命
彼女の名はサマー。
誰もが恋する女の子。
でも彼女は少し変わっていて……
そんなサマーに恋をしたトムの500日の物語。
「東京国際映画祭 サーチライト・ピクチャーズ設立30周年企画」にて鑑賞。
上映後にはAwesome City ClubのPORINさんを迎えたトークショーもあった。
詳しくは後述。
冒頭に「この物語はラブストーリーではない」とある。
サマーは可愛いし、最大限にキュンキュンするし、全編恋しかしていないけれど、確かにこれはただのラブストーリーで片付けてはいけない。
人生のバイブルにしたい、そんな映画だ。
運命を信じていたらサマーに出会い恋をして、夢に敗れて失意の底で苦しむトムの気持ちは痛いほど分かる。
それでも恋の痛みを乗り越えて成長したトムの姿には何だか凄く元気をもらえた。特にラストシーンが素敵で大好き。
古傷を抉ってくるような映画のはずだが、そんなにダメージは大きくなかった。それどころか応援歌だ。
確かにトム目線だから胸が苦しいけど、定期的に観たいし、観るたびに印象が変わりそうな作品だった。
サマーみたいな女の子って結構いるんじゃないかな。
自分の身の回りにも恋愛しない女子は多いし、自分の生きたいように生きる彼女みたいな生き方は実に現代的。
トークショーで触れられていたけど、公開された当時からこういう女性像を描いていたのはなかなか革新的だったと思う。
我々男子からすると女の子の考えてることって全然分からない。
でもその危うさというかミスリアスな一面が強いほど惹かれるというのもまた事実で……
個人的にサマーという女の子は、最初は特に何とも思わないけど気づいたら沼っていそうで怖い。
「ちゃんとした恋人にはなれない」
前提条件は最初に了解した上で謙虚に付き合って。
でもある日、ふとした時にその現実を突きつけられる。
彼女の好きだったところが憎しみに変わるってのもやけにリアル。
やっぱり自分じゃダメなんだよ。彼女には想う誰かがいるんだよ!
うーーーん、なんかこんな話どっかで聞いたことあるぞ???
やめましょう。
全力で恋してる時のミュージカルとか理想と現実のセパレートとか、経験者だからこそ描ける演出の数々に、「うんうん、街中でも踊り出したくなっちゃうよね」、「凄く期待しちゃうけどその通りにはならないよね」と深く共感してしまった。
音楽も多様されていてセンス抜群。
PORINさんによると音楽業界でも話題になったらしい。
音楽は記憶と共にあって自分を苦しめる武器にも自分を守る鎧にもなる。
ファッションもちょうど良い感じが好き。
ズーイー・デシャネルも可愛いけど、ジョセフ・ゴードン=レヴィットが可愛すぎてトムのことロールモデルにしたいな。
ペ○スゲームのシーン愛おしかった。
※舞台挨拶について
学生として来れる最後の東京国際映画祭。
気のせいかもしれないけど、今年は去年よりも小規模?
去年から最低一本は観ようと思っていたけど、油断してたら観れるものがほぼ無くなってしまって慌てて今作を観に行った。
しっかり平成生まれの現代人にも関わらず、現地で現金購入できるものだとばかり思っていたアホ。
スタッフさんに迷惑かけるし、30秒くらい入場遅れて、もう最悪🙇♂️
スタッフの方々が親切にしてくださって本当に助かった。ありがとうございました。
トークショーはサーチライトピクチャーズの方と大好きなAwesome City ClubのPORINさん。
アーティストとしてではなく、まさかの映画祭ゲストとして初対面。
いつもいつも髪色素敵だけど、新しい髪色も似合ってる。
まあそんなことはいいとして、出演されていた『花束みたいな恋をした』の話なんかも聞けて良かった。
来年からは社会人。
多分東京勤務になるけど来れるかな?
BS松竹で。 途中からだったので、それでレビューを書くのは本来適切...
BS松竹で。
途中からだったので、それでレビューを書くのは本来適切でないでしょう。が、どうにも苛々しっぱなしであったので合わない作品だったのは確か。
特に男性主人公。
(けなす意味ではなく)デートムービーなのかもしれませんが、それにしては何か不快さがつきまとう描写で、また最初から観直そうとは個人的には思えずでした。
何だか面白くなりそうな設定のところをサラサラ流してしまっているような齟齬も感じてしまい。
雰囲気は何か始まりそうなのに、特に練られた展開もなく、雰囲気は洒落てるみたいな。
そしてミュージックビデオなどを撮って名を上げられた監督特有の、ビデオだけ撮っていて下さったほうが良かったんじゃないだろうかというこの歯ざわりというか。何か映像だけは洒落ているのにと思うと、そういう経歴をお持ちの方が大変多い印象があります。
短い時間で雰囲気をまとめ上げる能力は素晴らしいのでしょうが、それと映画を撮ることは違うものなんだろうな、としばしばしばしば思わされます。
適材適所にしていただくわけにはいかないのか。いかないんだろうな。
映画を観る際に求めてしまうものが違い過ぎる、というか、自分がこの作品を鑑賞するのは不適当だったんだろうというか。
そういった感触を味わう映画はしばしばありますが、これもかなり徹底的にそういう気持ちになってしまいました。
サマーにメロメロ!
