レスラーのレビュー・感想・評価
全75件中、41~60件目を表示
プロレスの本質は《そんなところに有るのでは無いのだ!》その答えはやがて映画が教えてくれる。
1990.6.8 日本武道館での初の鶴田越え。あの時俺はスタンドに居た。
※1 昨日(投稿時間的には一昨日)NOAHの象徴だった三沢光晴が逝った。
信じられない。信じたく無い。
今日は1人で三沢を偲んで本作品を観る。
トップレスラーは誰しもが身体に爆弾を抱えている。
「ファンの為に…」その思いが強いレスラー程、無理をしてリングに上がっている。
ファンとゆうのは厄介な存在だ!より過激な闘いを見たいとチケットを買う。レスラーはその“空気”を読んで試合を行う。
この作品に描かれる主人公は、20年前に伝説的な試合を行う等、第一線で活躍したレスラーだ。テレビゲームにまでなった程の有名レスラーだったのに今は…。
映画の中で、主人公が歩く度にカメラは絶えず後ろ姿を追い掛け廻す。
以前の栄光を蓄えに生きる主人公。悔しいかな現在は“過去の名前”で何とか生活しているだけに過ぎない。
その事実を自分自身で解りすぎる位解ってもいる。
ちっぽけなサイン会に出席をするとそこには自分同様に惨めな姿を晒す同僚達の姿が…。しかしそれも生活の為には受け入れなければならない。
そんな思いを背中だけで体現するミッキー・ローク。昔は《世界一セクシーな男》とまで言われた男だ!
昔を知る者ならば映画と現実が交差してしまい、色々な思いが胸に去来する。
映画はミッキー・ローク演じる主人公が、試合前の控え室でのレスラー仲間達との会話から始まる。
どう見ても“八百長”や“仕込み”バッチリの場面が有るので、アンチプロレスを掲げる人から見れば「ほら見たことか!」となる。
しかし、ちょっと待って来れ。例えそんな事実が有ったとしても、プロレスの本質は《そんなところに有るのでは無いのだ!》
その答えはやがて映画が教えてくれる。
少し話を脱線させて欲しい。
トップレスラー程怪我を抱えているのだが、彼らはそれを隠しながら毎回リングに上がっている。
その為に欠かせないのが、映画の中にも出て来るが“薬物”だ!
団体に所属している事で、ある程度の保障が約束されている日本人レスラー(勿論フリーも多い)に比べると、アメリカンプロレスの殆どのレスラーはフリーの立場。
従って自分を売り込む為には試合をキャンセルする事は出来ない。
レスラーの死亡例に於いて、おそらく“薬物死”ではないか?と思われている事実はとても多い。
みんな薬に頼って痛みを緩和させては試合に臨み、やがては死のリングに上がってしまう。あの人に、あの人に、あの人も。ちょっと思い出すだけでも両手では足りない位に…。
他では自動車事故か?フリーの立場で全米を1人であっちへ行ったりこっちへ行ったりするレスラーは常に交通事故の危険が付き纏う。運転中に“痛み”が加わればその危険は倍増する。
引退を決める多くのレスラーの場合。自らの限界を感じたからか、この作品の主人公の様に“ドクターストップ”を言われた場合が多いだろう。今思い出すだけでも、ダイナマイトキッドの引退は衝撃的だったが、毎試合棺桶に片足を入れた状態で試合をしていた事実を知ると、三沢の様な事態にならずに「良かった!」と感じずには居られない。
昨日の三沢の様に試合中に死ぬ例はまだそれほど無いが、ファンがより過激な技の応酬を望む昨今では、今後増え続けてしまう可能性が有る。しかし、オーエン・ハートの様な死亡例は論外だ!全く悼たまれないと言うしか無い。
