マイティ・ソー : 映画評論・批評
2011年6月28日更新
2011年7月2日より丸の内ルーブルほかにてロードショー
ケネス・ブラナーの知的演出がぎっしり詰まった古典王道系英雄譚
アメコミ映画の魅力は、解釈の面白さにある。この古典王道系ヒーローを、今ならどう描くか。そのためのケネス・ブラナー監督の計算の数々に、いちいち納得がいく。
まず、主人公のキャラ設定は、屈折したバットマン、中年の危機を迎えたアイアンマンの後なので、その真逆を行く先祖返りヒーロー。自らの正しさに疑問はなく、高貴な身分に伴う責任を尊び、体格はプロレスラーでケンカに強く、何より仲間を大事にする。仲間の一員は恋人ではない女性という、現代的アレンジも怠りない。
そして、北欧神話と現代を結びつける世界観。ヒロインを物理学者に設定し、主人公がヒロインに語る形で、古代人が魔法と呼んだものが今は科学と呼ばれており、彼はその2つが同一である領域からやってきたと、観客に宣言する。ソーの仲間が神の装束で田舎町に出現すると、町民に「コスプレか?」と言わせて違和感を緩和。さらに、アクションの速度は、あくまでも現代。一方で、神話的重厚さは、ギリシャ悲劇直系の父子ドラマと、画面に常にケルト系紋様を配する視覚的演出で達成。
極めつけはエンドロール。もうひとつの原作の特徴、9つの宇宙を内包するアメコミ史上最大級の空間の広大さを映像化してみせる。もちろん今だから3Dで。これを観客が世界観を理解した後のエンドロールにもってくるのも正解。ケネス・ブラナーの知的演出がシッポの先までぎっしり詰まっている。
(平沢薫)