20世紀少年 最終章 ぼくらの旗のレビュー・感想・評価
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エキストラと登場人物の世界観の違和感…
前作から2年後。
カンナと大人たちは意見が対立してしまったみたい。
東京の周りに大きな壁が建てられて。
(進撃のほうが後の作品だと思うけど、大きな壁=進撃が出来上がっている…。)
最終的な感想、
市民を助けるためにコンサート…?
昭和に時代感から、一気に現代のフェス会場になるやん???
エキストラがあまりに物語の世界観と離れてない…?
今までのヒーロー的なかっこよさから、
まさかの歌で世界を救う…?
戦闘シーンもよかったんだけどね?
最後の映画オリジナル?シーンで綺麗にまとめたなって。
むしろあれがなければともだちがあんなにやるほどの恨みがわからないね?
こういう少しの勇気や声かけで人生変わるんだろうな。
ラストのボーナスステージシーン本当よかったわあ。
役者が名優ばかりでとても豪華。
常盤貴子本当お美しい…。
好き…。
豊川悦司の良さっていままでわかってなかった。
めちゃくちゃイケメンやん…。
声も渋いし、男らしいかっこよさがある…。
渋い声で名前呼ばれたかった…。
いつかまた忘れた頃にまた見ようかなあ。
24.10.27 ネトフリ
大掛かりな文化祭のようだったにゃー
最終章ともなると、
「ともだち」の謎がとうとう解き明かされて、その動機などが判明するのねっ
と、ながら見ではあっても、こまかいところを見逃してはならぬと
ときどき、巻き戻して(巻き戻しって配信ではなんて言うのかしら)視聴。
人が続々集まってくるところで、斎藤工発見。吉田照美発見。
もはや、有名芸能人、見つけ隊みたいに視聴。
ほかにも高橋幸宏とか、ダイヤモンドユカイとか、
これってお金出してるとこ(日テレ?)の
担当者がノリノリで決めてそう。
ライブシーンでドラムを叩く古田新太の表情が、
ドラムの叩く順番など間違えないように必死でやってる風に見えて、
役者って大変だなぁと思った。
この人が「ともだち」だったの??が二転三転、
ながら視聴では、ちょっとついていけなくなりつつ、
「ヨシツネ?」「フクベエ?」「フクベエではない??」と混乱。
エンドロールに神木隆之介の名前を見つけ、群衆の中に出てた?と思えば
ラストの大事なとこに神木くん使用。
3回に分けて、しかも1回あたりの上映時間も長いこの作品。
完成したときはそれこそ文化祭の終わりみたいに楽しかったんじゃないかな。
漫画原作は映像にすると、どうしてもご都合主義みたいに見えてしまうけど
まぁ、そこはご愛嬌。
いやでも、あのラスト。あれは、タイムマシンで過去に行けたってこと?
ともだちになっても、未来は変わらないよね?変わるの?
ちょっとよくわからなかった。
え?って思ったまま終わっちゃった。
日立◯◯◯の『木戸から〜』が飛んでる
ショウグンって映画が話題になっている。
『主演女優さんで有名になった』そう記憶していたら、アメリカのテレビの賞を貰ったと聞いた。
でも、その主演女優さんの訃報を聞いた。
『あれ?』である。違った。
言うまでもなく、こう言った争い(戦争)はあり得ない。勿論、テロでもクーデターでもない。
悪ノリ映画だと思う。
一応、原作は全部読んだが、犯人が釈然としない。また、映画と原作は犯人が違うんじゃない?どうでも良いが、商業的作品でテロを描くなら、もう少し責任を持って描くべきだと思う。じゃなくば、出鱈目なファンタジーで。スチームパンクなテロは切実にすべきでは無い。
本当は友達なんてどうでも良いのだ。
何事もなくば
2026年に生まれる子ども達は『プラン75』が万が一施行されても、22世紀が見れるんだね。
何事もない事を願いたいね。
追記 僕も駄菓子屋の塩こんぶをお金を払わずに持って来て、母親に見せたら殴られた。4歳くらいじゃないかなぁ?
