わたし出すわのレビュー・感想・評価
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森田芳光監督の隠れた意欲作
函館を愛して止まなかった故森田芳光監督が、久しぶりに両想いの街で撮った意欲作。 もしも自分が莫大な財産を築いたとして、それを周囲の友人たちの夢のために差し出すことは出来ますか? 森田監督が13年ぶりにオリジナル脚本で描いた作品は興行的に成功したとは言い難いが、大きな余韻を観た者に残す作品となった。 ミステリアスな主人公・摩耶を演じた小雪はもちろん、黒谷友香、井坂俊哉、小澤征悦、仲村トオルといった実力派が顔を揃えたことにも言及しておきたい。
【”貴方の幸せは、私の幸せ”主人公の女性から大金を貰った高校時代の友人達の人生の変化(幸い、不幸)を描いた作品。金の真の価値とは何かを考えさせられる作品。】
■東京から故郷、函館に戻ってきた摩耶(小雪)は、引っ越し業者に心付けとして10万円を渡す。 その後、高校の同級生だった道上(井坂俊哉)と出会った彼女は、彼の夢ーそれは、世界の路面電車を見る旅に出る事ーを叶えることができるよう再び大金を譲渡。 それからも摩耶は、同級生たちに気前良くお金を渡し続けるが…。 ◆感想 ・初鑑賞だが、今作は大金を貰った事で、幸いを手に入れる人、不幸になる人を、淡々と描いている。 ・だが、小雪演じる摩耶の真の願いが空回りする様と病に臥せっている母親との関係性など、良く分からない部分が、残念に思えた作品。 <作品の構成などは、良いのだが、もう少し摩耶と高校時代の仲間達との関係性をしっかりと描いて欲しかった作品。 仲村トオル演じる謎の男の存在も、良く分からなかったなあ・・。>
欲しがる人と欲しがらない人
あー、お金があればな。 大抵の人が思ったことがあると思います。 ただし、お金があっても幸せになれない人がいるし、お金がなくても幸せな人がいる。 全ての事がお金で置き換えられて価値はお金で図られる現代社会の矛盾をみているようでした。お金にできない価値を誰もが一人一人お持ちなのではないでしょうか。お金を持っていても、結局人は死にますしね。虚しいですね。
病院やホテルと思しきシーンの美術が、低予算映画です!っと言わんば...
病院やホテルと思しきシーンの美術が、低予算映画です!っと言わんばかりのチープさ。森田芳光の作品なので、このチープ感も演出のうちなのかも知れないが、主人公の母親がベッドに横たわる部屋は病室には見えない。 もしも、今自分が必要なお金がすぐに手に入ったら???という話であるが、そのことによって幸せになる者はほとんどいない。というのがこの映画の解答。
出したことの理由と帰結は何だったの
総合:55点 ( ストーリー:55点|キャスト:65点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:60点 )
お金の使い方についての話が中心になるが、くだらない使い方をしている人が不幸になる。そして分相応な人や無欲な人が普通に暮らせるというありきたりな話になっていて、それも特に面白みはなかった。抑え気味な演出が地味なので淡々と進む展開にも惹かれない。
主人公小雪が何故このような行動をしたのかについても説明が無いし、謎だらけの主人公の掘り下げが浅いから、ただのお金持ちの変わり者に留まってしまっている。本当に困っている人はいくらでもいるのに、地元に帰ってわざわざそうするのはどうしてだろう。そしてお金を配った小雪だが、彼女のその行為に対しての物語の帰結が薄い。出された側のことは描かれても、出した主人公側のことが殆ど描かれない。一体この行為は何だったのかと、取り残される。
"風が吹けば桶屋が儲かる"
“風が吹けば桶屋が儲かる”
ビジネスに通じるこの言葉。主人公の小雪は、何故か友人達に大金をばらまいては相手側の期待と、僅かな不安・謎に対してしばしば嘘をついて煙に巻く。
例えば、同級生の小澤征悦には「コンピューターウイルスを作っている」…と。
