ノルウェイの森のレビュー・感想・評価
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デキなきゃ死ね
映画のあとから読んでみたが、原作つまんねえな。
この映画をけちょんけちょんに言うやつはどんだけ原作に惚れたのか
しらないが、小せえよな。
小説のセリフを映画にすると浮いて見えるって、どんだけ感情移入したいの
って話。そもそも異国人による、俺らには理解できない白いブリーフはく時代の映画なんだから、メルヘンでしかないっつの。
でそのメルヘン、好きな人とセックスできれば生きていきたくなるし、できなきゃ死ね、っでいいじゃん、その通り。
ミドリが愛の言葉にニヤリとすることにどんだけ深い意味があるっての?
役者について。
菊池さんは出来る子だから、えいやっちゃえ、って監督が思った程度だろうね。
松山さんはこの役は良いと思ったね。ワタナベはあなたでもある、みたいな設定なのだろうから、そういう風にしてるんだろうな、とは確かに見えた。
デスノートやウルトラミラクルやデトロイトは死ねっ、と思ったけど。
ミドリの子は好演。ド貧乳で選んだか、と思うぐらい素晴らしい。
棒読み?みんな棒読みのかわいいド貧乳の子嫌いなの?
性的表現の直球が何を意味するのかわからない。
『映画レビュー』のクラスを教えているが、学習者のリクエストがこの映画である。私は村上春樹の作品に興味がなく、『海辺のカフカ』だけ読んで、それ以上は紐解かなかった。しかし、日本語の教師なので、学習者が決めた本、青豆がどうしたとかいうのやらを一緒に読んで学習者の読解を助けたような気がする。学習者には村上春樹ファンが多いようだ。ある生徒は現在早稲田大学院文学部で勉強していて、高校の時から作家になると言っていた。彼も、ハルキに夢中だった。頭の古い
私にとって、彼の表現はつまらなく感じだ。個人的な感想だが、『もちろん』の多発が例だが、英語の直訳のように思う。文章表現の仕方が、上級だが、日本語学習者の作文のような気がした。あくまで、私感であるから、ご理解を。 それに比べると、三島の『金閣寺』などは『これが純文学!』だと叫びたくなるように表現力が豊かだ。
この映画も、学習者からの要望で見てみた。討論に使うので、よく理解しておきたかった。主人公ワタナベ ( 松山ケンイチ)がたとえば、全学連に入っていて、学生運動に力を入れていて、思春期で異性に芽生えているなら、もっとワタナベに寄り添って考えられるのにと思った。それに、彼の読んでいる文学が、当時流行の作家、高橋 和巳ならもっと感情移入できた。私はどれも満足に読んでいないが、『悲の器』『我が心は石にあらず』『邪宗門』などは当時全共闘に属していない人でも読み漁っていたのを知っている。もちろん、大江健三郎の『万延元年のフットボール』も。 しかし、ワタナベの読んでいる本はなんだか見当もつかない。ワタナベの先輩、永沢 (玉山鉄二)のワタナベの読んでいる書物に対する批判だけじゃどんな本を読んでいるかヒントにもならなかった。
それに、行間を読ませるような短い会話で、こういう作品を理解するのは私の不得意なところだ。 会話が極端に短い。でも、登場人物は意志の疎通ができているようで会話がスムーズに運んでいるようだが、私にとってみると、もっと自分の気持ちを会話にしてくれたら、勘繰らなくてもすむのになあと思った。苦手なタイプの映画で、個人的にイラン映画、トルコ映画のように字幕が長いのに好感が持てる。しかし、ワタナベ の静かに話す口調はこの映画の圧巻で、社会で起きていることには興味が持てず、自分の心の置き場もないような性格が滲み出ていると感じた。何を求めて生きているんだよとか、これからどうしたいんだよと声をかけたくなるような青年にぴったりの口調だ。ポジティブに考えれば、只今、人生模索中といえよう。
もういちどいうが、これは日本映画だが、『英語を直訳した』ような表現を使っているのがギクシャクした。だから、若者の会話なのに、私のとってみると、うまく流れていかないのを感じた。私は団塊の世代の一歩前だから、1967年の時代は現実味がある。私も読書の虫、特に純文学の虫。それに、中核派によって、講義がよく阻止されたのを覚えているし、ワタナベのように、アルバイトに勤しんでいた。
最後に、性的表現の直球が何を意味するのかわからなかった。当時、こういう直球が若者の間で広範囲に使われていたのだろうか?
