グラン・トリノのレビュー・感想・評価
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出会いが人生を変える
イーストウッド監督の映画はこれで4本目の鑑賞となりましたが、これはしっとりとした作品でラストにはじんわりと感動がきました。正直、16歳の自分にはただ良かったという単純な気持ちになったので、もっと歳をとってジジイになってからもう一度鑑賞したいと思いました。
この映画の感想としては、最初はただ意地の悪い、人種差別をするジジイかと思っていましたが、タオとの出会いから変化が生まれました。最初は全く笑わなかったジジイでしたが、タオと出会い笑顔が生まれたり、人を思いやる気持ちが見えたりしました。そんなこのジジイの成長が見れるのと同時に少年のタオもこのジジイとの出会いで人生が大きく変わっと思います。歳がどれだけ離れていても友人にはなれるんです。ある人と友人になってそれがどんな結果が待っているかは誰も分かりません、この2人のように素晴らしいラストが待っているかもしれないのです。僕はこの映画を鑑賞して、人との出会いを大切にしたいと思いました。それと車ってのはカッコいいですね、まさかグラン・トリノという題名がが車の名前だとは思いませんでした。そんな題名にもなった車が走る場面は少ししかなく、持ち主のジジイは1度も乗ることなく映画が終わりました。ですが、ラストのタオが走る場面からのエンドロールは感動しました。この映画は、なんというか見た後にじーんっと色んな感情が込み上げてくるような作品でした。
ダチョウとカエル
偏屈なジジイで決して褒められたような人格じゃないけど
昔気質というか、自分を曲げない強さってものも持っていて…。
罪とか懺悔とか、そして自己犠牲とかすごくキリスト教的な物語なんだけど
普遍的な”男”の物語でもあると思うんだよね。
イーストウッドが演じるウォルトがとにかくハードボイルドだし
タオの成長ぶりには目頭が熱くなるっていう。
暴力の連鎖を…って意味ではちょっとキレイごとすぎる気もするけど
イーストウッドがかっこいいから、そんなもんはどうでも良いのですよ。
イーストウッド現役すぎる
たしかにイーストウッドかっこよすぎだし脚本も感動的でよくできてるけど、ラストはちょっとできすぎというかかっこつけすぎだと思っちゃった。タオとかスーに感情移入すると、この先どう生きていくんだろう…と考えてしまったし、乱暴に言うと"男のロマン"的な作品なのかなと。
私にとってクリントのベストの映画
あまりにも有名すぎる映画だとレビューを書くのも困る。なぜかと言うと、私の思ったことをみんながすでに書いてしまっているから。例えば、主人公、ウォルト・コワルスキーの終活や、ウォルトがタオの家族に対して、正義感をみせるところなど、感激するシーンはいくらでもある。私は人と同じことをするのがあまり好きじゃないという天邪鬼なので、この秀作をなにか他の見方でみられないかと考えながら、今、コンピューターに向かってタイプを
している。
『ダーティーハリー』のMake my day!!!とかいうセリフがぴったりあっている役。ウォルト・コワルスキー、朝鮮戦争後、米国ミシガンに戻り、結婚したり、フォードで流れ作業で働いていて退職したが、熱心なカトリックの妻に先立たれ、今までにすでに培われた一本木の性格により拍車がかかり、頑固一徹の悪態をつくじじいになってしまっている。頑固だけならまだいいが、人種差別用語は日常茶飯事だし、アル中、ショットガン保持者だ。かれのことを一番理解してくれ長く連れ添った妻に先立たれたことは大きいと思うが。それに、彼の持っているジポーライターでもわかるように彼は朝鮮戦争の時、特別な部隊にいたかもしれない(米軍隊は私には良くわからないが?)、それに、『降伏している兵士を殺した』罪の意識はいつまでも彼の心を癒すことができなかったんだろうと思う。だから、それを知っていると思う、なくなった妻は、カトリックの神父のところに行って、『懺悔/告白』して欲しいと。でも、ウォルトは『青二才の童貞やろう』と悪態をつく始末。ー私はウォルトの悪態に大笑い。