昔映画館で見た記憶が蘇る
小学生の頃に映画館で観た記憶が蘇る
あのなんとも言えないディストピア感とか、不気味さ、そしてその国家ぐるみの陰謀(といには語弊があるかもだが)に立ち向かうストーリーは子供心をくすぐるものがあった
ラストがフクベエがともだちってのは覚えてはいたんだけど、結局それがなんでだったのかとか、何を理由にともだちになってテロ行為を行ったのかとかはよく分からず曖昧なままだったのを思い出す。それにちゃんと見返すと、フクベエは名前を借りただけで実際はカツマタくんだったってのも当時はよく分からなかったのか覚えてなかったポイントで、新しい発見があった感じがして楽しかった
とはいえ、まぁそこまで評価は高くないかな。雰囲気とかはいいんだけどね。それに音楽を「立ち向かう自由意志」としての象徴としてる事とかはグッとくるし。ただなんというか、カツマタくんがケンヂに対して「復讐」と「友達になりたい」という複雑な感情が入り交じった末の行動なのだとしても、正直それでここまでするほどの納得感はないというか。純粋なケンヂやみんなとの「正義vs悪の物語」を遊びとしてやりたいなら、そういう点でももう少しやりようがあったんじゃね?って気もしないでもないし
結局ケンヂは1章で死んだと思われていた訳で、そのあと世界を滅ぼそうと思うほどの原動力はカツマタくんのどこにあったんだろう、と。まぁ自殺しようと思っていたくらいだから、ケンヂへの私情とか抜きにして、世界を滅ぼしたいだけの感情はあったのかも知れないな。よげんの書によるケンヂとのあくまで動機の一つでしかないというか
そのくらいの稚拙な動機で世界を滅ぼそうとする。そのバランスがむしろ面白い要素とも言えるかもしれない
ちょっと無茶
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唐沢がやっぱり生きていて、謎が解ける。
唐沢が子供の時に万引きして、それにより犯人扱いされた奴が「友達」だった。
何やそのしょーもない理由は。
しかもその後すぐ殺された。
で今度は唐沢が子供時代の自分のとこにタイムトリップして、色々歴史を変える。
その後現代に戻ったらどうなってたのかは不明。
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何か適当な話やなあ。
つまらん原因やが、子供の受けた心の傷は大きく、それが大事件を引き起こしたのはわかる。
でも映画3本分での結果がそれってのじゃちと物たりんわ。
っていうか、それまでに誰が「友達」か、誰かが気付くやろうに。
この映画のメッセージ
最後の部分を言わんがための7時間のビッグプロローグだったと感じた。しかしそれくらいの大それたことに繋がるくらいの子供時代の友だちとの関係の歪みは恐ろしいということ。それを軽く考えてはいけないと言うことだろう。時代背景としてもいじめが社会問題になっている時期、人の心を壊すとどうなるか、が伝わる。その狂気は侮ることはできない真実だろうと感じた。人によっては言いたくても友だちになってと言えない子もいる。
最初の第一部、第二部、そして第三部は最後のステージのあたりで少し感動はしたが、それでもエンドロールが終わり、最後までみて初めて見る価値のある映画だと感じた。いじめは子供だけの問題ではない。大人になっても人の心を壊すようなことはしてはいけない事を感じさせる。人間の悲しみが大いなる狂気の元になる、そんな事を伝えてもらった。
ごっこ遊びはもうおしまい。
「20世紀少年」実写版三部作第3部。
日本テレビ開局55年記念作品。
「金曜ロードショー」で鑑賞(未公開シーン追加版)。
原作は第3巻まで読みました。
"ともだち"が世界大統領として君臨してから時は経ち―
"しんよげんの書"によると世界が滅亡するとされるともだち暦3年、長い間行方不明となっていたあの男がついに…!