この映画は私が話し合うトピックを考えるのではなく、この映画を選んだ学習者に考えさせよう。その方が自律性のある授業になるし。
原作との差異を痛感してしまう
映画と小説が異なる作品は多い。だがこれは、原作に忠実に作ったけれど、一致していない部分があるように見える。だからこそ疑問点がいくつか残るものとなった。女性陣の雰囲気と、ラストシーンが顕著だ。
まず直子。原作に描かれていた、少女のようなか細さや繊細さが薄かった。吠えるように泣く姿は、私の思い描く直子と異なっていた。だがそれによって、原作でいまいち掴めなかった、彼女が「自らが心底愛していた男性とは交われなかったのに、その親友との行為にとてつもない快感を覚えたこと」苦しんでいたと分かった。その点に関しては良かった。
続いてミドリ。彼女の奥底に潜む闇と、それを繕おうとする強さコントラストこそが彼女の魅力であると私は思っている。だが、この作品では彼女が最初から謎めいた繊細な少女に見えてしまう。水原希子が細くて色白なのも相まってだろうか。「幸せになりたいの」から「抱き締めて」の下りにはミドリらしさを感じられたが。
そしてラスト。原作では直子の死を悼みつつ、導き合うように、不思議に、レイコさんとワタナベが一夜を共にする。原作では、あの何とも形容しがたい雰囲気に魅了された。だが映画ではまるで、レイコさんがワタナベに自らの女性性を覚まさせて欲しいと懇願するように見えた。ただの性行為のように見えたのだ。
ワタナベがミドリに鳴らす電話の下りもいまいち。原作では、時系列がいつなのか、ワタナベが本当に何処にいるのか、全く分からない状態であった。その謎について様々な論文や解説サイトが生まれているのも事実。ただ映画だと、否、映像と音声で伝えられるからこそ、その謎が少し明らかになってしまうのが残念。個人的にはワタナベが数十年後に電話を掛けるのかと考えていたので何とも。
酷評をしているが、この作品で良かった点もある。ワタナベの演技だ。あれはもう松山ケンイチではない。ワタナベトオルであり、若かりし頃の村上春樹だ。そう思わせてくれる彼の演技に天晴れ。
そして音楽。原作にも映画にもマッチする音楽に酔いしれた。映画のサウンドトラックを購入したのは初めてだ。
登場人物それぞれの悲しみ、苦しみ、それを乗り越えて、強くも弱くも生きること。これは映画にも原作にも通ずることである。肝に銘じて生きていきたい。
自分は好きです。
一村上春樹ファンから言わせてもらうと、この映画は村上春樹の生と性をかなり上手く表現していると感じた。レビューを書いてる人の中ではただのエロ中心の官能小説と思われてるかもしれないのはとても残念だ。
訳ありな3人の三角関係は見応えがあった。
キャスティングもなかなか良く、特に水原希子なんかはぴったりだった。
セックスを学ぶ2人はセックスに散る。故に愛のかたちなぞ無い
松ケンが悶々と苦悩する恋愛観・セックス観・人生観それぞれのエピソードの断片を駆け足で羅列していくから、そのペースについていけず戸惑う。
「原作を読んでへんお前が悪いやろ」と責められたらお終いだが、各々の抱える背景に理解できず、陰だけが突出し、ネガティブな世界観に辟易するだけだったから、感情移入しようがない。
愛への憧れが、恐怖心と虚無感へと変わる流れこそ、大人への一歩である。
セックスは肉体的にも精神的にも、大人として割り切っていく実感を確認する唯一の手段なのかもしれない。
結構、深いテーマやのに結局、セックスの話だけが独り歩きしたのは致命的やと思う。
とりあえず、わかったのは、松ケンはトライアングルの対人関係でなければ、コミュニケーションを成立不可能な若者だった事であろうか。
つまり、マンツーマンでは己の存在感を見いだせず、崩れてしまう。
高校も大学もそして、恋愛関係においても…。
素直になれない弱さが彼を孤独の闇に追いやるのだが、肝心の三角形の点と線がボヤケてしまう。
