レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまでのレビュー・感想・評価
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タイタニックのコンビが…意図的にだな
まさか、こんな結末になるとは!!衝撃のラストシーン、涙が止まりませんでした。もう、何がなんだか。わかんねー。結局、どうしたら良かったの?
【どうしたら良かったの?】
2人のギクシャクした関係のミゾを埋めるような、≪解決策≫ は見つかったのに、それを、上手く実行に移すことが出来なくなるような事態が、次々と起こってくる。「ん、もうッ!」 と思わず言いたくなるような展開。で結局は、その ≪解決策≫ を実行に移すことができなくなる。それで、2人の関係は更に悪化していく・・・
じゃあ、≪解決策≫ を実行に移すことが出来ていれば、2人の関係は良くなっていたのか?と、聞かれると、そうでもないような気がする。
結局のところ、夫婦生活に「己」は、邪魔になる。この映画では「己」を主張しようとしたばかりに、悪い方に転がっていった。「己」を主張すると、相手を置き去りにしてしまうのだ。
でも、だからといって、夢や目標を諦める というわけにはいかない。人間だもの。夢や目標を持っていなくては、人生がつまらなくなる。んじゃあ、どうすればいいの?
【演技がスゴイ】
内容も充実していますが、主演2人の演技もスゴイ!タイタニックがウケたのは、主演2人のチカラあってのものだと、改めて実感しました。
【おわりに】
この話は、他人事じゃない。ってか、自分の事のように、投影してみてしまいました。「あるある、こういうケンカ」って、感じで
この映画は、 ”美談” ではなく、 ”リアル” を描いた傑作だと思う。新婚で無ければ、絶対に見ておくべきです。
ぶれずに、アメリカを描くこと
サム・メンデス3本目。『アメリカン・ビューティー』、『ロード・トゥー』、そしてこの作品と3本見て、サム・メンデスは信頼できると感じました。
特に今回の作品なんて、他の2本と比べて、取り立てて盛り上がるプロットはないのに、これほど間延びせずに見せられるのは、本当にうまいのだと思いましたよ。
主題は、ぶれずにアメリカ。いずれの登場人物にも肩入れできないと同時に、いずれの登場人物にも自分を重ね合わせてしまう、そういう割り切れなさが、この映画を支えていたように思います。
キリキリと心が痛い。
なんだろう。愛憎入り交じり激しく罵り合う二人。浮気。人の見たくない一面がまざまざと描かれているが、それがこの作品の深さを演出している。自分には書けない深さがある。その深みにはまって沈んでいく。深い水底にヘドロのように重なり、時には舞い上がり。人は聞きたくないことは聞いてない。信じたくないものに目をつむる。ラストのワンシーンが印象的。拡聴器のボリュームを落とそう。かないの人を悪く言うのは聞きたくない。静かに、静かに。
愛と青春が旅立ったレオ&ケイト
本作は年齢、性別または、未婚者か既婚者かによって感じ方が大きく変わってくるタイプの作品だと思います。ただ1つだけ言えるのはとても重い内容であるという事です。
舞台は1950年代のアメリカ。
主人公は閑静な住宅街に住む現実主義の夫・フランクと今の現実から逃げたくて仕方がない妻のエイプリル。すべての始まりはエイプリルがあるものを見つけたことから“パリへ行こう”という話になり、それを決断した瞬間から彼らに次々と悲しみの連鎖が襲いかかります。
注目はレオナルド ディカプリオ、ケイト ウィンスレットを初めとするキャスト陣による渾身の演技と予測不可能な重い内容のストーリーです。