足掛け50年に及ぶ壮大なサーガがついに完結!
"ぼくらの旗"を取り戻すため、かつての秘密基地の仲間たちが力を合わせ、敢然と立ち向かっていく姿に興奮しました。
前2作で散りばめられて来た伏線の数々が回収され、胸熱の大団円に向かって突き進んでいきました。
第1章を観た時に、「"ともだち"の正体ってアイツなのではないか?」と見当をつけていたキャラがいました。
その予測が当たっていたのは嬉しかったですが、それはある意味誘導で、半分正解に留まったのは悔しかった…
※鑑賞記録
2012/? ?/? ?:DVD(もうひとつのエンディング・バージョン)
2022/07/27:Hulu(劇場公開版)
※修正(2022/03/09)
何回目かの鑑賞
漫画をきちんと読んで、今回何回目かの鑑賞。漫画とは違うところを今更ながら多々感じたり。映画に無理やりしたからかな。もうちょいどうにかできたのではと。
大阪万博、なども控えて、今もう一度見てみたいと思って見てみた。ウィルスばら撒き、ワクチンとか今っぽいよね。二章と三章が駆け足すぎてバラバラになっちゃってんだよね。。
最終章の考察
最終章をラスト10分も含めてすべて見終わった瞬間、
誰もがその場を動けなかったようだった。
というか、ナニかを待っていたのかもしれない。
「え?!これで終わり?」
疑問符が頭の上を横切る。
重苦しい空気が映画館の中を漂い、
「終わったんだよね・・・」
とひとり納得し苦笑いしながら席を立つ。
みんなただただ無言で会場を後にする。
そんな気まずいラストも時間が経つにつれ整理できてきた。
そして、原作よりもしっかりまとまっていたことに気づく。
いくつかの謎やエピソードをざっくりとひとまとめにし、
ダイジェスト的な早回しではあるが、
伏線の回収もおこないながら、
映画としての体裁は整っていたように思う。
そういう意味では、原作よりも大人っぽい作品に仕上がっている。
あえて原作とは違う方法で、原作のラストを映像化している。
そして、原作よりも深化しながらメッセージをより伝えやすくしている。
そういう意味で、映画版は非常にメッセージ色の強い作品となっている。
ぼくの感想はそんな感じだ。
あまり原作と比較する必要もないくらい、
映画としてある程度きちんと纏まっているのは、
堤の構成力だし、浦沢と長崎が脚本にも携わったおかげだと思う。
そういう意味では、非常に恵まれた環境で完成したのだろう。
漫画と映画は非常に似た関係にある。
静止画か動画か、2次元か3次元か、
そういった違いはあるものの、視覚をメインに描写される表現は
どうしても類似点やその差異を求めてしまう。
これが小説の映像化であればまた違ってくる。
もともと文章からイメージされた描写を映像化すること自体、
内容によっては荒唐無稽であったりするわけで、
解釈によっては幾通りの、100人100通りの描写が可能である。
だから原作の小説と明らかに違う作品ができたとしても、
比較的素直に受け止められるのはそういうことかもしれない。
しかし、原作が漫画となるとそうはいかない。
原作のファンは映画の中で、漫画で見たままの描写を求めるものだ。
そして、ここが違う、あそこが似ている、などと比較してしまう。
それはファンゆえの楽しみなのだが、この20世紀少年の制作サイドも
原作の漫画表現を忠実に、さらには緻密に再現したりするから、
なおのことその類似や差異が気になってしまう。
原作は22巻+2巻の計24巻、総合計5,086頁にも及ぶ長編である。
