そして、私たちは愛に帰るのレビュー・感想・評価
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タイトルなし
【トルコEU加盟問題を背景に、人間の善性による憎しみ、哀しみを越えて”赦し”の心に至る姿を、連関する3章構成で描いた作品。】
ー トルコのEU加盟問題の奥深さは、万人が知る所であろう。
今作は、その問題を背景に起こった幾つかの悲劇を、人間の善性による”赦し”により救済する悲劇に関わった3組の親子の姿を見事な作品構成で描いた作品である。ー
◆原題 "Auf der anderen Seite" (”憎しみを越えて” 次のページへ・・と私は意訳した・・)
<Caution! 以下、内容に触れています。>
◆章立てで、赦しの物語は進む・・。
1.「イェテルの死」
・ブレーメンに住む、年金生活のアリは、一緒に暮らしてくれる女性を探す。
彼は、娘の学費を稼ぐために、娼婦をしているイェテルを見初め、お金を出す事で共に住むことに・・。
彼の家には、ドイツの大学教授であるネジャットが来ていたが、3人は穏やかに夕食を摂る。
だが、アリは酒に酔い、勢いでイェテルを殴り殺してしまう・・。
ー アリは愚かしいが、息子を自慢にし、奔放に暮らす初老の男。
この章では、アリよりもトルコ人であるイェテルに対するトルコ人男性達の、
”自警警察のような宗教観による””平安あれ”と言う言葉が、恐ろしく描かれる。
イェテルは、娘アイテンの学費を稼ぐために、自らの行為を”汚れている”と自覚しているのに・・。ー
2.「ロッテの死」
・トルコ、イスタンブールで、EU加盟に反対する反政府デモに参加しているアイテン。彼女は、警官から奪った”あるモノ”をビルの屋上に隠したまま、ドイツに不法潜入する。同士から、食事は安い大学の食堂で‥、と言われたアイテンは、親切な学生シャーロット(ロッテ)の行為により、部屋をシェアしてもらい、恋に落ちる。警察に捕まったアイテンはロッテにある頼み事をするが・・。
ー この章では、人間の善性が描かれる。哀しい結果になるのだが・・。ー
3.「天国のほとりで」
・ロッテの死の真相を得るために、ロッテの母がイスタンブールにやって来る。そこには、父の犯した罪がきっかけで大学教授の職を捨て、町の本屋のオーナーになっていたネジャットが住んでいる。彼は、父が誤って殺してしまったイェテルの娘、アイテンを探していた・・。
ー ネジャットの、ロッテの母に対し、温かく接する姿が、じんわりと沁みる・・。ロッテの母の哀しみを抱えつつも、気丈に振舞う姿も・・。ー
<ファティ・アキン監督作品は、「女は二度決断する」を鑑賞し、ダイアンクルーガー演じた、哀しき女性の姿とともに驚き、
実在した殺人鬼「屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ」を観て”うーむ・・”とモヤモヤした気分のまま、今作を鑑賞。
結論から言うと、今作は人間の善性と、赦しの心を描いた秀作である。
エンドロールで、牢獄から解き放れた父アリを、海岸で延々と待つネジャットの姿が印象的である。>
縁
映画の魅力に満ちた作品
やっと鑑賞することができたこの作品。以前、BSで放送していたのをたまたま途中から見たのだが、素晴らしいラストにもう一度見たいと思いつつも作品のタイトルを忘れる始末。レンタル屋さんで見つけることができて本当に良かった。
3組の親子がドイツとトルコを舞台に出会い、そしてすれ違う。
映画が訴えかけてくる政治的メッセージは明確。トルコの民主化とEU加盟への是非。
製作されてから年数が経ち、トルコとEUをめぐる状況も当時と現在とでは大きく異なる。もはやトルコの政府も国民もEU加盟に甘い夢を抱いてはいないだろうし、当の加盟国の人々もEUに失望を感じている。
とにもかくにも登場人物たちのベクトルはトルコのEU加盟、そして民主化に向かっている。
しかし、そのような政治色の濃い設定でありながらこの作品は親子の繋がりという、国や宗教を異にしてもなお人生の中心的な問題から焦点を外さない。
娘を亡くしたドイツ人の母親が、主人公の教授/本屋の部屋を訪れた時に、隣の建物の荒み具合に言及する場面がある。このとき主人公はマフィアの影響で街が荒廃するようなことを話す。
その後主人公に部屋を借りたその母親が建物を出るシーンでは、隣の建物には工事用の足場が組まれている。母親がしばらくトルコに留まり、娘の遺志を継ぐ決心をして出かけるシーンである。