特にディカプリオとウィンスレットの演技は圧巻でした。対決シーンも凄かったのですが、私が特に気になったのはあの朝食シーンです。あの何とも言えない張り詰めた緊張感には圧倒されてしまいました。それから、忘れてはいけないのが精神異常者を演じるマイケル シャノンの演技。出演時間はトータルにすると10分位しかないのですが、彼が登場するすべてのシーンでは主演の二人を食う演技を魅せています。
監督はあの「アメリカン ビューティー」のサム メンデスでこの手の映画のスペシャリストと言っても過言ではありません。はっきり言って無駄なシーンが1つもなく特に大きな弱点は見つかりませんでした。
この映画のメッセージはとてもストレートなものだと私は思っています。私の解釈としては“結婚する前にやりたいことをすべてやらなければこうなりますよ。”といったものだと思います。
最後に1つだけ映画に関する疑問があります。
本編にはレオ&ケイトが台所で・・・するシーンがあるのですが、ディカプリオは最後までズボンを下ろすことがありませんでした。どうすればズボンを下ろさないまま・・・が出来るのでしょうか?何か魔法のパンツを使っているとか・・・(笑)そこだけはどうしてもまでわかりませんでした。
自我が捨てられない女をケイトが熱演
緑豊かな郊外の一戸建てに夫と子どもと暮らす主婦(ケイト・ウィンスレット)の一見幸せな、でも本当は気が狂いそうに逃げ出したい気持ちにすごく共感した。あんなところに囚われるなんて人生終わりだ。
ケイトは「リトル・チルドレン」に続き、妻にも母にもなれない鬱屈した女性を説得力たっぷりに演じていた。
地味ながら味わい深い作品。
若い頃の夢や情熱を捨て、家庭を持ち郊外で平凡に生きる夫婦の心の葛藤を、地味ながら丁寧に描いた秀作。
ディカプリオはずいぶん年を重ねているがまだ若さも残していて、今でなければこの役柄を演じられなかっただろうから、タイミングが良かったと思う。
逆にケイトは素晴らしい演技力だがいささか貫禄があり過ぎる気がする。もう少し若さの匂いを残して欲しい気がした。
50年代という設定ながら、主人公2人の心の葛藤を掘り下げて描いているので、時代感をさほど感じさせず、現代にも通じる人間ドラマとして見ることができる。自然光を多用した映像も良い。
2009年必見映画
「撮影:ロジャー・ディーキンス」の映像が素晴らしい。古い時代を意識させながらも柔らかな光の加減の見事さは、暗黒の20年代LAを表現するのにべたっと青くしてしまった『チェンジリング』と比べてほしい。その一方で風俗描写も50年代を表現しながら、今から見ても違和感がないように工夫されている。50年代を語りながら現代に通じるテーマを扱っているからだ。
監督夫人が主演しているとは思えないほどに辛らつな夫婦関係を描く(冒頭の素人女優ぶりはもう少し露骨でもよかったかも)。夫婦の言い争いの様子は一見理想的に見える50年代家庭の裏にある成熟していない大人たちの姿を暴いている。これが子供たちにいい影響を与えるわけもない(ここで「めぐりあう時間たち」のリッチーの末路を思い出す)。
そんな夫婦の空虚さを指摘するのが不動産屋の精神を病んでいる息子(マイケル・シャノン)だ。彼がずばずばと問題点をあげる様子は短いながらも印象的だ。しかし夫婦としてうまくやるためには不動産夫婦のようにある程度は目をつむる必要があるわけだ。
さて50年代直後に書かれた小説を今映画化する意味はどこにあるのか?アメリカ社会が大きく変化した60年代の前、50年代こそが理想的な社会だとする人たちに対するしっぺ返しだ。この時代に赤狩りがあり、映画界も大きく揺れた。この映画でレオナルド・ディカプリオの不倫相手はゾエ・カザン、エリア・カザンの孫で映画製作者がその辺を意識していないはずがない。今の映画界がニュー・シネマからの一連の流れを肯定するためには50年代が単純に明るいだけの世界ではないとしないとだめなのだ。その意味では郊外の問題を扱ってきた監督と女優によって、今作らなければならない映画なのだが、あまり受けていないようなので、時期を間違ったのかもしれない。
二人の演技が素晴らしかった!