かなり脱線してしまった。
この主人公はやむなく引退を決意するのだが、その決意を表現するのもやはり後ろ姿。
惣菜コーナーへの新しい“花道”へと進む時に被さるファンの声援。
悔しいが“事実は事実”として受け入れる主人公。
そんな彼が新しい“心の寄りどころ”として、ストリッパー役のマリサ・トメイに自分の想いを伝える。
世界一セクシーな男の欠片も見えなくなってしまった汚れ役の姿を晒すミッキー・ロークも素晴らしいが、この映画での「客とは付き合わない」と語るマリサ・トメイもそれ以上に素晴らしい。
お互いに惹かれ会っている演技は、まさに大人の恋愛映画として見ても一級品です。
そして娘との再会場面。
引退を決意したからこそ、以前の父親としてのだらしなさを詫びての和解シーンは涙なしには見られない。この時の父娘のダンスシーンは本作品での白眉の場面です。
しかし…。
ここから先のクライマックスへと至る展開は確かに予定調和でしかない。
でも他の展開になったとしたら、それはそれで許せない思いだ。
やはり男はプロレスラーとしての人生を全うしなければ観客は納得しない。
幾らでも感動的に盛り上げられるのが可能なクライマックスなのだが、映画は実にあっさりと幕を閉じる。
本来ならば感動的な筈の娘とのダンスシーンを始め、一番盛り上がる場面なのに…。
それが映画を観た全ての観客の気持ちでは無かろうか。
しかし、映画はそんな観客の思いをはぐらかす如くエンディングを迎える。
まるで「この男の行く末かい?聞くのは野暮だよ!」と言っているかの様な最後でした。
それがこの作品が各映画祭で絶賛を浴びながら、より大衆的に偏ったアカデミー賞から無視をされた原因の様に思える。
近年格闘技ブームは下火で関係者は苦しい経営を強いられている。
一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったK-1。
数年前には紅白歌合戦の牙城を崩す視聴率をも得た総合格闘技。
亀田問題に揺れたボクシング界も多数の世界チャンピオンを擁しながら、以前ほどの活況は見られない。
ましてや団体が乱立してしまい、コアなファンでさえも細部まで把握出来なくなってしまった現状のプロレス界は…。
NOAHの社長兼トップレスラーとしての激務をこなしていた三沢光晴の、事故に至る前までの心痛は察するにあまりある。
相次ぐ人気レスラーの怪我や病気による離脱。
それに追い討ちをかけたテレビ局との放送打ち切りによる経営の悪化。
テレビ放送が無くなった事から目立ち始めた観客動員の低下。
休みたくても自分の立場ではそれは許されない。
若手の育成が急務だからこそ、世界一“相手の技を受け続ける”事で、プロレスの凄みを見せ付ける事で解らせる、《観客との勝負》
全ての事柄が悲劇へと向かってしまった。
事故の翌日、NOAHは次の会場へ向かい予定通りの興行を行った。
今後も同様な事故が起きないとは限らない。
例え起こったとしても、やはり翌日にはチケットを買ってくれた観客の為に興行は行われるだろう。
あらゆる格闘技の中でプロレスだけが異なっているのは、プロレスだけが“相手の技を受けてこそナンボ”の世界。
だから理解出来ない人には全く理解出来ない。
今回は殆ど映画のレビューとはかけ離れた文章になってしまった。
それもこれも全て俺がこの主人公同様に…。
プロレスが大好きだからだ〜!