彼は完全に鵜呑みにはしていないが、“風が吹けば…”的なビジネスの論理かと勝手に解釈して納得する。
実際彼女は、映画が進むに連れて“ある理由で”大金を手にしているのだが…。
そんな彼女にとっての一番大事な人物は母親である。その母親が…。
彼女は母親と独り言の様な《しりとり》をいつも行っている。しりとり自体を“風が吹けば桶屋…”の比喩的な対象と受け取れ無い事も無い…とゆうか、私の強引なこじつけです(苦笑)
ここ数年、個人的には期待を裏切られて来た森田芳光監督だが、今回は久し振りのオリジナル脚本だとか。
だからかどうか解らないが、かなり面白く観た。(世間的な評価は酷評が溢れている様だが…汗)※1
映画の冒頭からニュースアナウンスが絶えず画面のOFFから聞こえて来る。
余りにもあからさま過ぎてしまい、観客からは直ぐにこの伏線は「怪しい!」と思われてしまうのは勿体無い。
元ネタが今ひとつはっきりとは解りかねるのですが。森田芳光が思い描く、小雪のキャラクターに近い人物像がおそらく存在するのでは?と感じるところが幾つか有る。
あてずっぽですが、歌舞伎や小説の類に登場する石川五右衛門であったり、(小雪が女性で在る事から)女鼠小僧であったり…等々。
また違う解釈として、西洋的な観点から“人に分け隔て無く禄を与える”とゆう発想自体が《神の視点》と捉えられなくも無い気がする。
意外と海外では好評を博する気もするのだが…果たして。
あくまでも森田芳光のオリジナル脚本の為に、そこまで深読みをするのはどうなのか?…との思いも在るが、実際小雪演じる主人公はお金を与える相手にとって、そのお金がどれほどの価値が有るかを“知った上で”与えている。決して“気紛れ”に近いばらまきはしていない。それだけに映画を観ていると、より西洋的な観点が感じられて来る。
それをより思わせる人物像が友人達のキャラクターにも振り分けられて居る気がする。
彼女の友人小池栄子の旦那役ピエール瀧は、《箱庭》の世界に没頭している。彼もまた1つの《神の視点》を持つ趣味の1人だ。そんな彼を愛おしみながら、ささやかな幸せを慈しむ小池栄子に、マリア様の様な感覚を見いだすのはちょっと無理矢理だろうか。
小澤征悦演じる魚の生態系を研究する人物でさえ、「恐ろしい事なんだ…」と言ったセリフが確か有ったと記憶しているが、彼もまた自然界に逆らっては、新たな生物を作り上げている《神》の存在を担う一員でも在る。
彼・彼女達はおそるおそる小雪に対してお金の工面を口にするが、意気地が無かったり“本当の必要性”が無かったり…と言った理由から、何が何でもと言ったお金の亡者では無かった。しかし…。
同じ友人達の中でも他の人物は…。
黒谷友香演じる、自分が美人で有る事を鼻に掛け、玉の輿に乗った事を誇らしげに語る女。
そして、「路面電車は環境に優しいんだ…」と語る井坂俊哉演じる男と、その嫁役の小山田サユリ。
お金が貰える事を、半ば当たり前で在るかの様に解釈し始める嫁。次第に罪悪感さえ無くして行くこの夫婦には…。
この2っの例は極端な話の持って行き方では在るが、これもまた“因果応報”の報いと考えると理解し易いかも知れません。
それを裏付ける要素として、映画の冒頭に示される2っのお金に纏わる比喩的な言葉が、映画の内容に深く関わっています。
曰わく、欲望は絶えるどころか、深まると罠に嵌ってしまう…と。
そうなると、映画の内容をそんな風に解釈し始める私自身にも、少しずつ解り難い部分も生じて来る。まぁ、何せ勝手に解釈し始めている部分が在るのもその理由では在りますが…。
そうなると、登場する友人達の中で、駅伝ランナー(と思われる)山中崇と、その母親役の藤田弓子の存在は一体何の比喩または対象になっているのだろう?と言った辺りや、仲村トオル演じる男が、主人公の小雪に対して一目置いている気持ちが最後は中途半端気味なところ。それと、この作品の中では一番の“核”となっている母親の存在。
彼女にとって何故《わたし出すわ》との気持ちに駆り立てたものは一体なんだったのか?