テーマが重たいので、映画を観たあとは暗い感じになりますが、デカプリオとケイト・ウィンスレットの二人の演技が素晴らしく、観る価値は多いにあり。ケイト・ウィンスレットがReaderでアカデミー主演女優賞を獲りましたが、この映画でも獲ってもいいくらいの演技でした。実際ゴールデングローブ賞では見事獲ってますが、今後も彼ら二人の息の合った演技、共演を観たいものです。
本筋とは関係ないんですが
ユーモア抜きの『アメリカン・ビューティー』って感じです.
悪い作品ではないけど,鑑賞中に胃もたれするほどヘビーでした.
アップ映像が多いので,ケイトとレオ様の目尻のしわが目立ちます(笑)
もう二人とも若くないんだ~,としみじみ.
しかし,出てくる男がみんな早漏って(笑)
幸せは必ず近くにある。
S・メンデスは、家族をぶち壊す作品を作るのが大好きみたいだ。
アカデミー賞を総なめにした「A・ビューティー」でも同じような
ことを描いていた。出産=諦め=俗物化みたいな連鎖こそ結婚だと
彼は思い描いているんだろうか。だとしたら、そっちのが問題かも。
1950年代のアメリカは夢のような時代だったそうだ(見せかけは)
でも特にこの作品には時代設定は関係ないかもしれない…^^;
日本の芸能人夫婦だって、いきなり子供が出来てデキちゃった婚、
子供が少し成長すると夫婦にズレが生じて即離婚。妻は女優復帰。
なんてのが、毎月ニュースになっているくらいだから、珍しくもない。
他人同士が一緒に暮らすことは、価値観を共有することになるため、
お互いが同じ方向を向いているうちはまだ良いのだけれど、
男は外へ出て毎日仕事をし、妻は家で家事と育児に追われていれば、
互いのストレスそのものにズレが生じてくるのは当たり前。
子供は確かに可愛いが、それ以上に自分が可愛い二人なもんだから、
この結婚が間違いでなかった=自分は特別だからそんなはずはない。
みたいな思いこみに煽動され、お互いを罵り合って傷つけ合う。
どこの夫婦にも必ず訪れるこの時期(長い目で見れば分かることも)
相手を思いやる心を持つことが必至なこの時期を、乗り越えられず
離婚に至ってしまう夫婦は今だって、すごく多いんじゃないだろうか。
まぁでもこの二人は、最初からあまり相性が良くなかったのかも。
合わない二人だから、自分らの子供も可愛く思えなかったんだろう。
いちばん可哀想なのは、当の子供達なんだけどね。
私も一応女なので、妻の気持ちが(多少は)分かるところがあった。
例えば冒頭の大喧嘩などは、夫の励まし方がなってない(ゴメン、レオ)
彼は(励ますつもりで)あーだこーだと横でまくし立てたのだろうが、
あれでは妻の神経が参ってしまう。まるで励ましにも慰めにもならず。
ああいう時は、何も云わずに、黙って妻の肩を抱いてやればいいのだ。
悔しかった、悲しかった、その想いをただ共有してあげればいいのだ。
男性の優れた解析力は、女性の感情下では、かなり邪魔に思えるが、
しかし男性側からすれば、それは一生懸命励ましてくれている証だ。
悪気がないので難しい上、必ず喧嘩になる。男脳と女脳はやはり違う。
彼らの心を代弁していたのが、あの神経病?の男だったが、
ことなかれ主義を決め込む生き方も、自由を求める生き方を選ぶも、
まずは心身健康な状態で、互いの置かれた状況を把握できてから、
見つめ直して再生、それからだってちっとも遅くなんかないのだ。
いま足元を見ずに先走って、大切なものを失うことのないように。
それを云われている気がした作品だった。
(タイタニック再び。この二人の不幸はどこまで続くんだろうか!?)