※1 今は消滅してしまった映画レビューサイトに、このレビューを投稿したのは。三沢が亡くなった翌日に本編を鑑賞し、その日の深夜にレビュー投稿した。
(2009年6月14日シネマライズ/UP theater)
すごくよかった
イオンのシネパスで久しぶりにスクリーンで見た。上映が午前中のため、朝から侘しい気持ちになった。
かつてのスターレスラーが自身の加齢と時代の推移で負け犬的に表現されていて、実際慎ましい暮らしぶりだったり、試合のギャラも大した額ではなさそうであったのだが、しかしオレはプロレスラーにかつて強く憧れた時期があったため、それでもやっぱりすごい人なのは間違いないという敬意を抱いており、落ちぶれていたとしても惨めには全く感じない。スーパーのおじさんやトレーラーハウスの大家がランディを雑に扱っているのを見ても、よくできるな!と逆に感心する。
確かにダメ男映画なのかもしれないのだが、心底ダメな男とはやっぱり見ることができない。
ハードコアの試合がすごかった。試合をしていない時も常に声をもらして苦しそうに息をしている感じがつらそうだった。
侘しい気持ちになって帰り道蔦屋に寄ってガンズ・アンド・ローゼスのCDをレンタルした。
ミッキー•ロークの肉体美
選手生命を絶たれたレスラーを描いているが、自分が歳をとったらということも考えずにはいられない。
試合のシーンはかなり痛々しいが、逆に言うとそれだけリアルなのだろうか。
最後の試合は、それに加えて死ぬのではないかという緊張感もある。
あえて結末までは描かれていないが、想像させられるという意味でもかなり印象的な終わり方。
娘も観戦に来てくれるかもしれないと思ったが、結局縁切りのままになってしまったのは救われない。
プロレスファンです
良かった。
ドキュメンタリー風の映像も良かった。
ミッキーロークがこんなにもいいとは。
WWFファンだった自分としては、あの頃輝いてたみんなはどうなったのかなーって気になりました。日本で言えば、テリーゴディやスティーブウィリアムスも早死にしてるし、三沢さんも亡くなったし、ビガロも鶴田も・・・悲しい気持ちになりました。
プロレスというショーの本質と向き合っているところが好感持てました。
哀しい、そして素晴らしい。
見る前は、派手なプロレスアクション映画と思っていました。
見てみると・・・
か・・哀しい。そして、素晴らしい!
老いたレスラーの哀しき日常・・・ この趣き好きだわ~♪
スーパーの肉売りシーン、ストリッパーとのやりとり、もうキュンキュンしちゃいますね!
ラストシーン、もう少し見たかったような、、あれで良かったような、、、。
からのエンドロール、流れた曲良かったですね~
「レスラー」、いい映画でした☆
猫パンチ・・・
のイメージが強いミッキー・ローク。
この作品に巡り会えた事で、払拭できたかな〜♪
プロレスが好きな自分には、哀愁漂う男に涙なしには観れなかったし、映画の主人公とミッキー・ロークがダブって見えてしまったよ。
一レスラーが丁寧に描かれていて、とっても良かった!
この映画を観て、なぜか松本人志の『大日本人』が好きになった。
良い映画です。
「リングという職場、プロレスラーという労働者」をみられる前半、
ランディという生き様の役柄と、ミッキー・ロークという役者の生き様のオーバーラップがみられる後半。
選手の葛藤や成長、因縁という背景を知った上で観れば、プロレスの試合が単なる大男のドツキ合いではなくなるように、
ミッキー・ロークの役者人生という背景を知った上で観れば、この『レスラー』という映画が単なるフィクションドラマではなくなる奥行きを持った作品でした。
自分にとっての“リング”とは何なのか、考えながら観るのもいいかもしれませんね。
ただこの映画を観終わった後、なぜか松本人志の『大日本人』を好きになりました。意外と似ている作品のような気がしますね。
ブラックスワンとあわせてみてください。
