路上のソリスト : 映画評論・批評
2009年5月19日更新
2009年5月30日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
感動の安売りを退けた、味のあるコンチェルトが聞こえる
ロサンゼルス・タイムズのコラムニストが路上生活者に出会う。コラムニストは仕事と私生活の両方に行き詰まっている。路上生活者は統合失調症だが天才的な音楽能力を持っている。コラムニストは彼に惹かれる。ネタになる、と直観しただけではなく、仕事の枠を超えて彼に手を差し伸べようとする。
きわどい話だ。しかも実話が基になっている。私は通常、こういう映画を前にすると眉に唾をつけたくなる。
が、「路上のソリスト」はちょっと味がちがった。まず俳優に力がある。コラムニストにはロバート・ダウニー・Jr.が扮した。路上生活者を演じたのはジェイミー・フォックスだ。両者の摩擦が面白い形を取ると、化学反応を伴ったコンチェルトが聞こえはじめる。
英国人監督のジョー・ライトは「ちょっと変わったロサンゼルス」の風景を覗かせる。車で移動すると路上生活者の姿が眼につきにくいこの街の特性を逆手に取り、陸橋の下やビルの谷間に潜む奇妙な穴場を点描するのだ(逆にいうと、施設の描写は不要だった)。
同時に彼は、生来の「耳のよさ」を生かして路上生活者の像を彫り上げる。「シャイン」のジェフリー・ラッシュほど情緒的ではないが、フォックスの発語は急流を彷彿させる。堰き止められた感情が、あふれて流れ出すのだ。その急流を、ダウニー・Jr.がひるみつつ受け止める。ふたりは共感しない。見つめ合ったり抱き合ったりもしない。だからこそ、「路上のソリスト」には味が出た。感動の安売りになっていたら、私は怒ったはずだ。「化学反応を伴ったコンチェルト」という言葉を使った理由はわかっていただけると思う。
(芝山幹郎)