彼女自体も有る意味《神》からの“見返り”を求めての行為そのものだったのだろうか?
その辺りの気持ちの在り方・変化がやや希薄だった感じも否めない。
《神の存在》から言えば、キャバクラに通う永島敏行の役柄もそうだが、散々観客に謎かけをしたニュースの真実も実は…とゆうオチの軽さも、何だか少し物足り無く感じてしまう。
そこが一番世間からの批判を浴びるところだと思う。
余談ですが、競馬好きな森田芳光だけあって。袴田吉彦の役柄が、諸にダーレーアラビアンを想像させるのだが、役名が《天草大二郎》って…ベタ過ぎだろ(苦笑)どうせなら、川島某にしておけよ…と(苦笑)。
作品の中でそれ程効果的とも言えなかったのだが、森田芳光らしいと言えばらしいかな。
あ?そうだ!北川景子の役名をエンドクレジットで見た時は思わず噴き出しそうになったっけ(笑)
そんなこんなで、何となく個人的にはどこか嫌いになれない…何回か観て新たな発見も感じたい作品ではありました。
※1 まだまだこれから…って感じがしていただけに残念ですね。
(2009年11月5日新宿バルト9/スクリーン5)
金には色はない、、、
天使のような不思議な感覚の女性が、自分の故郷に帰り、幼馴染や周囲の人々に金を無条件に差し出すことで起こる悲喜こもごも。金には色はない。差し出す主人公は、純粋で、無色透明な心で金を差し出すが、受け取るものの心によって、金にからんださまざまな結末がある。 そして最終的に、主人公にはひとつの大きな救いが与えられ、、、。 人と金にまつわる真理を、静かに、たんたんとしたテンポで表現している。 金が題材であるにもかかわらず、静寂があり、しんみりと後味が良い。良作である。
オレ(わたし)にも、出してくれッ!?
そんな風に思わずには、いられなかった人も、多かったのでは、ないでしょうか?
と思われる昨今(?)の世情を反映しているかのような作品でした。
マヤ(小雪さん役)みたいな美しき旧友に、大金を出してもらったりしたら、(男だったら?、)勘違い(?)の一つでも、してしまいそうなもんだが、…
映画の中の旧友達は、そんな有り得ない出来事にも、(始めは、驚きは、するものの)全くブレる事もなく(←1番ブレそうな←あくまでも、今までの役柄からの印象で!←小池栄子さんの役までもがっ!←コノ落ち着いた役柄も、後半で、実は、「当たった」張本人だからでした、ってオチが付くからなのだが…)、
あまりにも、(「そんな事も?有ろうわな」とでも言いたげに)淡々としているのが、妙で、印象的でした。
けど、やっぱり、当然(?)、"お金"に左右されてしまう人も出てくるわけで…
「(自分らは)、ドッチなんだい?」
と問いかけられてるような作品でもありました。
小雪さんみたいな正体(?)の見えそうで、見えない、裏や影が有りそうで、無さそうな、存在自体が、いそうで、いなさそうな感じ(?)は、本作のようなミステリアスな役には、まさに、ウッテツケだったのかもしれませんが、
東京に出て行って、株で、たまたま( ? ストーリーが、進むにつれ、知識や情報に、裏打ちされていたらしき事が、判明してくるので、…狙って ? )当てていたのでした(!?)、ってな展開では、
せっかくの神秘性も、何も有ったもんじゃない!
時代的にも、有り得そうな背景で、現代的には有っても、可笑しくない状況に、落ち着いてしまうのは、
せっかくの(?)有り得ない設定を上手く生かしきってない気もしていたが、ラスト近くに奇跡(?)が、起こって、「もしかして、コレって、因果応報説系?…なのかな?」と思えてくると、
マヤ(小雪)の御顔も、菩薩系に見えてこなくもない(?)…合掌
小金と幸せ。
久しぶりに、森田節がさく裂した作品だと思った。
相変らずテーブルを挟んだ演出の巧い人だと感じる。
そこで交わされるなんてことない台詞の一語一句が
ふざけているようで的を得ているのがとても不思議だ。
言葉にリズムがあるので、背景音楽も必要ない。
「金が人生を狂わす」ことを知っている人間でないと
こういう演出はできないんじゃないだろうか^^;
女神の様な顔の小雪が同級生たちに大金を差し出す。
普通受け取らないだろ!?と思うのに皆が受け取る^^;
中には生活に困って無心にくる者までいる。何なんだ?
