キム兄の舞台挨拶つき試写会に行ってきました。
キム兄は終始口数も普段より控えめというか、感極まって言葉に詰まっていました。時折涙ぐむ始末。かなりまじめでシャイな人なんだぁと感じました。そして、凄い情熱をかけて初監督作品に望んだことが伝わってきました。
作品も木村監督の人柄が滲んでいるまじめな作り。コミカルさはあるもののベタに笑いを取るシーンは皆無。名前を伏せて鑑賞すれば、コメディアン監督作品とは思えない、ゆったりとしたストーリー進行なのです。
しかも京都北部の北山地区をロケ地に選び、美しい映像美が印象的です。戦後の昭和を再現する建物や小道具も凝っていて、なかなか本格的な邦画作品として楽しめます。
特にラストでは、しっかり本作のテーマであるお金といってもただの紙切れ。一体お金の価値って何なのかという、現代にも繋がる問題提起をしっかり登場人物に語らせていて、作品に込められた監督の意図がよく分かりました。
そして、小学校の教頭先生まで巻き込んで、村を挙げてニセ札作りに取り組まねばならなくなった背景は、よく描けていたと思います。山奥の産業とてない寒村。勉強が出来る子供でも進学できず、学校の図書館は、予算がなくて本棚はガラガラ。おかげで1冊の本を先に読みたいために、生徒同士で喧嘩になるなどのエピソードの数々を伏線として用意して、観客になるほどこれならニセ札作りに村民挙げて走るのも無理ないなという気持ちにさせてくれます。
それとニセ札作りに必要な人材と、必要なノウハウして村の伝統産業が和紙漉きであったことが手際よく紹介されていったのです。
またストーリーも単調ではなく、あと一歩でニセ札完成を目前に、思わぬ人が裏切ったり、殺人事件が起きたり、予断を許さない展開を仕掛けていました。
但し、90分という上映時間は短すぎじゃあないかと気になりました。ラストへの展開が、明らかに時間切れで、展開が急になってしまったのです。いくら実話ベースのストーリーで、結末が決まっているものとはいえ、もう少し時間をかけて描いてほしかったです。例えは村民がニセ札を掴んで狂喜乱舞し、その結果村がどのように変わっていったか。 そしてニセ札がバレたときの警察と村民の息詰まる攻防戦など描かれていなくて残念です。割とあっさり捕まりすぎました。
あと冒頭とラストにト書きのシーンが多いのが気になります。文字で説明すればてっとりばやいのですが、映画なんですからなるべく映像だけで説明すべきでしょうね。
演技面では、やはり賠償美津子が演じる教頭先生かげ子の存在感が圧倒しています。正義感からニセ札作りに荷担していくこころの変化、捕まってからの裁判で、堂々と裁判長にお金への疑問を述べるところなど、役柄の深さを感じさせてくれました。
それとかげ子の息子を演じた青木崇高の演技力も注目すべきでしょう。知的障害を持ちながら、ストーリー進行上の重要なヒントを周囲人物に与えていくところをリアルに演じていました。
さて、村民たちはニセ札でなく完全なお札作りを目指していました。変に妥協してしまったから、墓穴を掘ることになりました。実話から離れて、完成して本物として流通してしまうような展開も見てみたかったです。そうなればきっと村の貧困は一掃されていたでしょう。
実は、この村民たちの思いつきは、現在の不況の一掃にも参考になるのです。今の不況の元凶は、インフレを嫌う日本銀行の総量規制にあります。
市中に回るお金の量が少ないから不況になるのです。政府や中央銀行が及び腰なら、民間で合法的にじゃんじゃんお札を刷ってしまえばいいのです。
明治初期では、民間銀行がお札を発行していました。それにあやかって、3大メガバンクで10兆円ずつ銀行券を発行して、合計30兆円。それを不況に喘ぐ企業に融資すれば、一発で不況は解決します。メガバンクの信用力ならば、可能なはずです。
ホントお札は紙切れであり、価値の源泉はみんながそれを信じるという信用力なんですね。そういう点では、「神」様かも。(アーメン¥)