キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー : 映画評論・批評
2011年10月4日更新
2011年10月14日より丸の内ルーブルほかにてロードショー
1940年代の意匠に、現代の演出を掛け合わせたアクションシーンは快感
その名に国名を背負うヒーローが、21世紀の今、描かれるなら、まず乗り越えなければならないハードルは、その国名である。そんなパラドックスを、本作の製作陣はよく理解している。
まずタイトル。海外に向けては「キャプテン・アメリカ」と「ザ・ファースト・アベンジャー」の双方を用意して選択させ、中国が国名のないほうを選べば、さっそくそれをニュースにして作品を宣伝するしたたかさ。設定も同様。主人公の身体を変貌させる技術は国産ではなく、ナチスからの亡命者の発明。主人公の変貌後も、国は彼を軍の広告塔にするのみで、主人公は国の命令ではなく、自分の判断による行動によってヒーローとなる。国名及び国名を背負うという立ち位置の持つ負のイメージは、こうしてさりげなく弱められているのだ。
だから、仲間思いで恋愛には疎い古風なヒーローの活躍に素直に胸躍らせることが出来る。第2次大戦のクラシックな味わいに、現代アクション演出技法を掛け合わせたアクション場面は、ただ快感。1940年代の意匠に、「ボーン・スプレマシー」以降の荒い粒子と手持ちカメラ、「300」以降のスピード加工を施す、そのバランスの絶妙さ。監督は「ロケッティア」「遠い空の向こうに」のジョー・ジョンストン。この監督はこの時代がよく似合う。
もちろん、アイアンマンの父が主人公の武器を製造し、悪役がマイティ・ソーの世界のパワーを狙うなどリンクネタ満載で、マーベル・コミックのヒーロー大集合映画「アベンジャーズ」への準備は完了。ただ、「アベンジャーズ」のための壮大な予告編にも見えてしまうのが、監督はちょっとくやしいのではないだろうか。
(平沢薫)