それを3部作とはいえ、たったの9時間弱で纏めるなどそれこそ荒唐無稽である。
当然すべてのエピソードを踏襲することは絶対に無理であるから、
どのシーンやエピソードが残り、外れるのかがファンにとっては大事で、
それによってストーリーがどのように変化していくのかも気になるところである。
結果的に第3章は、原作とは違うストーリー展開で、
同じラストに持っていくという荒業がうまくクリーンヒットして、
ボーリングで言えばスネークアイかパンチアウトを決めたような、というと良くいいすぎかな・・・
映画としての独自性を貫きながら、原作のニュアンスや表現をきちんと丁寧に復元していると思う。
ぼくはそれ以上に、映画版20世紀少年は漫画では表現し切れなかったメッセージ性を強く持つ作品となった気がする。
第2章のラストでヨシツネをともだち側の人間だとミスリードさせた意図は、
ぼく的にはきちんと伝わったと思う。
この原作にはなかった新たなエピソードが、この映画をメッセージ色の強いものにしている。
さらには、ラスト10分で描かれた、原作でいうところの「21世紀少年」の最後のエピソードでは、
ケンヂと“ともだち”との関係を原作よりも発展させ、明るい未来を創造させる形で終わらせている。
ヴァーチャルアトラクション内でのケンヂと“ともだち”の関係が、原作では描かれなかった代わりに、パラレルワールドの未来を明るく予見したのは、ぼく的にはとてもよかった。
まあ“ともだち”の中学生時代の配役がまさか彼とはね、これもナイス配役だった。
ただ残念なところもある。
主要メンバーの中で、原作とは異なるストーリー展開の中で、
おそらくしかたなく切り捨てられた「サダキヨ」だ。
原作では非常に重要な役で再登場する。
ケンヂたちが“ともだち”と最後に対峙したときに重傷を負い、意識不明の状態で、
ケンヂとともに“ともだち”の最後の陰謀を阻止するべく戦ったのだ。
それにより、サダキヨは最後になってケンヂたちの仲間として人生を終えることができたと思う。
感動のラストシーンだ。しかし、このエピソードは第2章の時点で消滅してしまう。
もしかしたら、映画のラストのケンヂと“ともだち”の関係の発展は、
サダキヨのエピソードの変形なのかもしれない。
さらには、ヨシツネはサダキヨのような役割を
結果的に演じてしまっているようにぼくには思えるのだ。
この辺のキャラクターの扱い方やストーリーの歪曲は、
映画表現の中での妥協でしかないが、第3章ではそれが如実に現れる。
万城目と矢吹丈・・・
おまえもうお面とれよ・・・
原作ファンはそこにわだかまりを感じるかもしれないが、
映画だけのオリジナルストーリーと考えれば、逆に漫画よりも良い脚本になっているかもしれない。
原作ファンがもうひとつわだかまっているのは、
映画のエンドロール前のラストシーンであるライブシーン。
原作ではケンヂは『あの歌』を歌わなかった。
なぜなら、“ともだち”が死ぬ直前にケンヂは“ともだち”に歌って聞かせる。
そして、「あの歌はもう歌わないんだ」と宣言する。
確かにこのセリフを発するエピソードは映画には描かれなかったので、
別に歌ってもいいんだけど、それ以上に映画で『あの歌』を歌ったのは、
あのラスト10分のケンヂと“ともだち”とのやりとりに繋がっていくんじゃないかな?
さらには、ラスト10分は漫画でのケンヂと“ともだち”の最後のシーンとも繋がっている、ような気がする。
なぜ“ともだち”はケンヂに『あの歌』をリクエストしたのか?
そしてケンヂはなぜ『あの歌』を封印してしまったのか?