水(男 )+土(女)=泥
容姿端麗な男女が結ばれ結婚する。が、お互いにそういう外見を持った性か自分には他の人にはない「特別」なものがあると信じ、平凡な夫婦生活に終止符を打とうとする。そこから始まる転落劇。
この「特別」さというものが、イギリス人監督サム・メンデスが「アメリカン・ビューティ」でも見せたアメリカという国に対する風刺となっているのがこの作品のミソです。
レオ演じる男がほんとによく喋る。口から生まれてきたんじゃないかというくらいの詭弁家です。必ずしもいつも話合う必要はないと最初から最後まで主張するケイトにわたくしなんかは肩を持ちたくなりました。
夫婦生活の破綻を描いた作品ですが、よくよく考えてみるとレオとケイト演じる夫婦は極めてアブノーマルであります。夢を思い描いた事は決して悪い事ではない、重要なのは常に行き過ぎた思考や行動しかとれなかった事なのでしょう。
「タイタニック」カップルを映画の軸にするということで、サム・メンデス監督の才能が殺される不安がずっとありました。スター性の強い俳優はややもすれば監督の個性を削るものだからです。その不安は半ば以下の程度で的中したくらいだったので安心。
メンデス監督は、「アメリカン・ビューティ」ばりにブラックユーモアを本作にこめています。タイトルからして作品を観た後に考えてみると、とてもユーモアがあってやはりこの人は知的だなと思いました。
主演二人のオーバーアクティングに途中から食傷気味になりましたが、とにかくドラマ仕立てが素晴らしく、さらにメンデスらしいエレガントな調味料も加わり、結果思ったほど消化不良はおこしていませんでした。
この作品で特に光っていたのは、メンデスのシナリオライティングと、そこで生みだされた精神病院に入院していた数学者演じるマイケル・シャノンです。この役柄は劇中二回しか登場しませんが、たった二回だけで作品をさらに深い次元に導く事に成功してました。こういったキャラクター造形に監督の才能を感じます。そして、それを演じきったシャノンはお見事。
ちなみに本作のエンディングはわたくしの中でベスト3に入るくらい素晴らしいものとなっていました。本当はA+をあげたいのですが、とにかく主演二人の演技が過剰で途中からうんざり気味だったのでマイナス2の評価です。いずれにせよ(特に)セカチュー世代はこの作品観たほうがいいと思いますよ。
時代や人は違うけど、虚しい気持ちはみんな同じ!?
映画を観る前から、かなりシリアスなストーリーと聞いていたので覚悟はしていたんですが、
やっぱり切なさが残る映画でしたね。
ケイト・ウィンスレット扮するエイプリルの哀しくも残酷な決断!
でも、何故か、そんな彼女に共感が持ててしまうのは、女性であり主婦であり母親でいなくちゃならない自分だからなのか・・・
自分の人生を見つめ直した時に感じる不安。
現実と理想とのギャップ。
男女間の思考の違い。
勝手に周囲から理想化されてしまう環境。
リアルに描かれてる映画だけに、心にズシン!ときました。
自分の人生って
一体なんなんだろうね・・・・
今回、久しぶりの名コンビ!ケイト&レオ様共演っつ~ことで
めちゃめちゃ嬉しくて、そして二人の成長ぶりに感激しまくりの私(^o^)
迫真の演技にも益々磨きがかかって、喜ばしい限りです^^
二人の演技にはA+
ストーリー的にはA-
・・・ってな感じで総合はAになりました^^
1月28日109シネマズ高崎にて観賞
あの時代のアメリカの女性って・・・
エイプリルみたいに
自分の今の生活は何だか違う、
と思っている女性がどれくらいいたのでしょうか?
アメリカ女性の私の印象って
自分をしっかり持っていて
夢にまっすぐに向かっていく、
というimageが強いので
それでも1950年代時代だと
日本みたいに夫に従って、
女性は専業主婦、という感じが
やはり多い時代だったのでしょうか??
そういう時代にエイプリルはついていけなくって
どんどん自分を追い込んで行ってしまったのか???