中でも、終盤での先生との接し方には、
「何で!?」
と、謎ばかりが降り注いだ。
《総評》
自己嫌悪・自問自答・自己陶酔に溺れ、殻に閉じこもっていく主人公の闇黒面に迫る描写は、第2の『人間失格』と云えよう。
酒やドラッグではなく女のみに人生を狂乱するストイックな転落模様は、ある意味羨ましくもあり、悲惨にも感じた。
…。
んまぁ、2冊読んだ経験一切無いけどね…(苦笑)
カッコ悪い結論が出たところででは、最後に短歌を一首
『生きる意味 重なりに問ふ 蒼き渦 春は横切る 風を濡らして』
by全竜
未だ抜け出せずに…。
夕方からの一回上映になってしまったので、やはり行くべきと思い立ち見てきたのですが無駄ではなかった。
私にはどこを取っても良かったと思える作品でした。
原作は出版当初に人から借りて読んでいます。所謂ハルキストではありませんが、ある種の感慨を持って読んだ記憶があります。
あの時代を私は直には知らない(いや幼すぎてわからないと言うべきか)けれども、思春期の頃に読んだ(私が思うところの)その類の小説、自分より少し前の時代の金字塔のような作品、「ライ麦畑で…」や、「赤ずきんちゃん…」やらを、実際には甘酸っぱい、苦しい内容であるのにもかかわらず憧憬の心持ちで読んだ17や8の頃を思い出して、本当に甘酸っぱい、苦しい気持ちになったのです。
緑や深緑や黄緑色の中を歩き廻る廻る…。白一面の中で確かめあう…。荒海の前で絶望し慟哭する…。
長回しの引きレンズで収められた凄絶な、清廉な自然の中で展開するそれらを、まるで小説を読むかのように見つめる…凝縮された時間でした。
哀しみの中に同化した直子、哀しみを包み込んだ緑。そして哀しみの扉を閉めたワタナベの、その刹那の呟きが「ぼくは今どこにいるんだ?」なのではないかしら。長く居た場所を出た直後、瞬間わからなくなったりする時の呟きと同等の。
原作から感じられる空気感とほぼ同じものを嗅ぎ取り、ある迷いの中に居る私は未だノルウエィの森から抜け出せずにいます。それは決して心地良くはないけれど、そんなに悪くはない。少しだけ光が見えた心持ちは呟いたワタナベくんとそう遠くはない。
この際だから思うことを2、3言ってしまうと、実際の初版はバブル辺りで、つまり当時に既読であったとしても、小説内の時代は20年弱前のことなのだから、その時代に生まれていない世代には想像するしかないわけで、原作を長らく愛してきた人々でさえ、その空気は想像でしかない人も多いはず。
やはりあの時代を生きた若者、所謂、彼らと異質な者をノンポリやプチブル等と非難し、体制を批判し激論した側、対する、そうやって嫌悪される側の心なんかを、本当には理解してる人なんてそうはいないと思うのです。
そしてまた、作り手側は、理解できないとか説明不足とか、そもそもそう言う反応は蚊帳の外なんじゃないのかしら。
秘するが花とか、皆まで申すなの心持ちで描かれているものに、わかりにくいは無意味だとさえ思います。
ましてや、私はわかりにくいというより、かなりたくさん喋らせてると思ったくらいですし。
最後に、緑はかなり猥雑な単語ばかり発しているから、あの抑揚のない喋りじゃないと卑猥すぎるんじゃないかしら。ワタナベくんだって「場所をわきまえろ」なんて言ってましたし(笑)
私は、滑舌が悪いとは思わなかったし、下手なんてちっとも。
誤解を恐れずに言ってしまえば、岸田今日子やらデビュー当時の桃井かおり、さらには市原悦子らを決して下手だなんて思わないのと同様に。
原作は良かったんですが…残念としか言えない
話題作であり、松山ケンイチさんの演技が観たいということもあり、今まで春樹作品には無縁でしたが、原作を読んでから上映を観ました。
まず…松山さん以外の主要キャラのセリフが上滑りしている気がしてなりません。菊池さんはわざとらしいし、緑役の女の子は棒読みがひどい!ひどすぎる!!