いやー天真爛漫でサマーさんとても可愛らしいです!トムは少し気の毒ですが、、、サマーのブルーの目、笑顔にやられてしまいます。サマーに振られて、次はオータムって!15年前の映画とは知らずに観てしまいました。面白かったです。本編終了後にはPORINさんの話聞けました。東京国際映画祭で拝見致しました。
愛は偶然
愛は続かないもの。サマーが言ってた。
愛どころかこの世に永遠に続くものなんかない。
この世に永遠なんてない。愛は続かない。続かなくなることを恐れるのは無駄。
え、じゃあなんで付き合うの?結婚するの?好きになるの?
わからん!笑 人を好きになるのなんて理屈じゃない笑
理屈じゃなく始まってるんだから終わることに理屈を求めちゃダメなのかも。
運命はない。偶然。
偶然に起こったものは突然終わる。
愛は偶然。だから突然終わる。
後悔しないように。好きな時に好きって言っておいた方がいいと思うよ。
サマー様を夢中にさせるのは難しい
夏の話ではなかった。
トムが、ひと目惚れしたサマーという名前の女性へ、どうアプローチするのか、サマーはどんな人なのか、両想いになれるのか、そんな男と女の話。
ナレーションと、何日目という表示が新鮮。
二分割映像が、意味があって無駄ではなく、効果的に使われていて悪くない。
今作はトム視点だからこそ面白い。
トムもサマーも悪い人ではない。
でも、ちょっとトムは未熟であった。
調子に乗ったトム様 vs したたかなサマー様という対立になってしまうことがあり、二人の相性の悪さを感じる。
などと分析したくなる作品。
The Temper Trapの『SWEET DISPOSION』がカッコいい。
クロエ・グレース・モレッツとズーイー・デシャネルの魅力が引き出されている。
運命の相手?
運命の相手との真実の愛を信じるトムと、運命も愛も信じないサマー。
これは正反対の考えを持った二人が出会ってからの500日間の物語。
サマーはかなり自由奔放な性格で、なかなか男性からは共感されにくい人物かもしれない。 しかしトムが一目惚れしたのが納得出来るくらいチャーミングだ。
トムはサマーに対して自分が恋人であるという証が欲しい。
しかしサマーは彼と手を繋ぎながらショールームでデートをするしセックスもするけれど、彼とは友達関係であることを主張し続ける。
大抵の男性は発展の可能性のないあやふやな関係に満足はしないだろう。
はじめはサマーの仕草のすべてが愛おしく思えたトムだったが、次第に自分の望むものを与えてくれないサマーに憎しみを覚えるようになる。
彼女は浮気をしたわけでも、彼を裏切ったわけでもないのだが。
恋は心を幸せな気持ちで満たしてくれるが、同時に毒薬でもある。
確かにこれこそ運命の相手と思えるような激しく心が揺れるような恋はある。
もうこの人以外には考えられないと思えるような相手に出会うことも。
しかしそれが真実の愛かどうかは別である。
相手に対する想いが強ければ強いほど、その反動も大きい。
シェイクスピアも程々の恋こそ長続きすると記しているように、実はあっさりと始まる恋の方が運命的なのかもしれない。
面白いのは物語の終盤でトムとサマーの考えが入れ替わることだ。
サマーとの恋愛に失敗したトムは愛も運命も信じられなくなる。
しかしふとしたきっかけで結婚の相手と出会ったサマーは、トムの言葉が正しかったことを知る。
サマーはトムに二人の出会いは運命的ではなかったのだと告げる。
が、おそらく別れることも含めて二人が出会ったのは偶然ではなく必然であり、運命的なものであったのだろう。
真実の愛がいつも刺激的であるとは限らない。
トムが新たな出会いをし、500日目から一日目に戻るラストが清々しかった。
トムとサマーの関係は特殊ではあるものの、恋という普遍的なものを見事に共感出来る形に描いた名作だと思う。
運命の出会いはあるのか、偶然か⁈
偶然の出会いもそれまでの経験が
あって運命となるのかな。
日付けが行ったり来たりとか、
期待と現実を2画面で見せたり
とか、面白い構成だった。
サマーの次は、オータムなのね、笑
タイトルなし
時系列ばらばらで描かれているのに、混乱しないのがすごい!