ウォルトの住んでいるところは、デトロイトのGM,やFordなど自動車工場が閉鎖されて、ここで働いていた、人々が他の地にさってしまった地域だ。最初のモン族のタオのおばあさんもいったように、『なぜ白人がここにいるのか?』貧困地域と化したこの地域は犯罪の温床であり、ギャングの争いの場所になってしまっている。タオのように、仲間に入りたがらないと仲間に入れるまで、邪魔をしてくる。(これは、キャラバンといわれた、グアテマラやホンジュラス の若者と同じで、仲間に入らなければ、家族まで痛めつけられる)そして、他の人種との争いより、同じモン族の間で犯罪を犯したり、喧嘩をしたりすると聞いた。)
私はカルフォルニアのフレスノ市のモン族と人々と何十年前話したことがある。彼らは静かな民族で、市民の使わない土地を借りたり、分けてもらったりして、米国に来る前と同じように、農耕民族として生きていた。フレスノはカルフォルニアの農業地域、サンワキンバレーがあるから、多分耕作に土地が向いているのだろう。あと、ミシガン州のランシングはモン族、ベトナム人の多い場所で、GMが去ってしまったので、その空き地ができ、環境問題で、その土地が利用できずにそのままになっている。私の友達はあるGMの空き地の隣の高校で先生をしていた。私もその学校を生徒のいない時訪れたことがあるが、伝統的な作りで、中も、ロッカーの位置まで、古さを感じさせる。私の友達曰く、アジア系の生徒が一番真面目に勉強すると。
GM,やFord が去ってしまうと、税金を払ってくれる大企業が去るということなので、全くと言っていいほど、町は錆びれてしまい、住む人々の層が変わってしまう。この映画撮影はデトロイトのハイランド パークであったらしいが、映画は二千八年のだから、今現在はもっと荒んでしまっているだろう。多分?
タオのため、ウォルトは自分の命をささげた。自分がもう長く生きられないことをしていたけど、私は自分の命を人に捧げられるだろうか。自分がギャングを殺せば、自分がつみになるが、ギャングに殺されれば、ギャングたちは刑務所行きでタオにまとわりつかない。タオは新しい人生を家族と共に歩める。車もあるから仕事にも行きやすい。この犠牲的精神は、朝鮮戦争の捕虜を殺した償いから生まれたのか?? それとも?
沁みる…
人間関係をスムーズにするために表面をコーティングすることを嫌悪しているかのようなウォルトは、一見生きづらそう。
でも、彼を理解している人はいるし、理解してくれる人、理解しようとしてくれる人に対して、彼はとても正直で誠実。
実は人種差別とはいちばん遠いところにいるタイプなんだと思う。
最初のうちはほとんどタオの顔を写さず(うつむいてばっかりいるし)、だんだんとしっかりと表情をとらえるようにしていく撮り方もとても効果的。
【”過去に過ちを犯し、自分が許せない、人生に幸せがなく安らぎもなかった”男の、自らの人生に対しての見事な決着の付け方を描いた作品。】
ー”72年型 グラントリノ ファストバック コブラエンジン搭載車”
当時のフォードが世に出した、スポーツタイプの名車である。
但し、その後排ガス規制や燃費の問題もあり、名車の名を残しつつ、生産終了となっていった・・。-
・ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は愛する妻を亡くし、その葬儀での孫達の言動(ヘソピアス、品の無い言葉遣い)及びそのような孫を育てた自分の息子達に苛立ちを隠せない。
神父に対しても、”新米神父のいう事など・・”という態度を取る。所謂、昔気質の頑固親父だ。
彼は、フォードの組立工として家族を育てた気概もあるため、日本車(劇中では、はっきりと"TOYOTA車"が映し出される。)及び彼にとっては米食い野郎のイエローは気に入らない存在だ。
だが、一人暮らしとなった彼の”中流以下が住む地域”に経つ家の隣に住むのは、”モン族”の大家族。地域には、白人は殆ど住んでおらず、イエローか黒人など有色人種が多く、チンピラもうろつく。