ルックスはイメージに近いかも知れませんが、喋り方が緑の明るい魅力が全然出ていない……どうしてもっと演技指導しなかったのかと甚だ疑問です。
正直、どうしてワタナベが緑に魅かれたのかも、そのせいで全然伝わりません。
映画という尺の短い中で世界観を表現するのはもちろん難しいことはわかります。その中でも重要なことを厳選して時間を使っていくべきだと思うのですが、キスギの自殺のシーンとかあんなに時間いらないし。観ていて怖いです!
妙なだらだらとしたカメラワークも目が回りそうで気持ち悪かったです。
一番気に入らないのはレイコさんと最後に寝るシーン。
原作でもレイコさんと最後に寝るところだけ、どうしても納得がいかなかったのですが、直子の寂しいお葬式を2人で歌を歌ってやり直してあげる
(でもその後寝ることはないんじゃない?と思っていたのですが)
映画版はこれがさらに最悪で、お葬式もせずにレイコさんが「私と寝て」とせがむっていう展開……ここまでくるともはや唖然。
レイコさんも最後に直子とワタナベについて話した一番重要なことをワタナベに伝えてない。あれでは直子がなぜ死んだのか、全然伝わってこない。
ただおかしくなって死んだとしか捉えられません。
あれじゃレイコさんはちょっと知り合った男の子を自分の立ち直りに利用しに来たただのおばさんです。意味不明です。
監督は脚本も書かれたみたいですが、原作を本当に理解されていたのでしょうか??
直子は一番好きな人と寝られなかったのに、その親友と寝れてしまった。
しかしそれはとても気持ち良くて幸せだった。
その自分の矛盾に耐え切れず、さらにもうそんな幸せはやってこないと感じ、自ら命を絶ってしまった。。
そんな切なさが観ている側には伝わらず、直子の自殺シーンも怖いです。
ロケ地は確かに美しいところや迫力のあるところもありましたが
そんなもので誤魔化さずに、もっと役者の演技や、登場人物の心情を描くように努めて欲しかったです。
そういうのが伝わらないので、ただ性描写の多い「エロ映画」になってしまった。裏づけがないから。
原作を読んでいない方には全く理解できなかったと思います。
この意見が何らかの形で制作側に伝わることを願います。
分かりにくい作品でも…
松山ケンイチが役者として好きだったので見に行きました
恋愛映画だろぉうと思っていたのが
エロ…エロ…えろと
一人できよかったと思ったほどでした
背景や風景はすごく美しかったです
時代も生きてないので新鮮に感じました
内容的には空虚感がものすごくありました
ひどい先輩がいたり
好きになった人には愛してないといわれたり
そのひとが自殺をしたり
その先生みたいな人とやったり
彼は流れ流れていってるような感じがしました
話的にはどかん!と何かがおきるわけでもなく、こちらが共感して泣けるわけでもなく
淡々とした感じでした
良くわからない立場から肯定
端から期待しないで観たんですけど,まず見て損はしなかったなというのが鑑賞後の印象です。原作についてはあまり思い入れもなければ納得もしてないです。「親友の元カノとセックス」「大学の女とセックス」「ババアとセックス」の印象が強すぎて。それは「ワタナベに対する違和感」だったんですけど,いざ映画になるとその違和感は払拭されていました。代わりに登場する女たちの「何か変」って感じが見ていて怖かったです。ハツミさん(永沢さんの彼女)の顔なんて軽くホラー映画でした。
色んな方が「原作のセリフをそのまま口にするとリアリティが損なわれる」という旨のことを言っていたと思いますがそれはその通りだと思います。会話がメインの映画にあってこのリアリティの無さはかなりの減点になるんじゃないでしょうか。(笑いながら「私達異常だから」なんて言われた日には僕は彼女達をぶん殴ると思います。)特にワタナベと緑の会話は苦痛でしかなかったです。心の置き場所がなかった原作にあって彼らの会話は数少ない心の拠り所だったので苦痛の度合いはかなり大きいです。ショックです。