この映画を観て一つ思ったのが
何事も決断が大切、という事かも。
その決断が一瞬でも遅いと
思いもよらない結果へと導いてしまう。
最後のこの映画の展開で私はそう思ってしまいました。
現代社会へ「心の病」を蔓延させるなと言う警告メッセージ
私もこの映画の主人公の女性と同じような人とつきあっていた事がある。エイプリルの言った「パリへ移住しに行きましょう。あなたは仕事をしなくてもいいの。私が働くから。」この言葉の中に”根拠”と言うものがあれば、旦那を承知させることができたのかもしれない。
しかも彼女がパリで生活した経験も無く、さらにそこへ行ったことも無いのだ。旦那が軍でパリに駐屯していたからと言うだけの理由で、
それを押そうとする。
私の昔につきあっていた彼女が、これに似ていた。自分の意見が通らないと一日中気分が悪く、文句だけが続いた。一人っ子でわがままに育てられていて他人の気持ちなど考えると言うワンクッションが無い。しまいにはうつ病を発生して「あんたなんか愛していない。」となった。エイプリルがフランクに言った「愛していない。」と言うのとそっくりだった。
他の場所のレビューで「なぜ今頃こんな映画なのか?」と分からない人たちが沢山いるようだったが、1955年を舞台に描いたこのうつ病の映画は、この頃にはカウンセラーも、病気に対する処方箋も無かったのだ。半世紀を経た現代でこの病気で苦しんでいる人たちは、膨大な数になっているはずだろう。しかし、この病が完治するには多くの時間と治療と安らぎが必要となってくる。しかし、本当に現代の社会の中に「安らぎ」があるのだろうか。そして、50年前のシチュエーションを描いているこの映画の中では、隣人たちもこの夫婦をよそ者扱いをし、不動産屋の夫婦もうわべだけの応対しかしない。ある1人の人物であるジョンと言う心の病気に襲われている人間だけが、真摯にこの夫婦へ「真実の言葉」を送っている。しかし、それはフランクのような正常な弱い人間には「彼の言葉の核心」が見えてこない。
現代のねじ曲がった社会の中で心の病が大勢の人々を病ませている、そして50年前のまだ人間らしい生活ができていた社会の中でさえ、
その病を治すことが困難だったのだと言う作り手側のメッセージ。
今、癒しと言う言葉が本気で語られる世の中に、これらの病気が蔓延しないように止められる術はあるのだろうか。深いメッセージがこめられている映画だと私は思う。単なる夫婦を描いた映画ではない。
理想と現実と人生
高い理想と,平凡な現実のギャップに苦悩する
フランク&エイプリル。
自分を抑えて
深く虚しく葛藤を続ける二人の緊張のドラマを,
ほぼ二人だけで見せきった
レオナルド・ディカプリオ,ケイト・ウィンスレットに拍手。
丁々発止の演技対決が見応え!!
狂気と背中合わせの虚無。
希望が見えなくなる生活の空気感は,
まるで,暴力の無い「ノーカントリー」のよう。
すれ違いの悲しい夫婦の姿から浮かび上がる,
答えのない普遍的なテーマ。
探し続ける人生。
年齢を重ねて年代別に見直すたびに,感想が違ってきそう。
絶対カップルで行っちゃだめ!!
ひーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
「燃え尽きるまで」という副題とポスターしか知らずなんとなく観にいったら・・・本当にショックを受けました。
いかにもよくある話。だけど恐ろしいほどに生々しい。
そしてぐったりするほどの緊迫感。
とにかくとことん苦い。希望がない。疲れる。大人になりたくなくなる。笑。
ケイト・ウィンスレットはすごく演技がうまいけどかなりおばさんになっていて驚いた!
ほんとにこれは、大人の映画だと思う。よく出来てるし、ちょっとないぐらい衝撃を受けるし考え込んじゃう。でも私は大人になってもマンマ・ミーアとか観てたい・・・
とりあえず絶対にデートムービーではないので注意!!
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