…これって、いわゆるアレですね。
知り合いが有名人になると、全く知らない叔父さんとか、
訳の分からない親戚が増えて「お金をくれ~」っていう、
芸能人の楽屋話みたいな展開。でも面白い…^^;
その大金をどう使うかで、人生が分かれていくのだが、
それ自体に小雪はほとんど絡まないし口も出さない。
欲しいというから出してやった。あとはその人次第。
というわけなのだが、考えてみれば、元々貯めるのが
巧い人ならば、トーゼン自分で貯め始めているだろうし、
まぁそういうタイプは使い方も心得ていたりするので、
無心すればするほど「堕落する」人間を観ることになる。
対して、その大金を欲しがらない人間もいるのだが…^^;
後々まで観れば、冒頭のゴールドバー事件の真相も
分かるのだが、ここまでくると、彼女がなぜその大金を
彼らに差し出したのかはそれほど重要な観点でなくなる。
どんなに稼いでも儲かっても、大金=幸せ。ではないと
思う人間もいるということだ。本来はそれ以外の何かを
手に入れたいが、それはお金ではどうにもならないもの。
だったら使って下さいな、私に親切にしてくれた皆さんに
どうぞ…と、まさに「寄付」をするような感覚なんだろうか。
冒頭に幾つかの名言が提示されるが、そのとおりだった。
私は、金は天下の回りもの。だと思っているので、
生きるに困らない程度のお金があれば、多くは必要ない。
(あと映画館で映画を観られることが必須^^;)
今作でいえば小池栄子とか藤田弓子みたいに、
自分が幸せだと思えることは他人と比べる必要もないし、
小さな冷蔵庫も箱庭(この会は面白い)も小金で株買いも
なかなかいいじゃないか♪と思った。幸せなんだから。
結果。
小雪の行いが功を奏したのかどうかは分からないが、
彼女にある奇跡が起こる。善意って大切にしたいものだ。
(わたし出すわ。お茶とお菓子くらいなら。いかがかしら^^;)
たぶんこの感想は、少数派だろうな・・・
公開初日、 上映後の舞台挨拶付きで鑑賞。 この映画にかぎらず、 東京国際映画祭にて上映された作品は、 いつもは完売するはずのチケットが売れ残る傾向にあるようです。 今作、それでも 上映開始前には全席完売したようで、 映画関係者もホッと胸をなでおろしたことでしょう。 小雪さん、黒谷友香さんなどが 上映後に、登壇となると当然ながら 座席は、最前列から順に埋まっていく。 私の両隣に座られた小母さまペア。 ともに舞台挨拶付きの鑑賞は初めてだったらしく、 一方は「なに、前から座っていくなんて」と目を白黒。 一方は「なんで、整理番号うしろの方だったのに、こんな良席が空いてるの?」 そんな両ペアを横目に見ながら、 「(そうなんです!それが舞台挨拶つきの特徴なんです!!)」 川平慈英ばりのナレーションを頭の中で叫んでいたのでした(苦笑) ★彡 ★彡 いやぁ、わたしこの世界観好きだなぁ(笑顔) 上映後、拍手の準備。 ところが、なんの反応もなし。 今、思うと、当サイトの評価の低さ同様、 イマイチに感じたお客様が大多数だったのでしょう。 イコール、 超狭いストライクゾーンに たまたま、私がはまっただけなのでしょう。 《 お金 》 《 分相応 》 今作、公開前から、 愛読誌に連載記事が掲載されていました。 その関係で、事前情報満載の状態で鑑賞となりました。 だから、ある程度、 作品の内容は予測できます。 と、なると、 あとはその予想&期待通りか、 もしくは上回れるかどうかだけに焦点は絞られます。 そして、結果は冒頭。 この表現方法、この世界観、わたしは好きです(笑顔) 森田監督、 主役の謎めいた女性は 小雪さん以外、考えられなかった。 そして、抜擢された小雪さん。 つかみどころのない役で難しかったそうです。 上映後の話で 「なるほどね」と感心したのは、 登場人物たちのこれまでの生い立ちの表現方法。 