マツケン以外の役者の「台詞言わされてる感」は計り知れません。特に緑を演じる水原希子の棒読み感はひどかった。捲し立てるように喋るのは良いですけど滑舌の悪さと抑揚の無さのせいで単に一方的でむかつくだけの女にしか見えなかったです。原作には気風の良さを感じて好印象を持っていたんですけど。仕草とか表情も何処か不自然な印象を持ちました。新人をピックアップするのは良いですけど,ピックアップするなら徹底的に演技指導してもらいたかったです。少なくともあの程度の演出で満足してもらいたくはないです。
良いところもありました。今作いちばんの成功は松山ケンイチに映画がばっちりハマったと思えたところです。個人的に普段の松山ケンイチから醸し出される雰囲気にはもの凄くアクの強さを感じています。「芝居がかってないところが芝居に見える」とでも言いましょうか。彼の輪郭のはっきりしない雰囲気が逆に人間性を際立たせているような気がしていて,普段は何を演じてもマツケンにしか見えないんですけど,今作はそのマツケンの素の雰囲気がワタナベのキャラクターを作り上げる構成要素の一つのように感じられました。劇中セリフが浮かない唯一のキャラクターだったとも思います。何よりマツケンの横顔の綺麗さに驚きました。監督も知ってか知らずか対話シーンを多用して横顔ばっかり映してましたね。
もう一つ。映画化にあたっての省略が物語のわかりやすさに好転していたところもあった気がします。ワタナベと直子が再会してからセックスするまでが早すぎるような気もしましたが,(緑とワタナベが抱き合う→直子の悲劇→自責の念に駆られるワタナベ)の流れは原作にはないドラマ性を感じました。セックスと幻想的な自然と音楽しか表現していない,言ってみれば「~げ」な作りだなと思って観てたんですけど,あの一連のシーンがあったおかげで「亡き人の妄執にとらわれた者達の物語」であったことを理解できたと思います。そこを感じ取ることが出来たので見て損はしなかったと思います。
菊地凛子はおっぱいを出すハードルが低い人だと思ってたんでバベルの時みたいに乳首が見えるかと思ってたんですけど,見れなくてとても残念です。「直子に菊地凛子を充てるってそういうことでしょ」って思ってたんですけどねぇ...。直子がワタナベにキスするときに顔が隠れないようにカメラ側の髪を反対側に流すところはAVみたいで「この監督ホンモノだな」と思ったんですけどねぇ...。
乳首が見れないで言えば霧島れいかも下着着けたままでセックスとかあり得ないです。レイコさんの役どころは夏木マリみたいな役者を期待してたんで「あれ?」と思ったんですけど,ワタナベ宅の浴室の鏡に映った彼女の顔が一瞬直子に見えたのでそこだけでもこの配役の根拠を見た気がします。文句しか言ってないですけど水原希子もルックスは緑の雰囲気に合ってると思いますよ。「以後緑と言えば水原希子!」となっても正直なところ文句はありません。良くこの子見つけてきたなと思います。
そんなこんなで色々言って来ましたが個人的には期待していたよりも楽しめました。原作に対する思い入れの有無で映画に対する感想も激しく変わる映画だと思いますけど僕は肯定的に見てます。
投稿日時: 2011/01/11 16:07:49
原作を読んでいた私には味わい深い作品でした
普段はレビューを書いたりしませんが、ここのレビューを読んでどうしても書きたくなって、登録しました。村上春樹さんの作品は好きですが、全て読んでいる訳でもなく、最近の1Q84もまだ読んでいない程度です。
私が大学生の頃失恋したときに、この原作と出会い、深く入り込みました。
それから何度も読み返していましたので、今回の映画化にはびっくりし、期待していました。
あくまで、このような前提から書かせていただきます。
以下、原作を読んだ方には「ネタバレ」になるかもしれません。
原作を読んでいなければ訳がわからないのでは?と思うほど、前半は飛ばしていましたね。あまりに速い展開でびっくりしました。数々の味ある描写が含まれておらず残念でしたが、、映画では時間がたりませんよね。
前半はまさにあらすじだったと思います。
いつの間にか、直子とワタナベの心情描写に入り込んでいて、不思議な世界を見せてくれていたと思います。いわゆるキモは伝わってきました。