「俺はおまえが思っているような人間じゃない」
ケンヂがカンナから「なんであの曲やらないの?」と聞かれたときのセリフだ。
このときのケンヂは、映画的に言えば“ともだち”を産んでしまった自身への贖罪となるのだろう。
だがそれ以上に、『あの歌』がケンヂとともだちの至極個人的な歌になってしまったのではないか。
だからこそ原作ファンが映画で『あの歌』を歌ったことに抵抗があるのだ、とぼくは解釈している。
さらに個人的なことを言わせてもらえば、
ぼくが理想としたラストは、
ガッツボウルの外観
小泉響子がボーリングの玉を抱えている。
後方には神様が鎮座している。
小泉響子「ねえ、神様。」
神様「なんだよ。」
小泉響子「来ないねえ・・・・
小泉響子はボールをレーンに投げ込む。
小泉響子「ボーリングブーム!!」
ゴオオオっという音ともにボールがレーンを走る。
神様「ふん!!」
神様「だから、」
神様がボールの行方を見守りながらニヤリと微笑む。
神様「まだまだ死ねないんだよ!!」
です!!!!!
原作への入門?
僕は原作を読んでなく、1・2章もテレビで見てから最終章を見に行ったぐらいこの漫画には思い入れがないんで、原作ファンの気持ちは分かりませんが、映画が原作の筋どおりに再現しているとすれば、いってもマンガの域をでない論理性に欠ける物語だなぁという感想です。
アンナと友達が過去にタイムスリップするところではただともだちの記憶の中に入るんじゃなく子供のケンジやともだちと話したりして、未来は変わっちゃわないかとか(ドラえもんよりリアリティーがない?)、2機目のUFOを壊すとき玉切れでもないにスナイパーがぶつかりにいったり、カンナのエスパー能力については最後までノータッチだったり、1章でいえばあの爆発の中でケンジはあのマシンの中に居たからってのは分かるけどともだちが生き残る理由がなかったのが不満だった。
結果原作批判みたいになったけど、とにかく面白い展開にしようとするマンガ特有の性質が出ていたから映画にしたとき違和感があっただけで、マンガとして読むぶんには面白いと思うしいじめの問題提起をしている点では興味深いと思いました。その違和感があっても楽しめたのは監督が堤さんだったからだと思うし、キャストも豪華でそれを探すだけでも思います。
ただ唯一許せないのがライブのくだりと(あそこまでケンジの登場を待つ理由がない)、歌を長々聴かせたことです。(原作でそうならしょうがないけど)
スーダラ節が聴きたくなる。
…いや、長かったですね(爆)
映画が、というよりここまでが。^^;
私は原作は読んだことがないくせに、誰が犯人かは
分かっていたっていう、いやらしい鑑賞者だったがv
うーん。まぁ巧くひねった?感じになるのかなぁ。。
というより、私はそれを演じた(アノ)役者さんの表情が
な~んか気持ち悪くって^^;(けっこう好きなもんだから)
記憶に残ってしまった。しばらくの間…。
さて。
特に思い入れもないうえに、すごく感動できた訳でもない
私なのだが、ではつまらなかったのかと言われると、いや
けっこう面白かったです。と答えると思う。
ただの漫画らしからぬ、もの凄い社会事件を描いてみせ、
さらにそれが子供時代の「空想の賜物」だった。という…
さぁ!ここから犯人探しです!な引っ張り方があざとくて^^;
いかにもありそうな事件とできるわけないだろう実社会が
(くだらない)ゲーム感覚で繰り広げられる残虐性を生む。
…なんか、気持ち悪いほど笑えない映画だったなぁ(怖)
演じる役者たちのハンパでない?豪華さと(爆)
カンナを演じた平愛梨の演技はいつ向上するのか?^m^
など見所は満載だったと思うが、私はこの「ぼくらの旗」を
自分たちの元へ取り戻すんだ!と言ったワリには、結局
忘れ去られちゃったような…尻切れ感がけっこう否めない。
盛り上げといて「ばははーい」なのは監督のせいなのか?