小雪さん、東京から函館へ戻ってきた。 他の人物。函館に残り、住みつづけた。 街に対する距離感とでも言うのでしょうか。 離れた人と住みつづけた人、 それを表すのに函館に実際に住んでいる方々との ふれあいが役作りのうえで非常に参考になったと語っていました。 井坂さんなんて、 市電運転手役をするにあたり、 1日中市電に乗っていた日もあったそうです。 字幕スーパーによる過去の表現。 謎めいたままの小雪さんと仲村トオルさん。 結局、お金だけで行ききってしまったこと。 あまり大きな出来事もなく終わってしまったこと。 突っ込みどころはありますが、 函館の街が生み出したのであろう、 登場人物たちの存在感、立ち姿、その 背景に、スクリーンには映し出されない これまでの人生が見えてくるような気がして、 良い映画だなぁ、とエンドロール中、心地よく余韻に浸ってしまいました。 ★彡 ★彡 詰め込みたいことを詰め込めるだけ詰め込んだ。 あぁ、よかったと終わらず、終わってからも色々考えさせられる作品。 森田監督は、最後の締めの言葉として、こう語っていました。 まさに、仰るとおり。だから、ここまで気持ちをうまくまとめられなくて、 レビューが書けませんでした(苦笑) 心温まる穏やかな作品をありがとうございました(笑顔)
うーん…
小雪主演映画。小雪の仕事がなんなのかいまいちわからないまま話がすすみます。そして、なぜせっかくのお金を級友達にばんばん気前良く配ってしまうのか…理由もよくわかりません。しかもその級友達も本当に仲がいいのか、水面下では腹黒いのか微妙です。
後半、小池栄子もお金をばらまいていた事が判明しますが、これも別になくても良かったのでは…。
全体的にしっくり来ませんでした。
あぶく銭なら、是非募金等で役立てた方がいいのでは?と思わずにいられませんでした。
今年一番のがっかり
「わたし出すわ」 小雪 初の単独主演 予告編をみてかなり期待していました だからわざわざ、終電ぎりぎりのレイトショーしかないのに 見に行ったんだけど・・・・・・・・・・ えらい駄作 薄っぺらい ただ株で儲かった女が同級生に無駄に大金をくれてやるだけのお話です 公式サイトのコメント この映画を見てのコメントなの??? おじさんはこの映画みてこんな褒め称えるコメントは書けないけどな おかんのヘルメットも安っぽすぎるぞ! 一日一回 レイトショーなのもうなずける
たかがお金、されどお金
お金の生きる使い方・恐ろしさが淡々とコミカルに描かれている。BGMがホトンド使用されていないので臨場感に欠けますが、ストーリーの本質はとても良いものです。庶民が突然大金を手に入れると人生を台無しにしてしまう人が多いですよね。宝くじ当選者とか。身分相応の生活が一番大事なのがヒシヒシと伝わる静かな映画。おぉ~と感嘆したのは悪女役が結構多い小池栄子が良き妻・欲の無いというよりも悟りを開いたような聖職者のような展開だった事。私にはこの判断は出来ないなぁ・・・。いやはや脱帽です。自分の未熟さを実感しました。
掴みはよかったのに、後半の展開がネタに詰まった感じがしました。お金の使い方を考えさせてくれる作品と言えるでしょう。
冒頭函館の街で、金塊が複数の家のポストに投げ込まれるというニュースが報道されます。場面は変わって、東京から故郷に帰ってきた主人公山吹摩耶(マヤ)は、引っ越し業者にチップを10万円も弾むかと思えば、久々に高校時代の同級生たちと再会し、彼らの夢や希望の実現のために、次々に「わたし、出すわ」と大金を差し出すのです。 どのように稼いだお金なのか、なぜ出すのか、脚本も担当した森田監督は意図的にネタバレせずマヤには、その場の思いつきで、いろんなダーティーな方法で稼いだ金だとジョークを飛ばし、同窓生たちを煙に巻きます。 