あくまでも、直子とワタナベですが。(ミドリもかな)
村上春樹さんの作品では脇に小さなお話がたくさんあり、それも大好きです。
映画でもところどころにちりばめてあり、少しにんまりとさせていただきました。
時間の限られた映画という枠で、よくあそこまでまとめられたものだと、見終わったときには感心しました。(失礼)
原作を読んだ人には、いろいろな見方の出来る作品だったと思います。
素敵な配役に自分の想像力もなかなかだなと思ったり、、直子はちょっと違ったなぁとか。
原作の中のラブシーンについては欠かさずに表現されていたのが不思議なくらいだったので、原作を知らないと「やりたい」だけの若者描写?と思われてしまうこともあるかも、、。今の高校生くらいだとそう思われちゃいそうですね。
ラブの背景にあるものをもっと表現してほしかったな〜。
原作を読んでいない人にはあまり勧めようとは思いませんでした。
「ノルウェイの森」はもっと面白いんだけどなぁ。
でも、いろいろと思い返させてもらえた素敵な作品でした。
情景と音楽も素敵で意味があったと思います。
ノルウェイの森の中の、直子とワタナベ、そしてミドリの物語でした。
こう書いてみると、ノルウェイの森の映画であることに間違いなく、
やはり素敵な映画だったなと思います。
原作に感銘を受け、ノルウェイの森を悪く言われたくない男のたわごとでした、、。
強大なイメージの前で。
幸い?原作や村上春樹氏に興味がなかった私は、
何と比べることもなく本作を観ることができたが、
だからといってうわぁ~♪素晴らしい♪でもなく…
文的表現をそのまま映像に持ってくることの違和感と
読者のイメージに沿うキャスト探しは難局ということ。
それらをふまえて監督も外国人ということで、これは
もう別物として捉えた方がいいのだろうな、と思う。
そうはいってもベストセラーとなれば^^;読んでいない人
の方が少ないだろうし(爆)比べないのもムリだしねぇ。
私はこの話の死生観、よりももっと単純に、自分の
好きな相手と「愛し合えない」辛さや哀しみを痛感した。
つまりこの「直子」という女性が、精神を病んでいくのは
彼女の性格それ故もあろうが、心愛する男性と身体で
愛し合えないという特異な経験を全て自分の中に罪の
様に抱え込んでしまったことが悲劇なんだろうと思った。
最愛の男は自殺してしまうし(これが理由だったら更に)
愛していない親友の男とは簡単にSEXできてしまったし、
一体自分は何者だ、と真面目な女性なら尚一層苦しむ
だろうと思った。心と身体は別。なんてのうのうと言って
のける図太さが、本作の登場人物たちには、ほぼ無い。
…あ、ひとりいたか^^;
男と女の様々な思いの丈が臆面もなく台詞で綴られ、
「普通言わないだろ、そんなこと。」と赤面するような
やや居心地悪い、気持ち悪い、場面も確かに多かった。
でもまぁ、全体のイメージはこの監督ならではの感覚で
さほど違和感はなかった。前作よりはかなり観やすい?
若いうちに様々な経験を。とはいうが、死を間近にして、
哀しみを受け止める年齢に達してない時、どう抱えれば
よいのかが分からず、彷徨ってしまう心の行く先を細部
まで丁寧に描いている。台詞が遠くを彷徨い、どこかに
突き放した感があるのはそのせいなのだろうか。
キャスト陣に色々申し立ては多いようだが^^;
マツケンはよく健闘していたと思う。菊地凛子は私も
あの毒々しい顔が苦手なのだが、演技力はやはりある。
なんで映画化するんだろうと訝しがる原作ファンに、
ほらやっぱり原作のイメージはこうじゃないでしょう?と
(私でいえば実写版ヤマトの感想のように^^;)
自身で確立したイメージはおいそれとは崩れないことを
証明したかのような作品。一応意味はあったのかな、と。
(儚い人生より図太い人生を。愛は理屈で語れないもの)
ううむ…
村上春樹や原作の大ファンです。 やはり映画と原作は別物です。でもね、でもですよ。 原作に思い入れがあるだけに、割り切ろうとしても割り切れない自分がいるんです。違う! 違うんだってば〜!