同じ画面で理想と現実が同時に描かれていたり、同じ映像を使って関係がいい時と悪い時で言ってることが真逆になったりするのもおもしろい!
家具屋さんのシーンがとにかく大好き!うちにはキッチンがふたつあるから!ってところが特に!!かわいすぎる2人にきゅん❤︎そりゃ白い目で見られるけど…笑
出てくる音楽を知ってたら、きっともっと楽しめる映画だろうな〜
ところで、この映画を何回か観て、気づいたことがある。最初は、トムという永遠の愛とか、偶然にして必然だとか、運命の相手とか、そういう類のものを信じている男が、その真逆の女の子でありながらちゃんと恋愛をする女のサマーに、結局は振り回されてお終い、って話だと思っていた。でも、実はそれだけじゃないかもと思うようになった。
というのも、きっとトムは、運命とか、偶然とかに頼りすぎていたんだと思う。運命なら惹かれ合うはず、と思って自分からの行動を制限していたんじゃないかな。例えばエレベーターで声をかけて、知り合うきっかけを作ったのはサマー。カラオケの帰りに友達になろうと言ったのもサマー。コピー室でキスをして、友達以上の関係に持ち込んだのもサマー。喧嘩の後、2人とも電話がかかってくるのを待ったけど、謝りに行ったのはサマー。
トムは運命を信じて、サマーこそが運命の相手だと思い、起こることすべてを運命のせい、またはサマーの変わった性格のせいにした。サマーは、きっと運命を感じる人に出会ったことがなかった。自分で自分のことをよくわかっていたし、それを隠すことはしなかった。トムとサマーがいい雰囲気のときは、きっとサマーもトムのことが好きだったはず。だけど、トムはサマーを好きでいさせ続けることができなかった。これは映画の世界の話のようで、よくある話なのかも、と思った。
運命をねじ伏せろ
主人公(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット演じるトム)がサマー(ズーイー・デシャネル)との500日の恋愛を通じて挫折し、学ぶ映画。
その甘い500日の思い出は、結局は実を結ばず、彼女はトムのことをほったらかして別の男と結婚する。
彼女からすればトムを「親友」という立場に押しとどめてきたのはこのような展開があっても自分に良心の呵責を感じないため。その予感は自身の両親の離婚から感じていたこと。
サマーの結婚が運命の結実ならば、サマーとトムが結婚しなかったのも運命だった。ではなぜそんな結末になったのか?それは恋愛下手なトムが、「一緒にいること」=「相手の望みを叶えること」だと思って行動していたから。その結果、彼女は別の男と結婚することになる。
映画「卒業」では、二人の関係に否定的な境遇を超えて彼女を手に入れようとするダスティン・ホフマンが描かれている。彼は最終的に結婚式場から恋人を連れ出し、笑いながら二人で逃走する。
その映画を見た後のサマーの涙は何なのか。こんな展開あるはずがないと思い、トムに心底あきれた涙なのか。それともトムが望む将来を自分は与えることができないという憐憫と贖罪の涙なのか。なんにせよ、トムが好きなこの映画は二人の間に絆がなければ成り立たず、そしてサマーはトムとの間にその絆は無いと感じていた。
サマーとトムの別離は、サマーからすれば「トムは運命じゃなくて夫は運命だった」というとらえ方になる。トムにもっと努力を期待していたわけではない(むしろ努力しないスタンスを望んでいたのだから)。トムからしたら「望まれるとおりにしたのになぜ?」という疑問だらけだろう。
何をすれば二人がゴールインする未来になったのか?トムはどこでしくじったのか?正直そこまで致命的なミスはなかった。ただ、そのミスをサマーはフォローしようとしなかった。トムはミスをフォローしてまで一緒にいたいと思う相手ではなく、未だ「一緒にいることになる運命の人なのか否か」を見極める段階だったということだ。そこにサマーの冷徹さがあり、トムの浮かれた思いとの間の温度差がある。その運命論を覆すような情熱が必要だったが、トムがそこまで本腰を入れられなかったことこそが、あるいは運命と言えるのかもしれない。
最後、面接の場で知り合った就職希望の女性オータムは、トムに「アンジェラス・プラザにいなかったか?見かけた」と言っている。アンジェラス・プラザは映画では4つのシーンで出て来る。最初の手を重ねるシーン、腕に絵を描くシーン、ペニスペニスと叫ぶシーン、そして最後の手を重ねるシーン。そのどのシーンにもオータムはいなかったが、会話内容からすると腕に絵を描くシーンで近くにいたと思われる。トムはオータムを覚えていないが、オータムは自分に注目していたのだとそこで気付く。