(漫画家のその後も気になるし…)
う~ん♪しかし。
オッチョはカッコよかった!!彼を見ているだけで安心。
春波夫(古田)もいいが^^;後半けっこうしつこいし(爆)
高橋幸宏の登場には胸が躍ったが♪ドラムじゃないのね。
ケンヂに関しては、あのバイク(スーパーカブ)がイイぞv
でも、あんなに走れるのか??(大泉洋に縦断させたい)
…とまぁ、脇に逸れても見所は満載^^;
確かにケンヂみたいな子が人気者なのは分かるが、
案外いろんなところで他人を傷つけている可能性大だ。
それが子供時代の、ほんの些細な事であったとしても、
それで人生が変わったと、逆恨みする輩もいるわけだ。
人生は自分の力で幾らでも切り拓くことができるのに、
苦労した分、逆境から這い上がることだってできるのに、
要は、誰もが大人になっていないことが原因で、
なんでもヒトのせい、社会のせい、にしたがる世の中だ。
いつも思うのだが(爆)
お金がないのは、貯金してこなかった自分のせいだろ。
そこに警笛を鳴らしたのがあのラストだとすれば、
ケンヂがそれぞれに、きちんと提言しているのがいい。
ゲームじゃないのよ人生は。浪花節かな、やっぱり。
(エンドロールで神木くんの名前を見つけたら…おぉっ!)
原作ファンには物足りない
実写化が決まった時から楽しみにしていた3部作最終章。
うーん。。。物足りない。
原作が長いだけに、3部の約8時間に押し込める作業は大変だったと思います。ただ、これで初見の人は理解できるのかな?ってぐらいに流れが速いし、ぶつ切りだった気がします。
本編最後の音楽フェスもなんだか文化祭並にちゃちに見えてしまった。それに、所々有名人が出てくるのも不快。地球防衛軍陥落のシーンでは高嶋さんの演技力は流石と思いましたが、なんで淳!!淳が気になってなんか入り込めませんでした。それはダイヤモンドユカイやMC-Uも同様。演技力ある人か、劇団員で良かったかと。
このままならC評価なんですが、最後の10分に救われました。
カツマタが犯人も無理矢理感は否めませんが、カツマタ君に関する説明が入っただけ、マンガの「え?!なんで?!」って言う終わり方よりも納得。なるほどねぇと思わされました。
カツマタ君が飛び降りようとする時に、ケンジが流した2oth century boyはこの映画で初めて鳥肌が立つシーンでした。(原作は鳥肌立ちっぱなしなんですけどね)
マンガ+最後の10分でこの作品が完結したといっても過言ではない程、完璧な10分となっていると思います。
賛否両論・・・
子供が考えた「予言」とは言え、3部作を見終えた後の印象としては、あのロボットのシーン(第1章&最終章)が余計だったと言うか、作品そのものを幼稚にしてしまった感は否めず・・・
でも、幼少時代~大人へと変遷する中でのノスタルジーを万人ウケする形で描き出し、あれだけのキャストでまとめ上げたことは称賛に値するでしょうね。
結局、社会問題の一つとも言える「いじめ」が根底にあり、その解決策として互いに心を開きあうこと(最後のシーンの「ごめんなさい」が大事)の重要性を説いた力作。
ケンジが皆の前に姿を現すシーン、あそこはもっと別の描き方が好ましかったかも・・・あの大々的なライブシーンは個人的にはマイナス点評価。カンナとの再会はもっと感動的にしてほしかった。カンナとユキジが教会で会うシーン。あそこで来てほしかった。
ともあれ、今回の3部作は単純に楽しめた。「13番」が良い味出してたね。
世界を巻き込んだ「ごっこ遊び」最終章
少年時代に近所の原っぱで秘密基地を作って遊んでいたケンヂ達。
「よげんのしょ」を作って、悪の組織に立ち向かう正義の味方を夢見ていた子供たち。
彼らは大人になり、子供の頃に夢見た通りに、「ともだち」に立ち向かうことになります。
「ともだち」は2000年と2015年にウイルスをばら撒き、世界を支配します。
そして、2017年(ともだち歴3年)・・・