朽ちかけた建物が生まれ変わる工事が始まる兆しを移すことによって、母親の気持ち、そして他の3人の登場人物たちの、あるいはトルコ社会の変化への期待を膨らませている。さりげなく目立たない演出かもしれないが、観客は十分に変化を感じることができるだろう。
黒海沿岸の街へ父親を訪ねに行く主人公は、海辺の町で父の居所を探し当てる。海が荒れているからすぐに戻るだろうと老人に言われて、遠く沖を見つめる主人公のクロースアップ。続く、海に向かってカメラには背を向けるロングショット。海へ釣りに出かけた父親の帰りを静かな砂浜で待ち続けるこのラストシーンにエンドクレジットが流れ始める。
やっと見つけた父親に早く会いたい気持ち、これまでのわだかまりを捨てて関係の修復を望む気持ちに感情移入させるクロースアップと、さざ波が天候の崩れを予感させ、父を待つ主人公の心細さをとらえる引きのショットへの切り替えが素晴らしい。
映画的語り、トルコの風景。大満足の一本である。
映画史に残る美しいラストシーン
多少ネタバレありです。
トルコ人の娼婦を老後の伴侶にしようとする、一人のドイツ人の老人。結果老人に殺されてしまう娼婦。左翼活動で、トルコから国外に逃亡するその娼婦の娘。その娘を愛し、助けようとするが結果殺されてしまうドイツ人女学生。これらの人間関係がしだいにイスタンブール/トルコを目指してひとつに集約していく。
はじめは、ありがちな、面白くもないストーリーだと思い、ドイツ人女学生のお人好しぶりと無用心さに苛立ちを覚えつつ観ていたのだが、終盤、加害者(娼婦の娘-間接的加害者)と被害者(ドイツ人女学生の母親)が和解するシーンを経る事でこれまでの全てのストーリーが、深みと重みを持ち始めた。作品前半を覆う東ヨーロッパ的な暗さや憂鬱さや単調さのようなテイストが、終盤になり急に温かみを増してゆき、その温かさとトルコの風土が美しく重なっていく。
ラスト、殺人者になってしまった老人(父親)に会いにゆく、その息子。
この映画のラストシーンは非常に美しく、映画史に残る名シーンといってもいい。
これほど、”雰囲気”のあるラストシーンは珍しい。ラストだけとってもこの映画を観る価値はあると思う。
ヨーロッパ地域の複雑で激しい社会的、文化的、宗教的土壌ゆえにできあがった名画である。
赦しの犠牲祭。
名画座にて。
惜しむらくは、トルコ系移民の実状についてもう少し知っていれば。
そんなことを考えさせられる作品だった。
自身もドイツ生まれでトルコ系移民二世であるF・アキン監督作品。
冒頭で大学教授ネジャトが父・アリに逢いに行くのであろう場面が
映る。なるほど、そのシーンはラストシーンに回帰するのだったが。
時間は巻き戻り…アリは娼婦・イェテルを家に囲い同棲を始めるが、
ネジャトに娘アイテンの話をしたのち、あっけなく死んでしまう。
彼女のためアイテンを探すネジャトだが、実はそのアイテンは
反政府運動に身を投じており、ドイツに不法入国し母を探していた。
アイテンがドイツで出逢った大学生・ロッテとその母親・スザンヌ。
スザンヌには危ない橋を渡ろうとする娘の気持ちが理解できない。
…という3組の親子の話であるのだが、これだけの登場人物と
時間軸の交差、他国との行き交いを含めても実に分かりやすい。
それだけに、、分かりあえない親子間のすれ違い。別れ。死。が
重く感じられる…。しかしながらこの作品は人間同士の関わりや
助け合いのシーンにも恵まれており、ヒトがちゃんと描かれている。
ほんの些細なことで喧嘩をして、取りとめのない間違いを犯す。
べつにイスタンブールやブレーメンでなくたって、それは、ある。
冒頭に出てくる「犠牲祭」という言葉の所以を問いかける本作は、
最後にその意味に気付かされる私たちをじっと待つかのようだ。
空港を行き交う棺。
貼りはがされるポスター。
知り合いの待ち人に出逢えない必然。
…人生ってこんなものなのかもしれない。
確かにドラマじゃないんだから。そう巧くいくわけがない。
だけどそこから学べることって、本当に多いのだ。
ネジャトとスザンヌの決断には、愛に帰ろうという想いが見える。
いい作品だ。
(明日は言えないかもしれないから、今日のうちにごめんなさい。)
博愛のこころ
3パートに分かれて、それぞれストーリーがグランド・ホテル形式で展開します。一つ一つのエピソードの出来がよく、特にロッテの母親がいい人だなぁとじんときます。ラストシーンは観る人によって意見が分かれそうですが、想像の広がるいい終わり方だと思います。
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