芸術、創作、表現活動におけるエクスタシーのようなものがよく描かれていると思います。一見かっこよく描かれがちなこういう感情ですが、実際にそういう人たちは別にかっこいいわけではなくて、それ以外の生き方ができない場合も多いです。たぶんブラックスワンと対で作られたんじゃないでしょうか?レスラーが最終的には、「リングの上でしか生きられないどうしようもない俺」というエクスタシーにたどり着くのに対して、ブラックスワンはプレッシャーと恐怖で生と死の狭間で狂気にも似た芸術の孤高の世界に触れるという到着地点だったと思います。その辺の芸術に対しての意識の違いはもしかしたら男女差が大きく関係しているような気がします。多くの女性作家は「あっちの世界」にタッチして帰ってくる。男性作家は創作の喜びの罠に果てしなくはまっていく。。。。
そんなことを考えさせられました。
プロレス好きは複雑かも…
自分の中高の頃の友人はプロレスマニアが多かった。自分は興味は薄かったが情報だけは入ってきてた。
この映画を観て、その頃の友人達を思い出した。
肉体を鍛え上げたミッキー・ローク。漂う雰囲気も完全でレスラーにしか見えない。
この映画はプロレスの裏の姿、バックステージを見せてしまう。
試合の段取り、薬漬けな肉体、人数のまばらな販売会場。 引退後の辛い生活や家族との軋轢。
そして復帰して試合に臨む姿。
何度も何度も引退と復帰を繰り返す実在のレスラーを思わせる。
プロレスに夢を感じてる人は見ないほうがいいかもしれない。
レスラー幻想をぶち壊すほどリアルで世知辛く、そして沁みる映画だ。
レスラー…80年代男の哀愁
プロレス好きなら当然知っている名作「レスラー」。ミッキーロークがかつての名声を取り戻した作品。
最近、地上波初放映だったんで録画しといた。
くだらない番組が多い中、たまに深夜でいい映画やってるので嬉しい。
ロークと言えば、ナインハーフでは色気出しまくりで氷を使った技…頂きました。
そして、タイソン戦の前座での猫パンチ…。
以降、映画界では話題にもならなかったが、この作品で男の情けなさと哀愁を見事に演じた。
ストーリーは、かつての伝説的人気レスラー、 THE RAMが、落ちぶれドサ回り。ドーピングの影響で命の危機を感じる中、別れた娘との愛、魅かれるポールダンサーとの恋を掴みかけるが、小さな幸せを捨て、仲間とファンが待つリングを選ぶ…みたいな古い漢のドラマ。
まあ、プロレス知らない人、若い世代には分からない世界かもしれない。
モデルとしては、WWF時代のサベージや今のHHH辺りなんだろうが、華やかな世界の陰と、ローカルなインディプロレスやロートルの哀しみも赤裸々に描く。
知ってはいるが、これがアメリカンプロレスの現実。ハードワークの中、レスラー同士リスペクトし合い、怪我しないよう助け合う。
相撲も似たような世界はあるが、陳腐化した言葉になってしまったが、ガチンコを残す日本の格闘技界の一部とは対極の世界。
ただ、テーマは現代に居場所を失う80年代の男の哀愁だな。
台詞の中に「80年代は良かった。GUNSやモトリークルー…。でも、90年代は最悪、グランジが出てきた…」みたいなのがある。
俺はハードロックも、ニルヴァーナのグランジもスラッシュも両方聞いて、好きな世代だが、時代の変化について行けない、ついて行かない人はいる。
あゝ、でもニルヴァーナのライブを観る前にグランジのカリスマは90年代の社会に潰されたわけだ。
で、流れる曲はAC/DC、RATT、何故かブルーススプリングスティーン。ツボはまりまくり。
今も現役バリバリのバンドも多いし、単純で分かりやすいいい時代だった。
でも、90年代、湾岸戦争後だが、志向が多様化、細分化し、アメリカを一つにまとめるものがなくなったんだな、分かりやすいヒールとベビーフェイスの闘うリング以外には。
で、ラストの伝説の試合のリマッチ。
ロートルの試合に観客が集まるローカル会場。
一度は求愛を拒絶したが、ラムの心臓を心配し会場へ車を走らすポールダンサー。
試合を辞めて、と叫ぶが、ロートルレスラーは俺の居場所はあそこだ、とリングに立つ。
そこで流れる入場曲はGUNSのsweetchild O mine. で、ズルッ。
まあ、いい曲だが…哀愁ないよ。
リング上で観客にロートルレスラーのプライドをマイクで語る。自分を選んだ女への決別でもある。
愛する娘、女を捨て、俺を待つファンの見守るリングのトップロープから決め技ラムジャム!
