チェイサー(2008) : 映画評論・批評
2009年4月21日更新
2009年5月1日よりシネマスクエアとうきゅうほかにてロードショー
体も心も“痛い”驚異的な濃度のサスペンス活劇
どうやら「殺人の追憶」に匹敵する凄い映画らしい、との前評判を見聞きした人は少なくないだろう。あのポン・ジュノの傑作が引き合いに出される理由は、実際に起こった猟奇殺人事件を下敷きにしている点が共通しているから。しかしどこまでが事実で創作なのかなどと邪推せず、純粋にフィクションとしての観賞をお薦めしたい。連続殺人鬼と追跡者の攻防に警察が絡む一夜余りの出来事を描いたこの映画には、泥臭い活劇とスリラーの快楽が驚くべき濃度で息づいているのだ。
まずは異様なストーリー展開に引きずり込まれずにいられない。悪役の若い殺人鬼は、意外にも前半で呆気なく警察に拘束される。ところが事件はさっぱり解決しない。囚われの身のヒロインの居場所が特定できず、元刑事の主人公はとてつもなく“効率の悪い”捜索を強いられてしまう。そう、この映画はまったく直線的ではない。いかれた方位磁針を頼りに、真っ暗な迷路を突き進むかのような異色“チェイス”映画なのだ。
それにしても、これは女性たちがことごとく酷い目に遭う映画である。事件の被害者はもちろん、捜査陣の紅一点である女刑事もさんざんな運命を強いられ、彼女の頑張りは最後まで報われない。さらに筆者が最もゾクリとしたのは、被害者の女性が主人公の携帯の留守電に吹き込む“遺言”である。「あんたが悪いのよ!」という恨み言よりもはるかに切なく、男の罪悪感を串刺しにするそのセリフに愕然。体も痛いが、心も痛い。この新人監督、ただのサディストではない。並外れた才能と感性の持ち主だ。
(高橋諭治)