そのような状況の中、彼が大切にしているグラントリノを”モン族”のチンピラたちに脅された臨家のタオが盗もうとしたことから物語は動き始める。
■今作の魅力
1.有色人種を一律に見ていたウォルトが臨家の”モン族”と関りを持つ過程で、過去の彼のトラウマから来る偏見を払拭していく姿。
ー”俺の家の芝生に入るな!”という言葉から、臨家の”モン族”のタオの姉で、聡明で気が強く、且つ優しきスーと知り合い、”モン族”の礼節を重んじる姿に”どうにもならない身内より、”モン族”の連中のほうが・・”と彼の考えは徐々に変わっていく・・。-
2.過去の彼のトラウマ
朝鮮戦争時に、兵役に駆り出され多くの朝鮮人を殺してしまった事を深く悔いるウォルトが、逆にどんどん偏屈になっていったことを苦虫を噛みつぶしたような表情で、クリント・イーストウッドが絶妙に演じている姿。
3.心を許す中になったスーに頼まれ、タオを男として鍛えなおす姿。そして、そのスーが、”モン族”の不良連中に暴行された姿を見た"病により、自らの死期を悟った"ウォルトが取った行動。
<自らのトラウマを克服し、タオを命を懸けて”一人前の男として”育て上げたウォルト。そして、彼が遺言で”72年型 グラントリノ ファストバック コブラエンジン搭載車”を譲ったのは・・。
人種差別というリスキーなテーマを逆説的に取り上げ、一人の”過去に過ちを犯し、自分が許せない、人生に幸せがなく安らぎもなかった男が、いつの間にか、大切な存在になった人々を守るための見事な人生の決着の付け方を描いた作品。>
<2009年5月 劇場にて鑑賞>
<その後、様々な媒体で複数回鑑賞>
昔気質で身内からは厄介者扱いされてるおじいさんなんだけど、本来は正...
昔気質で身内からは厄介者扱いされてるおじいさんなんだけど、本来は正義感が強くて良い人なのでそれがだんだんバレて(笑)隣人たちから慕われはじめる過程がハートウォーミング。旧知の知り合いたちはそんな彼の本質を理解している。床屋とのやりとりしかり。すごく良いシーン。妻に先立たれて孤独な老人では決してない。地域の人間関係が希薄な時代、羨ましいような気持ちで鑑賞した。
さすがクリント・イーストウッド
観賞後の余韻がハンパないです。
さすがクリント・イーストウッド、いい映画を作るなぁ~。
クリント・イーストウッドの渋い演技はもちろん、モン族の姉弟もすごくいい演技をしていましたね。
タイトルにそれを持ってきたか
さすがクリント・イーストウッド監督、完成度が高い。堅物な老人が多感な年頃の少年と、不器用ながら心通わせていく物語。
自ら主演で、何とも味と深みのある主人公を演じきっている。毎度思うが、これだけ主演で出ずっぱりで、監督・演出もするなんてどうやっているんだろう。超人すぎる。
歳を重ねていくこと、人種差別の蔓延る世界など、現代における多くのテーマが詰め込まれているが、そのなかで愛車である「グラン・トリノ」をタイトルに持ってきたのは興味深い。(原題も同じ)
信念を守り続け、何かひとつを大切にしていくことの人生における揺るがない価値観を描いているような気がする。
すごく盛り上がる展開はあまりないが、坦々と悠々と語りかけてくるような映画。
イーストウッドの映画にハズレはない・・・
最近「運び屋」と「ミリオンダラー・ベイビー」を立て続けに観たが、「許されざる者」同様高水準の作風に只イーストウッドの演出の手腕に脱帽してしまう。
この人の映画は「運び屋」でも感じたが、「差別色」を強く感じるが、そもそもストーリーが朝鮮戦争の帰還兵が隣に引っ越してきたアジア系の家族との最初は対立があるが、徐々に打ち解けている姿が描かれているので、避けて通れない道なのだろう。
とにかくイーストウッドが嫌な程カッコいい。
この作品の基本ベースは「許されざる者」同様「マカロニ・ウエスタン」と同じ匂いがする。
それはクライマックスを観れば理解できると思う。(そもそもマカロニ・ウエスタンの世界を知っていればの話だが・・・)
一番の見所は隣人のアジア系家族の娘と息子とのふれあいにあると思う。
それは朝鮮戦争で自分が犯した罪(と言うか軍の命令)で多数のアジア人を殺傷した罪の償いなのだろうか?