脚本、演出は監督なりのアレンジがあっていいと思うんですよ。でも、登場人物のキャラクターまで変えちゃってるから、すごく違和感があるんです。特にこのストーリーの核となる緑。原作では、直子が静だとすると緑は動。口から生まれてきたような、快活で少しエキセントリックな女の子なのです。しかしながら映画の緑は、いかにも女の子らしい女の子。あの緑のキャラがあるからこのストーリーが暗くなりすぎずユーモラスになるんだけどなぁ。
あとはレイコさん。レイコさんもね〜基本はネジが飛んじゃってるような明るいおばちゃんなんですよ。だから最後のワタナベとのシーンは活きてくるのですよ。 ううむ。とにかくこの映画にケチつけるつもりはありませんが、原作ファンとしてはあまりに腑に落ちなかったので、ついレビューしてしまいました。
あ、でも永沢さんとハツミさんはドンピシャでしたよ。レストランのシーン、圧巻です。
一人で観たい映画
話題作だったので映画の内容を調べず観に行きました。
ポスター等のイメージから、切ないラブストーリーなのかなと思ってまして‥たしかに切ないラブストーリーでしたが、精神異常者の集まりみたいな印象をうけました。ちょうどフラれたばかりだった私‥別れたのに彼が優しすぎて、私がもう連絡しないでって言ったのに、フラれた私が心配でメールをしてくる。。余計なお世話!そのあとも色々あってお陰で100倍傷つきました。きっとナオコもワタナベくんの異様な優しさに傷ついたんだと思います。そして最終的に死を選んでしまった‥ナオコの気持ちが痛いくらいわかりました。
ほかのワタナベくんと他のかたの感情や行動は、私にはよく理解できませんでした。きっとそのようなことを体験したことのあるかたでないとわからない、深いものがあるのでしょう。
幸せな生活を送っているかたには、わけのわからない映画だと思いますが、ご自分や周りにトラブルがあるかたですと本当に胸が痛くなります。私にとってはショッキングな映画だったので、このあとに少し病みました。映像も切なくステキでしたよ。
「自分の生きる世界とどう関わるか」ということに真摯に向き合おうとする映画だと思いました。
村上春樹原作で、好きな役者が出ていて、
監督も悪くなさそう、 という理由で観てきた。
上下巻にわたる超長い原作が2時間ちょいに収まるのか。
あれだけ有名で沢山の読者の中に出来ているイメージを
映画としてどう再現するのか。
原作を読んだ私としては、映画は総合的に、良かったと思う。
(ただ、「原作と比べて…」という見方をするのは避けたつもりです。原作そっくりなら100点なのかという話になるので)
青春映画、とくくってしまうには重いかもしれなくて
ハリウッドムービー的リアリティを上手く信じられない私には
一言で名付けられない人間関係とか、正誤とは違う回答とか、
そういうものをリアルに描く物語がしっくりくる。
だって世の中に、成功する為のたくさんのことが提示されているけど
成功以外のことなんて誰も教えようとしてないんじゃないか。
成功以外は失敗なのか、とか、失敗したときどうしたらいいか、とか、そもそも成功失敗って何か、とか。
良い配役だった。
松山ケンイチはもちろんのこと、菊池凛子の役作りはすごかった。発声まであんなに変えられるんだな。新人の水原希子も悪くなかった。
個人的には「レイコさん」役の女優だけちょっと浮いてしまっていた気も。
脚本はきっと原作を凝縮した感じなんだと思う。
原作のどのシーン・セリフを脚本に生かし、
逆にどれを切り捨てるか、そのへんは好みだから仕方ない部分も当然ある。
それくらい、原作は名シーン・名セリフの宝庫、とも言えるし。
でもユーモアのある部分はもーちょい残してほしかったな。
…問題は原作が長いということか。
ただシーンの前後を入れ替えたりすれば、ストーリーの流れ・心情の変化が分かりやすくなったところもあるかも。
とは言え、ストーリーの雰囲気がちゃんと伝わってくる作りだった。
映画として好きなシーンは、2人が歩き回るところ。
最初のほうでワタナベ君と直子が再会するところの演出も良かった。
音楽も素敵。時代的にCANとかDoorsとか。
あとレデイオヘッドの人が手がけてるらしい効果音的な音楽がよかった。
衣装とか美術も、見ていてしっくりくるものだった。
70年代を映し出す部屋やバイト先の風景。
それと対照に、普遍的な草原や雪山といった自然の風景。
単純に映像としても美しく見応えがありました。
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