全2作のストーリーを受けての「最終章」だけに、全てでは無いですけどほとんどの謎や伏線が解決します。「アレだけの壮大な物語をよくまとめたなぁ」と、本当に感心しますね。
60歳近い年齢になっている「原っぱのメンバー」のメイクと演技も良かったです。素顔の「ともだち」が全く老けてなかったのが謎ですけど(苦笑)
最後の「音楽フェス」でケンヂが歌うシーンは感動しました。ケンヂは「ロックで世界を変える」ことができたんだと思います。
「ともだち」が「よげんのしょ」通りに世界制服を実行した理由・・・。
僕なりに解釈してみると、
少年時代に「ともだち」は地球防衛軍のバッジを万引きしたという濡れ衣を着せられ、
同級生から「死刑宣告」をされて死んだことにされてしまう(つまり、無視される)。
「ともだち」は、イジメに耐え切れず不登校になる。
「ともだち」は「原っぱの秘密基地のメンバー」に入りたかった。
ケンヂと友達になりたかった。でも↑の出来事や「ともだち」の元々の性格もあって、言い出せなかった。
ケンヂ達がいない間に、秘密基地に入って「よげんのしょ」を見た「ともだち」は、サダキヨ・ヤマネと一緒に「しん・よげんのしょ」を作る。
で、中学時代。
自分はこの世に必要ない人間だと思って自殺しようとする「ともだち」を救ったのが、
ケンヂが放送室を占拠して流したT-REXの「20th Century Boy」だった。
大人になっても「ともだち」の「ケンジと遊びたい」という気持ちは変わらなかった。
そして、「よげんのしょ」の実行に移す・・・。
全ては【ケンヂとずっと遊びたい。本当の友達になりたい。】
そのために・・・。
イジメられっ子の心理。
これを理解出来るかどうかで、この映画の評価は分かれると思います。
確かに「ともだち」のケンヂに対する思いは、かなり屈折しています。
でも、僕は映画を最後まで観て「ともだち」の気持ちが何となく理解できました。
みんな、自分のことなんて覚えていない。
自分は「悪役」でもいい。
「悪役」でもいいから、自分の事を覚えていて欲しい。
本当の「ともだち」がほしい。
「ともだち」は、孤独だったんだと思います。
「ともだち」の周囲にいた幹部も結局は「ともだち」を裏切ってしまう・・・。
それだけに、最後の10分が救いになりました。
もちろん、バーチャル世界での出来事だから、現実ではないです。
でも、少なくとも、ケンヂの中では「ともだち」への償いができた。
ケンヂの記憶の中で「ともだち」は生き続ける・・・。
「ともだち」にとって、これ以上の幸せはないだろうな・・・。
僕の勝手な解釈ですけど、そう思うんです。
ラスト10分で作品の印象がガラッと変わりました。
「20世紀少年」は、本当に良い作品だと思います。
それにしても 大人の「カツマタくん(フクベエ)」を演じた佐々木蔵之介さんのクライマックスの演技は凄かった。
中学時代の「カツマタくん(フクベエ)」を演じた神木隆之介くんの、あの存在感と演技も素晴らしかった。
2人とも、見事に「ともだち=カツマタくん(フクベエ)」の内面を表現してましたね。
ホント、役者って凄いです。
あくまでも個人的な感想です
ワタクシは原作は読んだことはありません。
でも、映画としては十分良い作品です。
特にエンドロール後のラストは、過去はやり直すことは出来なくても、せめてもの償い。
『ごめんなさい』の一言は良かった。
やっとスッキリ!
やっと『トモダチ』が誰か分かってすっきりしました☆
迫力の映像と豪華過ぎるキャスト陣、サプライズな小ネタ…鑑賞する度に新たな発見が出来そうに思えました。また、エンドロール後の話にはホロッとさせられ、大小関係なく過ちを犯したら「ごめんなさい」を言う事の大切さを改めて考えさせられました。
ただ、登場人物が多い分、色々なエピソードを詰め込み過ぎてどれも中途半端に思えました。神様やカンナの能力って結局何だったんだろう…。
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