いろいろ思う作品。
クリント・イーストウッドの男気のすべて。
イーストウッド監督の作品で一番好きな作品です。
気難しい爺さんがみせる人情と己の正義。
こんな男になってみたい、と男心をくすぐる映画です。
ディープな描写も多いですが、よりイーストウッドのキャラクターを深める濃い映画。
アメリカン頑固ジジイ
古き良きアメリカ版の頑固ジジイが周り影響されてに心を開いていく話。口が悪くて、でも下品過ぎない。大人の会話って言うのか?ステキです。
車は象徴的で特に走ったりはしないけどいい存在感。クリントイーストウッドが、カッコ良すぎる。
感動したと言うか、考えさせられる、心を震わされる様な、気持ちいい話でした。
男気を魅せる
愛すべき「じじい」の話。
筋の通った男気を最期まで貫いたじじいに、
少年は何を見るか。
イーストウッドの、アクの強いメンド臭いじじいが、
見てるこちらは「他人」なので非常に愛らしい。
ただ、こんな頑固オヤジなのに、
隣人と打ち解けるにはちょっと時間早すぎる気もする。
床屋での会話がサイコーです。
クリント・イーストウッド監督・主演作。朝鮮戦争の従軍経験を持つ元自...
クリント・イーストウッド監督・主演作。朝鮮戦争の従軍経験を持つ元自動車工ウォルト・コワルスキーは、妻に先立たれ、愛車“グラン・トリノ”や愛犬と孤独に暮らすだけの日々を送っていた。
遠くの親戚より、近くの他人。
『ベスト・キッド』や『マイフェアレディ』のような話。
異文化の地でモデルを見失い人生をどう作っていったらいいかがわからなくなっていた少年を、導いていく老人。少年の家族との交流を絡めて描く。
その交流が心地よい。
冒頭で葬式の食事会の隣で、誕生祝。この映画が、”生と死”を扱っていることを提示する。
でも、それだけではなくて、さりげなく社会の現状・問題を的確に押さえていく。
人種のるつぼ。”クロ”は”クロ”だけだが、白人系はここぞとばかりにそのルーツの多様性を表現する。その中で、改めて皆移民なのだということを示す。クリニックでもここぞとばかりに人種のオンパレード。
ファンタジーのような展開なのだが、細かい考証もしっかりしていて手抜きがない。USAの映画では、日本人役に中国人が使われたり、着物も日本人がみると?なものが多かったが、この映画ではきちっと民族を押さえている。モン族の民族衣装とか、タペストリーとか。
また、朝鮮戦争・ベトナム戦争も絡める。モン族が、その政治的な関係の中でUSAに移り住まざるを得なかったことも織り交ぜる。
それが全然説教臭くない。口をあんぐりと開けてしまいそうな、機関銃のように醸し出される悪口雑言で観客を煙に巻く。
勉強するにもお金がかかるし、何をしていいのか持て余していた少年。庭いじりは、文化の違いを象徴するエピソードでもあるが、”自分らしさを作り上げていく”象徴でもあろう。
先進国と、発展途上国の描き方だと、知的労働者と肉体労働者という対比が多いが、ここではUSAの老人が肉体労働者。その指導を受けて、ひ弱なひよこが少しずつ力をつけていく。ウォルトとタオの表情の変化がまぶしい。
だが、そこに入る邪魔。
タオとスパイダーたちを分けたものは何なのか?
ウォルトの紹介で職を得るタオ。ウォルトがかわいがっているから、イタ公もアイルランド野郎もタオを受け入れた。USAでは転職する際は、前職からの紹介状を必要とすると聞いたこともある。実力主義とはいえ、意外にのコネ文化。
スパイダーたちにはウォルトのような人はいたのか?コネがなく、就職できなければたむろするしかない。
それだけではなく、信仰の対比。
上から目線で知ったつもりになって説教する若い神父。
初めて会ったのに、ウォルトの抱える困難を喝破して見せたモン族のまじないし。
根底の文化は一緒のはずなのに相容れない家族と、異文化なのに付き合いが発展していくご近所。
大人と子どものバディは『パーフェクト・ワールド』でも描いていた。とはいえ、監督がここで表現したかったのは、『パーフェクトワールド』の焼き直しではなかろう。
つい、”教訓”を読み取りたくなる。
そしてクライマックス。
ヒーローものとしてみれば、格好の良い幕切れ。
でも、私がタオやスーならば、一生悔いが残る。特に、スーモタオもウォルトがやったことを知らないのだから。
そして家族との関係。自分ならば?
心が通じた人に肩入れしたい気持ちと、でも家族をないがしろにしていいのかという思いとの狭間で、納得がいかない。
結局、自分勝手な人だったんだな。
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