さらにマヤは仕事もはっきりしないという非常にミステリアスな存在として描かれています。いかにも森田監督が好みそうな展開で、掴みとしては、すごく好奇心をそそられました。 ただ、最初の台本では完成稿よりもさらに説明が少なくて、断片的な情報しかなく、主演の小雪は、これで本当に観客に伝わるのかという疑問を持ち、不安を感じたそうです。だから、最初は役作りに悩んだそうなのです。 そんな不安を消し飛ばしたのは、ロケ地函館の存在。近年函館を舞台として製作される邦画作品が多くなっています。エキゾチックな港町だが、どこかうらぶれた表情もさせる函館は、本作の隠された主人公の秘密を補って余りあるものがあるのでしょう。 小雪も、現地に入って、役をつかめる瞬間みたいなのがあったと語っています。「函館特有の空気感、土地柄、そこに住む人たちの人柄みたいなものが彼女を惹きつけているんだということが、肌で感じられるようになった」と試写会のインタビューで語っていました。 マヤのお金の出し方も不思議です。対象は高校の時の同窓生限定。その同窓生から自分なんかよりももっと貧困に喘ぐ世界の人たちに寄付したほうが、有効なのではというもっともな質問が出たけれど、マヤはニコッと笑って、あなたを応援したいのという一点張り。リアルティがないなと苦笑しつつ、次のエピソードのところでハタと気がつきます。 この物語自体が、『箱庭』なんだと。 箱庭の話は、同窓生のなかには、夫が箱庭を愛好しているというエピソードから出てきます。その夫が語る箱庭の魅力とは、自らが天地を想像した神のごとく、「地上」を俯瞰して、箱庭の世界を想像できることであるとのことなのです。 森田監督も、このリアルティーのないストーリーを敢えて作ったのは、大金を得て故郷に戻ってきたマヤと、旧知の5人の同窓生で箱庭世界を創造したのだと思いました。 本作で監督は神となって、主人公と同窓生達に大金を恵んだら。どのようなアクションを起こすのか、独り楽しんでいるのだと思います。 神となった森田監督が、用意した結末は、やはり褒章必罰となりました。あるものは妻が使い込んで、夫婦不仲となり、あるものは研究を止めたり、それぞれに挫折していきます。ここで神が語ろうとする教訓は、お金の与え方。お金を人に与えるときは、よく考えて出さないと、かえってその人をダメにしたり、不幸を招き込んだりすることがあると言うことです。 だから票になるからといって、国民にばらまく政府も問題ですね。それぞれに人たちが自立していこうとする意欲をそぎ取り、国家に安易に依存しようとする政策は、やがて国を滅ぼしていくことになるでしょう。与えることにおいて、智慧が必要なんだということはよく分かりました。 箱庭を楽しむ作品なので、結末は何でもありというのは理解出来ます。でも突然お金をあげた人が殺されたりするのは唐突過ぎました。特に金の延べ棒バラマキ事件のネタバレは、絶対に主婦が無益にそんなバラマキをするはずがないだろうとしらけましたね。 ラストは、マヤのスッキリしないネタバレと相まって、後半の展開がネタに詰まった感じがしました。掴みはよかったのに残念です。 感動するところは少なくて、不思議な主人公の行動によって、お金の使い方を考えさせてくれる作品と言えるでしょう。 路面電車ファンの小地蔵としては、市電の運転士道上とマヤが語り合う路面電車談義に多いに賛同した次第です。エコが叫ばれている割には、日本の路面電車はなかなか復活しません。そんな現状に憤慨し、世界の路面電車事情を見学したいという道上の夢にマヤはお金を出したのでした。それなら函館市電にも、ポンと新車購入資金を出してあげてもよかったのにね、マヤさん!
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