てなシーンでFIN。
結末は観てる人次第か。日本なら泣きながら男を待つ女と勝利の後に愛の抱擁…
エイドリア~ン って、今更ロッキーは、ない。
あれは時代の流れについて行けない古い男の死へのDIVEだな。
自分を唯一受け入れる安住の地への逃避でもある。
そして、俺には最高にかっこいい男の結末。
男の悲哀と誇り
総合:80点
ストーリー: 75
キャスト: 85
演出: 80
ビジュアル: 70
音楽: 75
それほど優れた物語でもなかったのだが、登場人物の演技と演出が真に迫っていて良い映画だった。かつての栄光の日々と、何もかもうまくいかずそれでも誇りだけは捨てきれない現在の状況。自ら蒔いた種で家族も失い、彼にとっては死ぬ以上に大事なことは、最早唯一リングに上がることだろう。その思いが実にうまく描かれていた。
ミッキー・ロークって売れていて調子に乗っていた絶頂期よりも、辛酸を舐めてから深みが出たようにも思える。「レイン・メーカー」なんかもそうだった。本人の人生と役柄がかぶる落ちぶれた役だが、もちろんそれを意識した上での出演だろう。歳のわりに体も素晴らしく鍛えられていたし、素晴らしい体当たりの演技だった。ストリップ・バーの女性と娘の演技も良かった。
これこそ映画です。
ミッキー・ロークはこの映画で失ったものを取り返しました。あの伝説の猫パンチ事件を笑う奴は、もういません。
何でも当初はニコラス・ケイジを主演にする気だったそうですが、そうしなくて正解でしたねぇ。やっぱりその人の人生は役柄に反映します。歳を取ったレスラーの顛末、いや、安住の地と言いましょうか、どんなに身体がボロボロになろうと結局はリングが自分にとっての終着駅だったことから来る哀愁。そこへ至るまでの繊細で深いドラマ。ロークはこれを見事に表現し切りました。
これぞ映画!!!
名優ミッキー・ロークが映画界に完全復帰した!
超一流のレスラーのピークは短い。
ステロイドで体を壊し、重なるツアーで家庭は崩壊、
だがそれでも殆どの選手が夢を追い続けて、節々の痛みに耐え、
薬をのみながら毎日、リングに上がる。
プロレスならオタクレベルの自分がみても
この作品はプロレス業界をリアルに描いています。
細かい描写やギミックがいっぱい。
思わず、ニヤリ・・・
話は変わるが日本のレスラーでリングに専念できる選手は一握りだ。海外でも多くの選手がドサ周りでわずかな報酬しかもらえない。そして多くの選手がステロイドの影響で亡くなっている。
その悲哀に満ちた元スパースターを体を張って演じている
ミッキー・ローク。
彼は自分自身に重ねてこの役を本当に自分のものにしている。
(なりきっている)
※アイアンマン2の悪役なんてこの演技にくらべたら全然大したこと無い
それほどこのレスラーと言う作品は素晴らしい。
思い出したがロッキーファイナルの悲哀とかぶります。
あの作品も商売女が彼女だったけっけ・・。
少しだけ注文があるのはラスト。
きっちりとしたエンディンがの方が良かったのにね。
レスラーよ!戦え!
本編を観る前は昨年のアカデミー賞・主演男優賞は「フロスト×ニクソン」のフランク ランジェラに行くべきだったと思いました。しかし、今作の本編終了後完全に考えが変わりました。もう何と言うか彼が本編で演じているプロレスラーの魂が彼にそのまま乗り移ったようでした。この役はきっと彼のような俳優人生を送ってきた人でないと演じる事が出来ない。そんな役だったのではないかと思います。
主人公は引退直前の中年レスラー・ランディ。
彼はある小さなプロレス団体に所属していたのですが、ある事件がきっかけで別な職を探さなければならない状況へと追い込まれてしまいます。同時に本編では彼と一人の女性ストリッパーとの恋愛模様や離れて暮らす娘との関係にも話にも触れています。
