「監督が「優越感に浸る」ための映画」サマーウォーズ 大江戸800野鳥さんの映画レビュー(感想・評価)
監督が「優越感に浸る」ための映画
本作は、世界の危機を救う「ごく普通の大家族」の姿を通じて
「家族の素晴らしさ」を描いた作品・・・だそうです。
とってつけたようなテーマ性を掲げても、仕上がったものが「全然違う」のであれば、
本来その作品は「駄作」です。
細田監督が本作で「本当に描きたかったもの」は、OZとラブマシーンでしょう。
因みに大家族のことは「後付け(ダシ)」です。
そもそもぶっちゃけると、OZを倒すのは「家族じゃなくてもいい」のです。
それこそ「学級」でもいい。
クラス一丸となって、花札でもUNOでもしてラブマシーンを倒せばいいのです。
この世界の混乱と危機か全人類を救ったのは、国連でも政府でも軍でもなく、
「ごく普通の家族」だった。
その事実によって生じる「世界中に対する“優越感”」が、本作における
カタルシスの“正体”です。
細田守監督は本作での試みが「成功した」と思って、当時はさぞ満足したと思います。
「今まで誰も手をつけたことの無いジャンルの映画を作ったぞ!」
~と。
いやいや、端から誰も「そこ」は目指さないでしょう。
また、後の作品でもこの監督は毎回やってますが、
「本来、家族の素晴らしさってこうですよね?」
「本来、母親が子育をすることの素晴らしさってこうですよね?」
「本来、父親と子供の関係ってこうですよね?」
~という観客への問いかけって、今更「必要」ですか?
監督本人が、それらの素晴らしさを「本当は分かっていない」のに、
さも
「ほらね、僕はちゃんと分かっていますよ♪」
「要するにこういうことなんですよね?」
~と、世間に向けて「答え合わせをしている」かのように見えます。
(とはいえ、なんだか毎度『突拍子も無い回答』が多い気がしますけどこの監督・・・)
この監督の描く家族や母親、父親、親子関係が「表面的」でどこか「現実味に欠ける(つまり嘘っぱち)」のは
上記の理由のほかにもう一つあります。
単純「肝心なもの」を描いていないからです。
「愛情」
この監督、愛情を「狙って避けているんじゃないか?」って疑いたくなるくらい描かない。
そこに踏み込めないクセに、家族だ子育てだと・・・。
だから、ラブマシーンというバケモノを「家族で倒す」ことで“済ませる”。
「オオカミでも人間でも、好きな生き方を選びなさい」と言って、オオカミの道を
選んだ我が子を「笑顔で見送る」ことで“済ませる”。
「心の中の剣」になって主人公に「力を与える」ことで“済ませる”。
気味が悪い。
冒頭でヒロインが「募集人員1名なの♪」のときにするポーズ然り
栄ばあちゃんの奮闘ぶりや家族に遺した手紙の
「一番いけないのは、お腹が空いていることと、一人でいることだから」
といったメッセージ然り
劇中のすべてのキャラクターの見せる「喜怒哀楽」然り
すべてが「上っ面」。
「サマーウォーズ」は「家族」を描いた映画だそうなので、OZの世界の
描写やキングカズマとラブマシーンとの戦闘シーン、花札でラブマシーンを
倒す、といった部分について、アニメーション的な部分も含めて僕は
「評価しません」。
よって☆1つです。