そして、その時点でオータムとの関係は運命ではなく単なる偶然の積み重ねで、それを「運命」と言い切るくらいに確固たるものにするには運命なんてものに頼っていてはダメなんだ、自分の行動こそがそれを作るのだと悟り、オータムをコーヒーに誘う。そここそが500日を無駄にしたトムの救い。
こんな経験をしたのなら、その境地にたどり着かなければ報われない。が、実はその境地はこんな経験をしなくてもたどり着けるところなのだ。金の重要性を学ぶのに、全財産を失う経験を経る必要はない。
映画の最初のナレーションのとおり、サマーはクソ女(Bitch)だった、だからトムはこんな思いをした、ということでいい。
前に進む気概を持つならば、「こんな女は殺す価値もない」くらいの捨て台詞でケツを蹴り上げるくらいのことはして欲しかった。トムはそんな時でもヤサ男だけど。(あるいはこの時点ではまだそんな気概を持てるほど回復していないか)
この映画は良くあるハッピーエンドな恋愛映画ではないし、ボーイ・ミーツ・ガール映画でもない。
きつい表現をすれば、女性が見ても何も得るものは無く、男性が見たら非常に手痛い失敗談(それこそFXで失敗して借金1000万になったとかそういう類の、他山の石としての失敗談)である。
実体験でその失敗を体験しないよう、この映画から学び、今後に生かしていただきたい。
久しぶりに見たけど、素晴らしい。けど結末を知るだけに苦しみもした、...
久しぶりに見たけど、素晴らしい。けど結末を知るだけに苦しみもした、「頼むからもうやめてくれ」って感じ。
恋愛を通して男女が変わっていくのだけど、やはり「卒業」の解釈が腹にズシンとくる。なぜサマーは卒業を見て取り乱した(理解した?)のか。最後にトムに自分の意志で会いに来たのはなぜか。なぜサマーはトムに手を重ねたのか。そもそもなぜ婚約パーティーにトムを呼んだのか。心の片隅にあった運命・愛、あれは「卒業」への最終バスだったのか、真顔になるとわかっていても。そう思って見直すとサマーへの目線は全く変わってくる。トムとサマー、二人の幸せを願いたくなる。
こんな女性に振り回されてみたい?
プラダを着た悪魔と並んで、海外に憧れる女の子が好きな映画に掲げがちな本作。
ラブコメとして魅力的であり、
典型的なボーイミーツガールで落ちましっかりしています。
なんかオシャレな恋の気分を味わいたい、
可愛いズーイーデシャネルを観たい、
そんな方にはぴったりの映画ではないでしょうか。
話に触れると、魅力的で奔放な女性に恋に落ちた、情けない男の失礼までを描いています。
こんな魅力的な女性、なかなか居ませんね。
オシャレな映画を見ている気分になりたい時におすすめの映画です。
惹かれてしまう作品
すれ違うと終わる
すれ違わなかったら続く
自分と近いものがあって自分にないものも持っている
好感、癒し、安心感
トラブルになりそうなことは前もって伝えておく
好きだから行動を共にする
どこかで違和感を感じる
それが大きくなる
気持ちが修復ができないほど大きくなる
距離を置く
他の人と出会う
偶然が重なるとその奇跡が愛おしいものになる
他の人とは違う絶対的な愛を感じる
これまでの経験と直感で結婚する
トムはサマーにとって人生を共にする人ではなかった
それだけのごくごく普通のシンプルな話だったのに
何でこんなにこの作品に惹かれてしまうんだろう
トムの
自立心の強いサマーに対して『君のために殴った』
普段涙なんて見せないサマーに『ただの映画じゃないか』
は残念、、
あなたに守ってほしいとか思ったことないし
何で泣いてるのそんな泣くなよ、じゃないのよ
少なくともサマーはその対応を心地良くは感じない
個人差はあると思いますが、、
生まれ育った環境がみんな違うから分かりあうって普通に大変だけど、そんな中で色々ぴったりくる人と出会うとパートナー、夫婦になるんでしょうね
サマーの複雑な心の穴を埋めてくれたパートナー凄いし
トムも自然体で愛し合えるパートナーと幸せになってほしいし、その一歩が近づくような前向きな終わり方でよかった
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