注目はミッキー ロークを初めとする俳優陣の演技とリアルな作品の世界観そして、ストーリー展開です。ミッキー ロークの演技については冒頭で述べましたのであまり言いませんが、とにかく凄いです。体作りから台詞回しまで完璧でした。特に娘に自分の思いを伝えるシーンがあるのですがあれには本当グッときました。もちろん脚本がいいと言われればそれまでですが、ミッキー ロークが言うからこそあれだけの説得力があるのではないでしょうか?正直、最初はあまりランディというキャラクターは好きではありませんでしたが、最後の方はもういつの間にか応援していました。それから、ストリッパー役のメリッサ トメイの限界を超えた演技も見所で、なぜ彼女がストリッパーという職業を選ばなければいけなかったのかがポイントです。あっ、もちろん彼女が実際に脱ぐシーンもあります。しかもそれが妙にリアルで余程研究してあそこまでの完成度に仕上げたんだと思います。本当に驚きました。そして、ランディの娘役のエヴァン レイチェル ウッドは「サーティーン」の時のキャラとあまり変わっていませんが、なかなか良い味を出していました。
それから、リアルな作品の世界観はお見事でした。さすが、「レクイエム フォー ドリーム」を作った監督だけあって彼のリアリティーへのこだわりを感じました。プロレスの試合運びはもちろん、誰もが知りたいような裏幕もしっかりと描かれているのが好きでした。インディーズ系作品の匂いがプンプンするような雰囲気の中であれだけのリアル感はさすがです。そして、ストーリー展開もお見事!特に娘との関係が意外な結末を迎える辺りが好きでした。
しかし、残念ながらこの作品には1つだけ大きな弱点がありました。詳しく言うとネタバレになるのであまり言いませんが、単純に言うと“そんなに簡単に復帰できるの?”という事です。それ以上は言えません。
しかし、多くの男性陣には共感できる物語になっていると思います。
是非、観てみてください。
不器用
ミッキー・ロークってこんなんだっけ?
でも、確かにハマリ役。
プロレスができなくなって、これまでの生き方を変えて、家族との和解、地味な仕事をしようとしても、それまでの生活・知名度・人生の全てがそれを許さない。
かつ、本人もやはりその世界でしか生きられなくなっている。
仮にリングの上で死んだとしても、違う(本人にとって)惨めな生活を送るより遥かに幸せなのかも知れない。
プロレスの世界は極端にしても、結局長年生きてくると、その生きられる世界が限られてくるというのは万人に共通な気がする。
男の生き様
哀愁漂うランディ役をミッキー・ロークが見事に演じてますよね。
過去に味わった栄光を忘れることができず、
リングの上でしか生き場所を得られない不器用な男の生き様に感動しました。
控え室でのレスラー仲間との打ち合わせや試合が終わってから、お互いを称え合うシーンも、ほのぼのとしていてとても良かったです。
こういう作品、好きですね~。
負け犬版ロッキー
2008年アメリカ・フランス合作映画。109分。今年16本目の作品。本作の監督、ダーレン・アロノフスキーにはかなり昔に悲惨な思いをさせられました。それ以来、この人は極度のスランプに陥ったらしく内心とても喜んでいました。
内容は;
1、かつて一世を風靡したレスラーも今では完全に下火で、老体に鞭を打ちながら安上がりのプロレスに出ている。
2、しかし心臓発作に襲われ医師から引退を宣告される。
3、引退する主人公だったが人生は空回りの連続、そこにビックイベントのオファーが来る。
電話をかけるときは近くの公衆電話からで平日は派遣日雇い労働者をしながら毎日がギリギリの生活。そして憂さ晴らしにストリップバーに行き、お気に入りにの女の子を口説くことに一生懸命。
学もなければオツムもない。でも一つだけ人生をかけて一生懸命やってきたものがある。それだけで、この主人公はただのオッサンとは一味も二味も、実は違う。
このただならぬオッサンは人生の幸福を片手さえ差し出せば手に入れることができた。それでも、それが出来なかった。もう愛だの幸福だのが何なのか分らなくなるまでに、彼は自分のことが嫌いで嫌いでたまらなかったのでしょう。
大人になりきれなかったことが彼の人生に重くのしかかっていたのです。そして、わたくしにもそういう所があるので観ていて同情を超えて辛いものがありました。これが男の性というものなのでしょうか。
かつて大スターだったミッキー・ロークが何の違和感もなくこの役を演じているだけで本作は素晴らしいものになっています。
観てよかった映画でした。
でも、やっぱりこの監督さん嫌いです。
全75件中、41~60件目を表示